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受け継がないこと
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ダークエルフの森ではエイベルが撃たれたことで仲間たちが殺気立っていた。
「ダメだ! ハイエルフども、魔法も使えない暴力で自分の力を誇示するような輩の治療は拒否だとよ!」
「クソッ! 魔法が使えるからって見下しやがって!!」
ダークエルフは狩りに特化した身体能力の持ち主であり、怪我をすることは稀であるが故に治療という行為はほとんどの者が未経験。治療薬もなければ包帯もない。布を集めてエイベルの肩から滲み出る出血を抑えるのに必死だった。まともな治療を受けられていないせいで何度も傷が開いては血が出てしまう。
恥を偲んで頼みに行っても鼻で笑われ見下され終わった今、彼らに残された希望はないにも等しい。
「人間が先に手を出したんだ。やっちまおう……」
「そうだ。人間が銃なんかぶっ放しやがったから……」
「これは契約違反だ!」
「そうだ! 違反者には罰を!」
「違反者には罰を!!」
森の中で響き渡るシュプレヒコールが殺気を更に高めていく。それぞれが弓を手に取り、中には人間との戦で手に入れた剣を持ち出す者もいた。
地鳴りがしそうなほど大きな声をそれを掻き消すほどの声が止める。
「やめろ!!」
エイベルだ。
「先に契約違反を犯したのは俺だ。森を出ない約束を俺が破ったんだ」
惚れた女が万が一にでも見つかって罰されないようにとテラスまで運んだ時点で契約違反を犯している。反省もなく、バレないだろうと甘い考えで繰り返してきた違反の結果がこれだとエイベルは肩を押さえながら仲間を見た。
「でも銃を持ち出したのは向こうだろ!」
「先に手を出したのは俺だ。俺が彼女の父親を殴り飛ばして殴り殺そうとしたからだ」
「でもッ……!」
納得できる内容でも納得したくなかった。森を出ないという約束を破ったのはエイベルで、手を出したのもエイベルであれば人間が撃ったのは正当防衛。クラリッサの父親はエイベルの拳によって生死の境を彷徨ったのだから。
エイベルは恨んではいない。撃たれた肩の熱が全身を這い回りそうでも、腕が上げられないほどの痛みを発していてもエイベルの中にあるのはクラリッサの心配だけだった。
「……俺のせいだ……」
あれからクラリッサの声は聞こえない。泣き叫ぶクラリッサの声だけが聞こえ、それからはどんなに耳を澄ませようとも泣き声さえ聞こえはしない。頑固な一面があるから黙り込んでいるだけだと考えることもできるが、父親がクラリッサを怒鳴りつける声さえも聞こえないため地下かどこかにでも連れて行かれたのだろうかと心配している。
ここ数年の父親はクラリッサを溺愛の娘としてではなく完全に商品として見ていた。それがエイベルは許せなかった。だが、一番許せないのはクラリッサの事情を知りながら突き放した自分だ。守るべきだったのに傷つけ、心の拠り所を奪った自分がなぜ彼女のために怒る権利があると思ったのか。
気がついたら地面を蹴って飛び出し、殴りかかっていた。あんな風に別れてからもクラリッサから目を離すことができなかったエイベルにとって心が摩耗していくばかりの姿を見ていられず、自然な笑みはあんなにも美しいのにそれさえも消滅させてしまった男が反省どころか更に傷付けるような行為を許すことができなかったのだ。
自分があのとき飛び出したのは正解だったのか、エイベルにもわからない。自分が飛び出したせいでクラリッサはダークエルフと関わりがあったことを暴露したようなものだ。だが、ああしなければクラリッサは父親の言葉で生きる意味さえも失っていたかもしれない。自分は身体に傷を負っただけで済んだが、クラリッサは心に傷を負った。それは自分とは比べ物にならないほどの痛みだとエイベルは悔しさから唇を噛み締めた。
「俺たちは間違っていたのかもしれない」
