鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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 その場で子供のように飛び跳ねたあと、大きく手を振りながら駆け寄ってくる女とそのあとを小走りで追いかける二人の男。
 エイベルは彼女を知っている。クラリッサがよく話してくれた砂糖菓子のような妹、リズだ。

「見つかってよかったぁ。森に入るのはダメだーってアーティーたちがうるさいから大声で呼ぼうかなーって思ってたんだけど、パパたちにバレちゃうからどうしよーって話してたの。よかったよかったぁ」

 目の前にいるのはダークエルフで、ここは既にダークエルフの敷地内となっている。花も咲かない穢れた土地と言われる場所までやってきたリズが何を考えているのかわからず、護衛からの警戒心もあってエイベルも多少の警戒は見せる。リズだけがその警戒がわからず、言葉のとおり安堵の笑顔を見せていた。

「……俺が誰かわかっているのか?」

 あの会場にはリズもいた。クラリッサが何度も叫んでいたため名前を覚えたことはわかるが、まるで友達のようにフレンドリーに話しかけてくるリズにエイベルが戸惑いながら問いかけると不思議そうな顔をする。

「ねえの王子様でしょ?」

 まるで当たり前のことを答えるようにそう口にするリズにエイベルは全身の力が抜けそうになった。
 エイベルからすればエヴァンの行動が最も正しく思えた。守ろうとしたエヴァン、状況が理解できないウォレンとロニー、嫌悪を向けるダニエル、その中でリズだけがこちらをジッと見ていたことは覚えている。その目には嫌悪も憎しみもなく焦りもなかった。まるでエイベルが誰か、わかっているかのようだった。
 その違和感が今、風が吹き抜けるように消えていった。リズだけはクラリッサをちゃんと見ていたのだとわかったから。

「そうだといいが……」

 王子様が迎えに来てくれる。祖母の言葉が心の支えだと言っていたクラリッサの王子様になれたらどんなにいいだろうと思うが、言いきることはできない。

「ここまで来たことがバレたら怒られるんじゃないのか?」
「リズいーっつも怒られてるから平気なの。パパが怒ったって知らない。怒られるのだって平気だもん。リズは、ねえを助けたいだけ」

 その瞳に宿る確かな意思に帰れとは言えなかった。

「肩から血が出てるよ、大丈夫?」
「上手く治らないだけだ、問題はない」
「痛い?」
「いや、もう慣れた」
「そっか。じゃあお話するね」

 頭が悪いと言われていることは知っているが、エイベルにはそうは思えなかった。何をもって賢いと言うのか人によって基準は違えど、今は家の長に逆らってでも自分の思いを通そうとする優しい娘。バカではそんなことはできないはずだと思った。

「ねえは今、地下室に閉じ込められてるの。門番がいて、ご飯もこんなちょびーっとしかもらえなくて、寒いの。パパは反省させるためだ、なんて言うけど、リズはそうは思わない。だってパパ、ねえはもうお役御免だって言ってたもん。お役御免って鑑賞用王女って役じゃなくなるってことでしょ? パパはもう、ねえのためには動かないって言ってたから……パパが怒らなくなっても結婚するまであそこから出さないつもりかもしれないの」

 思ったとおり地下室に監禁されていることを知るとエイベルの表情が歪む。どこか別の部屋なら見つからずに移動できる自信はあるが、地下室に行くには屋敷の中に入らなければならない。見たかぎりでは褐色肌さえいない使用人の中に紛れ込むことは不可能。

「ねえは平気、辛くないって言うけど、そんなの嘘。王子様がいるのに会えないなんて辛すぎるもん。出ようって言ったら出ないって言うの。頑固だよね」

 頬を膨らませて拗ねた顔を見せるリズがここまでペラペラと喋ってしまうということは信頼を得ているということだろうかと思うが、やはり戸惑ってしまう。

「だからね、リズがお外に出してあげるの。お外に出してどこへでも行けるようにしてあげるの。そしたら王子様が迎えに来れるでしょ?」

 目を逸らさないことがリズの中でエイベルが王子様だと決まっている証拠となっている。それを受け止めながらエイベルが頷けば「よーし!」と声が上がる。

「協力してくれる?」
「俺に……言ってるのか?」
「リズと話してるのエイベルなんだけど」

 わかってはいても素直に受け入れられない。人間とダークエルフの間には確執があり、知らないのはクラリッサだけだった。学校に通っていないのだから教わる機会もなかったため仕方ないと思えたが、リズは違う。学校に通っていて知っているはずだと困惑するエイベルに不満げな表情を見せた。

「恨んで、いないのか?」

 エイベルの問いかけにまたリズが不思議そうに首を傾げる。

「なんで?」
「俺はダークエルフだ」
「関係ある?」
「ないのか?」
 
 なぜ何も考える素振りも見せずに答えられるのかがエイベルにはわからなかった。リズという娘が一体何を考えてダークエルフに嫌悪なく接触できるのか。

「リズ、ダークエルフに何も悪いことされてないもん。恨む理由ないよ」

 クラリッサが嬉しそうに語っていたことがようやく理解できた。誰よりも優しい純粋な子。子供より子供だが、だからこそ優しくて愛しいのだと。
 自分たちがもっと早くそう思えていたらきっと全てが変わっていたはず。それに気付くのが遅かった。

