鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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鑑賞用として

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「クラリッサ王女」
「イルーゴ王子、今日は──」

 会場の入り口に向かう王子の姿が目に入ると王子も視界の端にクラリッサを見たことで歩み寄っていく。手には両手で抱えるほど大きな花束が一つだけで他のプレゼントは持っていない。後ろの従者の手にもない。本当に花束だけなのだと小さく笑うクラリッサが来てくれたことへの感謝を口にしようとするのを首を振って止めた。

「婚約者が誕生日を祝いに来たのに感謝なんかいらないでしょう。他人行儀すぎますよ。まだ他人なのでおかしくはないかもしれませんけど」
「そうですね」

 会場に誰よりも早く到着するわけでも、サプライズで指輪か何か持ってくるわけでもない相手の“らしさ”にクラリッサは少し安堵する。どんなときでも特別さを見せない相手がこのままなら生活も楽そうだと思った。
 クラリッサの中にイルーゴ王子と結婚することへの不安はなくなっている。

「二十五歳ですね」
「あっという間に歳をとってしまいました」
「悪いことばかりではありませんよ。若者にはない魅力が増えていきます」
「何か増えましたか?」
「特には」
 
 なんだそれと笑うクラリッサを見てイルーゴも笑う。

「二十五歳の誕生日を楽しんでください」
「はい」

 楽しめる瞬間などありはしない。ここをくぐれば待つのは地獄。父親が口にする「二十五歳になっても娘の美しさは衰え知らずで」という言葉に反吐が出そうになるのを堪えながら夜まで笑顔を作り続けなければならないのだから。
 それでも行かない選択肢は存在しない。父親のためではなく鑑賞しに来ているゲストをもてなすため開いたドアから中へと踏み出す。
 ゲストたちが花道を作って頭を下げる。そのあとはヒソヒソと繰り返す内緒話。二十年間ずっとこうした好奇の目にあてられてきて慣れているはずなのに、しんどいと思ってしまう。しかし、結婚することで子供が生まれるまでの注目は自分だけではなくイルーゴ王子に分散されると思うと去年の誕生日よりは心も晴れやかだった。

「クラリッサ、祝いに駆けつけてくれた皆に挨拶を」

 赤い絨毯が続く先にある専用の椅子に腰掛けるとグラス片手に言葉を待つ貴族たちの笑顔を焼き付ける。父親から差し出されるグラスを受け取って左から右へとゆっくり顔を動かし、ゲストの顔を見ているとアピールしてから口を開いた。

「本日は私、クラリッサの二十五回目の誕生日のお祝いに駆けつけてくださり、ありがとうございます。二十年、私の同じ挨拶を聞いている方もいるのではないでしょうか? まだ五歳だった少女はもう二十五歳になりました。そろそろ結婚かなと、父とも話しております」

 結婚という言葉が国王ではなくクラリッサ本人から出たことで会場が一気にザワつき始める。女たちはイルーゴ王子が来ていることで噂は本当だったんだと歓喜と悲観の悲鳴を上げ、貢いでいた男たちは絶望の声を漏らす。泣き出して会場をあとにする者もいた。

「これこれ、まだ先走るんじゃない。それは私から言うことだろう」
「すみません。自分の口から伝えたかったもので」
「素晴らしい心意気ではあるがな」

 笑顔の父親に髪を撫でられて喜んでいたのは何歳までだったか、もう思い出すこともできない。父親が喜んでくれるならと頑張っていたはずが、いつしか父親が笑顔でいなければ家族が嫌な思いをするからと父親に従い、父親が笑顔でいることに安心するようになった。

「娘の幸せを願い、婚約者を決めていることは事実です。娘が授かる子供はさぞ美しいことでしょう。また皆にお披露目できる日を楽しみにしている。皆もどうか楽しみにしていてほしい」

 歓声のように鳴り響く拍手が頭痛を起こす。なったことのない二日酔いのように頭に響き、笑顔が崩れそうになるのを必死で堪えることしかできない。ちゃんと正しく笑えているだろうか、誰も怪しんでいないだろうか、そればかりが気になる。父親から解放されるまで上手くやっていかなければならない。せめてリズが恋をして愛を見つけて結婚するまでは。
 
「ではクラリッサ、皆から祝福を受け取りなさい」
「はい」

 あっという間にできる長蛇の列も見慣れた光景のはずなのに眩暈がする。こんな光景をあと何回見なければならないのだろう。何回同じ挨拶をしなければならないのだろう。きっと子供が産まれたら暫くは子供を抱いてここに座らなければならないのだろうと思うと吐き気がする。
 きょうだいと一緒にケーキを囲んでお祝いしてもらって笑い合うだけでいいのに、と思うのは贅沢すぎるだろうかといつも自問する。これだけ多くの人間に祝ってもらえる人間は限られていると自分に言い聞かせても、それなら誰かにその権利を譲りたいと思ってしまう。