エイベルの言葉に仲間たちがザワつく。
「人間が正しかったってのか!?」
「違う、そうじゃない。俺たちが後世にまでこの遺恨を残そうとしていることだ。この中には戦争に関わった者もいるだろう。あの日の光景を忘れられない者もいるはずだ。だが、戦争は一人ではできない。相手あってのこと。相手が仕掛けてきたから迎え撃った……それが事実だとしても、人間は醜い、ダークエルフは醜いと後世にまで伝え続けるのは違うんじゃないか?」
「人間に毒されたのかよ、エイベル」
違うとは言い切れない。クラリッサと出会わなければそんなこと思いもしなかったはず。クラリッサとの明るい未来が欲しかったからそう思っただけなのかもしれない。それでもエイベルはこの考えが間違っているとは思えなかった。
「ハイエルフがダークエルフは魔法が使えないと見下すから俺たちは魔法なんざ必要ないだけの力を持ってるんだと誇示してきた。話し合いもしようとせず、理解し合おうともしなかった結果がこれだ。話し合っていれば、もっと違った結果になったかもしれないのに」
ハイエルフが魔法で治癒してくれれば肩の傷など一瞬でなかったことになったはずなのに、それを受けられないのは自分たちのせいだと言うと仲間たちは一斉に口を閉じる。
生まれた瞬間から憎み合う生き物はいない。憎み合うには理由がいる。それを知りながら改善しようとさえしなかった自分たちも悪いのだと。
「でもよ、俺たちだけがそう思っても人間もそう思わなきゃ意味ないだろ」
「そうだな」
「話し合えるのか?」
「……今の国王とは無理だろうな。次期国王とも」
エヴァンは銃を撃った。それはダークエルフを危険と判断してのこと。ましてや父親を殴り殺そうとしたダークエルフを受け入れるとは思えない。だが、その次の世代はわからない。希望は薄くとも、ないわけではない。
「だったらどうするんだよ」
「俺たちは遺恨を残すのはやめよう」
「森の外に出られない理由はどう説明したらいんだよ」
「俺が話そう。ちゃんと、彼らが人間を憎まないように」
「嘘をつくのか?」
「いや、嘘はつかない。言葉を変えるだけだ。言い方を変えて、小さな火種さえも起こらないように話す」
そんなことができるのか、エイベルにもわからないが、やるしかない。このまま一生憎み合うのは意味がない。異種族であろうと交わることはできる。それぞれの能力を生かせば世界はもっと良くなるはずなのに、互いに憎み合っているせいで互いに怯えて生きるしかないこの状況をなんとか打破しなければならないと思い至った。
子供の相手をまともにしてこなかった自分にどれだけのことができるのかはわからなくとも、エイベルは長として肩書きだけではなく中身ある男と証明しなければならないと強い眼差しを仲間に向けた。
「まずこの場でお前たちに謝りたいのは、お前たちが人間を憎んでいることを知りながら人間をこの森に引き入れてしまったことだ」
「遊びだったんだろ?」
仲間がそう言うのは自分がそう説明していたからで、エイベルはそれにすぐかぶりを振った。
「俺は彼女を愛してる。人のために生きられる彼女を愛してる」
「人のために生きるって意味ある? 自分の人生よ?」
前々からクラリッサを嫌悪してきた女が鼻で笑う。
「だからこそだ。自分の人生、自分のために生きるのは悪いことではない。むしろ当然と言えるだろうことだ。誰も自分の人生を代わりに歩んではくれないのだからな。だが、だからこそ俺は彼女に惹かれた。彼女は短い人生で自分のために生きた時間は数えられるほどしかないだろう。言われるがままに生き、それに抗う術を知らず、自ら踏み出す勇気もないまま今に至る。だが、その時間はけしてムダではなく、間違いなく家族を救っていた。彼女はそれを喜べる人間だ。その美しさに惹かれたんだ」
「意味わかんない。必要なのは強さでしょ」
「強くなければ自己犠牲などできん。彼女の心の強さは他者には真似できないものだ。彼女だからこそ惹かれたんだ」