「歳は?」
「二十一歳」

 たった二十一年しか生きていなくとも判断できることが何百年何千年と生きている者には同じ判断ができなかった。情けないことだと恥じることしかできない。

「感謝する」

 目を伏せて微笑むエイベルが頭を下げると護衛騎士の警戒が解けたのを感じた。

「どうして感謝するの?」
「お前が関係ないと言ってくれたからだ」
「ん?」
「お前の優しさに感謝したんだ」

 これだけでも話すのに苦労しそうだと感じたエイベルだが、なぜかとても微笑ましくて仕方なかった。肩の痛みなど感じなくなってしまうほど、じんわりとした温かさが胸に宿り始める。

「じゃあ教えて。エイベルは、ねえを幸せにできる?」

 それだけは困惑しない。

「最期の瞬間まで彼女が笑顔でいられるよう努力するつもりだ」

 迷いのない言葉に破顔するもリズは振り返ってアーテルたちを見た。

「どう思う?」

 聞く意味あるのかと言いたげな表情でアーテルが問い返す。

「姉の幸せが一番なんだろ?」

 それに大きく頷いたリズはエイベルの鼻ギリギリに指をさし「合格!」と告げた。

「ねえはいつもリズたちに幸せになってって言うの。でも本当はね、ねえが一番幸せにならなきゃいけないの。だからリズはね、ねえが本当に幸せだって笑える人に渡したいの」
「それが俺だと?」
「だって、ねえの王子様だもん」

 ダークエルフを王子様だと言うのは後にも先にもリズだけだとエイベルは思った。それでもその言葉はただただ嬉しかった。

「クラリッサを解放する作戦はあるのか? 俺は何をすればいいんだ?」

 なんでもすると意気込むエイベルにアーテルとニヴェウスが困った顔をする。どうしたのかと二人を見るも二人の視線はリズに向いている。

「どうしたらいいと思う?」

 全員の時が止まったように暫く沈黙が続く中、リズだけが不思議そうに三人を見る。

「パパのこと怒らせちゃって、ねえと会うなって言われちゃったの。ダニエルもロニーもダメだって言われて……アーティーとニーヴェにも考えてもらってるけど良いのが出てこないの。そこでエイベルに相談」
「壁は破壊できないぞ」
「そうなの!?」

 なぜだかリズが言いそうな言葉が手に取るようにわかってしまった。
 ショックを受けたように口を開けて眉を下げるリズに何か言葉をかけるべきかと迷うが、双子の手がリズの肩を叩くのを見てやめた。

「入口は一つか?」
「うん」
「窓は?」
「あるけど猫とかネズミじゃなきゃ入れないぐらい小さいの」

 だとしたら強行突破ぐらいしかない。屋敷の主人の命に従わなければクビだろう使用人たちがリズの言葉を優先させるとは思えず、護衛の双子もだからこそ良案が出てこないのだろう。
 ダークエルフは身体能力こそ高いが、怪力というわけではない。

「どうしよー! ねえがお嫁に出されちゃう!」
「あの一件で破棄にならなかったのか?」
「イルルゴール王子はそのまま結婚するって言ってるんだって」
「イルーゴ王子だ」
「でもイルーゴ王子はね、ねえの王子様じゃないからダメなの」

 相手が望んでいるのなら父親は間違いなく結婚させるだろう。恥晒しの娘は外に出し、孫だけを欲しがるかもしれない。先方がそれを許すかどうかは別の話となるが、リズもエイベルもそれを阻止したい気持ちは同じ。

「俺にできることはないか?」
「壁壊せる?」
「ムリだ」
「じゃあできることない」

 言いきったリズにエイベルは目を閉じる。

「地下にいるのだから壁を破壊できたとしても意味はないと言っただろう」

 ニヴェウスの指摘にリズが思いきり眉を寄せて目を閉じる。足りない頭でどうにか上手い方法を考えようにも思いつかない。エイベルに頼めばと双子の反対を押し切ってやってきた結果、希望は打ち砕かれた。

「にいとお話するしかないかなぁ」
「エヴァン王子が話を聞くか?」
「にいは優しいよ。ただちょっと……臆病なだけ」

 何も言わない双子を見たエイベルは二人がリズの良き理解者であることを察し、この二人が傍にいることがクラリッサの安心でもあったのだろうと思った。

「にいとお話してくる。エイベルにできそうなことがあったらお願いするね」
「ああ」

 やれやれと言いたげな表情でその場を離れるリズをエイベルが名前を呼んで引き止め、振り返ったリズにもう一度頭を下げた。

「感謝する」

 人間に頭を下げるなど愚か者のすることだと思っていたが、今は頭を下げることになんの抵抗もない。むしろこうしなければならないとさえ思っての行動だ。

「ねえを世界で一番幸せにしてくれたらそれでいいよ」

 笑顔で答えるリズに「約束する」と告げると満面の笑みを浮かべながら手を振っていそいそと帰っていくのを三人の姿が見えなくなるまでエイベルは見送り続けた。
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