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想い
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きょうだいしか癒しがない日々を過ごすことにも慣れた頃、クラリッサの体調に変化が現れ始めた。
めまいが増え、吐き気が増え、座り込みたくなる日が増えていくのを感じながらもクラリッサは鑑賞用王女としての役目を果たし続けていたある日、部屋で休んでいたクラリッサの前にアイレが姿を見せた。
「クラリッサ、大丈夫か?」
アイレはエイベルト違ってクラリッサの前に姿を見せることができる。姿を見せない理由はなく、相変わらずの日常を送っているのだが、心の奥底にある罪悪感から以前のように心からクラリッサとの時間を楽しむことができなくなってしまっていた。
イルーゴ王子との婚約がまだ公にはできないものの契約が成立し、それによって父親が上機嫌な毎日を過ごしていることで家族の精神状態も守られている。それはクラリッサが最も望んでいた形となった。
だが、それと引き換えにクラリッサの体調が悪くなっていることにアイレは気付いていた。心配したところでクラリッサが言うことは決まっている。
「ええ、平気よ」
「オイラ、薬持ってこようか? 人間に効くかわかんないけど、体調が悪いときに飲む薬があるんだ。良く効くぜ」
「ありがとう、アイレ。でも本当に平気なの。少し疲れやすくなってるだけ。ここのところ激務だったから」
クラリッサの生誕祭はモレノスで最も豪華なもので、国民が最も楽しみにしているイベント。それが終わった二日後には女神カロンの感謝祭がある。これもクラリッサが出ずっぱりとなるイベントであり、その一週間後には建国記念日の催しがあった。モレノスの三大イベントと呼ばれる盛大な催しは街を一ヶ月もの間お祭り騒ぎにさせる。
だが、貴族たちが楽しみにしているのは市民と同様に盛り上がるようなイベントではなく鑑賞用王女をじっくりと眺められる貴族の特権ともいえる日常的なパーティー。イベントの合間に開催されるパーティーもあったせいでクラリッサはこの一ヶ月、ほとんど休めていない。肌に不調が現れなかったのが奇跡なぐらいだと自分でも思っていた。
疲れて部屋に戻ると風呂が待っている。自分で洗うことがないだけマシだが、髪や身体を洗われながら何度も眠った。テラスに出て夜風に当たろうなどと思う気力もなく、使用人が去ったらベッドに倒れ込んで朝まで熟睡の繰り返し。寝ても寝ても疲れが取れない。去年はこんなことなかったのにと一年で変わる恐ろしさを実感していた。
「なあ、クラリッサ……」
「ん?」
「エイベル、に……会いたくなったり、しない……のか?」
良かれと思って渡したストールで悲劇が起こってしまった。クラリッサからすれば学習しなかったことでの自業自得というだけでアイレを責めようなどとは微塵も思っていない。
自分がちゃんとエイベルとの約束を守っていれば済んだ話。だが、そうすると妖精のストールの凄さを見せつけることができなかった。いや、持っていけばよかった話だ。手で持っていって「すごいでしょ」と見せつければよかったのに、そこまで頭が回らなかっただけの話。本音が知れて良かったのだと考えることにしていた。
気持ちは前を向いている。忘れようとしている。だから久しぶりに聞いた名前に動揺してしまう。
「……いいえ、会いたくなんてならないわ。毎日忙しくてすごく充実してるの。まだ発表はしてないけど、婚約も決まって、新しく家族を持つことになった。明るい未来が見えたみたいで嬉しいの」
それが嘘であることはアイレも見抜けた。まるで言い聞かせるような言い方と不自然な笑顔が嘘だと告げている。
「思い出すことってないのか?」
「ないわ。あれはもう過去よ。過ぎたことなの。私はここで、彼はあそこで暮らす。それが正しいの」
