鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

文字の大きさ
上 下
48 / 71

想い

しおりを挟む
 きょうだいしか癒しがない日々を過ごすことにも慣れた頃、クラリッサの体調に変化が現れ始めた。
 めまいが増え、吐き気が増え、座り込みたくなる日が増えていくのを感じながらもクラリッサは鑑賞用王女としての役目を果たし続けていたある日、部屋で休んでいたクラリッサの前にアイレが姿を見せた。

「クラリッサ、大丈夫か?」

 アイレはエイベルト違ってクラリッサの前に姿を見せることができる。姿を見せない理由はなく、相変わらずの日常を送っているのだが、心の奥底にある罪悪感から以前のように心からクラリッサとの時間を楽しむことができなくなってしまっていた。
 イルーゴ王子との婚約がまだ公にはできないものの契約が成立し、それによって父親が上機嫌な毎日を過ごしていることで家族の精神状態も守られている。それはクラリッサが最も望んでいた形となった。
 だが、それと引き換えにクラリッサの体調が悪くなっていることにアイレは気付いていた。心配したところでクラリッサが言うことは決まっている。

「ええ、平気よ」
「オイラ、薬持ってこようか? 人間に効くかわかんないけど、体調が悪いときに飲む薬があるんだ。良く効くぜ」
「ありがとう、アイレ。でも本当に平気なの。少し疲れやすくなってるだけ。ここのところ激務だったから」

 クラリッサの生誕祭はモレノスで最も豪華なもので、国民が最も楽しみにしているイベント。それが終わった二日後には女神カロンの感謝祭がある。これもクラリッサが出ずっぱりとなるイベントであり、その一週間後には建国記念日の催しがあった。モレノスの三大イベントと呼ばれる盛大な催しは街を一ヶ月もの間お祭り騒ぎにさせる。
 だが、貴族たちが楽しみにしているのは市民と同様に盛り上がるようなイベントではなく鑑賞用王女をじっくりと眺められる貴族の特権ともいえる日常的なパーティー。イベントの合間に開催されるパーティーもあったせいでクラリッサはこの一ヶ月、ほとんど休めていない。肌に不調が現れなかったのが奇跡なぐらいだと自分でも思っていた。
 疲れて部屋に戻ると風呂が待っている。自分で洗うことがないだけマシだが、髪や身体を洗われながら何度も眠った。テラスに出て夜風に当たろうなどと思う気力もなく、使用人が去ったらベッドに倒れ込んで朝まで熟睡の繰り返し。寝ても寝ても疲れが取れない。去年はこんなことなかったのにと一年で変わる恐ろしさを実感していた。

「なあ、クラリッサ……」
「ん?」
「エイベル、に……会いたくなったり、しない……のか?」

 良かれと思って渡したストールで悲劇が起こってしまった。クラリッサからすれば学習しなかったことでの自業自得というだけでアイレを責めようなどとは微塵も思っていない。
 自分がちゃんとエイベルとの約束を守っていれば済んだ話。だが、そうすると妖精のストールの凄さを見せつけることができなかった。いや、持っていけばよかった話だ。手で持っていって「すごいでしょ」と見せつければよかったのに、そこまで頭が回らなかっただけの話。本音が知れて良かったのだと考えることにしていた。
 気持ちは前を向いている。忘れようとしている。だから久しぶりに聞いた名前に動揺してしまう。

「……いいえ、会いたくなんてならないわ。毎日忙しくてすごく充実してるの。まだ発表はしてないけど、婚約も決まって、新しく家族を持つことになった。明るい未来が見えたみたいで嬉しいの」

 それが嘘であることはアイレも見抜けた。まるで言い聞かせるような言い方と不自然な笑顔が嘘だと告げている。

「思い出すことってないのか?」
「ないわ。あれはもう過去よ。過ぎたことなの。私はここで、彼はあそこで暮らす。それが正しいの」

 嘘だ。忙しくなればなるほど思い出してしまう。辛い、しんどい、苦しいと思う度にエイベルを思い出す。エイベルの逞しい腕に寄りかかって癒された日々を、疲れなど吹き飛んでしまうほどの甘い口付けを、夢の中にいるのではないかと錯覚してしまうほど楽しかったくだらない会話を……何十回思い出しただろう。
 あの大きな手で頭を撫でながら頑張れと言われただけで頑張れた。眠らずに朝を迎えた日もエイベルと別れた朝なら不思議と疲れ知らずだった。あの大きな身体に包み込まれているだけで薬も白湯もなく眠れた。
 もう戻ってこない日々を思い出しては虚しくなり、自分で心を痛めつけていた。
 忘れなければと思えば思うほど、あの日々が恋しくて仕方ない。もう戻らない日々とわかっているからこそ恋しくなってしまう。

