47 / 71
人形であること
しおりを挟む
「クラリッサ、こちらがイルーゴ王子だ」
顔合わせだけでもと言われ、承諾するしかなかった婚約者候補との顔合わせ。目の前に立つ男はデイジーが言っていたように世界で最も美しいとそのオーバーすぎる噂を真実に変えるほど整った顔をしていた。
「イルーゴです。初めまして、クラリッサ王女」
「お会いできて光栄です」
親のいる前で二人が交わした会話はそれだけ。互いに自ら口を開くことはなく、親同士が上機嫌そのもので話し込んでいる間、二人は見つめ合うこともせずテーブルの上に置かれているグラスを見ていた。
「イルーゴ、何か気の利いたことを話しなさい」
「え? ああ……今日は、良い天気ですね」
「え?」
「イルーゴッ」
誰に会っても第一声は『お美しい』だったクラリッサにとってイルーゴの言葉は予想外のもので、驚きのあまり笑顔を作れなかった。
呆れたように顔に手を当ててため息をつく父親を横にイルーゴは外を見る。
「ここは自然が多くていいですね。うちは街の真ん中にあるから景色が良くなくて」
「王女を褒めなさいッ」
「え? ああ……えっと……お元気そうですね」
「イルーゴッ」
クラリッサを数秒見つめてから発したのは容姿ではなかった。ましてや褒めてもいない。数秒間悩んだ結果がそれかと父親は頭を抱えてテーブルに突っ伏したい気分だった。
「フェンスター王、よろしいではありませんか。クラリッサは美しいという言葉には贅沢にも聞き飽きておりまして、こうして媚びない言葉をくれる男性にときめきを覚えるかもしれません」
「いやはや、我が子ながら情けない。女性一人満足に褒めることができないのですから……」
「イルーゴ王子はご自身の美しさを理解している。誰を見ても野菜にしか見えないのかもしれませんな」
「ちゃんと人に見えてますよ」
「……ハハハッ! これは失敬! 娘は王子の目にどのように映っておるのだろうか?」
怒らないのは父親がイルーゴ王子とどうしても結婚させたいから。絶世の美男美女の間に生まれてくる子供は男だろうと女だろうと美しいに決まっていると鼻息荒く意気込んでいるのだ。だからイルーゴ王子がなんと言おうと結婚させるつもりらしい。
「美人ですね」
「わーっはっはっはっはっ! それは結構結構!」
王子の一言に上機嫌に拍車がかかる。
「それで、王子はこちらに婿という形で入ることには納得してくれているのかな?」
「ああ、まあ、別にいいですよ。国は兄が継ぐので楽なほうがいいし」
なんとも頼りない相手だとクラリッサは思ったが、鼻息荒く頬を染めて迫ってくる男よりずっといいと思った。少し前なら婿に取る形を問題として捉えていたが、今はもうどっちでもいいと思うようになった。
「小腹が空いたんで街にでも出ませんか?」
立ち上がったイルーゴがクラリッサを見て手を差し出すもクラリッサは困った顔をする。そこにすぐ隣にいた父親がイルーゴの尻を叩き「クラリッサ王女は外へは出られないと言っただろう!」と怒った。
「そうだっけ? じゃあずっと家の中で過ごしてるんですか?」
「この子は身体が弱いもので」
滑らかに出てくる嘘にイルーゴが首を傾げる。
「身体が弱いことと家の中で過ごすことって関係あります?」
「外で菌をもらってきては困るからな」
「免疫力つけさせるって点でも外には出したほうがいいと思いますけど」
「病気になってからでは遅いのだ」
「鳥籠の中の鳥か……可哀想に」
眠たげな表情のまま吐き出した声はのんびりとしているが、的確にクラリッサの父親を責めていた。自尊心の高い人間がこれで苛立たないわけがないが、父親は怒りも見せずに笑顔を見せている。
「この子にはそれが合っているのだ。理解してやってくれ」
「……そうなんですか?」
「ええ」