「初めてお祝いを伝えさせていただいてから二十年、変わらぬその美しさに何度見惚れたことか」
「ありがとうございます」

 今日は手を差し出したくなかった。差し出さなければ手を握られることなどないのだ。男から手を握ることはタブーであり、手の甲へと挨拶を許すかどうかは女の特権。だが、父親がそれを許さない。誕生日を祝いに来てくれている者に不満を抱かせるなと耳が文句で詰まるほど言われたため嫌々差し出す手に男たちは挨拶を繰り返す。

「お父様」
「嬉しいな、クラリッサ」

 休憩を挟みたいと思い、声をかけたのだが父親はどうしたとは聞かなかった。今になってクラリッサはエイベルの言葉を思い出す。

『父親にとってお前は娘だから溺愛しているのではなく、見せびらかすだけの価値があると思って溺愛しているように見せかけているだけだ』

 否定したかった。でも父親にとって娘が今この瞬間に何を思って声をかけてきたのかは重要ではなく、ゲストたちに自分たちは喜んでいるのだと伝えるほうがずっと大事なのだとわかった。

『老いたお前など用済みだと言われる日を待つと言うんだな?』
『お前の父親はお前を自分の欲望のために縛りつけてお前の人生を台無しにしたんだぞ!』

 わかっていたのはエイベルのほうだった。自分のしてきたことは何もムダではなかったのだと信じたいばかりに、自分を守るのに必死でエイベルの愛を否定した。誰よりも愛してくれていたのに、温もりをくれたのに、傷付けた。
 なんて愚かなことをしてしまったのだろうと何百回と繰り返しても消えない後悔に涙が頬を伝う。
 
「ど、どうされました!?」

 クラリッサの手を握っていた男が驚きに声を上げたことで娘の顔を見た父親もその涙に気付いた。

「クラリッサ? 疲れたのか? 少し風に当たろう。皆は暫くパーティーを楽しんでいてくれ」

 父親に手を引かれるがままに向かうは会場のテラス。貴族たちが覗きに来ないようにカーテンを閉め、ドアの前に使用人を立たせる。

「クラリッサ、私の言いつけが守れないのか?」
「ごめんなさい。泣くつもりなんてなかったの」

 本当に泣く気などなかったのに涙が出てしまった。

「薬は飲んだのか?」
「飲んだわ」

 医者から出された精神安定剤は飲んだ。飲んだところで意味などないとわかっていながらも使用人が用意するため飲まないわけにはいかない。父親も医者もクラリッサがなぜ泣くのかではなく、何もないのに泣くのをやめさせるのに必死だった。

「パーティーではいつも笑っていろと言っただろう! 誕生日に泣くとは何事だ! 何かあるのではないかと疑わせたいのか!?」
「ごめんなさいお父様」
「私に恥をかかせるのが目的か!?」
「ごめんなさいッ」

 手を取って撫でながら慰めるのではなく父親は何度もクラリッサの手の甲を叩き始める。一発一発が結構な威力であり、その痛みにクラリッサはまた涙する。頬を叩けば赤くなるため戻ればバレる。手は手袋をしているため赤くなったところでバレはしない。父親はそう理解した上で手を叩いていた。

「感情を乱すなと言っただろう!! そんなことも守れないのか!? 人形のようにしていろということの何が難しいんだ!」
「ごめんなさいお父様! ごめんなさい!」
「今すぐ涙を止めろ!!」

 泣けば化粧を直さなければならなくなり、それに時間が取られてしまう。結婚式ではないのだからお色直しなどない。泣いたあとでなんと言って戻るかも考えなければならないことを考えて苛立つ父親にクラリッサは謝罪しか出てこなかった。
 一度溢れてしまうとなかなか止まらない涙を短時間で止める方法をクラリッサは知らない。
 誕生日というめでたい日に涙する理由を貴族たちが憶測で語り合っている中へ戻って笑顔を作らなければならないのは父親も同じ。
 涙を流しながら謝るクラリッサの心はもう限界だった。

「お前は笑顔で人形のようにそこにジッとしていればいいんだ! 鑑賞用として──ぐぼあッ!」

 父親がその言葉を言い終わる前に父親の顔が歪み、ガラスを突き破って会場へと飛んでいった。何が起こったのかわからなかったクラリッサは、横に立つ黒い肌の男の存在を見上げながら目を見開いた。
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