「甘やかされた王女に恋をしても虚しくなるのはあなたよ? 人間の寿命の短さを忘れたわけじゃないわよね?」
わかっている。エイベルの時間が一日過ぎる間にクラリッサは歳を取った。まだ親に手を引かれて歩いていた子供が目が覚めるともう大人になっていた。過ごす時間は同じでもそれぐらい感覚が違う。クラリッサが生まれたことがまるで昨日のことであるかのようにエイベルの中には鮮明に刻まれている。そしてそれは同時に悲しいほど早く別れもやってくるということだ。想像しなくてもわかる、同じ時間を生きられない辛さと虚しさ。それでもエイベルは諦めようとは思わなかった。
「全てわかった上でのことだ」
エイベルの微笑みが宿す優しさに女がギリッと歯を鳴らす。
「私は反対! 絶対に彼女を受け入れたりしないから!」
「彼女をこの森に入れようとは思っていない。ここはダークエルフの森。人間を易々と入れていい場所ではない」
「……じゃあどうするつもり?」
その場にいた全員が嫌な予感に拳を握る。言うな、言わないでくれと願いを込める。
「もし、彼女が俺を受け入れてくれるのなら、俺はこの森を出るつもりだ」
木々まで揺れているかのようなザワつきに女が強く地面を踏みつけた。
「自分の立場を自覚してないの!? エイベルは長なのよ!? それを人間を愛したからって放棄するつもり!? そんなことが許されると思ってるの!?」
「そうだよ! 長をやれるのはお前しかいないって先代も言ってただろ!」
「無責任なこと言うなよ!」
「子供たちに言い聞かせるって言っただろ! 嘘なのかよ!」
一気に巻き起こるブーイングにエイベルが感情を乱すことはない。エイベルも今の気持ちを話しただけで、それが正しいことであるかはわかっていない。長を放棄することがどれほど無責任なことはわかっていても、クラリッサを諦めることはできそうになかった。もう一度抱きしめることができたあの場所で、クラリッサは縋り付くように抱きついてきた。また離れることにはなったが、嫌われていないことは確認できた。だから迎えにいかなければならないと拳を握って立ち上がるエイベルに皆が慌てる。
「ね、寝てろよ!」
「血はまだ止まってないんだぞ!」
彼らの心配をよそにエイベルはその場で深く頭を下げた。
「お前たちの期待を裏切ることを許してくれとは言わない。だが、どうか人間が誑かしたのだとは思わないでほしい」
「と、とりあえず安静にしてろ。な?」
寝かせようと手を伸ばす仲間に首を振れば、顔を上げて皆を見た。怒り、悲しみ、失望、軽蔑、呆れ……様々な感情が見てとれる。当然だ。ダークエルフは長年、人間と憎み合ってきた。それを今更、長が人間に惚れたからなかったことにしようなどと言って誰が受け入れるのか。
「俺はずっとクラリッサを見てきた。彼女が生まれたときからずっと……」
「そんなのただの親心みたいなものじゃない」
エイベルがクラリッサを見ていたことを知っている者は多くはないが、少なくもない。どうせ交わることのできない存在同士なのだからと誰もそれを問題視してこなかった。二十五年後にこうなるとは誰も想像できなかったのだ。
「そうかもしれないが、彼女への愛はまやかしではない」
胸を押さえて呟くエイベルにほとんどが黙り込む中、まだ子供のダークエルフが手を上げた。
「人間が死んじゃったらどうするの? ダークエルフは森の中でしか生きられないんでしょ」
私情で森を抜けたダークエルフが簡単に戻ってこられるはずがない。戻ったところで歓迎もされない。それがたとえ先代長であろうとも。
純粋な問いかけにエイベルが答える。
「どうもない。俺はそこでまた彼女を待つ」
「生まれ変わると思ってるの?」
「ああ」
揺るぎない瞳に女が黙る。
「……じゃあ今すぐ長をやめて」
「お、おい!」