嘘だ。忙しくなればなるほど思い出してしまう。辛い、しんどい、苦しいと思う度にエイベルを思い出す。エイベルの逞しい腕に寄りかかって癒された日々を、疲れなど吹き飛んでしまうほどの甘い口付けを、夢の中にいるのではないかと錯覚してしまうほど楽しかったくだらない会話を……何十回思い出しただろう。
あの大きな手で頭を撫でながら頑張れと言われただけで頑張れた。眠らずに朝を迎えた日もエイベルと別れた朝なら不思議と疲れ知らずだった。あの大きな身体に包み込まれているだけで薬も白湯もなく眠れた。
もう戻ってこない日々を思い出しては虚しくなり、自分で心を痛めつけていた。
忘れなければと思えば思うほど、あの日々が恋しくて仕方ない。もう戻らない日々とわかっているからこそ恋しくなってしまう。
「エイベル、さ……元気ないんだ……」
病気か? 怪我か? 何を心配したところで何があったの?とは聞けず、クラリッサは黙ったままアイレを見つめる。
「あの日……クラリッサが聞いてたこと、知っちゃって……っていうか、オイラが言ったみたいなもんだけど……」
「……そう……」
彼は図太そうに見えて意外にも繊細。優しいから、傷つけてしまったと思ったのだろう。そのせいで元気がないだけなら心配する必要はない。自分には家族という支えがいるように、彼にも仲間という支えがいる。時が経てば忘れゆく傷だとクラリッサは深入りしようとはしなかった。
「……ちゃんとさ、話し合ったほうがいいんじゃないか?」
嫌な笑みがこぼれそうになるのをむりやり笑うことで防いだ。
「私は彼にさよならを告げた。彼は私にもう来るなと言った。それでいいの。もともと交わってはいけなかったのよ。だから──」
「後悔しない?」
「ッ……」
それに迷いなく答えられるほどクラリッサの中でまだ彼の存在は大きく残っている。
「でも、話し合うって何を?」
「聞きたいこととか、言いたいこととか……ないの?」
ないわけではない。頭の中では、夢の中では何度もエイベルに問いかけている。ときにはそれが悪夢となり、泣きながら目覚めることもあった。あれは本当にエイベルだったのかと信じたくない気持ちがそうさせるのか。
「エイベルがさ、話ができるならちゃんと話がしたいって言ってる」
アイレがエイベルの声が聞こえるのは知っている。こんな状況で嘘をついて連れて行くような子でもない。ならその言葉を疑う理由はないが、戸惑いはじゅうぶんに生んでいる。
どうすべきかわからない。会えばきっと甘えたくなるし、心を無にできる自信がない。
それでも、これが最後のチャンスかもしれないと思うと断れなかった。もう二度と会えないのだとしても別れの挨拶ぐらいちゃんとすべきだと思い、クラリッサはそれを受け入れると静かに頷いた。
「エイベル、クラリッサ会ってもいいって! よかったな!」
まるで自分のことのように喜ぶアイレの優しさに微笑みながらもクラリッサは拳を握る。恐怖を感じているのだろう。以前はあんなに楽しみだったエイベルとの逢瀬が今はただただ不安で仕方なかった。
「クラリッサも本当は会いたかったのか?」
「私は声が聞けるだけでもじゅうぶんなんだけどね。これが最後になるのだとしても、ちゃんと話しておきたいし、彼の言葉を聞きたいから行くの」
「でもエイベル喜ぶよ! オイラも嬉しい!」
嘘。声を聞くだけで満足なんてできるわけがない。会いたいし、触れたいし、触れてほしいし、キスもしたい。
その想いは全て心が生み出す愛でできているのに、それを愛だと証明するものがないから伝えられない。
形のない愛が怖い。
声を聞くだけでいい。会えるだけでいい。触れられるだけでいい。キスできるだけでいい。心まで欲しいなんて欲を出せば本当に全てが終わってしまう気がするから、だからこれが最後のチャンス。いつもどおりでいよう。いつものようにくだらない会話をしよう。謝罪があれば受け入れて気にしていないと笑顔で言う。
人形は何も欲しがらない。心がないのが人形。美しいだけなのが人形。
与えられるだけで欲しがらない──それが人形……望んではいけないのだ。彼を望むことはきっと、穏やかに暮らすことを望むよりずっと贅沢なことだと思ったから。
めまいが増え、吐き気が増え、座り込みたくなる日が増えていくのを感じながらもクラリッサは鑑賞用王女としての役目を果たし続けていたある日、部屋で休んでいたクラリッサの前にアイレが姿を見せた。
「クラリッサ、大丈夫か?」
アイレはエイベルト違ってクラリッサの前に姿を見せることができる。姿を見せない理由はなく、相変わらずの日常を送っているのだが、心の奥底にある罪悪感から以前のように心からクラリッサとの時間を楽しむことができなくなってしまっていた。
イルーゴ王子との婚約がまだ公にはできないものの契約が成立し、それによって父親が上機嫌な毎日を過ごしていることで家族の精神状態も守られている。それはクラリッサが最も望んでいた形となった。
だが、それと引き換えにクラリッサの体調が悪くなっていることにアイレは気付いていた。心配したところでクラリッサが言うことは決まっている。
「ええ、平気よ」
「オイラ、薬持ってこようか? 人間に効くかわかんないけど、体調が悪いときに飲む薬があるんだ。良く効くぜ」
「ありがとう、アイレ。でも本当に平気なの。少し疲れやすくなってるだけ。ここのところ激務だったから」
クラリッサの生誕祭はモレノスで最も豪華なもので、国民が最も楽しみにしているイベント。それが終わった二日後には女神カロンの感謝祭がある。これもクラリッサが出ずっぱりとなるイベントであり、その一週間後には建国記念日の催しがあった。モレノスの三大イベントと呼ばれる盛大な催しは街を一ヶ月もの間お祭り騒ぎにさせる。
だが、貴族たちが楽しみにしているのは市民と同様に盛り上がるようなイベントではなく鑑賞用王女をじっくりと眺められる貴族の特権ともいえる日常的なパーティー。イベントの合間に開催されるパーティーもあったせいでクラリッサはこの一ヶ月、ほとんど休めていない。肌に不調が現れなかったのが奇跡なぐらいだと自分でも思っていた。
疲れて部屋に戻ると風呂が待っている。自分で洗うことがないだけマシだが、髪や身体を洗われながら何度も眠った。テラスに出て夜風に当たろうなどと思う気力もなく、使用人が去ったらベッドに倒れ込んで朝まで熟睡の繰り返し。寝ても寝ても疲れが取れない。去年はこんなことなかったのにと一年で変わる恐ろしさを実感していた。
「なあ、クラリッサ……」
「ん?」
「エイベル、に……会いたくなったり、しない……のか?」
良かれと思って渡したストールで悲劇が起こってしまった。クラリッサからすれば学習しなかったことでの自業自得というだけでアイレを責めようなどとは微塵も思っていない。
自分がちゃんとエイベルとの約束を守っていれば済んだ話。だが、そうすると妖精のストールの凄さを見せつけることができなかった。いや、持っていけばよかった話だ。手で持っていって「すごいでしょ」と見せつければよかったのに、そこまで頭が回らなかっただけの話。本音が知れて良かったのだと考えることにしていた。
気持ちは前を向いている。忘れようとしている。だから久しぶりに聞いた名前に動揺してしまう。
「……いいえ、会いたくなんてならないわ。毎日忙しくてすごく充実してるの。まだ発表はしてないけど、婚約も決まって、新しく家族を持つことになった。明るい未来が見えたみたいで嬉しいの」
それが嘘であることはアイレも見抜けた。まるで言い聞かせるような言い方と不自然な笑顔が嘘だと告げている。
「思い出すことってないのか?」
「ないわ。あれはもう過去よ。過ぎたことなの。私はここで、彼はあそこで暮らす。それが正しいの」
嘘だ。忙しくなればなるほど思い出してしまう。辛い、しんどい、苦しいと思う度にエイベルを思い出す。エイベルの逞しい腕に寄りかかって癒された日々を、疲れなど吹き飛んでしまうほどの甘い口付けを、夢の中にいるのではないかと錯覚してしまうほど楽しかったくだらない会話を……何十回思い出しただろう。
あの大きな手で頭を撫でながら頑張れと言われただけで頑張れた。眠らずに朝を迎えた日もエイベルと別れた朝なら不思議と疲れ知らずだった。あの大きな身体に包み込まれているだけで薬も白湯もなく眠れた。
もう戻ってこない日々を思い出しては虚しくなり、自分で心を痛めつけていた。
忘れなければと思えば思うほど、あの日々が恋しくて仕方ない。もう戻らない日々とわかっているからこそ恋しくなってしまう。
「エイベル、さ……元気ないんだ……」
病気か? 怪我か? 何を心配したところで何があったの?とは聞けず、クラリッサは黙ったままアイレを見つめる。
「あの日……クラリッサが聞いてたこと、知っちゃって……っていうか、オイラが言ったみたいなもんだけど……」
「……そう……」
彼は図太そうに見えて意外にも繊細。優しいから、傷つけてしまったと思ったのだろう。そのせいで元気がないだけなら心配する必要はない。自分には家族という支えがいるように、彼にも仲間という支えがいる。時が経てば忘れゆく傷だとクラリッサは深入りしようとはしなかった。
「……ちゃんとさ、話し合ったほうがいいんじゃないか?」
嫌な笑みがこぼれそうになるのをむりやり笑うことで防いだ。
「私は彼にさよならを告げた。彼は私にもう来るなと言った。それでいいの。もともと交わってはいけなかったのよ。だから──」
「後悔しない?」
「ッ……」
それに迷いなく答えられるほどクラリッサの中でまだ彼の存在は大きく残っている。
「でも、話し合うって何を?」
「聞きたいこととか、言いたいこととか……ないの?」
ないわけではない。頭の中では、夢の中では何度もエイベルに問いかけている。ときにはそれが悪夢となり、泣きながら目覚めることもあった。あれは本当にエイベルだったのかと信じたくない気持ちがそうさせるのか。
「エイベルがさ、話ができるならちゃんと話がしたいって言ってる」
アイレがエイベルの声が聞こえるのは知っている。こんな状況で嘘をついて連れて行くような子でもない。ならその言葉を疑う理由はないが、戸惑いはじゅうぶんに生んでいる。
どうすべきかわからない。会えばきっと甘えたくなるし、心を無にできる自信がない。
それでも、これが最後のチャンスかもしれないと思うと断れなかった。もう二度と会えないのだとしても別れの挨拶ぐらいちゃんとすべきだと思い、クラリッサはそれを受け入れると静かに頷いた。
「エイベル、クラリッサ会ってもいいって! よかったな!」
まるで自分のことのように喜ぶアイレの優しさに微笑みながらもクラリッサは拳を握る。恐怖を感じているのだろう。以前はあんなに楽しみだったエイベルとの逢瀬が今はただただ不安で仕方なかった。
「クラリッサも本当は会いたかったのか?」
「私は声が聞けるだけでもじゅうぶんなんだけどね。これが最後になるのだとしても、ちゃんと話しておきたいし、彼の言葉を聞きたいから行くの」
「でもエイベル喜ぶよ! オイラも嬉しい!」
嘘。声を聞くだけで満足なんてできるわけがない。会いたいし、触れたいし、触れてほしいし、キスもしたい。
その想いは全て心が生み出す愛でできているのに、それを愛だと証明するものがないから伝えられない。
形のない愛が怖い。
声を聞くだけでいい。会えるだけでいい。触れられるだけでいい。キスできるだけでいい。心まで欲しいなんて欲を出せば本当に全てが終わってしまう気がするから、だからこれが最後のチャンス。いつもどおりでいよう。いつものようにくだらない会話をしよう。謝罪があれば受け入れて気にしていないと笑顔で言う。
人形は何も欲しがらない。心がないのが人形。美しいだけなのが人形。
与えられるだけで欲しがらない──それが人形……望んではいけないのだ。彼を望むことはきっと、穏やかに暮らすことを望むよりずっと贅沢なことだと思ったから。
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