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王子様
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「行ってきたよー!!」
ノックもなしに突然開いたドアから元気な声と共に入ってきたリズが片手を上げて上機嫌に笑顔を見せる。
今日は祝日でリズもダニエルもデイジーも学校はお休み。行くなら今日だとリズが先陣を切ってパン屋へと突撃訪問した。
デイジーの気持ちは知っているが、肝心のパン屋の息子の気持ちはデイジーしか知らないため一度話を聞きに行かなければならないと話していたのだ。話し合いの結果、あの場にいながらもデイジーを守ろうとしなかった長男次男にはその権利はないとし、クラリッサは外に出られないため必然的にリズとダニエルが行くことになった。それが決まったときのデイジーの不安そうな顔にクラリッサは苦笑を滲ませたほどだが、リズの後ろを歩いていたデイジーの表情を見ればその不安が的中したことがよくわかる。
「おかえりなさい」
「疲れた……」
どうやら疲れているのはデイジーだけではなくダニエルも同じらしく、フラつきながらベッドへと倒れ込んだ。
「すげーいい匂いがする……」
姉のベッドの匂いに感想を述べるなど弟としてあるまじきことだと思いながらも疲れが癒やされるような優しい匂いにダニエルの表情も和らぐ。
「お疲れさま。私が手紙を書けたらよかったんだけどね」
「私もお姉さまにだけ会ってほしかった」
デイジーもダニエルに続いてベッドに倒れ込むと同様に匂いを嗅いで表情を和らげる。
「リズがお手紙書くよって言ったのに」
「皆に聞かれるの恥ずかしいじゃない」
「でもでも、ねえからお手紙もらったらきっと喜んでたよ」
「ふふっ、どうかしら」
ロニーのように遠慮なく抱きついてきたリズを受け止めてポンポンと背中を軽く叩けば疲れきっている二人を見てからリズを見た。
「じゃあ、リズがどう感じたか教えてくれる?」
リズは忖度はしない。いつだって本音を話すタイプだからこそリズに聞くのが正解なときもある。
「とっても良い人だったよ。話し方がすっごく優しいの」
「ウォレンお兄様より?」
「うん!」
優しいだけが取り柄のウォレンより優しい話し方をするならよっぽどだと感心する。
「最初はね、ずーっと謝ってたの。デイジーに手を出して申し訳ないって。自制すべきだったうんぬんかんぬん言ってたけど早口でよく聞き取れなかったの」
えへへと笑うリズに呆れたようにため息を吐き出したダニエルがベッドから身体を起こしてソファーへと移動する。
「デイジーが王女なのはわかってたけど愛してしまった。デイジーの可憐さや笑顔、脆さに惹かれていったんだと」
「そうなのね」
「だからって手を出したことは許されることじゃない。貴族でさえ許されることではないのに王族なら尚更だとわかっていた。本当に愛してるなら結婚を認めてもらうまで努力して、認められるまで我慢すべきだったって何十回も謝ってさ、もう逆にマジで反省してんのか?って思うぐらいだった」
反省できるだけマシと思っていいのかがわからなかった。反省だけなら動物でもできるとエヴァンはいつも言う。頭でわかっていながら行動に出てしまったってのは言い訳にすぎない。謝れば済むという問題ではない。相手がどういう立場の人間かわかっていた上で行動に出た、というのはやはり少し信用に欠ける部分であるとクラリッサは思ってしまう。
「でもね、仕方ないよ。好きだったらずーっと一緒にいたいって思うもん。リズだってねえやデイジーやダニエルやロニーとずーっと一緒にいたいって思うし、ずーっとくっついてたいって思うよ?」
「それは家族だから許されるの。でもね、自分の立場も相手の立場もわかっていたのに謝るようなことをしてしまったというのは褒められたことじゃないわね」
「でも、それが好きってことでしょ?」
「そう……なんだけどね」