作った笑顔で即答したクラリッサは自分が一瞬でも隙を見せれば面倒なことになるのではないかと思ったため何を答えるにも迷わないことにした。父親が望むように生きていけば辛いことは何もないと思うようにしたのだ。
この美しい男性と結婚すれば美しい子供が生まれて父親はずっと機嫌良く生きてくれる。それが一番だと考えた結果だ。縋る場所はもうない。この人が婿に来るのでは逃げ場もない。振り返る場所のないクラリッサに逃げ道などなかった。
「散歩しませんか?」
「ええ、喜んで」
差し出された手を取って部屋を出て行くとすぐに手を離された。そのまま勝手知ったるように庭へと向かっていくのを黙ってあとをついていく。
「クラリッサ王女、一つ聞いてもいいですか?」
花畑の近くで立ち止まった王子が足を止めて振り返る。
「どうぞ」
「結婚したいですか?」
突然の問いかけにクラリッサは驚くもすぐに頷いた。
「その割には俺に興味なさそうですけどね」
「イルーゴ王子も私に興味なさそうに見えますよ?」
「どんな人か知らないし」
「私もです」
「確かに……」
どういう人なんだろうと興味よりも不思議さが勝っている今、クラリッサはこの結婚を事務的なものとして受け止める覚悟だけはあった。
「美しいって言葉、聞き飽きました?」
「言っていただけると嬉しいですよ」
「俺はもう聞き飽きました」
言われ慣れた言葉だろうとクラリッサの中で彼に対して同情が生まれる。
「美しいからなんだって感じなんですよね。俺の中身知らないでしょって」
「そうですね」
「中身まで美しいと思われてるみたいで嫌なんですよ」
クラリッサも全く同じだった。外見が美しいからといって中身まで美しいわけではない。ドロドロに渦巻く真っ黒な感情が存在していることを隠して中身まで美しい人間であるかのように生きなければならないことが辛かった。
彼らにとって美しさとは利点でもあり欠点でもあった。
「結婚するかもしれない相手なんで言っときますけど、俺めちゃくちゃ面倒くさがりで、趣味は寝ること。食べることにはあんまり興味もないし、剣術も大したことない。頭も良くないし、気の利いた話もできない。話すのも得意じゃないから楽しい思い出は作れないと思いますのであしからず」
「期待してませんから」
「助かります」
お返しにと自分のことを話すことはやめておいた。自分も相手も親に言われて結婚するだけで好き合って結婚するわけではないのだから互いのことを詳しく知る必要などない。
「子供、何人産む予定ですか?」
「父は男の子を最低でも二人、女の子は──」
「美しい子が産まれるまで?」
初対面の人間に見抜かれているようじゃ終わりだとフッと笑うクラリッサから空へと顔を上げた王子が「あーあ」と声を漏らす。
「子供は親の玩具じゃないけど親の言いなりになってるほうが人生楽だからそう生きるしかないって辛いですよね」
「そうですね」
「俺の兄はすごく優秀だけど自分のことには無頓着で、いつか絶対潰れるタイプなんですよ。長男だからって家族に頼ることもできなくて一人で抱え込んで、自分に大丈夫、やれるって言い聞かせるタイプ」
何が言いたいんだろうとイルーゴを見上げるとふと顔がこちらを向いた。
「あなたもそうでしょう?」
まるで傍で見てきたように決めつけた言い方をするイルーゴにクラリッサは何も言えなかった、そのとおりすぎて。
「俺は頼りないし、頼ってくれとも言えないけど、自分の意見ぐらいは言えるようになったほうがいんじゃないですか?」
「私は……」
「俺は婿になるから鑑賞用王女鑑賞パーティーなんてくっだらない催しをやめさせることはできないですけど、あなたがやめたいって言えば援護射撃ぐらいはするつもりなんで」
あのパーティーは本当にくだらないと思う。毎日毎日やめたいと思いながら生きてきた。でも今はイルーゴのその言葉を素直に喜ぶことができなかった。なぜか否定された気持ちにさえなったのだ。
「これが私の生き方ですから」
