鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

文字の大きさ
上 下
36 / 71

怖いこと

しおりを挟む
「祖母が亡くなってからレッスン量が増えて……」
「お前は従うだけの人形と化したわけか」

 子供には親しかいない。親からの期待を感じると応えなければと思ってしまう。応えることができれば親は喜んでくれることを知っていたから。
 嫌だと拒んだところで怒られ、手を叩かれる子供に拒否権も選択権もない。あるのは従順一択。

「あの日から全て変わったわ。アイスクリームもジュースも禁止されて、祖母としてたこと全部できなくなった。何を言ってもダメの連続」
「父親はお前に甘かったんじゃなかったか?」
「甘いのは父親の意に添うお願いをしたときだけよ。一枚でいいから毎日食べたいと言っても食べさせてはもらえないし、馬車から降りないから街を見てみたいと言っても門にさえ近寄らせてはもらえないんだから」
「勝手だな。あと五年で捨てるくせにな」
「耳がいいのも問題ね」

 いつ何を報告しようともエイベルは全て知っている。だから隠し事はできないし、嘘もつけない。でも報告のしがいがないと思わないのは、知っていながらもちゃんと最後まで話を聞いてくれるから。

「あなたってもうそれ以上は老けないの?」
「そうだな」
「ダークエルフに老人はいないの?」
「老け方にも個人差があるからな、いないわけではないが少ないな」

 老いることがない相手が羨ましいと言葉にはしないが、エイベルはクラリッサの顔を見ていれば何を思っているかわかった。

「老いることが怖いか?」

 直球な問いかけにクラリッサが苦笑する。

「老いることが必ずしも悪いとは言わないって祖母は言ってたわ。老いていくことで得る美しさもあると。でも私は……」
「永遠の美しさを求められている、か?」
「そう……」

 求められているのは完璧な美。一寸の歪みもない完璧な姿なのだ。鑑賞して楽しめる美しさを皆が求めている。そこに老いは許されないものとして存在している。だから歳を重ねるのが恐怖として存在していた。

「人間にとって老いは自然の摂理だろう」
「そうよ。自然なことよね。でも私がそれを自然なことだと言っても、きっと誰もそれを受け入れてはくれない。私は老いることが許されないのよ」

 歳を重ねる度に想像する最悪の光景。それに何度震えて涙したかわからない。ただの想像なのに、まるでそれが予知であるかのように現実的に襲ってくる。人の感情も己の感情も全て。

「だから老いるのが怖い」
「お前とて人間だ。老いも仕方ないと受け入れるさ」

 エイベルの言葉どおりならどんなにいいだろう。クラリッサには容易に想像できてしまうのだ。今、熱心にパーティーに通って貢ぎ物を嬉々として披露する彼らが冷めた顔で老いた鑑賞用王女を見るのが。
 あくまでも想像。でも想像だけでも耐えられない。

「私が老いたら誰も私を見なくなるわ。だって彼らが好きなのは若くて美しい人形のような私なんだもの」
「飽きられればお前はもう人形として生きる必要はなくなるんだぞ。何を恐れる必要がある?」
「そのあとに待ってるのは何? 鑑賞用として生きてきた女にその価値がなくなる。嫁ぎ先で愛してもらえるとは限らない。価値のなくなった女を誰が愛してくれるの?」

 必死な形相に彼女の恐れを感じる。言葉にするよりもずっと明確で、自分につけられている価値を理解しているのだと胸が痛くなった。
 怯える姿さえも可憐だと思うエイベルは容易に言葉を発することはしない。この感情は向けるべきではないと思ったから。自分は薄汚い人間とは違うと思っていながらもクラリッサに老いを感じたとき、今までと変わらず鑑賞用として眺められるだろうかと疑問が浮かんだ。
 老いる恐怖は老いを知らないエルフにはわからない感情。同情も慰めもできない。

「一番美しい娘が老いたとしても結局は美しいままだ」

 あと五年もすればクラリッサは間違いなく今より老いたと言われるだろう。老いているのだから当然だが、そんな当然のことが許せない人間がいる。父親を筆頭に、クラリッサを鑑賞用として眺める人間たちだ。そして悲しいかな、クラリッサ本人も。
 なぜ老いてなお美しいと信じてやらないのかが、エイベルにはわからない。自分が若い頃のままではないことなど鏡を見ずともわかるはずなのに、なぜ不可能なことを期待するのかがわからなかった。
 それも全て人間が愚かだという証拠でしかなく、エイベルはそれにさえ嫌悪する。

「一番……」

 クラリッサが呟く。

「一番って言葉は大嫌い」

 短い言葉に込められた心からの感情をこぼす様を黙って見つめる。

「一番美しいとか、お前が一番だとか……一番一番一番一番……それを言われる度に息が詰まりそうになる。二番になることは許さないって言われてるようで……怖くなるの」

 恐怖の中で戦いながら生きていることを知っている人間はどれだけいるのだろうか。家族でさえ知らないだろうことをこの場で吐露することは信頼されているようで嬉しいが、今この場で喜びを表現することはできない。

「一番じゃない私に価値はないって……きっと言われるんだわ」

 恐怖は膨れ上がれば被害妄想が始まる。クラリッサは自分の価値を定めるために鑑賞用王女を演じ続けている。今日も明日も明後日もクラリッサは家族に不安だと吐き出すことはせず、完璧な笑顔で生きていく。それはまるで止まるのを待つ時計のよう。動いている物はいつか止まる。生きていれば必ず老ける。当たり前のことを当たり前として受け入れない人間にあと何年苦しめられるのだろうと、エイベルはたまらずクラリッサを強く抱きしめた。

「お前が嫁に行きたくないと言うのなら森に来ればいい」
「あなたがお嫁にもらってくれるの?」
「この森で暮らせばいいだけだ。そうすればもう鑑賞用である必要はないのだからな」

 出会ったときから何度も言ってくれる言葉だが、クラリッサはそれにイエスとは答えられない。今は特に。
 ダークエルフに家族の概念はない。だから夫も妻も子供もない。家族という形を取ってない以上は自分が森に入ってエイベルと暮らしたところで森の中で異端者になるだけで、あの気の強い女たちが黙っているとは思えなかった。自分がそれに耐えられるとも。
 
「そうやって逃げ道を作ってくれるなんて優しいのね」
「頭の片隅に置いておけ。本気で逃げ出したくなったら手伝ってやる」
「ええ、ありがとう」

 エイベルも無理強いするつもりはなかった。ただ、既に情が移っている相手が苦しんで涙するのは見ていられない。涙する姿は美しくともエイベルが見たいのは喜びの涙。逃げ出したときに開放感でその涙が見られればと思っている。

「今はまだ大丈夫。おばあさまの言葉が私を救ってくれてるから。いつか王子様が現れるって信じてる。ふふっ、リズの気持ちが少しわかるの。大好きな人のお姫様になりたいって。もうそんな歳じゃないけどね」
「人間の中には老嬢というのがいるんだろう?」
「ええ」

 未婚の老人の令嬢をそう呼ぶことは以前、兄から聞いたことがある。顔にいくつものシワが刻まれていようともまだ結婚を諦めず、パーティーに出席して結婚相手を探しているのだと。
 父親がパーティーを開催することによって、そういう人にもチャンスが増えればと思ったこともあったと思い出して苦笑混じりではあるが、クラリッサの表情が柔らかくなる。

「夢を見るのに年齢など関係ないんじゃないか?」
「……じゃあ、あなたはまだ夢を持ってる?」

 不老不死のエルフが夢を持っているのかと問いかけるクラリッサのどこか冷めたような声色にエイベルは目を逸らさなかった。心のどこかでエルフに何がわかるんだと思っているのではないかと感じさせるような声だ。しかし、エイベルはそれを不愉快には思わない。さっきの言葉は慰めるための言葉に過ぎない。エイベルは夢など持ってはいない。これから終わりの見えない人生を歩んでいく中で夢をもつだけ無駄だと思っているから。夢を持つ者を見下しさえしてきたのだ。

「夢……というと、少し違うかもしれないが……」
「聞かせて」

 縋るような目と言い方にクラリッサの背中を赤子をあやすように軽く叩くと彼女の頬が肩に乗った。

「自由を得ることだ」

 驚いた顔をするクラリッサにエイベルが珍しく苦笑を見せる。

「自由じゃないの?」
「森の中では自由だが、外を自由に闊歩はできん」

 嫌われているから?とは失礼すぎて聞けなかった。

「そういう契約だからだ」

 クラリッサの心を読んだような答えにクラリッサの思考が停止する。
 契約で自由を奪われるようなことがあるのだろうかと思うが、自分も父親との約束で自由に外を闊歩することができない。したことがない。だが、エイベルはダークエルフの長で、誰にも縛られることなどないはず。その長が自由を得て外を闊歩したいと言う理由がわからなかった。

「誰と契約を結んだの?」
「俺の先祖が人間と交わした契約だ」
「外に出るなって?」
「要約すればそうだな」

 ダークエルフの森は小さくはないが、大国とも呼べないモレノスにあるのでは巨大とも言えない広さ。その森に何人のダークエルフが住んでいるのかは知らないが、ダークエルフの森がそこにあるのに庭に出ても一度もダークエルフを見たことがなかった理由はそれかと納得すると共にキリがない驚きに眉を寄せた。

「どうしてそんな契約を?」

 ダークエルフと人間は昔、今と違って契約の話が持ち上がるほどの交流があったということ。なぜ今、彼らは憎み合っているのか。誰に聞いても教えてくれなかった理由がそこにあると顔を上げてエイベルに問いかけると返ってきた表情は恐ろしいほど冷めたもので

「戦争のせいだ」

 そう言い放つ声も恐ろしいほど冷たいものだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

前世でイケメン夫に殺されました

鈴元 香奈
恋愛
子爵令嬢のリタには前世の記憶があった。それは美しい夫に殺される辛い記憶だった。男性が怖いリタは、前世で得た知識を使い店を経営して一人で生きていこうとする。 「牢で死ぬはずだった公爵令嬢」の厳つい次男ツェーザルのお話ですが、これ単体でも楽しんでいただけると思います。 表紙イラストはぴのこ堂様(イラストAC)よりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。 (C)2018 Kana Suzumoto

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

処理中です...