純粋だからこそ何も疑問に思わない。リズはやってしまったことを何度も責め続けるような人間にはなれないのだ。ただ純粋にその人物がどういう人間なのかをよく見る。曇りのない純粋な目がクラリッサを見つめて不思議そうな顔をすればクラリッサはお手上げ。
「ねえも会えばわかるよ! すっごく良い人だったから! パンもすっごく美味しかったの!」
「パンは確かに美味かった」
「お土産にってもらえたんだけどね、デイジーがダメだって」
「そうね。正しい判断だと思うわ」
出るときには何も持っていなかった三人がお土産を持っていれば必ず誰かが報告してしまう。シェフがいるのに外で買ったパンなど許されるはずがない。ましてやデイジーの恋人が焼いたパンなどもってのほかだ。
家族は今、極力静かに暮らそうと決めている。最近の父親は何かと激昂しやすくなっているため、怒らせると怖いというより面倒で仕方ないと全員の意見が合った。
「ダニエルはどう思った?」
「俺は……そうだな……」
すぐに良い人だとは言わないダニエルにデイジーが不安げな表情を見せる。ダニエルはまだ十三歳だが、考え方が大人で冷静。ときにはダニエルの意見で全員が黙ることもあった。だからこそダニエルの意見で姉の意見が決まるのではないかとデイジーは不安になっていた。
「悪い奴ではないと思う……けど……」
「けど?」
続きがあることにデイジーが緊張から拳を握る。
「リズよりはマシだけど、思慮が浅い人間って印象を受けた」
「それはどうして?」
「さっきも言ったけど、後先考えずに行動に出たこと。謝罪の仕方。将来設計の脆さ。考えるより行動派なとこ……は、俺の好き嫌いだけど、悪い人間ではないような気がする」
最後の言葉に顔を上げていたデイジーが安堵から顔をベッドに叩きつけるように乗せて四肢を投げ出した。
ダニエルの言葉で全てが決まるわけではない。父親からは無視と放棄という形で許しは既に得ている。しかし、だからといってどういう男でも許すというわけではなく、家族が納得できる相手でなければ祝福は受けられない。祝福を受けられなければデイジーの心にはずっと棘が刺さったままとなるだろうからリズとダニエルが確認に行ったのだが、リズとダニエルでは感じ方が違った。
「結婚すんのはデイジーだし、俺としてはデイジーがあそこで上手くやってけるならいいんじゃね?って思うけどね」
「私もそう思ってるわ」
クラリッサがデイジーに顔を向けるとまだ何も言っていないのにデイジーはその場で飛び上がってベッドの上で正座をする。何だその座り方はと呆れたように笑うダニエルにリズがシーっと音を漏らして黙らせる。
「デイジー、あなたは本当に彼で後悔しない?」
「しない」
迷いのない瞳にクラリッサが頷いた。
「私は彼に会えてないからきっといつまでも心配は消えないと思うの。会えないからこそ心配になる。今頃どうしてるのかしらってきっと何度も考えるわ。怒られてないか、喧嘩はしてないか、叩かれてないか、幸せだって笑ってるか……ってね。こんなことになったからってあなたはきっと家には帰ってこないでしょう?」
「うん……」
デイジーが結婚すれば父親はきっとデイジーを家には入れないだろう。遊びに来たと言うことさえも許さないはず。そうなることを覚悟でデイジーも彼を選んでいるのだ。
「でもね、何かあったら自分だけで解決しようとしなくていいの。リズもダニエルもきっとあなたを気にかけてくれるわ。だから相談して。絶対に一人で抱え込まないで」
「でも……」
「でもじゃない。迷惑かけるなんて思わないで。誰も迷惑なんて思わないんだから」
「リズが本能のままに喋ることほど迷惑なことはねぇしな」
「ひどい! リズそんなに喋ってないもん!」
「喋りまくってただろうが」
「我慢したのに」
リズもダニエルもそれを否定しないことがデイジーは嬉しかった。滲み出そうになる涙を天井を見上げながら何度も瞬きを繰り返すことで必死に堪えたあと、クラリッサに顔を向けて約束すると笑顔を見せた。