「可哀想に」
哀れに思うのなら思えばいい。誰に同情されようと生き方はもうこれしか残っていないのだ。自分の存在を証明するためには表に立つ必要がある。あれがなくなれば生きている意味もなくなる。
「そういえば、もうすぐ誕生日だそうですね」
「ええ、二十歳になります」
「若いですよね、二十歳。俺なんかもう二十七歳ですよ」
「どうして結婚を?」
「良い相手が見つからなかったもので」
「その美しさで?」
「この美しさだから、ですよ」
言いたいことはわかるだろうと言わんばかりの言い方にクラリッサは静かに三回頷いた。
美しいからこそ誰でもいいというわけにはいかなくなる。男であろうと相手の家柄も容姿も親が選別する。認められる相手でなければならず、好きな相手を作ったとしても認められなければ別れるか、駆け落ちかの二択。そんなことができるほど愛した人がいなかったイルーゴはようやく親が結婚相手を決めた。それがクラリッサだったというだけ。二人は同じ理由で親に結婚させられようとしているのだ。
「まあ、結婚するってなったら仲良くしましょう」
「そうですね」
「俺、体力も性欲もあんまりないんで子供に期待かけられるのプレッシャーなんです」
「父に言っておきます」
「助かります」
面白い人だと思った。普通は相手に良い印象を持ってもらおうとして少しは話を盛るものではないのかと思っていたクラリッサにとってここまであけすけに事を話す人間はいなかった。惚れた様子もなければ夫婦としてのあり方も語らない。変だが、面白い人だった。
「でも結婚するとき、私は二十五歳です。二十歳ほど若くはありませんよ」
「俺も五歳年取ってるんで俺からすれば若いままですよ。あなたはまだ二十代だけど俺はもう三十代突入してるんで、今より余計に子供望めなそうだ」
「頑張ってくださいね」
「そこそこに……」
この人とだったら上手くやっていけるのではないかと思った。嫌な部分を見せて本当の自分はこういう人間だと思わせる相手のほうが媚びる人間よりずっと信頼できる。
婿がどういう生き方をするのかは知らないが、鬱陶しくなくていいだろうと思った。
「あそこってダークエルフの森ですか?」
「……そうですよ」
「行ったことは?」
「ありません」
即答しすぎたことにクラリッサは思わず目を閉じた。あからさまな反応は行ったことがあると答えているようなもので、上唇を噛んで息を止める。
「ここに来る馬車の中で、婿に入ったらしきたりに従えって口うるさく言われたんですよ」
「そうですか」
「ダークエルフと人間は相入れないから関わるな。どれだけ興味を持っても森には近付くなって」
世界中でそういう教えなのだろうとエイベルの話を聞いて思っていたクラリッサは父親世代の言葉に呆れてしまうが、エイベルがああだったことを思えば結局は相いれないのかもしれないと納得しつつあった。
「うちにはダークエルフの森がないんでわからないんですけど、人間もダークエルフもバカだなって思います」
「バカ……?」
両者を貶すイルーゴにクラリッサが首を傾げる。
「教科書しか読んでないからそれ以上の事情は知らないけど、戦争を起こしたのは何百年も前の話で、今の世代が戦争をしたわけじゃないのに今の世代まで憎み合ってるってバカだと思いません? なんで恨みがそこまで続くのかがわからないんですよね」
「……先祖を大切に思うから、とか?」
「恨むことが先祖を大事に思うってことですか?」
「それは……わかりません。私は教育を受けていないので、内容も知らないんです。父はダークエルフを憎んでいて、近付くなと言うばかりですから」
「昔戦争し合った国でも今は仲良くしている国なんてたくさんあるのに、時代遅れだなって思いますよ。バカなんだろうなって」
