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さよならを告げるとき

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 父親の部屋に入るとソファーに座ることを促されるが、クラリッサはあえて父親の机の向かいに立った。ここはデイジーに土下座をさせた忌々しい記憶のある部屋。長居はしたくなかった。

「そろそろお前の婚約者でも決めておこうと思ってな」
「そうですか」

 そういう話だと思っていたため驚くことはしない。聞いていたのかと疑いたくなるほどタイムリーだ。

「なに、心配するな。お前が気に入る男を選んでやる。生まれてくる子のことを考えて選んでやらねばならんからなぁ」

 結婚する娘のためではなく、父親の意識は既に新たな鑑賞用王女に向いている。必ず美しい子供が生まれてくるとは決まっていないのに、父親の中では孫を立派な鑑賞用王女に育てあげるプランができているのだろう。

「全てお父様にお任せします」
「そうだなそうだな。私に任せていればお前は幸せになれるんだ、今までどおりな」

 まるで今までずっと幸せだったかのような言い方にクラリッサは完璧な笑顔を作って「そうですね」と返事をした。幸せが何かなど知らないのだから否定する理由はない。誰だって親の言うことを聞いて生きているのだと思えば辛くはない。
 森にいた頃の幸せは幻想で、本当は何も手に入ってはいなかった。だから父親の言葉に過剰な反応は示さないようにしている。

「一応、希望があれば聞いてやろう」
「いいえ、何もありません。お父様の人を見る目は確かですから」
「はっはっはっはっはっ! おだてても何も出はせんぞ」

 褒めれば上機嫌、歯向かえば不機嫌。単純で操りやすい単細胞。リズは父親に似ているが、中身は全く似ていない。リズは人の気持ちを考えられる人間だが、父親はそうではない。
 徹底的な反抗を見せた娘のことを無視するような人間は珍しいのではないかと思うが、デイジーが受け入れ、自分が反抗できない立場では守ってもやれない。あんな風に一言突っかかるのが精一杯。それも長くは続けられない。

「話は以上ですか? 以上ならこれで──……」
「もう一つ」

 まだあるのかと笑顔を張り付けたまま次ぐ言葉を待った。

「今後、デイジーとは関わるな」

 笑顔が崩れるほど目を見開いたクラリッサに父親は続ける。

「私はもうデイジーを娘とは思っておらん。お前もそうしろ」
「……お言葉ですが……」
「反抗するつもりか?」

 ギリッと歯を食いしばるクラリッサの手が拳に変わる。

「デイジーの結婚を認めることと引き換えにお前は何を約束した?」
「……お父様への脅し、反抗をやめること、です」
「それを破ることがどういうことかわかるな?」

 脅すことはあっても脅されることはなかった。不機嫌になれば焦るのは父親のほうだったから。だが今はそれが自分に返ってきている。ここで反抗すればデイジーの結婚は認められなくなってしまう。反抗するのかと聞くのは謂わば最終警告のようなもので、そのまま反抗し続けようものなら父親は即日、デイジーの婚約者の店を潰すだろう。

「質問です。なぜ、デイジーと関わることをやめなければならないのでしょうか?」

 あくまでも質問だと言っておかなければまた反抗かと聞かれてしまう。その防御策の弱さにクラリッサの眉が寄る。

「お前は大事な大事な娘だ。私が望んだ女の子としてお前が生まれたんだ。美しく、清らかで、汚れのないお前が、あんな汚れきった妹と一緒にいるのはよくないと判断したからだ。デイジーと過ごすことでお前に悪影響があってはならんからな」
「悪影響とは?」
「悪魔のように入れ知恵をするかもしれん。お前は純粋だからな。騙される可能性がある。私はその可能性を一つも許したくはないのだ。だからデイジーとは関わるな。どうせあと一年で卒業し、結婚する。それまでの辛抱だ」

 これ以上、目を開けているとクラリッサは顔に出そうだったため目を閉じて話を聞いていた。ようやくデイジーも交えてのお茶会ができるようになったのに、父親は早くもそれを奪おうとしている。握った拳の開き方を忘れてしまったようにクラリッサは拳を震わせる。