「ねえはお見合いするの?」
「……お父様が言ってた?」
身に覚えのない話だが、火のないところに煙は立たない。何かしらの情報があるからリズが口にしているのだと理解はしている。
「うん」
「まだ先の話だって言ってただろ」
「先ってどのくらい? 一週間後? 一ヶ月後?」
「一年後かもしれないだろ」
「一年後だったらもっともっと先って言うよ」
五年後の話だろうとクラリッサは思った。だが、五年後に考えるのではなく、今からそれなりの相手に話をつけておく必要があると考えているのだ。そうしなければ相手が結婚してしまうかもしれないから。
以前、父親から言われたことがある。
『クラリッサの子供は絶世の美女となるだろう。だが、絶世の美女となるためには相手の遺伝子に失敗は許されん。世界中を回ってでも最高の遺伝子を持つ男を婿として迎えなければな』と。
クラリッサを国から出すつもりはなく、中身ではなく容姿で決めると豪語していた父親。顔が悪いよりは良いほうが嬉しくとも、中身が父親のように激昂しやすいタイプだったらと考えるも、相手が婿入りするのであれば父親の自慢パーティーは続く。なら暴力を振るわれる可能性は低い。ただ心配なのは見下されること。顔しか取り柄がないと自分でもわかってはいるが、他人にそう言われるのは辛い。そういうことを考える度に求めすぎだろうかと自問するが答えは出ない。
「まだ先の話ならどうなるかわからないから気にしなくていいのよ」
「でも……好きでもない人と結婚させられちゃうよ?」
「お前もそうだろ」
「リズは好きな人と結婚するもん! デイジーと一緒! パパに反抗してでも好きな人と結婚するの!」
できるわけないだろ、とはダニエルは言わなかった。デイジーは父親が好きではなかったから今の仕打ちも容易に受け入れることはできていても、リズはあんな父親でも好きで、どこまで反抗できるかがわからない。父親が嘘でも涙を見せれば戸惑ってしまうだろう。
純粋すぎるからこそリズは操りやすく、クラリッサの次に父親のお気に入りであるため簡単に手放しはしないだろうこともダニエルには想像がついている。
問題なのはクラリッサほど物分かりが良くもなければ従順でもないということ。リズは自分の本能に従って生きるほうであり、誰かの言いつけどおりに動くことはまずない。だから父親は極力無理強いはしないようにしてきた。リズは気分良くさせていればある程度のお願いは聞くタイプだと知っているから。
父親の願いはデイジーとは違って、自分のお気に入りの王子にリズが恋をすること。黙っていれば見惚れる人間がいるほど美人であるリズの結婚を父親が簡単に認めるはずがない。
「リズはまず好きな人を作らないとね」
「好きな人がいなくても王子様が迎えに来てくれるから大丈夫!」
「好きじゃない相手が王子様かもしれないわよ?」
何を言ってるんだと顔に書きながら見つめてくるリズにクラリッサは思わず一瞬ダニエルを見たが、助け舟は出さないと首を振られる。
「リズの王子様だもん、すぐに好きになるよ? 運命の人ってそういうものでしょ?」
運命の相手ならすぐに好きになる。その言葉にクラリッサの頭の中にはエイベルが浮かぶもすぐに首を振って否定する。
「リズの運命の人も現れるわ」
「だよね! だってデイジーも見つけたんだもん! リズもすぐ見つける!」
「リズまで去っちゃったら寂しいからゆっくりでいいのよ」
「王子様が迎えに来るまでは皆と一緒にいる。約束ッ」
差し出された小指に手を伸ばしたのはクラリッサだけで、ダニエルもデイジーもその指を取ろうとはしなかった。気まずいと思うが、リズは気にしていないのか、いつもと変わらぬ無邪気な笑みを浮かべている。
「愛は意外と近くに落ちてるものなのかもしれない。それに気付くか、拾うかどうかってだけで……」
「愛を手に入れた女は言うことが違うなぁ」
「茶化さないでよ!」