「エイベル、さ……元気ないんだ……」

 病気か? 怪我か? 何を心配したところで何があったの?とは聞けず、クラリッサは黙ったままアイレを見つめる。

「あの日……クラリッサが聞いてたこと、知っちゃって……っていうか、オイラが言ったみたいなもんだけど……」
「……そう……」

 彼は図太そうに見えて意外にも繊細。優しいから、傷つけてしまったと思ったのだろう。そのせいで元気がないだけなら心配する必要はない。自分には家族という支えがいるように、彼にも仲間という支えがいる。時が経てば忘れゆく傷だとクラリッサは深入りしようとはしなかった。

「……ちゃんとさ、話し合ったほうがいいんじゃないか?」

 嫌な笑みがこぼれそうになるのをむりやり笑うことで防いだ。

「私は彼にさよならを告げた。彼は私にもう来るなと言った。それでいいの。もともと交わってはいけなかったのよ。だから──」
「後悔しない?」
「ッ……」

 それに迷いなく答えられるほどクラリッサの中でまだ彼の存在は大きく残っている。

「でも、話し合うって何を?」
「聞きたいこととか、言いたいこととか……ないの?」

 ないわけではない。頭の中では、夢の中では何度もエイベルに問いかけている。ときにはそれが悪夢となり、泣きながら目覚めることもあった。あれは本当にエイベルだったのかと信じたくない気持ちがそうさせるのか。

「エイベルがさ、話ができるならちゃんと話がしたいって言ってる」

 アイレがエイベルの声が聞こえるのは知っている。こんな状況で嘘をついて連れて行くような子でもない。ならその言葉を疑う理由はないが、戸惑いはじゅうぶんに生んでいる。
 どうすべきかわからない。会えばきっと甘えたくなるし、心を無にできる自信がない。
 それでも、これが最後のチャンスかもしれないと思うと断れなかった。もう二度と会えないのだとしても別れの挨拶ぐらいちゃんとすべきだと思い、クラリッサはそれを受け入れると静かに頷いた。

「エイベル、クラリッサ会ってもいいって! よかったな!」

 まるで自分のことのように喜ぶアイレの優しさに微笑みながらもクラリッサは拳を握る。恐怖を感じているのだろう。以前はあんなに楽しみだったエイベルとの逢瀬が今はただただ不安で仕方なかった。

「クラリッサも本当は会いたかったのか?」
「私は声が聞けるだけでもじゅうぶんなんだけどね。これが最後になるのだとしても、ちゃんと話しておきたいし、彼の言葉を聞きたいから行くの」
「でもエイベル喜ぶよ! オイラも嬉しい!」

 嘘。声を聞くだけで満足なんてできるわけがない。会いたいし、触れたいし、触れてほしいし、キスもしたい。
 その想いは全て心が生み出す愛でできているのに、それを愛だと証明するものがないから伝えられない。
 形のない愛が怖い。
 声を聞くだけでいい。会えるだけでいい。触れられるだけでいい。キスできるだけでいい。心まで欲しいなんて欲を出せば本当に全てが終わってしまう気がするから、だからこれが最後のチャンス。いつもどおりでいよう。いつものようにくだらない会話をしよう。謝罪があれば受け入れて気にしていないと笑顔で言う。
 人形は何も欲しがらない。心がないのが人形。美しいだけなのが人形。
 与えられるだけで欲しがらない──それが人形……望んではいけないのだ。彼を望むことはきっと、穏やかに暮らすことを望むよりずっと贅沢なことだと思ったから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

初恋の人と再会したら、妹の取り巻きになっていました

山科ひさき
恋愛
物心ついた頃から美しい双子の妹の陰に隠れ、実の両親にすら愛されることのなかったエミリー。彼女は妹のみの誕生日会を開いている最中の家から抜け出し、その先で出会った少年に恋をする。 だが再会した彼は美しい妹の言葉を信じ、エミリーを「妹を執拗にいじめる最低な姉」だと思い込んでいた。 なろうにも投稿しています。

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...