ハッキリとバカを繰り返すイルーゴにクラリッサがふふっと笑う。それは面白かったからではなく本当にそうだと思ったからで、互いに過去のことは水に流せなくても今の時代に引き継ぐことではないと決断し合えれば手を取り合って生きていけたのにと思ってしまう。その悲しみを隠すために笑いがこぼれた。
「子供が生まれたらダークエルフに近付くなって教えます?」
「ええ」
「王女もバカですね」
「そうですね」
貶されている感じはしなかった。だから怒りは湧いてこない。バカであることは間違いない。バカだから騙された。バカだから失敗を繰り返す。バカだから学習できない。バカだから……と何百回も繰り返した反省はなんの価値もない。自分もきっと父親と同じことを繰り返してダークエルフを遠ざける立場になるのが容易に想像がつくのだから。
「結婚したら雲隠れしてのんびりしたいですね」
「子供が主役になるまでは難しいですね」
「薬の調合みたいに器の中で材料合わせたら子供できる時代が来ませんかね? そしたら女性も出産の痛みに苦しむことないのに」
「来るといいですね」
五年後、自分はこの人と結婚するのだろうとなんとなくだがそう思った。
両家の親は何が合っても我が子を結婚させたい意思があり、子供はそれに抗う気力を持っていない。確定事項のようなものだ。
「両親が覗いてるんで手でも繋いでおきます? うちの親めちゃくちゃ口うるさいんで、それらしいことしておかないとまた怒られる」
「腕を組むのではなく?」
「うちは祖父母が手を繋ぐタイプだったんです。腕を組むのは上品すぎる、手を繋げって散々言われてきました」
「じゃあ手で」
後ろに目でもついているのだろうかと思ったが、黙ると親の声が聞こえたため納得して手を繋ぎ、振り返れば確かに父親が二人立っていた。
うんうんと頷きながら笑顔で満足げにこちらを見つめてくる二人を見て、クラリッサは希望もない将来のことをぼんやりと考えていた。
顔合わせだけでもと言われ、承諾するしかなかった婚約者候補との顔合わせ。目の前に立つ男はデイジーが言っていたように世界で最も美しいとそのオーバーすぎる噂を真実に変えるほど整った顔をしていた。
「イルーゴです。初めまして、クラリッサ王女」
「お会いできて光栄です」
親のいる前で二人が交わした会話はそれだけ。互いに自ら口を開くことはなく、親同士が上機嫌そのもので話し込んでいる間、二人は見つめ合うこともせずテーブルの上に置かれているグラスを見ていた。
「イルーゴ、何か気の利いたことを話しなさい」
「え? ああ……今日は、良い天気ですね」
「え?」
「イルーゴッ」
誰に会っても第一声は『お美しい』だったクラリッサにとってイルーゴの言葉は予想外のもので、驚きのあまり笑顔を作れなかった。
呆れたように顔に手を当ててため息をつく父親を横にイルーゴは外を見る。
「ここは自然が多くていいですね。うちは街の真ん中にあるから景色が良くなくて」
「王女を褒めなさいッ」
「え? ああ……えっと……お元気そうですね」
「イルーゴッ」
クラリッサを数秒見つめてから発したのは容姿ではなかった。ましてや褒めてもいない。数秒間悩んだ結果がそれかと父親は頭を抱えてテーブルに突っ伏したい気分だった。
「フェンスター王、よろしいではありませんか。クラリッサは美しいという言葉には贅沢にも聞き飽きておりまして、こうして媚びない言葉をくれる男性にときめきを覚えるかもしれません」
「いやはや、我が子ながら情けない。女性一人満足に褒めることができないのですから……」
「イルーゴ王子はご自身の美しさを理解している。誰を見ても野菜にしか見えないのかもしれませんな」
「ちゃんと人に見えてますよ」
「……ハハハッ! これは失敬! 娘は王子の目にどのように映っておるのだろうか?」
怒らないのは父親がイルーゴ王子とどうしても結婚させたいから。絶世の美男美女の間に生まれてくる子供は男だろうと女だろうと美しいに決まっていると鼻息荒く意気込んでいるのだ。だからイルーゴ王子がなんと言おうと結婚させるつもりらしい。
