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心をくれた人
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「エイ、ベル?」
見間違うはずがない。世界でたった一人、この世で最初で最後の愛する人が立っている。伸ばそうとした手を握りしめながら名前を呼ぶも肩を上下させて呼吸を乱しているエイベルがその目に映すのはホールの真ん中で倒れている国王だけでクラリッサのほうは見ようとしない。
突然ガラスが割れたこと、中央に何か飛んできたこと、それが国王であったことに悲鳴が上がり、風で吹き上がるカーテンの奥に見えたダークエルフに悲鳴は一層大きくなる。
「ふざけるなよ……」
エイベルがドアを蹴破り中へと進んでいき、倒れている国王の胸ぐらを掴むと顔を殴りつけた。
「利用するだけ利用しておいて泣いたら手を上げるだと? ふざけるな! あの子がお前のためにどれだけの犠牲を払ってきたと思っている! やりたいことも言いたいことも我慢してお前が見せる欲望を愛情だと必死に思い込むことで救われようとしていた娘をお前はまだ傷つけるつもりか!!」
何度も何度も殴りつける拳が赤に染まっていってもエイベルは殴るのをやめなかった。
「あの子は血の通った人間だ! それを人形のようにしてしまったのはお前たち全員だ!! 何が人形のようにだ! 何が鑑賞用だ! 人を愚弄するのも大概にしろ!! お前たちのような心ない人間にあの子を傷つける権利などない!!」
会場中に響き渡るエイベルの声にクラリッサが駆け出し、エイベルの腕にしがみつく。
「もう、もうやめて……! あなたの手が壊れてしまう!」
「俺の手などどうなろうとかまわん! お前を鑑賞用だと口にしたコイツだけは許さん!」
「大事な手を傷つけるのはやめて! 手は何よりも大切なものなんでしょ!?」
狩りによって獲物を得るエルフにとって足よりも大切な手を汚すのも痛めるのもやめてほしいと腕にしがみついたまま叫ぶクラリッサにようやくエイベルの動きが止まった。
『エルフにとって手は命だ。手を失えば狩りができん。自然の中で生きる俺たちにとって手は何よりも大切なものだ』
その言葉を覚えていたクラリッサを抱きしめるとクラリッサもしがみつくようにエイベルの背中に腕を回して背中を震わせる。
この声を、この優しさ、この温もりを手放してしまったことをずっと後悔していた。その後悔を伝えることも許されず、ただ恋しさに森を見つめるしかできなかったが、今こうして愛する人の腕の中にいる。これが自分の幸せなのだと確信したクラリッサはエイベルを見上げるも耳を裂くような発砲音に目を見開いた。
「クラリッサ! そいつから離れろ!」
「ダークエルフ、クラリッサから離れろ!」
「ねーちゃんこっちだ!」
発砲したのは銃を手にして駆けつけたエヴァン。次は脅しではないとエイベルに銃を向け、その周りには騎士たちが大勢集まってきた。
「ねえ」
駆けつけたリズを守るように双子が前に立つも、二人からは他の騎士たちと違って敵意は見えない。
「狩られる側が狩る側になれると思っているのか……?」
ゾッとするほど冷たい声。まとう雰囲気が変わったエイべるに怯む使用人ときょうだいの顔が青ざめていく。銃を持っているのはエヴァンだけで、騎士たちは剣だけ。身体能力が桁違いのダークエルフに勝てるのかと戸惑っている者もいた。それでもダークエルフは最強ではない。
『老いて死ぬことはないというだけだ。外的損傷を……受けた傷が深ければ死ぬ』そう言っていた。だからクラリッサは身体を離して両手を広げながらエイベルの前に立った。
「なんのつもりだクラリッサ!!」
「どうか、それを彼に向けないでください」
銃がどんな物かは知らなくとも、それが武器であることはわかる。
「こっちに来るんだ!!」
「彼を傷つけないと約束してください」
「こっちに来なさい!!」
「約束してください!」
怒ったように声を上げるクラリッサにエヴァンが目を見開く。きょうだいを叱ることはあっても怒鳴ることはなかった。
自分たちは今、何も間違ったことはしていない。ダークエルフが契約を破って森の外に出ただけではなく、この国の王族の長を殴り殺そうとしていたのだから許せるはずがないと対抗するために銃を持ち出している。そしてそれは妹を救うための手段でもあるのに、その妹がダークエルフを守るように手を広げている。