一人の女が言った言葉にまた場がザワつくも、反対する者は少なかった。これが現実だとエイベルは握った拳を解放すると共に心が少し軽くなるのを感じた。無責任だとわかっている。自分勝手すぎることもわかっている。それでもエイベルはクラリッサを諦められない。あの時間が癒しだったのはクラリッサだけではなくエイベルにとってもそうだったのだから。
うんうんと頷く仲間たちを見てエイベルはすぐには頷かなかった。
「お前たちの要望はわかった。だが、すぐにはやめられん。後任を選ぶ必要があり、それには儀式が必要だ。子供たちへの話もさせてくれ」
「いなくなる人が何を話そうっていうの? 説得力ないでしょ」
エイベルに纏わりついていた女の突き放すような言い方にエイベルは漏れそうになる苦笑を堪えて頷く。
「私は人間を許さない。人間が何をしたのか忘れるなんてムリ。だから私たちより人間を選んだアンタも許さないよ、エイベル」
「そ、そうだ! 人間を選ぶなんて最低だ!」
「出ていけ! 裏切り者は必要ない!」
「愛なんてまやかしだとなぜ気付かないんだ!」
「こんな奴が俺らの長だったなんてな!」
一斉に始まる非難にエイベルは拳を握ることも唇を噛み締めることもせず、ゆっくりと息を吐き出した。
「出ていけ」「裏切り者」が繰り返される中、エイベルは皆に背を向けてその場から去っていった。
森からは出ない約束を破っているのだからと開き直ることはできても、一回破るのと二回破るのでは重さが違う。人間はまた銃を持ち出して狙ってくるだろう。それもこれも自分たちが努力を怠ったせいだ。わかり合おうとしなかったせいだ。もっと早くに自分たちが、自分が長として努力していればクラリッサが苦しむこともなかったのかもしれないのにと襲いくる後悔に生まれて初めて涙が出そうになった。
いつもは跳んで飛び越える道をゆっくりと歩く。クラリッサが帰った道だ。行く宛もないのに歩く道中、クラリッサがどんな思いでこの道を帰って行ったかを思うだけで腕よりも胸のほうが痛んだ。
「あ、エイベルだ!」
森から一歩だけ外へ出ると無邪気な声が聞こえた。
「ダメだ! ハイエルフども、魔法も使えない暴力で自分の力を誇示するような輩の治療は拒否だとよ!」
「クソッ! 魔法が使えるからって見下しやがって!!」
ダークエルフは狩りに特化した身体能力の持ち主であり、怪我をすることは稀であるが故に治療という行為はほとんどの者が未経験。治療薬もなければ包帯もない。布を集めてエイベルの肩から滲み出る出血を抑えるのに必死だった。まともな治療を受けられていないせいで何度も傷が開いては血が出てしまう。
恥を偲んで頼みに行っても鼻で笑われ見下され終わった今、彼らに残された希望はないにも等しい。
「人間が先に手を出したんだ。やっちまおう……」
「そうだ。人間が銃なんかぶっ放しやがったから……」
「これは契約違反だ!」
「そうだ! 違反者には罰を!」
「違反者には罰を!!」
森の中で響き渡るシュプレヒコールが殺気を更に高めていく。それぞれが弓を手に取り、中には人間との戦で手に入れた剣を持ち出す者もいた。
地鳴りがしそうなほど大きな声をそれを掻き消すほどの声が止める。
「やめろ!!」
エイベルだ。
「先に契約違反を犯したのは俺だ。森を出ない約束を俺が破ったんだ」
惚れた女が万が一にでも見つかって罰されないようにとテラスまで運んだ時点で契約違反を犯している。反省もなく、バレないだろうと甘い考えで繰り返してきた違反の結果がこれだとエイベルは肩を押さえながら仲間を見た。
「でも銃を持ち出したのは向こうだろ!」
「先に手を出したのは俺だ。俺が彼女の父親を殴り飛ばして殴り殺そうとしたからだ」
「でもッ……!」
納得できる内容でも納得したくなかった。森を出ないという約束を破ったのはエイベルで、手を出したのもエイベルであれば人間が撃ったのは正当防衛。クラリッサの父親はエイベルの拳によって生死の境を彷徨ったのだから。
エイベルは恨んではいない。撃たれた肩の熱が全身を這い回りそうでも、腕が上げられないほどの痛みを発していてもエイベルの中にあるのはクラリッサの心配だけだった。
「……俺のせいだ……」