デイジーの言葉にクラリッサは考えていた。エイベルは近いようで遠い。彼と過ごす中で確かに恋は芽生えたと思う。だがその想いをどうすることもできない場合はどうすればいいのかがわからない。忘れることもできなければ、捨てることもできない。ずっと胸の中に彼への想いがあって、ずっと頭の中に彼の顔があるのだ。
「あ、そうだ!」
パチンっと音を立てて両手を合わせたリズにハッとして顔を向けると笑顔を浮かべている。
「ドロシーがね、もうすぐお誕生日なの! 何か良いプレゼントないかなぁ?」
「痩せ方教えてやれよ」
「ドロシーは太ってない!」
「太ってる」
「ダニエル、そういうこと言わないって約束でしょ」
「なんであんなのと友達やってるのかがわかんねぇの。王女が男爵令嬢と仲良くするってナシだろ。しかも貧乏だし」
「ダニエル? お尻叩こうか?」
クラリッサの尻叩きは意外にも結構痛い。お仕置きであるため遠慮なく叩かれる。その痛みに何度か悶絶したことがあるダニエルは口を閉じて唇を内側にしまいこみ、もう喋らないと表現する。
「私もドロシーのお誕生日をお祝いしたいからお誕生日が終わったら一緒にお茶会を開きましょう」
「お誕生日じゃだめ?」
「パーティーあるんじゃないの?」
「ううん、ないんだって」
「貧乏だしな」
「じゃあ、うちでパーティーを開きましょう。お茶会の名目でケーキとご馳走を用意するの」
「いいの!?」
「もちろんよ。ダニエル、ここにおいで」
両手を上げて大喜びするリズとは正反対に顔を青ざめるダニエルが何度も首を振るが、自分の膝を叩いて促すクラリッサにやってしまったと後悔しながら膝の上に寝転んだダニエルがぎゅっと目を閉じて両手を握る。
パンっと大きな音が響くとデイジーとリズが笑う。
「私も子供が生まれたらそうやって躾けるわ」
「他人事だと思って笑いやがって! 誰がお前の恋人精査してやったと思っ──」
「ダニエルッ!」
「ごめんなさいッ!」
汚い言葉は使わないと約束してもダニエルには意味がない。それでも諦めてしまえば彼のためにはならないと諦めた母親の代わりにクラリッサが手を下す。
部屋ではリズとデイジーが数を十数えるまで尻を叩く音は消えなかった。
ノックもなしに突然開いたドアから元気な声と共に入ってきたリズが片手を上げて上機嫌に笑顔を見せる。
今日は祝日でリズもダニエルもデイジーも学校はお休み。行くなら今日だとリズが先陣を切ってパン屋へと突撃訪問した。
デイジーの気持ちは知っているが、肝心のパン屋の息子の気持ちはデイジーしか知らないため一度話を聞きに行かなければならないと話していたのだ。話し合いの結果、あの場にいながらもデイジーを守ろうとしなかった長男次男にはその権利はないとし、クラリッサは外に出られないため必然的にリズとダニエルが行くことになった。それが決まったときのデイジーの不安そうな顔にクラリッサは苦笑を滲ませたほどだが、リズの後ろを歩いていたデイジーの表情を見ればその不安が的中したことがよくわかる。
「おかえりなさい」
「疲れた……」
どうやら疲れているのはデイジーだけではなくダニエルも同じらしく、フラつきながらベッドへと倒れ込んだ。
「すげーいい匂いがする……」
姉のベッドの匂いに感想を述べるなど弟としてあるまじきことだと思いながらも疲れが癒やされるような優しい匂いにダニエルの表情も和らぐ。
「お疲れさま。私が手紙を書けたらよかったんだけどね」
「私もお姉さまにだけ会ってほしかった」
デイジーもダニエルに続いてベッドに倒れ込むと同様に匂いを嗅いで表情を和らげる。
「リズがお手紙書くよって言ったのに」
「皆に聞かれるの恥ずかしいじゃない」
「でもでも、ねえからお手紙もらったらきっと喜んでたよ」
「ふふっ、どうかしら」
ロニーのように遠慮なく抱きついてきたリズを受け止めてポンポンと背中を軽く叩けば疲れきっている二人を見てからリズを見た。
「じゃあ、リズがどう感じたか教えてくれる?」
リズは忖度はしない。いつだって本音を話すタイプだからこそリズに聞くのが正解なときもある。