「返事はどうした?」

 威圧的な声色にクラリッサは一つ、長い深呼吸をしてから「わかりました」とだけ返事をした。

「以上だ。下がれ」

 許可を得て部屋を出ていったクラリッサは段々と早歩きに変わりながら自室へと向かう。
 デイジーになんと話そう。きっとデイジーは受け入れる。「あのクソジジイの言いそうなことね」とダニエルの口の悪さを真似てあっけらかんとしているだろうが、傷ついていないわけではない。
 なぜあそこまで徹底するんだと悔しげに唇を噛み締めながらドアを思いきり閉め、頭につけていた髪飾りを乱暴に取って思いきり振り上げた。だが、それを床に叩きつけることはできず、乱れた呼吸で肩が上下に揺れる。ボロボロとこぼれ落ちる涙。
 クラリッサは久しぶりに枕に顔を押し当てて腹の底から叫んだ。
 泣き止んでからクラリッサは乱暴に顔を洗ってメイクを落とした。髪と顔が濡れたままで鏡を見つめる死人のような表情をした女が一人映っている。その女を睨みつけながらクラリッサがこぼす。

「鑑賞用王女でいることがあなたの価値を見出すの。鑑賞用王女でいることで妹を守れるの。観賞用王女でいることに意味があるの」

 鏡の中の自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返す呪文のような言葉。

「鑑賞用じゃなくなったあなたに価値なんかないのよ」

 自分の投げたナイフが自分の胸に深く突き刺さる。鏡の中の女の胸からは血が溢れ、そのままドロドロに溶けて消えてしまった。時々こうした変な幻覚を見る。これはもはや願望も同然。
 アイレがくれたレニスが奪われ、空になった一輪挿しを手に、鏡へと振り上げた瞬間──

「クラリッサ!!」

 アイレが目の前に現れた。それによって鏡は割れず、クラリッサの動きが止まる。

「アイレ……」

 久しぶりに見るアイレにまた涙が出そうになった。以前と変わらない姿、とは言えない元気のない顔。アイレが責任を感じていたことが伝わってくる。

「そんなことしちゃ、ダメだよ。クラリッサが怪我するじゃん……」

 怪我をすることなんて考えていなかった。鏡を見る度に呪いのようにかけられる“美しい”という言葉を消したかっただけ。この鏡は特別な物ではない。割ったところで別の鏡が用意されるだけだとわかっているのに、クラリッサの頭は疲れすぎて深く物事を考えられないようになっていた。
 自分の背丈よりも大きな一輪挿しを抱えてクラリッサの手からそっと離すアイレに抵抗はせず、クラリッサは手を開いた。少し離れば場所に一輪挿しを置いて戻ってきたアイレがクラリッサの顔の前で止まる。

「ごめん、クラリッサ……俺、また……」
「アイレが悪いんじゃないの。エイベルと離れるときは必ずやってくる、私の結婚という形でね。それが予想よりちょっと早かっただけ」
「でも、でもっ、あんなのクラリッサが望んだ別れじゃないだろ!?」
「別れって望んだとおりになることばかりじゃないのよ。だからこれでいいの」

 今でも思い出すエイベルの勝ち誇ったような声。誰もが憧れ、誰もが手に入れたい相手を思いどおりにできたことが恍惚とするほど気分が良かったのだろう。それは不思議と不愉快ではなかった。自分にそれだけの価値がある証拠だから。価値がなければ相手になどされないはずだから。自分の存在がエイベルに優越感をもたらせたのであれば、それはそれで幸せだったのかもしれないと思った。
 別れがあんな形とは想像もしていなかったが、さよならを言う気にもなれない以上はあれで終わりだとクラリッサは覚悟を決めている。

「エイベル、ずっと気にしてるよ」
「そう……」

 どんな顔をしているのだろう。寂しがっているだろうか? それともまた苛立っているのだろうか? 驚く顔が見たかったはずなのに、驚いたのは自分のほう。
 きっとこの会話も聞こえているはず。だからクラリッサは深呼吸をして目を閉じ、口を開いた。

「さよなら、エイベル」

 きっと納得はしないだろう。だが、もう一人で庭に出ることもテラスに出ることもしない以上、以前と同じようにエイベルが屋敷に来ることはない。身勝手だと思ってくれていい、愚かだと吐き捨ててくれていい。
 今のクラリッサにはそれを伝えるだけで精一杯だった。
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