父親の懸念が当たったのかと嫌な予感に舌打ちをするエヴァンがクラリッサではなくエイベルを睨みつけたまま口を開いた。
「約束する」
その言葉に頷いたクラリッサは振り返ってエイベルを見上げる。
「エイベル、森に帰って。ここはあなたが来る場所ではないの」
「クラリッサ……」
「お願い。どうか、帰って。あなたの居場所に、あなたがいるべき場所に」
泣きながら笑うクラリッサにエイベルが拳を握る。
「助けてくれてありがとう。ずっと……見てくれてたのね」
助けられたと思うような状況だったのだとクラリッサの心中を思うとエイベルは胸が張り裂けそうな思いだった。
クラリッサに押されて一緒にテラスへ向かうと手すりに乗ったエイベルが振り向いて手を差し出す。
「俺はお前をこのまま連れて行きた──ッ!?」
その言葉の先は許さないと言うようにまた発砲音が響いた。
「え……?」
クラリッサの目の前でエイベルの体勢が崩れ、まるでスローモーションの世界にいるようにゆっくりと地面へと落ちていく。
「……エイベル? いや……うそ……どうして……」
手すりから身を乗り出して庭を見るとエイベルが肩を押さえて倒れている。石畳の上に広がる赤黒い血がエイベルの下で広がっていくのが見えた。
何があったのかと振り返るとエヴァンが手にしている銃口から煙が上がっている。
「彼に…何を、したの……?」
震えた声で問いかけるクラリッサにエヴァンはまだ神妙な顔のまま答えた。
「撃たなければお前は連れて行かれてたんだぞ。あの森に連れて行かれれば二度と戻っては来れない」
「彼を傷付けないと約束したじゃない!!」
「お前を守るためだ!!」
分かり合えるはずがない。互いに憎み合っている状態でクラリッサが何を言ってもエヴァンは自分の行為を正当化する。嘘をついたことを悪いと思うことさえしないのだ。
「行かなきゃ……!」
もしこれでエイベルが死ぬようなことがあればダークエルフは更に人間を憎むようになり、戦争を起こすだろう。人間はそれに対抗し、多くの命が散ってしまう。一生分かり合えないまま憎しみだけが増幅していく状況だけは避けたかったのに、なぜこうなってしまうんだとクラリッサはエヴァンに言葉を返すことはやめて一階へ降りようと廊下へ向かった。
だが、エヴァンがそのまま行かせるはずもなく、クラリッサの腕を掴んで止める。
「いやッ! 離してッ」
「どこへ行くつもりだ!」
「お兄様には関係ない!! 離して!」
「あいつはお前を連れて行こうとしていたんだぞ!!」
エイベルの言葉を聞いていてなぜそんな言葉しか出てこないのかが理解できなかった。エヴァンはクラリッサの話を聞いて同情してくれることもあった。父親は自慢したいんだと呆れていることもあったのに、なぜエイベルの言葉を聞いて何も感じてくれなかったのかと、エヴァンに失望さえしていた。
「どうして傷つけるのですか!! 彼は何もしていないのに! 森へ帰ろうとしただけなのに! 彼を傷つけないと約束したじゃないですか!」
「父上を殺そうとしただろうッ! この国の王を殴り殺そうとしたんだッ! 死で贖わせなければならないほど重い罪だとわかるだろう!」
「重罪なのは彼を傷つけたお兄様です! 彼は私を助けようとしてくれただけです!! お兄様とは違う!!」
髪を振り乱して叫ぶクラリッサにカッと目を見開いたエヴァンが使用人を呼んでクラリッサを逃さないよう言いつけ
「父上の目が覚めるまでお前は部屋から出るな」
「やめて! 触らないで!」
「連れて行け!」
「リズ! ダニエル! ロニー! エイベルを助けて!! お願い!! エイベルを殺さないで!!」
悲鳴を上げるように訴える姉に三人は動けなかった。
ダークエルフを初めて見たことには驚きはあったが、エヴァンが言うように連れて行こうとしているようには見えなかった。ダンスに誘うように、クラリッサの意思を尊重しているようにさえ見えた。
クラリッサのために誰もしてやれなかったことをダークエルフがしたのだとさえ感じていた。
「お前ら、ここから動くなよ」
リズたちがクラリッサの味方であることを知っている以上、余計なことに加担させたくはないと騎士を連れてエヴァンが庭へと向かった。
だがエイベルが倒れていた場所に姿はなく、ただそこにいたという証明に血液が残っているだけだった。
「父上の目が覚めるまでは俺が国王代理を務める。お前たちはクラリッサには接触するな」
「兄さん、何もそこまでしなくても……」
「何もできない奴は黙ってろ」