「美人ですね」
「わーっはっはっはっはっ! それは結構結構!」
王子の一言に上機嫌に拍車がかかる。
「それで、王子はこちらに婿という形で入ることには納得してくれているのかな?」
「ああ、まあ、別にいいですよ。国は兄が継ぐので楽なほうがいいし」
なんとも頼りない相手だとクラリッサは思ったが、鼻息荒く頬を染めて迫ってくる男よりずっといいと思った。少し前なら婿に取る形を問題として捉えていたが、今はもうどっちでもいいと思うようになった。
「小腹が空いたんで街にでも出ませんか?」
立ち上がったイルーゴがクラリッサを見て手を差し出すもクラリッサは困った顔をする。そこにすぐ隣にいた父親がイルーゴの尻を叩き「クラリッサ王女は外へは出られないと言っただろう!」と怒った。
「そうだっけ? じゃあずっと家の中で過ごしてるんですか?」
「この子は身体が弱いもので」
滑らかに出てくる嘘にイルーゴが首を傾げる。
「身体が弱いことと家の中で過ごすことって関係あります?」
「外で菌をもらってきては困るからな」
「免疫力つけさせるって点でも外には出したほうがいいと思いますけど」
「病気になってからでは遅いのだ」
「鳥籠の中の鳥か……可哀想に」
眠たげな表情のまま吐き出した声はのんびりとしているが、的確にクラリッサの父親を責めていた。自尊心の高い人間がこれで苛立たないわけがないが、父親は怒りも見せずに笑顔を見せている。
「この子にはそれが合っているのだ。理解してやってくれ」
「……そうなんですか?」
「ええ」
作った笑顔で即答したクラリッサは自分が一瞬でも隙を見せれば面倒なことになるのではないかと思ったため何を答えるにも迷わないことにした。父親が望むように生きていけば辛いことは何もないと思うようにしたのだ。
この美しい男性と結婚すれば美しい子供が生まれて父親はずっと機嫌良く生きてくれる。それが一番だと考えた結果だ。縋る場所はもうない。この人が婿に来るのでは逃げ場もない。振り返る場所のないクラリッサに逃げ道などなかった。
「散歩しませんか?」
「ええ、喜んで」
差し出された手を取って部屋を出て行くとすぐに手を離された。そのまま勝手知ったるように庭へと向かっていくのを黙ってあとをついていく。
「クラリッサ王女、一つ聞いてもいいですか?」
花畑の近くで立ち止まった王子が足を止めて振り返る。
「どうぞ」
「結婚したいですか?」
突然の問いかけにクラリッサは驚くもすぐに頷いた。
「その割には俺に興味なさそうですけどね」
「イルーゴ王子も私に興味なさそうに見えますよ?」
「どんな人か知らないし」
「私もです」
「確かに……」
どういう人なんだろうと興味よりも不思議さが勝っている今、クラリッサはこの結婚を事務的なものとして受け止める覚悟だけはあった。
「美しいって言葉、聞き飽きました?」
「言っていただけると嬉しいですよ」
「俺はもう聞き飽きました」
言われ慣れた言葉だろうとクラリッサの中で彼に対して同情が生まれる。
「美しいからなんだって感じなんですよね。俺の中身知らないでしょって」
「そうですね」
「中身まで美しいと思われてるみたいで嫌なんですよ」
クラリッサも全く同じだった。外見が美しいからといって中身まで美しいわけではない。ドロドロに渦巻く真っ黒な感情が存在していることを隠して中身まで美しい人間であるかのように生きなければならないことが辛かった。
彼らにとって美しさとは利点でもあり欠点でもあった。
「結婚するかもしれない相手なんで言っときますけど、俺めちゃくちゃ面倒くさがりで、趣味は寝ること。食べることにはあんまり興味もないし、剣術も大したことない。頭も良くないし、気の利いた話もできない。話すのも得意じゃないから楽しい思い出は作れないと思いますのであしからず」
