鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

文字の大きさ
上 下
55 / 71

心をくれた人

しおりを挟む
「エイ、ベル?」

 見間違うはずがない。世界でたった一人、この世で最初で最後の愛する人が立っている。伸ばそうとした手を握りしめながら名前を呼ぶも肩を上下させて呼吸を乱しているエイベルがその目に映すのはホールの真ん中で倒れている国王だけでクラリッサのほうは見ようとしない。
 突然ガラスが割れたこと、中央に何か飛んできたこと、それが国王であったことに悲鳴が上がり、風で吹き上がるカーテンの奥に見えたダークエルフに悲鳴は一層大きくなる。

「ふざけるなよ……」

 エイベルがドアを蹴破り中へと進んでいき、倒れている国王の胸ぐらを掴むと顔を殴りつけた。

「利用するだけ利用しておいて泣いたら手を上げるだと? ふざけるな! あの子がお前のためにどれだけの犠牲を払ってきたと思っている! やりたいことも言いたいことも我慢してお前が見せる欲望を愛情だと必死に思い込むことで救われようとしていた娘をお前はまだ傷つけるつもりか!!」

 何度も何度も殴りつける拳が赤に染まっていってもエイベルは殴るのをやめなかった。

「あの子は血の通った人間だ! それを人形のようにしてしまったのはお前たち全員だ!! 何が人形のようにだ! 何が鑑賞用だ! 人を愚弄するのも大概にしろ!! お前たちのような心ない人間にあの子を傷つける権利などない!!」

 会場中に響き渡るエイベルの声にクラリッサが駆け出し、エイベルの腕にしがみつく。

「もう、もうやめて……! あなたの手が壊れてしまう!」
「俺の手などどうなろうとかまわん! お前を鑑賞用だと口にしたコイツだけは許さん!」
「大事な手を傷つけるのはやめて! 手は何よりも大切なものなんでしょ!?」

 狩りによって獲物を得るエルフにとって足よりも大切な手を汚すのも痛めるのもやめてほしいと腕にしがみついたまま叫ぶクラリッサにようやくエイベルの動きが止まった。

『エルフにとって手は命だ。手を失えば狩りができん。自然の中で生きる俺たちにとって手は何よりも大切なものだ』

 その言葉を覚えていたクラリッサを抱きしめるとクラリッサもしがみつくようにエイベルの背中に腕を回して背中を震わせる。
 この声を、この優しさ、この温もりを手放してしまったことをずっと後悔していた。その後悔を伝えることも許されず、ただ恋しさに森を見つめるしかできなかったが、今こうして愛する人の腕の中にいる。これが自分の幸せなのだと確信したクラリッサはエイベルを見上げるも耳を裂くような発砲音に目を見開いた。

「クラリッサ! そいつから離れろ!」
「ダークエルフ、クラリッサから離れろ!」
「ねーちゃんこっちだ!」

 発砲したのは銃を手にして駆けつけたエヴァン。次は脅しではないとエイベルに銃を向け、その周りには騎士たちが大勢集まってきた。

「ねえ」

 駆けつけたリズを守るように双子が前に立つも、二人からは他の騎士たちと違って敵意は見えない。
 
「狩られる側が狩る側になれると思っているのか……?」

 ゾッとするほど冷たい声。まとう雰囲気が変わったエイべるに怯む使用人ときょうだいの顔が青ざめていく。銃を持っているのはエヴァンだけで、騎士たちは剣だけ。身体能力が桁違いのダークエルフに勝てるのかと戸惑っている者もいた。それでもダークエルフは最強ではない。

『老いて死ぬことはないというだけだ。外的損傷を……受けた傷が深ければ死ぬ』そう言っていた。だからクラリッサは身体を離して両手を広げながらエイベルの前に立った。

「なんのつもりだクラリッサ!!」
「どうか、それを彼に向けないでください」

 銃がどんな物かは知らなくとも、それが武器であることはわかる。

「こっちに来るんだ!!」
「彼を傷つけないと約束してください」
「こっちに来なさい!!」
「約束してください!」

 怒ったように声を上げるクラリッサにエヴァンが目を見開く。きょうだいを叱ることはあっても怒鳴ることはなかった。
 自分たちは今、何も間違ったことはしていない。ダークエルフが契約を破って森の外に出ただけではなく、この国の王族の長を殴り殺そうとしていたのだから許せるはずがないと対抗するために銃を持ち出している。そしてそれは妹を救うための手段でもあるのに、その妹がダークエルフを守るように手を広げている。
 父親の懸念が当たったのかと嫌な予感に舌打ちをするエヴァンがクラリッサではなくエイベルを睨みつけたまま口を開いた。

「約束する」

 その言葉に頷いたクラリッサは振り返ってエイベルを見上げる。

「エイベル、森に帰って。ここはあなたが来る場所ではないの」
「クラリッサ……」
「お願い。どうか、帰って。あなたの居場所に、あなたがいるべき場所に」

 泣きながら笑うクラリッサにエイベルが拳を握る。

「助けてくれてありがとう。ずっと……見てくれてたのね」

 助けられたと思うような状況だったのだとクラリッサの心中を思うとエイベルは胸が張り裂けそうな思いだった。
 クラリッサに押されて一緒にテラスへ向かうと手すりに乗ったエイベルが振り向いて手を差し出す。