言葉を返せないウォレンは眉を下げながらも従うしかなかった。
見間違うはずがない。世界でたった一人、この世で最初で最後の愛する人が立っている。伸ばそうとした手を握りしめながら名前を呼ぶも肩を上下させて呼吸を乱しているエイベルがその目に映すのはホールの真ん中で倒れている国王だけでクラリッサのほうは見ようとしない。
突然ガラスが割れたこと、中央に何か飛んできたこと、それが国王であったことに悲鳴が上がり、風で吹き上がるカーテンの奥に見えたダークエルフに悲鳴は一層大きくなる。
「ふざけるなよ……」
エイベルがドアを蹴破り中へと進んでいき、倒れている国王の胸ぐらを掴むと顔を殴りつけた。
「利用するだけ利用しておいて泣いたら手を上げるだと? ふざけるな! あの子がお前のためにどれだけの犠牲を払ってきたと思っている! やりたいことも言いたいことも我慢してお前が見せる欲望を愛情だと必死に思い込むことで救われようとしていた娘をお前はまだ傷つけるつもりか!!」
何度も何度も殴りつける拳が赤に染まっていってもエイベルは殴るのをやめなかった。
「あの子は血の通った人間だ! それを人形のようにしてしまったのはお前たち全員だ!! 何が人形のようにだ! 何が鑑賞用だ! 人を愚弄するのも大概にしろ!! お前たちのような心ない人間にあの子を傷つける権利などない!!」
会場中に響き渡るエイベルの声にクラリッサが駆け出し、エイベルの腕にしがみつく。
「もう、もうやめて……! あなたの手が壊れてしまう!」
「俺の手などどうなろうとかまわん! お前を鑑賞用だと口にしたコイツだけは許さん!」
「大事な手を傷つけるのはやめて! 手は何よりも大切なものなんでしょ!?」
狩りによって獲物を得るエルフにとって足よりも大切な手を汚すのも痛めるのもやめてほしいと腕にしがみついたまま叫ぶクラリッサにようやくエイベルの動きが止まった。
『エルフにとって手は命だ。手を失えば狩りができん。自然の中で生きる俺たちにとって手は何よりも大切なものだ』
その言葉を覚えていたクラリッサを抱きしめるとクラリッサもしがみつくようにエイベルの背中に腕を回して背中を震わせる。
この声を、この優しさ、この温もりを手放してしまったことをずっと後悔していた。その後悔を伝えることも許されず、ただ恋しさに森を見つめるしかできなかったが、今こうして愛する人の腕の中にいる。これが自分の幸せなのだと確信したクラリッサはエイベルを見上げるも耳を裂くような発砲音に目を見開いた。
「クラリッサ! そいつから離れろ!」
「ダークエルフ、クラリッサから離れろ!」
「ねーちゃんこっちだ!」
発砲したのは銃を手にして駆けつけたエヴァン。次は脅しではないとエイベルに銃を向け、その周りには騎士たちが大勢集まってきた。
「ねえ」
駆けつけたリズを守るように双子が前に立つも、二人からは他の騎士たちと違って敵意は見えない。
「狩られる側が狩る側になれると思っているのか……?」
ゾッとするほど冷たい声。まとう雰囲気が変わったエイべるに怯む使用人ときょうだいの顔が青ざめていく。銃を持っているのはエヴァンだけで、騎士たちは剣だけ。身体能力が桁違いのダークエルフに勝てるのかと戸惑っている者もいた。それでもダークエルフは最強ではない。
『老いて死ぬことはないというだけだ。外的損傷を……受けた傷が深ければ死ぬ』そう言っていた。だからクラリッサは身体を離して両手を広げながらエイベルの前に立った。
「なんのつもりだクラリッサ!!」
「どうか、それを彼に向けないでください」
銃がどんな物かは知らなくとも、それが武器であることはわかる。
「こっちに来るんだ!!」
「彼を傷つけないと約束してください」
「こっちに来なさい!!」
「約束してください!」
怒ったように声を上げるクラリッサにエヴァンが目を見開く。きょうだいを叱ることはあっても怒鳴ることはなかった。
自分たちは今、何も間違ったことはしていない。ダークエルフが契約を破って森の外に出ただけではなく、この国の王族の長を殴り殺そうとしていたのだから許せるはずがないと対抗するために銃を持ち出している。そしてそれは妹を救うための手段でもあるのに、その妹がダークエルフを守るように手を広げている。
父親の懸念が当たったのかと嫌な予感に舌打ちをするエヴァンがクラリッサではなくエイベルを睨みつけたまま口を開いた。
「約束する」
その言葉に頷いたクラリッサは振り返ってエイベルを見上げる。