あれからクラリッサの声は聞こえない。泣き叫ぶクラリッサの声だけが聞こえ、それからはどんなに耳を澄ませようとも泣き声さえ聞こえはしない。頑固な一面があるから黙り込んでいるだけだと考えることもできるが、父親がクラリッサを怒鳴りつける声さえも聞こえないため地下かどこかにでも連れて行かれたのだろうかと心配している。
ここ数年の父親はクラリッサを溺愛の娘としてではなく完全に商品として見ていた。それがエイベルは許せなかった。だが、一番許せないのはクラリッサの事情を知りながら突き放した自分だ。守るべきだったのに傷つけ、心の拠り所を奪った自分がなぜ彼女のために怒る権利があると思ったのか。
気がついたら地面を蹴って飛び出し、殴りかかっていた。あんな風に別れてからもクラリッサから目を離すことができなかったエイベルにとって心が摩耗していくばかりの姿を見ていられず、自然な笑みはあんなにも美しいのにそれさえも消滅させてしまった男が反省どころか更に傷付けるような行為を許すことができなかったのだ。
自分があのとき飛び出したのは正解だったのか、エイベルにもわからない。自分が飛び出したせいでクラリッサはダークエルフと関わりがあったことを暴露したようなものだ。だが、ああしなければクラリッサは父親の言葉で生きる意味さえも失っていたかもしれない。自分は身体に傷を負っただけで済んだが、クラリッサは心に傷を負った。それは自分とは比べ物にならないほどの痛みだとエイベルは悔しさから唇を噛み締めた。
「俺たちは間違っていたのかもしれない」
エイベルの言葉に仲間たちがザワつく。
「人間が正しかったってのか!?」
「違う、そうじゃない。俺たちが後世にまでこの遺恨を残そうとしていることだ。この中には戦争に関わった者もいるだろう。あの日の光景を忘れられない者もいるはずだ。だが、戦争は一人ではできない。相手あってのこと。相手が仕掛けてきたから迎え撃った……それが事実だとしても、人間は醜い、ダークエルフは醜いと後世にまで伝え続けるのは違うんじゃないか?」
「人間に毒されたのかよ、エイベル」
違うとは言い切れない。クラリッサと出会わなければそんなこと思いもしなかったはず。クラリッサとの明るい未来が欲しかったからそう思っただけなのかもしれない。それでもエイベルはこの考えが間違っているとは思えなかった。
「ハイエルフがダークエルフは魔法が使えないと見下すから俺たちは魔法なんざ必要ないだけの力を持ってるんだと誇示してきた。話し合いもしようとせず、理解し合おうともしなかった結果がこれだ。話し合っていれば、もっと違った結果になったかもしれないのに」
ハイエルフが魔法で治癒してくれれば肩の傷など一瞬でなかったことになったはずなのに、それを受けられないのは自分たちのせいだと言うと仲間たちは一斉に口を閉じる。
生まれた瞬間から憎み合う生き物はいない。憎み合うには理由がいる。それを知りながら改善しようとさえしなかった自分たちも悪いのだと。
「でもよ、俺たちだけがそう思っても人間もそう思わなきゃ意味ないだろ」
「そうだな」
「話し合えるのか?」
「……今の国王とは無理だろうな。次期国王とも」
エヴァンは銃を撃った。それはダークエルフを危険と判断してのこと。ましてや父親を殴り殺そうとしたダークエルフを受け入れるとは思えない。だが、その次の世代はわからない。希望は薄くとも、ないわけではない。
「だったらどうするんだよ」
「俺たちは遺恨を残すのはやめよう」
「森の外に出られない理由はどう説明したらいんだよ」
「俺が話そう。ちゃんと、彼らが人間を憎まないように」
「嘘をつくのか?」
「いや、嘘はつかない。言葉を変えるだけだ。言い方を変えて、小さな火種さえも起こらないように話す」
そんなことができるのか、エイベルにもわからないが、やるしかない。このまま一生憎み合うのは意味がない。異種族であろうと交わることはできる。それぞれの能力を生かせば世界はもっと良くなるはずなのに、互いに憎み合っているせいで互いに怯えて生きるしかないこの状況をなんとか打破しなければならないと思い至った。