「期待してませんから」
「助かります」
お返しにと自分のことを話すことはやめておいた。自分も相手も親に言われて結婚するだけで好き合って結婚するわけではないのだから互いのことを詳しく知る必要などない。
「子供、何人産む予定ですか?」
「父は男の子を最低でも二人、女の子は──」
「美しい子が産まれるまで?」
初対面の人間に見抜かれているようじゃ終わりだとフッと笑うクラリッサから空へと顔を上げた王子が「あーあ」と声を漏らす。
「子供は親の玩具じゃないけど親の言いなりになってるほうが人生楽だからそう生きるしかないって辛いですよね」
「そうですね」
「俺の兄はすごく優秀だけど自分のことには無頓着で、いつか絶対潰れるタイプなんですよ。長男だからって家族に頼ることもできなくて一人で抱え込んで、自分に大丈夫、やれるって言い聞かせるタイプ」
何が言いたいんだろうとイルーゴを見上げるとふと顔がこちらを向いた。
「あなたもそうでしょう?」
まるで傍で見てきたように決めつけた言い方をするイルーゴにクラリッサは何も言えなかった、そのとおりすぎて。
「俺は頼りないし、頼ってくれとも言えないけど、自分の意見ぐらいは言えるようになったほうがいんじゃないですか?」
「私は……」
「俺は婿になるから鑑賞用王女鑑賞パーティーなんてくっだらない催しをやめさせることはできないですけど、あなたがやめたいって言えば援護射撃ぐらいはするつもりなんで」
あのパーティーは本当にくだらないと思う。毎日毎日やめたいと思いながら生きてきた。でも今はイルーゴのその言葉を素直に喜ぶことができなかった。なぜか否定された気持ちにさえなったのだ。
「これが私の生き方ですから」
「可哀想に」
哀れに思うのなら思えばいい。誰に同情されようと生き方はもうこれしか残っていないのだ。自分の存在を証明するためには表に立つ必要がある。あれがなくなれば生きている意味もなくなる。
「そういえば、もうすぐ誕生日だそうですね」
「ええ、二十歳になります」
「若いですよね、二十歳。俺なんかもう二十七歳ですよ」
「どうして結婚を?」
「良い相手が見つからなかったもので」
「その美しさで?」
「この美しさだから、ですよ」
言いたいことはわかるだろうと言わんばかりの言い方にクラリッサは静かに三回頷いた。
美しいからこそ誰でもいいというわけにはいかなくなる。男であろうと相手の家柄も容姿も親が選別する。認められる相手でなければならず、好きな相手を作ったとしても認められなければ別れるか、駆け落ちかの二択。そんなことができるほど愛した人がいなかったイルーゴはようやく親が結婚相手を決めた。それがクラリッサだったというだけ。二人は同じ理由で親に結婚させられようとしているのだ。
「まあ、結婚するってなったら仲良くしましょう」
「そうですね」
「俺、体力も性欲もあんまりないんで子供に期待かけられるのプレッシャーなんです」
「父に言っておきます」
「助かります」
面白い人だと思った。普通は相手に良い印象を持ってもらおうとして少しは話を盛るものではないのかと思っていたクラリッサにとってここまであけすけに事を話す人間はいなかった。惚れた様子もなければ夫婦としてのあり方も語らない。変だが、面白い人だった。
「でも結婚するとき、私は二十五歳です。二十歳ほど若くはありませんよ」
「俺も五歳年取ってるんで俺からすれば若いままですよ。あなたはまだ二十代だけど俺はもう三十代突入してるんで、今より余計に子供望めなそうだ」
「頑張ってくださいね」
「そこそこに……」
この人とだったら上手くやっていけるのではないかと思った。嫌な部分を見せて本当の自分はこういう人間だと思わせる相手のほうが媚びる人間よりずっと信頼できる。
婿がどういう生き方をするのかは知らないが、鬱陶しくなくていいだろうと思った。