「とっても良い人だったよ。話し方がすっごく優しいの」
「ウォレンお兄様より?」
「うん!」
優しいだけが取り柄のウォレンより優しい話し方をするならよっぽどだと感心する。
「最初はね、ずーっと謝ってたの。デイジーに手を出して申し訳ないって。自制すべきだったうんぬんかんぬん言ってたけど早口でよく聞き取れなかったの」
えへへと笑うリズに呆れたようにため息を吐き出したダニエルがベッドから身体を起こしてソファーへと移動する。
「デイジーが王女なのはわかってたけど愛してしまった。デイジーの可憐さや笑顔、脆さに惹かれていったんだと」
「そうなのね」
「だからって手を出したことは許されることじゃない。貴族でさえ許されることではないのに王族なら尚更だとわかっていた。本当に愛してるなら結婚を認めてもらうまで努力して、認められるまで我慢すべきだったって何十回も謝ってさ、もう逆にマジで反省してんのか?って思うぐらいだった」
反省できるだけマシと思っていいのかがわからなかった。反省だけなら動物でもできるとエヴァンはいつも言う。頭でわかっていながら行動に出てしまったってのは言い訳にすぎない。謝れば済むという問題ではない。相手がどういう立場の人間かわかっていた上で行動に出た、というのはやはり少し信用に欠ける部分であるとクラリッサは思ってしまう。
「でもね、仕方ないよ。好きだったらずーっと一緒にいたいって思うもん。リズだってねえやデイジーやダニエルやロニーとずーっと一緒にいたいって思うし、ずーっとくっついてたいって思うよ?」
「それは家族だから許されるの。でもね、自分の立場も相手の立場もわかっていたのに謝るようなことをしてしまったというのは褒められたことじゃないわね」
「でも、それが好きってことでしょ?」
「そう……なんだけどね」
純粋だからこそ何も疑問に思わない。リズはやってしまったことを何度も責め続けるような人間にはなれないのだ。ただ純粋にその人物がどういう人間なのかをよく見る。曇りのない純粋な目がクラリッサを見つめて不思議そうな顔をすればクラリッサはお手上げ。
「ねえも会えばわかるよ! すっごく良い人だったから! パンもすっごく美味しかったの!」
「パンは確かに美味かった」
「お土産にってもらえたんだけどね、デイジーがダメだって」
「そうね。正しい判断だと思うわ」
出るときには何も持っていなかった三人がお土産を持っていれば必ず誰かが報告してしまう。シェフがいるのに外で買ったパンなど許されるはずがない。ましてやデイジーの恋人が焼いたパンなどもってのほかだ。
家族は今、極力静かに暮らそうと決めている。最近の父親は何かと激昂しやすくなっているため、怒らせると怖いというより面倒で仕方ないと全員の意見が合った。
「ダニエルはどう思った?」
「俺は……そうだな……」
すぐに良い人だとは言わないダニエルにデイジーが不安げな表情を見せる。ダニエルはまだ十三歳だが、考え方が大人で冷静。ときにはダニエルの意見で全員が黙ることもあった。だからこそダニエルの意見で姉の意見が決まるのではないかとデイジーは不安になっていた。
「悪い奴ではないと思う……けど……」
「けど?」
続きがあることにデイジーが緊張から拳を握る。
「リズよりはマシだけど、思慮が浅い人間って印象を受けた」
「それはどうして?」
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ダニエルの言葉で全てが決まるわけではない。父親からは無視と放棄という形で許しは既に得ている。しかし、だからといってどういう男でも許すというわけではなく、家族が納得できる相手でなければ祝福は受けられない。祝福を受けられなければデイジーの心にはずっと棘が刺さったままとなるだろうからリズとダニエルが確認に行ったのだが、リズとダニエルでは感じ方が違った。
「結婚すんのはデイジーだし、俺としてはデイジーがあそこで上手くやってけるならいいんじゃね?って思うけどね」