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「まずこの場でお前たちに謝りたいのは、お前たちが人間を憎んでいることを知りながら人間をこの森に引き入れてしまったことだ」
「遊びだったんだろ?」
仲間がそう言うのは自分がそう説明していたからで、エイベルはそれにすぐかぶりを振った。
「俺は彼女を愛してる。人のために生きられる彼女を愛してる」
「人のために生きるって意味ある? 自分の人生よ?」
前々からクラリッサを嫌悪してきた女が鼻で笑う。
「だからこそだ。自分の人生、自分のために生きるのは悪いことではない。むしろ当然と言えるだろうことだ。誰も自分の人生を代わりに歩んではくれないのだからな。だが、だからこそ俺は彼女に惹かれた。彼女は短い人生で自分のために生きた時間は数えられるほどしかないだろう。言われるがままに生き、それに抗う術を知らず、自ら踏み出す勇気もないまま今に至る。だが、その時間はけしてムダではなく、間違いなく家族を救っていた。彼女はそれを喜べる人間だ。その美しさに惹かれたんだ」
「意味わかんない。必要なのは強さでしょ」
「強くなければ自己犠牲などできん。彼女の心の強さは他者には真似できないものだ。彼女だからこそ惹かれたんだ」
「甘やかされた王女に恋をしても虚しくなるのはあなたよ? 人間の寿命の短さを忘れたわけじゃないわよね?」
わかっている。エイベルの時間が一日過ぎる間にクラリッサは歳を取った。まだ親に手を引かれて歩いていた子供が目が覚めるともう大人になっていた。過ごす時間は同じでもそれぐらい感覚が違う。クラリッサが生まれたことがまるで昨日のことであるかのようにエイベルの中には鮮明に刻まれている。そしてそれは同時に悲しいほど早く別れもやってくるということだ。想像しなくてもわかる、同じ時間を生きられない辛さと虚しさ。それでもエイベルは諦めようとは思わなかった。
「全てわかった上でのことだ」
エイベルの微笑みが宿す優しさに女がギリッと歯を鳴らす。
「私は反対! 絶対に彼女を受け入れたりしないから!」
「彼女をこの森に入れようとは思っていない。ここはダークエルフの森。人間を易々と入れていい場所ではない」
「……じゃあどうするつもり?」
その場にいた全員が嫌な予感に拳を握る。言うな、言わないでくれと願いを込める。
「もし、彼女が俺を受け入れてくれるのなら、俺はこの森を出るつもりだ」
木々まで揺れているかのようなザワつきに女が強く地面を踏みつけた。
「自分の立場を自覚してないの!? エイベルは長なのよ!? それを人間を愛したからって放棄するつもり!? そんなことが許されると思ってるの!?」
「そうだよ! 長をやれるのはお前しかいないって先代も言ってただろ!」
「無責任なこと言うなよ!」
「子供たちに言い聞かせるって言っただろ! 嘘なのかよ!」
一気に巻き起こるブーイングにエイベルが感情を乱すことはない。エイベルも今の気持ちを話しただけで、それが正しいことであるかはわかっていない。長を放棄することがどれほど無責任なことはわかっていても、クラリッサを諦めることはできそうになかった。もう一度抱きしめることができたあの場所で、クラリッサは縋り付くように抱きついてきた。また離れることにはなったが、嫌われていないことは確認できた。だから迎えにいかなければならないと拳を握って立ち上がるエイベルに皆が慌てる。
「ね、寝てろよ!」
「血はまだ止まってないんだぞ!」
彼らの心配をよそにエイベルはその場で深く頭を下げた。
「お前たちの期待を裏切ることを許してくれとは言わない。だが、どうか人間が誑かしたのだとは思わないでほしい」
「と、とりあえず安静にしてろ。な?」
