鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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超えられない壁

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「……愛? あなたが、私に?」

 出会ってから今日までずっとエイベルに恋をしていた。でもそれが愛に繋がるとは思っていなかった。愛を受けるほどのことはしていないし、他人から愛がもらえるとも思ってはいない。エイベルとはここで座って話をしていただけ、というのがクラリッサの認識。愛をもらえるような行為ではない。

「私も……あなたが女性に囲まれているのを見て嫉妬したわ。美人が頭を取り囲んであなたに触れてた。美しいって言われ慣れてはいても、勝てるとは思えなかった」

 それだけ彼女たちは自信に満ち溢れていたのだ。

「でも、これは愛じゃない」
「非定する理由はなんだ?」

 少しムキになるエイベルを見つめながらクラリッサは絡め合った指に力を入れる。

「だって、愛はもっと……その人のために何かしないと与えられないもので、狩りのようなもの。私はあなたに何もしてない。愛には……ならない」

 クラリッサにとって愛は無償で与えられる物ではなく、報酬。努力すればするだけ勝ち取れるものである。だから愛かと問うエイベルを否定する。

「愛は紡いでいくものだ。報酬で与えられる物じゃない。狩りとは違うだろ」

 追いかけて獲物を得る狩りと愛が同じなわけがないと否定するエイベルの言葉にクラリッサは戸惑いしかない。

「あなたも愛なんて知らないでしょ?」

 愛なのかと人に問うぐらいなのだから知らないはずだと決めつけ、何度もかぶりを振って愛ではないと否定する。

「なぜ俺がお前を愛していることを否定するんだ?」

 愛であればいいと願う。願わずにはいられない。だが、それと同時に愛でなければいいとも思う。愛であれば辛すぎるから。だから愛を否定したかった。

「だって……あなたに愛される理由がない。私はずっとあなたに愚痴とか変なこととかたくさん言ってきた。王女らしくないってあなたも言ってたじゃない。素敵だって思ってもらえるような姿なんて見せてないもの」

 接点がないから、誰にも自分の本性がバレないから取り繕うことなく過ごしていた日々の中で相手に好意を抱いてもらえるような部分は一切見せていなかった。大口を開けて笑うことも、完璧な仕草も何もなく、ただの一般人のように振るまっていた。
 家族の前で見せる自分とは違う自分を見せてくれていたこと、それこそエイベルが惹かれていった理由であることをクラリッサは想像もしない。誰かに愛してもらうためには、好いてもらうためには努力が必要で、相手の期待に応えてこそもらえるものだと思っている。
 哀れな哀れな王女様。

「お前は……どれだけ想ってやれば気が付くんだ?」
「だ、だって……」
「お前にこれだけ触れているのになぜ気付かない? 言葉にしなかったからか?」
「……言葉にされても……」
「信じない。そうだな、お前はそうだ。信じられないんだ。だから言葉にはせず触れ続けた。触れれば、俺の熱を伝えれば気付くと思っていたから」

 言葉にすれば喜ぶが、信じはしない。好意ある言葉を信じるにはクラリッサは言われすぎたのだ。好きだと言われ、ありがとうと返すことが日常的になっていると誰に言われても信じられなくなってしまう。エイベルの言葉を信じるにはクラリッサは特殊な中で生きすぎた。だから何度も触れれば気持ちが伝わると考えた。
 ダークエルフの女たちは言葉での愛情を求めない。クラリッサが彼女たちと同じだとは思っていないが、それでも女はそういう生き物だと思っていた。本能のままに生きるエルフたちは愛情を示すことは少ない。己が熱のほうが気持ちが伝わりやすいと思っていただけに、触れても触れても好意が伝わっていなかったことを今更ながらに悔やんでいた。ちゃんと、もっと早くに言葉にしていればよかったと。

「だって……皆、好きだって言うもの……。どれが、本物の気持ちかなんて……わからない。どれも嘘に聞こえるし……どれも疑ってしまうから……。それに、期待して、それが嘘だったらって思うと怖くて……」

