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鑑賞用の終わり
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クラリッサがどれほど泣き叫ぼうと使用人はクラリッサを部屋から出すことはなかった。
エイベルがどうなったのかだけでも教えてほしいと言っても答えない使用人に怒り、椅子を持ち上げて窓ガラスを割ったことで地下室へと移動させらてしまった。
生死の境を彷徨っていた父親が目覚めたのはパーティーから半月後のこと。
「この大馬鹿者がぁあああああッ!」
目覚めた半月後、杖をついて使用人に支えられながらやってきた父親はクラリッサを見るなり第一声、大声を張り上げた。
「ダークエルフと関わるなとあれほど言った私の言葉をお前はずっと無視して繋がっていたというのか!! 薄汚いクソのような生き物と交流を持っていたというのか!! ダークエルフという生き物がどれほど醜いか、私があれだけ説明してやったにも拘わらずお前は!! お前というやつは!!」
「父上やめろ!! 顔をぶつな!!」
激昂した父親が手を振り下ろした先は今まで何があっても絶対に手を出さなかった頬。痛いだろうことが音だけでわかる乾いた音に慌ててエヴァンが身体を引っ張って止める。引っ張られたことで後ろによろける国王を使用人が受け止めてはどうなるのかと顔を青ざめさせていた。
「クラリッサ、父上に謝れ」
エヴァンのことも父親のことも無視をするクラリッサの前に膝をつくともう一度「謝るんだ」と声をかけるが反応はない。
「答えろクラリッサッ!」
「だからやめろって!!」
今度は杖を振り上げるがクラリッサは反応さえしない。まるで本当に人形になってしまったかのようになんの反応も示さなくなった。
父親もエヴァンも初めは何度も足を運んでクラリッサの反省を待ったが、何日待っても反省どころか反応させ示さないことに足を運ぶのをやめた。その代わり使用人に監視だけはしっかりとさせて、今後の対策を練っていた。
そこに足を運ぶ人物が三人。
「どいて」
リズと護衛騎士だ。
「誰も通すなとのご命令です」
「知らない。どいて」
「できません。命令ですので」
「どいてって言葉聞こえないの?」
「ご命令です」
「リズは命令されてないの。どいて」
「命令を破れば叱られます」
「叱られてよ」
「できません」
通せ通せないの繰り返しに飽きたリズがフーッと大きく息を吐き出したあと、使用人二人を交互に見つめて言い放った。
「宝物庫からジュエリー盗んでること、パパに言ってもいいんだよ?」
目を見開いた使用人はすぐに反論できなかった。何を言うんですかと言うために開いた口は餌を求める魚のように開閉を繰り返すだけ。
「パパの前で大泣きしようか?」
クラリッサの次に溺愛しているリズは父親に反抗することはあれど脅しはしない。だからクラリッサがダメになった今、リズが期待をかけられている。
宝物庫にはクラリッサが貢がれた装飾品が山のように詰め込まれており、一個や二個紛失したところで誰も気付きはしない。リズは宝物庫を訪れることはないのになぜ知っているんだと言わんばかりの表情で怪しく汗をかく使用人をジッと見つめて人差し指を立てた。
「一つ、これからパパに泣きつきに行く」
続けて中指を立てる。
「二つ、そこをどいてリズをねえに会わせるか」
選択肢は二つだが、あってないようなものだ。貴族ではなく王族に仕えられるチャンスなど二度と巡っては来ないだろう使用人は急いで鍵を開けてそそくさとドアの前から離れた。
中は凍えるほどではないが冷え込んでおり、リズはこんな場所に閉じ込めているのかと眉を寄せる。
「ねえ」
「……リズ……」
「ねえ……」
リズの声には反応を見せ、ジッと壁に向けていた顔がリズに向けられるとその顔にリズの顔が今にも泣き出しそうなものへと変わる。
あれだけ輝いていた姉の顔は覇気を失い、ボロボロだった。出される食事に手をつけてはおらず、差別的に豪華だった料理は見る影もなく質素な物へと変わっている。リズはこれを父親からの見放しだと捉えた。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
きっと笑っているつもりなのだろうが、声が優しいだけで笑えてはいない。
「……エイベルは、どうなったの?」
そう聞かれるだろうと思っていたリズは頷いてクラリッサの手を握る。
「エヴァンにいが捕まえに行ったら姿はもうなかったよ。たぶん森に帰ったんだと思う」
生きている可能性があることに安堵したクラリッサの表情が氷が溶けたように緩んでいく。
「ねえは、あのダークエルフが大好きなんだね」
リズの言葉に驚いた顔を見せるクラリッサが顔を上げると微笑むリズと目が合った。リズは素直な子で嘘はつかない。軽い嘘をつくことはあれど秒でバレてしまうのだ。
今のリズに軽蔑や失望の感情は伝わってこない。純粋に感じたことを口にしているのだと感じ、隠すことなく頷いた。
「やっぱり。あのダークエルフも、ねえのこと大好きなんだろうね。だってあんなにパパのこと怒ってボッコボコにしちゃうんだもん。好きじゃなきゃしないよ」
そうしてしまったがために傷つくことになってしまった。自分がもっと上手くやれていたらきっと今も森で過ごしていただろうに、外に出て泣いてしまったから声が聞こえてしまったのだと唇を噛み締める。
「リズね、知ってたよ」
「え……?」
何をだとクラリッサの瞳が揺れる。
「ねえがダークエルフと仲良しだったこと」
「……どうして?」
バレてはいなかったはず。皆が起きる前に必ず帰っていたし、見られていた可能性はほぼない。早起きのエヴァンならわかるが、リズは朝が弱い。起きていたはずがないのだ。
それでも知っていたと言うリズにクラリッサは心臓が破れそうなほど速く動くのを感情を取り乱さないようにと手で押さえた。
「誰?って聞いた日のこと、覚えてる?」
胸を押さえていた手が口を押さえる。音がして角まで行った日のことだ。結局は猫だったと安堵した日、あの物音立てたのは猫ではなくリズだった。
「リズ、珍しく早く起きちゃって二度寝できなかったからアーテルたち起こして一緒に散歩してたの。そしたらねえの声が聞こえて、見てみたらダークエルフと一緒だった。声かけようとしたんだけど、二人がダメだって」
「……角に……いたの?」
「いたよ」
「あの猫は?」
「あれは偶然そこを通ってたの。ねえがにいとお話してお部屋に戻ったから見つからなかったけど」
クラリッサには信じられなかった。リズは良いことも悪いことも黙っているのが苦手で、言ってはいけないと言っても言ってしまう。それが理由で何度もきょうだい喧嘩に発展したこともあり、学校でもそれで友達もできないと聞いた。
そんなリズが父親が毛嫌いしているダークエルフと姉が会っていることを知って黙っていられるはずがない。それなのにリズはずっと黙っていたのだ。デイジーのことさえ言ってしまったのに。
「どうして……言わなかったの?」
その問いにリズの目に涙が溜まる。
「リズ?」
なぜ泣くんだと頬に手を添えると手に頬を伝った涙が当たった。
「リズが見たこと言うと……皆、不幸になっちゃうから……」
言いたくて言っているわけではなく、無意識に喋ってしまうのだ。内緒だと言われ、内緒だって約束した時点でリズに約束を守る気はあるのにどうしても言ってしまう。ダニエルはそれを病気だと呆れているが、意識の問題とも言う。約束を言わない練習をしても長くは続かない。だから誰もリズに絶対言ってほしくないことは話さないことにしている。デイジーもそうしていたが、見られた以上は黙ってろと釘を刺しておくしかない。刺しておいたところで意味がないことは知っていても、だ。
「デイジーのことはあなたのせいじゃないの。リズはお父様に何も言ってないでしょう? だからリズのせいじゃない。デイジーの話はパーティーに来てた人が言ったのよ」
「でも、デイジーはリズが言ったって思ったから全部自分から言っちゃったの。リズがすぐになんでも喋っちゃうから、デイジー……自分から……全部……」
身体の関係があったことまで話してしまったのはリズが全部話したと思ったからだが、それがリズのせいというわけではない。あれはデイジーの突発的な感情の乱れによる自爆。だがそれをリズはずっと自分のせいだと責め続けていた。
「リズ、皆を不幸にしたかったんじゃないの。デイジーを追い出したかったんじゃないの。デイジーともっと一緒にいたかったの。デイジーともっと……遊びたかった……」
泣きながら訴えるリズの感情を疑う者は誰もいない。クラリッサがダークエルフといるのを見てからすぐデイジーの事件があったことで幸か不幸かリズはショックであれこれ話さなくなった。
自分が言えば人が不幸になる。あの恐怖を胸に抱え続け、デイジーがいなくなったあともずっと黙っていたのだ、六年間ずっと。
「お父様を嫌いになった?」
「……ううん、好きだよ。パパはいつも優しくて……優しいけど……」
続きがあるような言い方にクラリッサは先を促さず言葉を待った。
「最近のパパは怖い。前は何も言わなかったのに、今はマナーとか、笑顔の角度がどうのってうるさいの。リズはリズなのに」
クラリッサの想像どおり、次はリズに鑑賞用としての役割を担わせようとしている。クラリッサとイルーゴの間に子供が産まれるまでの繋ぎとして。
リズももう二十一歳。父親はクラリッサたちに出産を急かすだろう。でもイルーゴはマイペースな性格で、誰かに急かされたからといって素直に聞くタイプではない。もう破断になっていてもおかしくはない。
「言うことなんて聞かなくていいの。あなたはあなたの生きたいように生きなさい。お父様の命令を聞いて動くリズなんてリズじゃないもの。いつも天真爛漫に興味のままに動いて笑ってるあなたじゃなきゃダメよ」
「……ねえはそうしなかった……」
「私はお父様の言うことを聞く以外の方法を知らなかっただけ。でもあなたは違う。外の世界を知って、自らの意思で進み、持ち前の明るさで人を幸せにしてる」
「不幸にしたの……」
「違う。あれはリズがバラしたんじゃない。リズはあれから誰にも言わなかった。それに、バレたからデイジーはあの人と一緒になることができたの」
「でも……」
王女としてこの家で生きていくにはリズは優しすぎる。欠点は多いが、それでもリズは誰よりも明るく誰よりも優しい。喜怒哀楽をちゃんと表に出せて、それでも人を和ませられる女性へと成長しているとクラリッサは感じていた。
「リズ、お茶会にも呼ばれないし……」
「私も呼ばれたことない」
「お友達もドロシーだけだもん」
「私なんてお友達すらいないのよ?」
「……張り合わないでよぉ」
自分より自由が少ない姉の前で自分の不幸自慢をしたところで勝てるはずがない。家から一歩だって外へ出たこともなく、家の中で父親の言うとおりに生きてきた姉に何が言えようか。
ふふっといつもどおりの声で笑う姉が抱きしめてくれる温もりに目を閉じながら背中に腕を回して強く抱きついたリズは姉の肩に頬を押し当てて涙をこぼす。
「泣き虫お嬢さん」
柔らかで優しい声が振ってくる。
「あなたは自由に生きていいの。あなたの未来は明るいわ」
「ねえの未来は?」
顔は苦笑に変わるが、声は変えない。
「明るいわ」
エイベルが怒ってくれた。見てくれていたのだ。もう名前を呼ぶことも呼ばれることもないと思っていたのに、隣に立つことなど絶対にありえないことだと思っていたのに、エイベルは来てくれた。それだけでクラリッサはもう辛くはない。苦しむことはないのだ。
「だって王子様が来てくれたもの」
その言葉に身体を離し、数回程度目を瞬かせたリズが嬉しそうににっこりと笑った。
「じゃあ、王子様が迎えに来る場所まで行かなきゃね」
「そうね」
「出よ!」
立ち上がったリズが差し出す手をクラリッサは取らなかった。
「ねえ?」
首を振るクラリッサ。
「王子様は来てくれた。それだけでいいの」
傷つけてしまった。大事な手を、大事な肩を。これで彼の腕が動かなくなろうものなら、クラリッサはどう詫びればいいかもわからなかった。
「ダメだよ!!」
大声で否定するリズの声が地下室に響き渡る。その大きな声に今度はクラリッサが目を瞬かせた。
「お姫様は王子様と一緒だから幸せになれるの! 王子様と一緒じゃなきゃお姫様は幸せになれないの!! 世界で一番キレイなお姫様が幸せになれないなんて絶対にダメ!」
「リズ……」
「ねえは鑑賞用じゃない! お姫様なの! 王子様に見つけてもらうために輝いてただけなの! 鑑賞されるためなんかじゃない!」
また大粒の涙を流すリズにクラリッサの胸が締め付けられる。こんなにも優しい妹がいるという現実があるだけでじゅうぶんに幸せな人生だったと思える瞬間だった。
「ねえは絶対に幸せになるの」
「リズ、どこ行くの?」
「ねえの幸せ勝ち取ってくる」
「リズ、そんなことしなくていいから。お父様の怒りが鎮まるまで……リズ!!」
大股で歩いて出て行ったリズに頭を抱えるも頑固な一面があるため何十回引き止めても聞かなかっただろうとため息をつく。
「アーテル、二ヴェウス」
追いかけようとする二人に声をかけると揃ってこちらを向く。
「リズのこと、これからもよろしくね。あの子はきっとあなたたちがいないとダメだから」
まるでわかっているような言い方に二人は驚きはせず、真っ直ぐ見つめて誓うように大きく頷いたあと、一礼してリズを追いかけた。
「白と黒の王子様、か」
リズはもう幸せを掴んでいるのだ。あとは失敗しないだけ。それらはとても簡単なようでいて難しい。リズのような性格なら余計に。それでもリズは足を止めない。いつだって前を向いて進める子だ。笑って、泣いて、怒って、前へと進んでいく。それがとても眩しくて羨ましかった。
一人じゃないとわかっているからこその強さかもしれないとクラリッサは自分の状況を嘆くより、リズに味方がいるということが嬉しかった。
エイベルがどうなったのかだけでも教えてほしいと言っても答えない使用人に怒り、椅子を持ち上げて窓ガラスを割ったことで地下室へと移動させらてしまった。
生死の境を彷徨っていた父親が目覚めたのはパーティーから半月後のこと。
「この大馬鹿者がぁあああああッ!」
目覚めた半月後、杖をついて使用人に支えられながらやってきた父親はクラリッサを見るなり第一声、大声を張り上げた。
「ダークエルフと関わるなとあれほど言った私の言葉をお前はずっと無視して繋がっていたというのか!! 薄汚いクソのような生き物と交流を持っていたというのか!! ダークエルフという生き物がどれほど醜いか、私があれだけ説明してやったにも拘わらずお前は!! お前というやつは!!」
「父上やめろ!! 顔をぶつな!!」
激昂した父親が手を振り下ろした先は今まで何があっても絶対に手を出さなかった頬。痛いだろうことが音だけでわかる乾いた音に慌ててエヴァンが身体を引っ張って止める。引っ張られたことで後ろによろける国王を使用人が受け止めてはどうなるのかと顔を青ざめさせていた。
「クラリッサ、父上に謝れ」
エヴァンのことも父親のことも無視をするクラリッサの前に膝をつくともう一度「謝るんだ」と声をかけるが反応はない。
「答えろクラリッサッ!」
「だからやめろって!!」
今度は杖を振り上げるがクラリッサは反応さえしない。まるで本当に人形になってしまったかのようになんの反応も示さなくなった。
父親もエヴァンも初めは何度も足を運んでクラリッサの反省を待ったが、何日待っても反省どころか反応させ示さないことに足を運ぶのをやめた。その代わり使用人に監視だけはしっかりとさせて、今後の対策を練っていた。
そこに足を運ぶ人物が三人。
「どいて」
リズと護衛騎士だ。
「誰も通すなとのご命令です」
「知らない。どいて」
「できません。命令ですので」
「どいてって言葉聞こえないの?」
「ご命令です」
「リズは命令されてないの。どいて」