「あそこってダークエルフの森ですか?」
「……そうですよ」
「行ったことは?」
「ありません」
即答しすぎたことにクラリッサは思わず目を閉じた。あからさまな反応は行ったことがあると答えているようなもので、上唇を噛んで息を止める。
「ここに来る馬車の中で、婿に入ったらしきたりに従えって口うるさく言われたんですよ」
「そうですか」
「ダークエルフと人間は相入れないから関わるな。どれだけ興味を持っても森には近付くなって」
世界中でそういう教えなのだろうとエイベルの話を聞いて思っていたクラリッサは父親世代の言葉に呆れてしまうが、エイベルがああだったことを思えば結局は相いれないのかもしれないと納得しつつあった。
「うちにはダークエルフの森がないんでわからないんですけど、人間もダークエルフもバカだなって思います」
「バカ……?」
両者を貶すイルーゴにクラリッサが首を傾げる。
「教科書しか読んでないからそれ以上の事情は知らないけど、戦争を起こしたのは何百年も前の話で、今の世代が戦争をしたわけじゃないのに今の世代まで憎み合ってるってバカだと思いません? なんで恨みがそこまで続くのかがわからないんですよね」
「……先祖を大切に思うから、とか?」
「恨むことが先祖を大事に思うってことですか?」
「それは……わかりません。私は教育を受けていないので、内容も知らないんです。父はダークエルフを憎んでいて、近付くなと言うばかりですから」
「昔戦争し合った国でも今は仲良くしている国なんてたくさんあるのに、時代遅れだなって思いますよ。バカなんだろうなって」
ハッキリとバカを繰り返すイルーゴにクラリッサがふふっと笑う。それは面白かったからではなく本当にそうだと思ったからで、互いに過去のことは水に流せなくても今の時代に引き継ぐことではないと決断し合えれば手を取り合って生きていけたのにと思ってしまう。その悲しみを隠すために笑いがこぼれた。
「子供が生まれたらダークエルフに近付くなって教えます?」
「ええ」
「王女もバカですね」
「そうですね」
貶されている感じはしなかった。だから怒りは湧いてこない。バカであることは間違いない。バカだから騙された。バカだから失敗を繰り返す。バカだから学習できない。バカだから……と何百回も繰り返した反省はなんの価値もない。自分もきっと父親と同じことを繰り返してダークエルフを遠ざける立場になるのが容易に想像がつくのだから。
「結婚したら雲隠れしてのんびりしたいですね」
「子供が主役になるまでは難しいですね」
「薬の調合みたいに器の中で材料合わせたら子供できる時代が来ませんかね? そしたら女性も出産の痛みに苦しむことないのに」
「来るといいですね」
五年後、自分はこの人と結婚するのだろうとなんとなくだがそう思った。
両家の親は何が合っても我が子を結婚させたい意思があり、子供はそれに抗う気力を持っていない。確定事項のようなものだ。
「両親が覗いてるんで手でも繋いでおきます? うちの親めちゃくちゃ口うるさいんで、それらしいことしておかないとまた怒られる」
「腕を組むのではなく?」
「うちは祖父母が手を繋ぐタイプだったんです。腕を組むのは上品すぎる、手を繋げって散々言われてきました」
「じゃあ手で」
後ろに目でもついているのだろうかと思ったが、黙ると親の声が聞こえたため納得して手を繋ぎ、振り返れば確かに父親が二人立っていた。
うんうんと頷きながら笑顔で満足げにこちらを見つめてくる二人を見て、クラリッサは希望もない将来のことをぼんやりと考えていた。
1
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説
薬術の魔女の結婚事情【リメイク】
しの
恋愛
『身分を問わず、魔力の相性が良い相手と婚姻すべし』