 思ったとおりだった。親の言いなりになることでしか生きられないクラリッサは自己判断が苦手。自分で決めて行動すると必ず失敗すると、それはもはや彼女の中で確信へと変わっている。だから期待しない。期待して心折れるぐらいなら期待しないでいるほうがずっと楽だと思ったから。

「俺の言葉だけは信じろ、クラリッサ」

 信じたい。でも、これ以上はムリだとクラリッサは無言で首を振る。

「あなたとは婚約者にはなれない。ダークエルフと人間はまだ仲良くできないんだもの」
「俺のところに来い」
「ここで暮らせっていうの?」
「違う。ここじゃない国に行くんだ。ダークエルフも人間も共存できる国を探す」
「なかったら?」

 外の世界を知らないクラリッサが不安に思うことは仕方ないと思えど、エイベルはクラリッサが帰るまでの時間が刻一刻と迫っていることに焦りを感じて苛立っていた。

「悪いことばかり考えるな! 俺が見つけてやる!」
「だけど……」

 門に近付くことさえ許されず、いつも窓からきょうだいが乗る馬車が門から出て行くのを見つめることしかできなかった。そこを超えた先には何があるのかさえ知らない。城下町がどんな場所かも知らないのに、この国を出て生きていける想像などできるはずもない。
 ダークエルフはエルフの中でも嫌われ者だと言っていた。人間と憎み合っているのに受け入れてくれる国がある可能性のほうがずっと低いのではないかと考えると怖くて受け入れられない。

「俺がお前を愛してやる。だからもうイリオリスな父親の愛など期待するな。あのクズはお前を愛してなどいない。お前のことは商品価値がある娘としか見ていないんだ。俺があそこから出してやる」

 肩を掴んで愛ならやると告げたエイベルの顔を真っ直ぐに見つめて否定するように何度も首を振る。

「違う……お父様は私を愛してる」
「お前を鳥籠に押し込めたんだぞ。外の世界を教えなかった、学を与えなかった。それはお前が外の世界を知れば、学を身につければ自分に従わなくなると思っていたからだ」
「違う。お父様が私に外の世界を教えなかったのは愛よ。外の世界は危険で、興味を持つと危ないから教えなかっただけ。守ってくれていたの」
「お前の父親はお前を自分の欲望のために縛りつけてお前の人生を台無しにしたんだぞ!お前の父親はクズだ!」
「初めての娘だもの。女神の生まれ変わりだと思えばそうなってしまうのも仕方ないわ。悪く言わないで」

 なぜクラリッサがそこまで父親を庇い、愛を信じるのかがエイベルにはわからなかった。

「お前はもっと自由であるべきだ。あの父親から離れる必要がある。今すぐにでも離れなければお前は一生飼い殺されることになる──」
「あれはお父様の愛なの」
「あんなものが愛であるはずがないだろう!」
「愛よ!」

 大声で否定するクラリッサの瞳から涙が溢れ、頬を伝う。 宝石のごとく美しい瞳が濡れるのを見つめながらエイベルは不安を顔に出す。このままではダメだと本能が告げている。

「クラリッサ……」
「あれは……お父様なりの愛なの……」
「違う」
「……じゃあ……あれは、何? あれが愛でないなら、私の人生は……なんだったの……?」
「ッ……」

 クラリッサはわかっているのだ。自分が父親の欲のために見せ物にされていることを。幼い頃から理解していた。だが、それが愛だと信じてもいた。娘が可愛いがあまり自慢したい親バカなのだと。そう信じなければ心が壊れてしまいそうだったから。

「俺が自由にしてやる」
「……いらない」
「なぜだ!怯えてただろう!このまま年老いていくことが怖いんだろう!?ならお前は解放されるべきだ!あの父親の傍にいては──」
「あなたは一緒に老いてはくれないでしょう?」

 ああ……世界はなぜこうも残酷なのか。
 初めて愛した女は砂糖菓子のように甘く美しく、そして脆い。
 人間のように決められた寿命がないダークエルフにとっては瞬きをする一瞬の間に人間は子供から大人になり、そしてもう一度瞬きをしたときには腰を曲げて杖をついて歩くようになっている。
 抗うことのできない老いに弱って死んでいく哀れな生き物──それを愛した自分が一番哀れなのだとエイベルは知った。
 彼女の怯えを知りながらも解決してやれない無力さと共に、込み上げる愛していると告げた自分より商品としてしか見ない父親を選ぶクラリッサに怒りを感じ、拳を握る。

「老いたお前など用済みだと言われる日を待つと言うんだな?」
「老いてもお父様は私を愛してくれるかもしれない」

 そんなことあるはずがない。五年後の結婚を許されているその意味をクラリッサもわかっているはずなのに鑑賞用王女から脱する選択をしようとしない愚かな王女にエイベルは諦めたように握った拳をゆっくりと開いた。

「……なら待てばいい。自ら絶望に陥るその日を指折り数えて待つんだな。父親にとってお前は娘だから溺愛しているのではなく、見せびらかすだけの価値があると思って溺愛しているように見せかけているだけだ。輝きを失った宝石など誰も欲しがらんことを知ればいい」
「…………」

 真っ直ぐ前を見つめて涙を流すその宝石のような瞳に映るのが自分だけであればいいと何度願っただろう。だがそれは結局叶わぬ望みにすぎなかった。こんな風に映ることを願ったわけではなかったのに。
 人間とエルフが共存できる世界は存在しないと先祖が言った。当時は当たり前だと思っていたし、最近までずっとそう思っていた。虫ケラのような人間と共存する世界などあって溜まるかと。だが、クラリッサと出会ってからはそういう世界であればよかったとさえ思うようになった。でも結局はこうなってしまうのだ。好き合ったところで反対はあっても祝福はない。それが現実なのだと。

「俺はもうお前を迎えには行かない。お前も来ることはないだろう。ダークエルフと人間が共存できる世界など、お前が言うとおりないのだろうからな」

 二人はさよならも交わさなかった。別れの挨拶もなければ、見つめ合うこともなく、エイベルが見せる大きな背中を数秒見つめたあと、クラリッサはまたストールをかぶって家へと戻っていった。
 これで本当に終わりなのだと互いにわかっていた。もう二度と会うことはないのだと。どんなに恋しかろうと、どんなに求めようと触れることもできなくなってしまった。
 部屋に戻ったクラリッサが泣く声が聞こえる。枕に顔を押し当てて泣いているのだろうくぐもった声。それは夜に止まることはなく、朝までずっと聞こえていた。

「またか……」

 朝になり、起こしに来た使用人が慌てて父親を呼びに行き、部屋にやってきた父親の第一声は呆れを示すものだった。

「今日はパーティーがある日だとわかっているな?」
「……ごめんなさい……」
「その腫れが引かなければパーティーは中止になるんだぞ」
「ごめんなさい……」
「何を思って泣いたのかは知らんが、感情を乱すな。皆、お前の顔を見に来ているのだぞ!」
「ごめんなさい」

 なぜ泣いたのかと心配するのではなく、今日のパーティーへの影響を心配し、慰めるのではなく叱った。
 これを愛だと信じようにも信じられない。だが、クラリッサはここを出ることはできない。選択肢がないのだ。
 自分が反抗するだけで怒り、周りに当たり散らす父親の前から姿を消そうものなら何をしでかすかわからない。クラリッサはデイジーの結婚とリズの結婚を見守ってからでなければ自由を得る選択はしないつもりだった。
 想いをぶつけてくれたエイベルを傷つけるとわかっていた。エイベルの言うとおり、父親からの純粋な愛など存在しないこともとっくの昔に気付いていたが、きょうだいを守るためには逃げ出すわけにはいかない。

(ごめんなさい、エイベル)

 一緒にいたかった。二人でいられるならどこだってよかった。でも、自分の幸せのためだけに家族を地獄に落とすことはできなかった。
 誰もいなくなった部屋の中、クラリッサは心の中で呟きながら止まらない涙に溺れてしまいたかった。
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