「俺はお前をこのまま連れて行きた──ッ!?」

 その言葉の先は許さないと言うようにまた発砲音が響いた。

「え……?」

 クラリッサの目の前でエイベルの体勢が崩れ、まるでスローモーションの世界にいるようにゆっくりと地面へと落ちていく。

「……エイベル? いや……うそ……どうして……」

 手すりから身を乗り出して庭を見るとエイベルが肩を押さえて倒れている。石畳の上に広がる赤黒い血がエイベルの下で広がっていくのが見えた。
 何があったのかと振り返るとエヴァンが手にしている銃口から煙が上がっている。

「彼に…何を、したの……?」

 震えた声で問いかけるクラリッサにエヴァンはまだ神妙な顔のまま答えた。

「撃たなければお前は連れて行かれてたんだぞ。あの森に連れて行かれれば二度と戻っては来れない」
「彼を傷付けないと約束したじゃない!!」
「お前を守るためだ!!」

 分かり合えるはずがない。互いに憎み合っている状態でクラリッサが何を言ってもエヴァンは自分の行為を正当化する。嘘をついたことを悪いと思うことさえしないのだ。

「行かなきゃ……!」

 もしこれでエイベルが死ぬようなことがあればダークエルフは更に人間を憎むようになり、戦争を起こすだろう。人間はそれに対抗し、多くの命が散ってしまう。一生分かり合えないまま憎しみだけが増幅していく状況だけは避けたかったのに、なぜこうなってしまうんだとクラリッサはエヴァンに言葉を返すことはやめて一階へ降りようと廊下へ向かった。
 だが、エヴァンがそのまま行かせるはずもなく、クラリッサの腕を掴んで止める。

「いやッ! 離してッ」
「どこへ行くつもりだ!」
「お兄様には関係ない!! 離して!」
「あいつはお前を連れて行こうとしていたんだぞ!!」

 エイベルの言葉を聞いていてなぜそんな言葉しか出てこないのかが理解できなかった。エヴァンはクラリッサの話を聞いて同情してくれることもあった。父親は自慢したいんだと呆れていることもあったのに、なぜエイベルの言葉を聞いて何も感じてくれなかったのかと、エヴァンに失望さえしていた。

「どうして傷つけるのですか!! 彼は何もしていないのに! 森へ帰ろうとしただけなのに! 彼を傷つけないと約束したじゃないですか!」
「父上を殺そうとしただろうッ! この国の王を殴り殺そうとしたんだッ! 死で贖わせなければならないほど重い罪だとわかるだろう!」
「重罪なのは彼を傷つけたお兄様です! 彼は私を助けようとしてくれただけです!! お兄様とは違う!!」

 髪を振り乱して叫ぶクラリッサにカッと目を見開いたエヴァンが使用人を呼んでクラリッサを逃さないよう言いつけ

「父上の目が覚めるまでお前は部屋から出るな」
「やめて! 触らないで!」
「連れて行け!」
「リズ! ダニエル! ロニー! エイベルを助けて!! お願い!! エイベルを殺さないで!!」

 悲鳴を上げるように訴える姉に三人は動けなかった。
 ダークエルフを初めて見たことには驚きはあったが、エヴァンが言うように連れて行こうとしているようには見えなかった。ダンスに誘うように、クラリッサの意思を尊重しているようにさえ見えた。
 クラリッサのために誰もしてやれなかったことをダークエルフがしたのだとさえ感じていた。

「お前ら、ここから動くなよ」

 リズたちがクラリッサの味方であることを知っている以上、余計なことに加担させたくはないと騎士を連れてエヴァンが庭へと向かった。
 だがエイベルが倒れていた場所に姿はなく、ただそこにいたという証明に血液が残っているだけだった。

「父上の目が覚めるまでは俺が国王代理を務める。お前たちはクラリッサには接触するな」
「兄さん、何もそこまでしなくても……」
「何もできない奴は黙ってろ」

 言葉を返せないウォレンは眉を下げながらも従うしかなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

(完結)「君を愛することはない」と言われて……

青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら? この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。 主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。 以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。 ※カクヨム。なろうにも時差投稿します。 ※作者独自の世界です。

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

残念ながら、定員オーバーです!お望みなら、次期王妃の座を明け渡しますので、お好きにしてください

mios
恋愛
ここのところ、婚約者の第一王子に付き纏われている。 「ベアトリス、頼む!このとーりだ!」 大袈裟に頭を下げて、どうにか我儘を通そうとなさいますが、何度も言いますが、無理です! 男爵令嬢を側妃にすることはできません。愛妾もすでに埋まってますのよ。 どこに、捻じ込めると言うのですか! ※番外編少し長くなりそうなので、また別作品としてあげることにしました。読んでいただきありがとうございました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...