寝かせようと手を伸ばす仲間に首を振れば、顔を上げて皆を見た。怒り、悲しみ、失望、軽蔑、呆れ……様々な感情が見てとれる。当然だ。ダークエルフは長年、人間と憎み合ってきた。それを今更、長が人間に惚れたからなかったことにしようなどと言って誰が受け入れるのか。
「俺はずっとクラリッサを見てきた。彼女が生まれたときからずっと……」
「そんなのただの親心みたいなものじゃない」
エイベルがクラリッサを見ていたことを知っている者は多くはないが、少なくもない。どうせ交わることのできない存在同士なのだからと誰もそれを問題視してこなかった。二十五年後にこうなるとは誰も想像できなかったのだ。
「そうかもしれないが、彼女への愛はまやかしではない」
胸を押さえて呟くエイベルにほとんどが黙り込む中、まだ子供のダークエルフが手を上げた。
「人間が死んじゃったらどうするの? ダークエルフは森の中でしか生きられないんでしょ」
私情で森を抜けたダークエルフが簡単に戻ってこられるはずがない。戻ったところで歓迎もされない。それがたとえ先代長であろうとも。
純粋な問いかけにエイベルが答える。
「どうもない。俺はそこでまた彼女を待つ」
「生まれ変わると思ってるの?」
「ああ」
揺るぎない瞳に女が黙る。
「……じゃあ今すぐ長をやめて」
「お、おい!」
一人の女が言った言葉にまた場がザワつくも、反対する者は少なかった。これが現実だとエイベルは握った拳を解放すると共に心が少し軽くなるのを感じた。無責任だとわかっている。自分勝手すぎることもわかっている。それでもエイベルはクラリッサを諦められない。あの時間が癒しだったのはクラリッサだけではなくエイベルにとってもそうだったのだから。
うんうんと頷く仲間たちを見てエイベルはすぐには頷かなかった。
「お前たちの要望はわかった。だが、すぐにはやめられん。後任を選ぶ必要があり、それには儀式が必要だ。子供たちへの話もさせてくれ」
「いなくなる人が何を話そうっていうの? 説得力ないでしょ」
エイベルに纏わりついていた女の突き放すような言い方にエイベルは漏れそうになる苦笑を堪えて頷く。
「私は人間を許さない。人間が何をしたのか忘れるなんてムリ。だから私たちより人間を選んだアンタも許さないよ、エイベル」
「そ、そうだ! 人間を選ぶなんて最低だ!」
「出ていけ! 裏切り者は必要ない!」
「愛なんてまやかしだとなぜ気付かないんだ!」
「こんな奴が俺らの長だったなんてな!」
一斉に始まる非難にエイベルは拳を握ることも唇を噛み締めることもせず、ゆっくりと息を吐き出した。
「出ていけ」「裏切り者」が繰り返される中、エイベルは皆に背を向けてその場から去っていった。
森からは出ない約束を破っているのだからと開き直ることはできても、一回破るのと二回破るのでは重さが違う。人間はまた銃を持ち出して狙ってくるだろう。それもこれも自分たちが努力を怠ったせいだ。わかり合おうとしなかったせいだ。もっと早くに自分たちが、自分が長として努力していればクラリッサが苦しむこともなかったのかもしれないのにと襲いくる後悔に生まれて初めて涙が出そうになった。
いつもは跳んで飛び越える道をゆっくりと歩く。クラリッサが帰った道だ。行く宛もないのに歩く道中、クラリッサがどんな思いでこの道を帰って行ったかを思うだけで腕よりも胸のほうが痛んだ。
「あ、エイベルだ!」
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「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
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フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
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