「私もそう思ってるわ」
クラリッサがデイジーに顔を向けるとまだ何も言っていないのにデイジーはその場で飛び上がってベッドの上で正座をする。何だその座り方はと呆れたように笑うダニエルにリズがシーっと音を漏らして黙らせる。
「デイジー、あなたは本当に彼で後悔しない?」
「しない」
迷いのない瞳にクラリッサが頷いた。
「私は彼に会えてないからきっといつまでも心配は消えないと思うの。会えないからこそ心配になる。今頃どうしてるのかしらってきっと何度も考えるわ。怒られてないか、喧嘩はしてないか、叩かれてないか、幸せだって笑ってるか……ってね。こんなことになったからってあなたはきっと家には帰ってこないでしょう?」
「うん……」
デイジーが結婚すれば父親はきっとデイジーを家には入れないだろう。遊びに来たと言うことさえも許さないはず。そうなることを覚悟でデイジーも彼を選んでいるのだ。
「でもね、何かあったら自分だけで解決しようとしなくていいの。リズもダニエルもきっとあなたを気にかけてくれるわ。だから相談して。絶対に一人で抱え込まないで」
「でも……」
「でもじゃない。迷惑かけるなんて思わないで。誰も迷惑なんて思わないんだから」
「リズが本能のままに喋ることほど迷惑なことはねぇしな」
「ひどい! リズそんなに喋ってないもん!」
「喋りまくってただろうが」
「我慢したのに」
リズもダニエルもそれを否定しないことがデイジーは嬉しかった。滲み出そうになる涙を天井を見上げながら何度も瞬きを繰り返すことで必死に堪えたあと、クラリッサに顔を向けて約束すると笑顔を見せた。
「ねえはお見合いするの?」
「……お父様が言ってた?」
身に覚えのない話だが、火のないところに煙は立たない。何かしらの情報があるからリズが口にしているのだと理解はしている。
「うん」
「まだ先の話だって言ってただろ」
「先ってどのくらい? 一週間後? 一ヶ月後?」
「一年後かもしれないだろ」
「一年後だったらもっともっと先って言うよ」
五年後の話だろうとクラリッサは思った。だが、五年後に考えるのではなく、今からそれなりの相手に話をつけておく必要があると考えているのだ。そうしなければ相手が結婚してしまうかもしれないから。
以前、父親から言われたことがある。
『クラリッサの子供は絶世の美女となるだろう。だが、絶世の美女となるためには相手の遺伝子に失敗は許されん。世界中を回ってでも最高の遺伝子を持つ男を婿として迎えなければな』と。
クラリッサを国から出すつもりはなく、中身ではなく容姿で決めると豪語していた父親。顔が悪いよりは良いほうが嬉しくとも、中身が父親のように激昂しやすいタイプだったらと考えるも、相手が婿入りするのであれば父親の自慢パーティーは続く。なら暴力を振るわれる可能性は低い。ただ心配なのは見下されること。顔しか取り柄がないと自分でもわかってはいるが、他人にそう言われるのは辛い。そういうことを考える度に求めすぎだろうかと自問するが答えは出ない。
「まだ先の話ならどうなるかわからないから気にしなくていいのよ」
「でも……好きでもない人と結婚させられちゃうよ?」
「お前もそうだろ」
「リズは好きな人と結婚するもん! デイジーと一緒! パパに反抗してでも好きな人と結婚するの!」
できるわけないだろ、とはダニエルは言わなかった。デイジーは父親が好きではなかったから今の仕打ちも容易に受け入れることはできていても、リズはあんな父親でも好きで、どこまで反抗できるかがわからない。父親が嘘でも涙を見せれば戸惑ってしまうだろう。
純粋すぎるからこそリズは操りやすく、クラリッサの次に父親のお気に入りであるため簡単に手放しはしないだろうこともダニエルには想像がついている。
問題なのはクラリッサほど物分かりが良くもなければ従順でもないということ。リズは自分の本能に従って生きるほうであり、誰かの言いつけどおりに動くことはまずない。だから父親は極力無理強いはしないようにしてきた。リズは気分良くさせていればある程度のお願いは聞くタイプだと知っているから。