「命令を破れば叱られます」
「叱られてよ」
「できません」
通せ通せないの繰り返しに飽きたリズがフーッと大きく息を吐き出したあと、使用人二人を交互に見つめて言い放った。
「宝物庫からジュエリー盗んでること、パパに言ってもいいんだよ?」
目を見開いた使用人はすぐに反論できなかった。何を言うんですかと言うために開いた口は餌を求める魚のように開閉を繰り返すだけ。
「パパの前で大泣きしようか?」
クラリッサの次に溺愛しているリズは父親に反抗することはあれど脅しはしない。だからクラリッサがダメになった今、リズが期待をかけられている。
宝物庫にはクラリッサが貢がれた装飾品が山のように詰め込まれており、一個や二個紛失したところで誰も気付きはしない。リズは宝物庫を訪れることはないのになぜ知っているんだと言わんばかりの表情で怪しく汗をかく使用人をジッと見つめて人差し指を立てた。
「一つ、これからパパに泣きつきに行く」
続けて中指を立てる。
「二つ、そこをどいてリズをねえに会わせるか」
選択肢は二つだが、あってないようなものだ。貴族ではなく王族に仕えられるチャンスなど二度と巡っては来ないだろう使用人は急いで鍵を開けてそそくさとドアの前から離れた。
中は凍えるほどではないが冷え込んでおり、リズはこんな場所に閉じ込めているのかと眉を寄せる。
「ねえ」
「……リズ……」
「ねえ……」
リズの声には反応を見せ、ジッと壁に向けていた顔がリズに向けられるとその顔にリズの顔が今にも泣き出しそうなものへと変わる。
あれだけ輝いていた姉の顔は覇気を失い、ボロボロだった。出される食事に手をつけてはおらず、差別的に豪華だった料理は見る影もなく質素な物へと変わっている。リズはこれを父親からの見放しだと捉えた。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
きっと笑っているつもりなのだろうが、声が優しいだけで笑えてはいない。
「……エイベルは、どうなったの?」
そう聞かれるだろうと思っていたリズは頷いてクラリッサの手を握る。
「エヴァンにいが捕まえに行ったら姿はもうなかったよ。たぶん森に帰ったんだと思う」
生きている可能性があることに安堵したクラリッサの表情が氷が溶けたように緩んでいく。
「ねえは、あのダークエルフが大好きなんだね」
リズの言葉に驚いた顔を見せるクラリッサが顔を上げると微笑むリズと目が合った。リズは素直な子で嘘はつかない。軽い嘘をつくことはあれど秒でバレてしまうのだ。
今のリズに軽蔑や失望の感情は伝わってこない。純粋に感じたことを口にしているのだと感じ、隠すことなく頷いた。
「やっぱり。あのダークエルフも、ねえのこと大好きなんだろうね。だってあんなにパパのこと怒ってボッコボコにしちゃうんだもん。好きじゃなきゃしないよ」
そうしてしまったがために傷つくことになってしまった。自分がもっと上手くやれていたらきっと今も森で過ごしていただろうに、外に出て泣いてしまったから声が聞こえてしまったのだと唇を噛み締める。
「リズね、知ってたよ」
「え……?」
何をだとクラリッサの瞳が揺れる。
「ねえがダークエルフと仲良しだったこと」
「……どうして?」
バレてはいなかったはず。皆が起きる前に必ず帰っていたし、見られていた可能性はほぼない。早起きのエヴァンならわかるが、リズは朝が弱い。起きていたはずがないのだ。
それでも知っていたと言うリズにクラリッサは心臓が破れそうなほど速く動くのを感情を取り乱さないようにと手で押さえた。
「誰?って聞いた日のこと、覚えてる?」
胸を押さえていた手が口を押さえる。音がして角まで行った日のことだ。結局は猫だったと安堵した日、あの物音立てたのは猫ではなくリズだった。
「リズ、珍しく早く起きちゃって二度寝できなかったからアーテルたち起こして一緒に散歩してたの。そしたらねえの声が聞こえて、見てみたらダークエルフと一緒だった。声かけようとしたんだけど、二人がダメだって」
「……角に……いたの?」
「いたよ」
「あの猫は?」
「あれは偶然そこを通ってたの。ねえがにいとお話してお部屋に戻ったから見つからなかったけど」
クラリッサには信じられなかった。リズは良いことも悪いことも黙っているのが苦手で、言ってはいけないと言っても言ってしまう。それが理由で何度もきょうだい喧嘩に発展したこともあり、学校でもそれで友達もできないと聞いた。
そんなリズが父親が毛嫌いしているダークエルフと姉が会っていることを知って黙っていられるはずがない。それなのにリズはずっと黙っていたのだ。デイジーのことさえ言ってしまったのに。
「どうして……言わなかったの?」
その問いにリズの目に涙が溜まる。
「リズ?」
なぜ泣くんだと頬に手を添えると手に頬を伝った涙が当たった。
「リズが見たこと言うと……皆、不幸になっちゃうから……」
言いたくて言っているわけではなく、無意識に喋ってしまうのだ。内緒だと言われ、内緒だって約束した時点でリズに約束を守る気はあるのにどうしても言ってしまう。ダニエルはそれを病気だと呆れているが、意識の問題とも言う。約束を言わない練習をしても長くは続かない。だから誰もリズに絶対言ってほしくないことは話さないことにしている。デイジーもそうしていたが、見られた以上は黙ってろと釘を刺しておくしかない。刺しておいたところで意味がないことは知っていても、だ。
「デイジーのことはあなたのせいじゃないの。リズはお父様に何も言ってないでしょう? だからリズのせいじゃない。デイジーの話はパーティーに来てた人が言ったのよ」
「でも、デイジーはリズが言ったって思ったから全部自分から言っちゃったの。リズがすぐになんでも喋っちゃうから、デイジー……自分から……全部……」
身体の関係があったことまで話してしまったのはリズが全部話したと思ったからだが、それがリズのせいというわけではない。あれはデイジーの突発的な感情の乱れによる自爆。だがそれをリズはずっと自分のせいだと責め続けていた。
「リズ、皆を不幸にしたかったんじゃないの。デイジーを追い出したかったんじゃないの。デイジーともっと一緒にいたかったの。デイジーともっと……遊びたかった……」
泣きながら訴えるリズの感情を疑う者は誰もいない。クラリッサがダークエルフといるのを見てからすぐデイジーの事件があったことで幸か不幸かリズはショックであれこれ話さなくなった。
自分が言えば人が不幸になる。あの恐怖を胸に抱え続け、デイジーがいなくなったあともずっと黙っていたのだ、六年間ずっと。
「お父様を嫌いになった?」
「……ううん、好きだよ。パパはいつも優しくて……優しいけど……」
続きがあるような言い方にクラリッサは先を促さず言葉を待った。
「最近のパパは怖い。前は何も言わなかったのに、今はマナーとか、笑顔の角度がどうのってうるさいの。リズはリズなのに」
クラリッサの想像どおり、次はリズに鑑賞用としての役割を担わせようとしている。クラリッサとイルーゴの間に子供が産まれるまでの繋ぎとして。
リズももう二十一歳。父親はクラリッサたちに出産を急かすだろう。でもイルーゴはマイペースな性格で、誰かに急かされたからといって素直に聞くタイプではない。もう破断になっていてもおかしくはない。
「言うことなんて聞かなくていいの。あなたはあなたの生きたいように生きなさい。お父様の命令を聞いて動くリズなんてリズじゃないもの。いつも天真爛漫に興味のままに動いて笑ってるあなたじゃなきゃダメよ」
「……ねえはそうしなかった……」
「私はお父様の言うことを聞く以外の方法を知らなかっただけ。でもあなたは違う。外の世界を知って、自らの意思で進み、持ち前の明るさで人を幸せにしてる」
「不幸にしたの……」
「違う。あれはリズがバラしたんじゃない。リズはあれから誰にも言わなかった。それに、バレたからデイジーはあの人と一緒になることができたの」
「でも……」
王女としてこの家で生きていくにはリズは優しすぎる。欠点は多いが、それでもリズは誰よりも明るく誰よりも優しい。喜怒哀楽をちゃんと表に出せて、それでも人を和ませられる女性へと成長しているとクラリッサは感じていた。
「リズ、お茶会にも呼ばれないし……」
「私も呼ばれたことない」
「お友達もドロシーだけだもん」
「私なんてお友達すらいないのよ?」
「……張り合わないでよぉ」
自分より自由が少ない姉の前で自分の不幸自慢をしたところで勝てるはずがない。家から一歩だって外へ出たこともなく、家の中で父親の言うとおりに生きてきた姉に何が言えようか。
ふふっといつもどおりの声で笑う姉が抱きしめてくれる温もりに目を閉じながら背中に腕を回して強く抱きついたリズは姉の肩に頬を押し当てて涙をこぼす。
「泣き虫お嬢さん」
柔らかで優しい声が振ってくる。
「あなたは自由に生きていいの。あなたの未来は明るいわ」
「ねえの未来は?」
顔は苦笑に変わるが、声は変えない。
「明るいわ」
エイベルが怒ってくれた。見てくれていたのだ。もう名前を呼ぶことも呼ばれることもないと思っていたのに、隣に立つことなど絶対にありえないことだと思っていたのに、エイベルは来てくれた。それだけでクラリッサはもう辛くはない。苦しむことはないのだ。
「だって王子様が来てくれたもの」
その言葉に身体を離し、数回程度目を瞬かせたリズが嬉しそうににっこりと笑った。
「じゃあ、王子様が迎えに来る場所まで行かなきゃね」
「そうね」
「出よ!」
立ち上がったリズが差し出す手をクラリッサは取らなかった。
「ねえ?」
首を振るクラリッサ。
「王子様は来てくれた。それだけでいいの」
傷つけてしまった。大事な手を、大事な肩を。これで彼の腕が動かなくなろうものなら、クラリッサはどう詫びればいいかもわからなかった。
「ダメだよ!!」
大声で否定するリズの声が地下室に響き渡る。その大きな声に今度はクラリッサが目を瞬かせた。
「お姫様は王子様と一緒だから幸せになれるの! 王子様と一緒じゃなきゃお姫様は幸せになれないの!! 世界で一番キレイなお姫様が幸せになれないなんて絶対にダメ!」
「リズ……」
「ねえは鑑賞用じゃない! お姫様なの! 王子様に見つけてもらうために輝いてただけなの! 鑑賞されるためなんかじゃない!」
また大粒の涙を流すリズにクラリッサの胸が締め付けられる。こんなにも優しい妹がいるという現実があるだけでじゅうぶんに幸せな人生だったと思える瞬間だった。
「ねえは絶対に幸せになるの」
「リズ、どこ行くの?」
「ねえの幸せ勝ち取ってくる」
「リズ、そんなことしなくていいから。お父様の怒りが鎮まるまで……リズ!!」
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「アーテル、二ヴェウス」
追いかけようとする二人に声をかけると揃ってこちらを向く。
「リズのこと、これからもよろしくね。あの子はきっとあなたたちがいないとダメだから」
まるでわかっているような言い方に二人は驚きはせず、真っ直ぐ見つめて誓うように大きく頷いたあと、一礼してリズを追いかけた。
「白と黒の王子様、か」
リズはもう幸せを掴んでいるのだ。あとは失敗しないだけ。それらはとても簡単なようでいて難しい。リズのような性格なら余計に。それでもリズは足を止めない。いつだって前を向いて進める子だ。笑って、泣いて、怒って、前へと進んでいく。それがとても眩しくて羨ましかった。
一人じゃないとわかっているからこその強さかもしれないとクラリッサは自分の状況を嘆くより、リズに味方がいるということが嬉しかった。
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無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
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