「エイベル、森に帰って。ここはあなたが来る場所ではないの」
「クラリッサ……」
「お願い。どうか、帰って。あなたの居場所に、あなたがいるべき場所に」
泣きながら笑うクラリッサにエイベルが拳を握る。
「助けてくれてありがとう。ずっと……見てくれてたのね」
助けられたと思うような状況だったのだとクラリッサの心中を思うとエイベルは胸が張り裂けそうな思いだった。
クラリッサに押されて一緒にテラスへ向かうと手すりに乗ったエイベルが振り向いて手を差し出す。
「俺はお前をこのまま連れて行きた──ッ!?」
その言葉の先は許さないと言うようにまた発砲音が響いた。
「え……?」
クラリッサの目の前でエイベルの体勢が崩れ、まるでスローモーションの世界にいるようにゆっくりと地面へと落ちていく。
「……エイベル? いや……うそ……どうして……」
手すりから身を乗り出して庭を見るとエイベルが肩を押さえて倒れている。石畳の上に広がる赤黒い血がエイベルの下で広がっていくのが見えた。
何があったのかと振り返るとエヴァンが手にしている銃口から煙が上がっている。
「彼に…何を、したの……?」
震えた声で問いかけるクラリッサにエヴァンはまだ神妙な顔のまま答えた。
「撃たなければお前は連れて行かれてたんだぞ。あの森に連れて行かれれば二度と戻っては来れない」
「彼を傷付けないと約束したじゃない!!」
「お前を守るためだ!!」
分かり合えるはずがない。互いに憎み合っている状態でクラリッサが何を言ってもエヴァンは自分の行為を正当化する。嘘をついたことを悪いと思うことさえしないのだ。
「行かなきゃ……!」
もしこれでエイベルが死ぬようなことがあればダークエルフは更に人間を憎むようになり、戦争を起こすだろう。人間はそれに対抗し、多くの命が散ってしまう。一生分かり合えないまま憎しみだけが増幅していく状況だけは避けたかったのに、なぜこうなってしまうんだとクラリッサはエヴァンに言葉を返すことはやめて一階へ降りようと廊下へ向かった。
だが、エヴァンがそのまま行かせるはずもなく、クラリッサの腕を掴んで止める。
「いやッ! 離してッ」
「どこへ行くつもりだ!」
「お兄様には関係ない!! 離して!」
「あいつはお前を連れて行こうとしていたんだぞ!!」
エイベルの言葉を聞いていてなぜそんな言葉しか出てこないのかが理解できなかった。エヴァンはクラリッサの話を聞いて同情してくれることもあった。父親は自慢したいんだと呆れていることもあったのに、なぜエイベルの言葉を聞いて何も感じてくれなかったのかと、エヴァンに失望さえしていた。
「どうして傷つけるのですか!! 彼は何もしていないのに! 森へ帰ろうとしただけなのに! 彼を傷つけないと約束したじゃないですか!」
「父上を殺そうとしただろうッ! この国の王を殴り殺そうとしたんだッ! 死で贖わせなければならないほど重い罪だとわかるだろう!」
「重罪なのは彼を傷つけたお兄様です! 彼は私を助けようとしてくれただけです!! お兄様とは違う!!」
髪を振り乱して叫ぶクラリッサにカッと目を見開いたエヴァンが使用人を呼んでクラリッサを逃さないよう言いつけ
「父上の目が覚めるまでお前は部屋から出るな」
「やめて! 触らないで!」
「連れて行け!」
「リズ! ダニエル! ロニー! エイベルを助けて!! お願い!! エイベルを殺さないで!!」
悲鳴を上げるように訴える姉に三人は動けなかった。
ダークエルフを初めて見たことには驚きはあったが、エヴァンが言うように連れて行こうとしているようには見えなかった。ダンスに誘うように、クラリッサの意思を尊重しているようにさえ見えた。
クラリッサのために誰もしてやれなかったことをダークエルフがしたのだとさえ感じていた。
「お前ら、ここから動くなよ」
リズたちがクラリッサの味方であることを知っている以上、余計なことに加担させたくはないと騎士を連れてエヴァンが庭へと向かった。
だがエイベルが倒れていた場所に姿はなく、ただそこにいたという証明に血液が残っているだけだった。
「父上の目が覚めるまでは俺が国王代理を務める。お前たちはクラリッサには接触するな」
「兄さん、何もそこまでしなくても……」
「何もできない奴は黙ってろ」
言葉を返せないウォレンは眉を下げながらも従うしかなかった。
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