父親の願いはデイジーとは違って、自分のお気に入りの王子にリズが恋をすること。黙っていれば見惚れる人間がいるほど美人であるリズの結婚を父親が簡単に認めるはずがない。
「リズはまず好きな人を作らないとね」
「好きな人がいなくても王子様が迎えに来てくれるから大丈夫!」
「好きじゃない相手が王子様かもしれないわよ?」
何を言ってるんだと顔に書きながら見つめてくるリズにクラリッサは思わず一瞬ダニエルを見たが、助け舟は出さないと首を振られる。
「リズの王子様だもん、すぐに好きになるよ? 運命の人ってそういうものでしょ?」
運命の相手ならすぐに好きになる。その言葉にクラリッサの頭の中にはエイベルが浮かぶもすぐに首を振って否定する。
「リズの運命の人も現れるわ」
「だよね! だってデイジーも見つけたんだもん! リズもすぐ見つける!」
「リズまで去っちゃったら寂しいからゆっくりでいいのよ」
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差し出された小指に手を伸ばしたのはクラリッサだけで、ダニエルもデイジーもその指を取ろうとはしなかった。気まずいと思うが、リズは気にしていないのか、いつもと変わらぬ無邪気な笑みを浮かべている。
「愛は意外と近くに落ちてるものなのかもしれない。それに気付くか、拾うかどうかってだけで……」
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「茶化さないでよ!」
デイジーの言葉にクラリッサは考えていた。エイベルは近いようで遠い。彼と過ごす中で確かに恋は芽生えたと思う。だがその想いをどうすることもできない場合はどうすればいいのかがわからない。忘れることもできなければ、捨てることもできない。ずっと胸の中に彼への想いがあって、ずっと頭の中に彼の顔があるのだ。
「あ、そうだ!」
パチンっと音を立てて両手を合わせたリズにハッとして顔を向けると笑顔を浮かべている。
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「痩せ方教えてやれよ」
「ドロシーは太ってない!」
「太ってる」
「ダニエル、そういうこと言わないって約束でしょ」
「なんであんなのと友達やってるのかがわかんねぇの。王女が男爵令嬢と仲良くするってナシだろ。しかも貧乏だし」
「ダニエル? お尻叩こうか?」
クラリッサの尻叩きは意外にも結構痛い。お仕置きであるため遠慮なく叩かれる。その痛みに何度か悶絶したことがあるダニエルは口を閉じて唇を内側にしまいこみ、もう喋らないと表現する。
「私もドロシーのお誕生日をお祝いしたいからお誕生日が終わったら一緒にお茶会を開きましょう」
「お誕生日じゃだめ?」
「パーティーあるんじゃないの?」
「ううん、ないんだって」
「貧乏だしな」
「じゃあ、うちでパーティーを開きましょう。お茶会の名目でケーキとご馳走を用意するの」
「いいの!?」
「もちろんよ。ダニエル、ここにおいで」
両手を上げて大喜びするリズとは正反対に顔を青ざめるダニエルが何度も首を振るが、自分の膝を叩いて促すクラリッサにやってしまったと後悔しながら膝の上に寝転んだダニエルがぎゅっと目を閉じて両手を握る。
パンっと大きな音が響くとデイジーとリズが笑う。
「私も子供が生まれたらそうやって躾けるわ」
「他人事だと思って笑いやがって! 誰がお前の恋人精査してやったと思っ──」
「ダニエルッ!」
「ごめんなさいッ!」
汚い言葉は使わないと約束してもダニエルには意味がない。それでも諦めてしまえば彼のためにはならないと諦めた母親の代わりにクラリッサが手を下す。
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