少子高齢化の進む魔術社会でそんな法律が出来る。それは『相性結婚』と俗世では呼称された。
これは法律に巻き込まれた、薬術が得意な少女の物語——
—— —— —— ——
×以下 中身のあらすじ×
××
王家を中心に複数の貴族家で構成されたこの国は、魔獣の襲来などはあるものの隣国と比べ平和が続いていた。
特出した育児制度も無く労働力は魔術や魔道具で補えるので子を増やす必要が少なく、独り身を好む者が増え緩やかに出生率が下がり少子高齢化が進んでいた。
それを危惧した政府は『相性結婚』なる制度を作り上げる。
また、強い魔力を血筋に取り込むような婚姻を繰り返す事により、魔力の質が低下する懸念があった。その為、強い血のかけあわせよりも相性という概念での組み合わせの方が、より質の高い魔力を持つ子供の出生に繋がると考えられたのだ。
しかし、魔力の相性がいいと性格の相性が良くない事が多く、出生率は対して上がらずに離婚率をあげる結果となり、法律の撤廃が行われようとしている間際であった。
薬作りが得意な少女、通称『薬術の魔女』は、エリート学校『魔術アカデミー』の薬学コース生。
第四学年になった秋に、15歳になると検討が始まる『相性結婚』の通知が届き、宮廷で魔術師をしているらしい男と婚約する事になった。
顔合わせで会ったその日に、向こうは「鞍替えしても良い」「制度は虫よけ程度にしか使うつもりがない」と言い、あまり乗り気じゃない上に、なんだかただの宮廷魔術師でもなさそうだ。
他にも途中で転入してきた3人もなんだか変なやつばっかりで。
こんな感じだし、制度はそろそろ撤廃されそうだし。アカデミーを卒業したら制度の通りに結婚するのだろうか。
これは、薬術の魔女と呼ばれる薬以外にほとんど興味のない(無自覚)少女と、何でもできるが周囲から認められず性格が歪んでしまった魔術師の男が制度によって出会い、互いの関係が変化するまでのお話。
田舎の雑貨店~姪っ子とのスローライフ~
なつめ猫
ファンタジー
唯一の血縁者である姪っ子を引き取った月山(つきやま) 五郎(ごろう) 41歳は、住む場所を求めて空き家となっていた田舎の実家に引っ越すことになる。
そこで生活の糧を得るために父親が経営していた雑貨店を再開することになるが、その店はバックヤード側から店を開けると異世界に繋がるという謎多き店舗であった。
少ない資金で仕入れた日本製品を、異世界で販売して得た金貨・銀貨・銅貨を売り資金を増やして設備を購入し雑貨店を成長させていくために奮闘する。
この物語は、日本製品を異世界の冒険者に販売し、引き取った姪っ子と田舎で暮らすほのぼのスローライフである。
小説家になろう 日間ジャンル別 1位獲得!
小説家になろう 週間ジャンル別 1位獲得!
小説家になろう 月間ジャンル別 1位獲得!
小説家になろう 四半期ジャンル別 1位獲得!
小説家になろう 年間ジャンル別 1位獲得!
小説家になろう 総合日間 6位獲得!
小説家になろう 総合週間 7位獲得!
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
理不尽に抗議して逆ギレ婚約破棄されたら、高嶺の皇子様に超絶執着されています!?
鳴田るな
恋愛
男爵令嬢シャリーアンナは、格下であるため、婚約者の侯爵令息に長い間虐げられていた。
耐え続けていたが、ついには殺されかけ、黙ってやり過ごすだけな態度を改めることにする。
婚約者は逆ギレし、シャリーアンナに婚約破棄を言い放つ。
するとなぜか、隣国の皇子様に言い寄られるようになって!?
地味で平凡な令嬢(※ただし秘密持ち)が、婚約破棄されたら隣国からやってきた皇子殿下に猛烈アタックされてしまうようになる話。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる