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自由なき立場
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「なん……で……」
着替えてやってきたにしては随分と時間がかかった。クラリッサは何度も時計を確認して時間を気にしたが、父親は何かの書類に目を通してばかりで使用人をにデイジーを呼びに行かせることはしなかった。
その間に家族全員が帰宅し、デイジーより先に部屋に集められた。クラリッサが頼んでおいたダニエルとロニーも一緒だった。
家族全員が揃っている必要はないのになんでいるんだと目を見開いたデイジーだが、今はそんな言葉も許されないような気がして口を閉じて中に入った。
「座りなさい」
4人掛けのソファーが向かい合い、男と女で分かれて座る。なんのために集められたか知っているのはクラリッサとデイジーだけで他のきょうだいは理由を知らないが、良くない話であることは、この場に流れる重たい妙な空気でわかっていた。末のロニーだけがそれがわからず席を立ってクラリッサの膝の上に乗ろうとしていた。それを抱き上げて膝に乗せるとクラリッサの胸に背中を預けて足を揺らす。ここがティータイムの場ならそれが癒しにもなっただろうが、今は違う。ここにいる全員がその足のパタパタ音が父親の逆鱗に触れないかの心配をしていた。
「デイジー、座りなさいと言ったのが聞こえなかったのか?」
緊張しているのだろう。立ち尽くしたまま座ろうとしないデイジーに父親がもう一度声をかけ座らせた。
クラリッサとリズの間に腰掛けるデイジーの表情に嫌悪感はない。それを表している余裕がデイジーの中にはなかった。あるのは緊張だけで、デイジーの頭の中はここに来るまでに必死に考えたであろう問答でいっぱいだった。
「それで……俺たちはなんで集められたんだ?」
デイジーが不機嫌じゃないことがデイジーに関する話であることを証明しているが、エヴァンはあえて知らないふりをした。
「この中でデイジーに関する噂を耳にしたことがある者はいるか?」
静かな声。嘘が許されないような雰囲気だが、クラリッサもウォレンも手は上げなかった。
「クラリッサ、動くな」
「ロニーがクッキーを取りたがるので取ってあげるだけです」
テーブルの真ん中に置かれているクッキーを取ろうとしただけでまるで看守のような言い方をする父親にクラリッサは従わず、皿から一枚取ってロニーに渡した。
下ろしていた髪がサラッと流れて父親から顔を隠す。前に傾けていた身体を戻す際、クラリッサはリズを見て「ダメよ」と口を動かした。だが、用心しなければならなかったのはリズではなかった。
「パン屋さん?」
ロニーだ。クッキーを食べたがっていたのではなく、クラリッサがクッキーを食べて口を閉じていてほしかっただけ。その願いは彼がクッキーを食べる前に打ち砕かれ、クラリッサは思わず目を閉じた。
「アンタ言ったのね!? 言うなって言ったのに!! 言ったら殺すって言ったわよね!?」
カッとなったデイジーが隣に座るリズの髪を鷲掴みにして何度も揺さぶり、何度も手を顔に振り下ろす。
「やあっ! ごめんなさい! ごめんなさいデイジー! ごめんなさいッ!」
痛みに涙を流しながらも抵抗せず必死に謝るリズを駆け寄ったダニエルが守るように両手を伸ばして抱きしめた。
「妹に手ぇ上げんなよッ! 謝ってんだろ!」
「謝って済む問題だったら許してるわよ! 謝って済まないから──」
「問題なのはお前が隠さなきゃいけねぇような相手と会ってることだろうが!」
ダニエルの正論にデイジーは震える唇を噛み締めながら目にいっぱいの涙を溜める。
デイジーもリズに見られた以上はバレるのも時間の問題だとわかっていた。いつかバレる。いつまでも隠してはおけないとわかっていたが、言えば最後だと自分の口から言うことができなかった。
「デイジー、パン屋の息子と関係があるのは本当か?」
相変わらず静かな声にデイジーは顔を逸らしたが「私の目を見て答えろ」と言われ、こぼれた涙で濡れた顔を向けるが答えず父親を睨みつけるだけ。
反抗的な態度は良くない。今は正直に話すべきだと目を開けて拳に変わっているデイジーの手を握ろうとするが、それよりも先に「答えろ!!」と父親の怒声が響き渡った。
それに応戦するようにデイジーが口を開く。
「そうよ! だったらなに!? リズからどこまで聞いた!? 会ってたこと!? キスしたこと!? 彼と身体の関係を持ったこと!?」
全員が絶句する。クラリッサもダニエルも二人がキスしたことまでは聞いていたが、まさか身体の関係を持っていたとは思わなかった。婚約者でもない相手と身体の関係を持つことが女はタブーとされていることはパン屋の息子でも知っているはず。相手は王女。婚約など認められるはずがない相手だとわかっていながら手を出したのだ。
やってしまった。こればかりはウォレンでさえ庇う言葉が出てこない。
「このッ……恥知らずが!!」
何度も机を叩きながら怒鳴る父親にロニーが床にクッキーを落とし、恐怖に涙しながらクラリッサにしがみつく。こうなることがわかっていたから部屋に置いておきたかったのにと眉を寄せるクラリッサはロニーの耳を塞いで父親に「ロニーが怖がっています」と言った。それでも落ち着かず、父親は「連れて行け!」と使用人に言ってクラリッサから引き剥がし両手足をバタつかせるロニーを部屋に連れて行かせてしまった。
「ああっ、情けない!! 本当に情けない!! だからお前は出来損ないだと言うんだ! 反抗ばかりで親に敬意を払うことも知らん! わがままで可愛げのない出来損ないだ!!」
「お父様!! 怒りに任せた発言はやめてください!!」
「お前は黙っていろ!!」
デイジーを出来損ないとまで罵った父親は既にクラリッサを怒らせると厄介であることなど吹き飛ぶほど怒りで満ちている。
「よりにもよって下町の貧乏人の手垢がつくなどありえんことだッ!! 汚れたお前を誰がもらいたがる!? 情けでもかけてもらわん限りは貰い手など見つからんぞ! お前が処女ではないことをどうやって説明させるつもりだ!? 私に恥をかかせたくてふざけたことをしたのか!? それとも何が恥かもわからんほどお前は愚かだったのか!? 一族の面汚しめ! ふざけるな!!」
絶叫に近い怒声が屋敷中に響き渡る。言葉を選ぶことさえも忘れて怒りのままに言葉を発する父親にデイジーの涙が止まらなくなる。実の父親から言われる罵詈雑言に耐えられる娘などいない。ショックを受けないはずがない。
「だったら追い出せばいいでしょ!! 出来損ないを家族として置いておく必要ないじゃない!! 縁を切って追い出せばいい!! お前はもう家族じゃないって追い出しなさいよ!!」
「父親である私に対してなんだその言い方は!!」
「娘を出来損ないなんて言う父親いらないわよ!! こんな偽物家族こっちからお断りよ!! 出ていくわ!!」
「デイジー!!」
泣き叫びながら立ち上がったデイジーが出て行こうとするのを慌ててクラリッサが呼び止めるもドアの前に立った使用人がその場から動くことはせず、デイジーを外に出さないようにしている。
「どきなさいよ!」
泣きながら睨みつけようとも使用人は動かない。雇い主はこの家の当主であってデイジーではないのだ。デイジーがどけと殴ろうとも使用人はその拳を受け止めるだけで押し返すことも突き飛ばすこともしない。
「デイジーやめろ!」
ウォレンが駆け寄って後ろから腕を回してデイジーを使用人から引き離すと「あああああああああああああああ!!」と腹の底から叫ぶデイジーが近くにあった花瓶を掴んで床に叩きつけた。飛んでくる破片からリズを守るため背を向けるダニエルの制服のブレザーに破片が刺さる。
「八つ当たりした気分はどうだ?」
人は不思議なもので、頂点に達した怒りも他人の怒りを見ると鎮まっていく。
父親は今その状態であり、また静かな声でデイジーに問いかけた。
「お前はもう外に出るな」
「学校は? 行かなくていいってわけ? 私は恥晒しなんでしょ? 私はお姉さまみたいに座ってニコニコしてるだけで貢ぎ物がもらえるレベルじゃないし、家の中でダラダラしてるだけの娘がいるってそれこそ恥じゃない?」
「お前は修道院に入れる」
「…………は?」
やけになって半笑いで返すデイジーもさすがに咄嗟の反応が出てこなかった。聞き間違いかと思えるその言葉にデイジーが震えた声で問いかける。
「修道院……?」
「そうだ」
聞き間違いではなかった。父親が下す信じられない決断にデイジーは口を開けたまま固まっている。
「パン屋は明日にでも取り壊せ。王女と知りながら手を出すような犯罪者が開く店のパンなど恐ろしくて国民には食べさせられん」
「やめて!!」
今日一番の悲痛な声に父親は無情にも首を振る。
「やめて……お願い……潰さないで……。あのお店は彼のおじいさんの代から続くお店なの……大事なお店なの……。あのお店を継ぐことが彼の夢なの……だからお願い……それだけはやめて……」
滝のような涙が頬を濡らし、声を震わせながら何度も首を振るデイジーがようやく父親を睨みつけるのをやめた。だが、娘がどれほど涙を流そうと父親の意思は固く、慈悲は与えない。
「ダメだ」
ハッキリと告げられたその言葉にデイジーがその場で膝をついて祈るように両手を組みながら父親に懇願する。
「お願いです! お願いします! 修道院に入りますから彼のお店だけは潰さないでください! お願いします! お願いします! お願いします! お店だけは許してください!!」
段々と背が丸くなり、伸ばしていた腰も曲がって絨毯の上に額をつけたデイジーが懇願を続ける。
王女としてデイジーが取った行動はあまりにも軽率で許されることではない。処女であることが貴族にとっては大事で、処女でない者は貰い手もつかない事態となるのは想像できたことだ。エヴァンもウォレンも痛々しいその姿を見ていることしかできなかったが、リズは立ち上がってダニエルを軽く押してデイジーの横に膝をついた。
「パパ、デイジーがこんなにお願いしてるんだよ? お願い聞いてあげてよ。デイジーがこんなにお願いしたことある? デイジーが泣いてるんだよ? パパがひどいことたくさん言うからデイジー泣いちゃったんだよ?」
「リズ、お前は黙ってなさい」
「やだ。黙らない。パパがデイジー許してくれなきゃリズも黙らない」
「リズ!! お前まで修道院に入れられたいのか!」
「デイジーと一緒ならいいもん!! デイジーが悲しいほうがやだ!! デイジーが泣いてるのやだよ……!」
驚いたデイジーが顔を上げてリズを見ると目が合ったリズがデイジーを抱きしめる。
「デイジーはすごくすごく優しいの。口は悪いけど、いつもリズのこと助けてくれるし、勉強だって教えてくれる。リズの大事にしてるピンクちゃんが敗れたときもデイジーが縫ってくれたんだから。デイジーは出来損ないなんかじゃない。デイジーは良い子だよ。優しくて強い子だもん。恥知らずなんかじゃない。デイジーにひどいこと言わないで。デイジーに謝ってよ。デイジーのこと泣かさないでよぉ……!」
ボロボロと止まらない涙が頬を伝ってそれを絨毯が吸収する。リズが遊びすぎてぬいぐるみの腕が破れて中から綿が飛び出したときもデイジーが縫ってくれた。バカと連呼しながらも勉強を教え、買い物に付き合うこともある。リズはデイジーの口の悪さも優しさも全てデイジーだと言い、泣きながら父親に謝れと訴えては子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「リズ、これは全てデイジーのせいだ。デイジーが自らの身分を自覚し、それに相応しい行動を取っていればそうはならなかったんだ」
「違うよ!!」
「違わん!!」
「違う違う違う違う!! デイジーは好きな人ができただけだもん!! その人と一緒になりたかっただけだもん!! その人のお姫様になりたかったんだもん!! それがどうしていけないの!? どうして悪いことになるの!? デイジーはパン屋さんのお嫁さんになりたかっただけなんだよ!? デイジーが悪いんじゃないもん!!」
「その金切り声をやめろ!! 黙らんと許さんぞ!!」
デイジーに非がないわけではない。デイジーは王族に生まれ、王女として育って今を生きている。何が良くて何がダメなのかわからない子供ではない。だからもし身体の関係まで許したのだとすればデイジーにも非があり、それは誰かに庇ってもらえるようなことではない。王族としては大罪といっても過言ではない行為だ。それでも、だからといって何を言われても仕方ないというわけではない。ましてや親に出来損ないだ、面汚しだと言われることが正しいわけがない。
反抗知らずのリズが、能天気と言われるほど笑顔の多いリズがここまで父親に反抗してデイジーを守っているのに、なぜ自分はここで黙って見ているだけなのかとクラリッサは自分が情けなくなった。妹が必死に姉を守っているのに、どうして姉である自分が妹を守らないんだと。
グッと拳を握ったクラリッサが立ち上がり、二人の前に膝をついた。
「リズもデイジーも泣かないで。可愛いお顔に涙は似合わないでしょ? 大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげるからね」
「お姉、さま……」
「ねえ……」
優しい微笑みを見せながらハンカチで涙を拭いてやるクラリッサに二人はなぜか安堵を覚えた。
クラリッサはいつも大事なときに前に立ってくれた。それは父親が自分に甘いことを知っているからだとデイジーは思っていたが、実際はそればかりではなかったことも知っていた。冷静な父親ほど怖いものはない。クラリッサはときに手を震わせながらも自分たちを後ろに隠して守ってくれた。そのとき、いつも必ずこの笑顔を見せた。女神のように優しい微笑みを。
着替えてやってきたにしては随分と時間がかかった。クラリッサは何度も時計を確認して時間を気にしたが、父親は何かの書類に目を通してばかりで使用人をにデイジーを呼びに行かせることはしなかった。
その間に家族全員が帰宅し、デイジーより先に部屋に集められた。クラリッサが頼んでおいたダニエルとロニーも一緒だった。
家族全員が揃っている必要はないのになんでいるんだと目を見開いたデイジーだが、今はそんな言葉も許されないような気がして口を閉じて中に入った。
「座りなさい」
4人掛けのソファーが向かい合い、男と女で分かれて座る。なんのために集められたか知っているのはクラリッサとデイジーだけで他のきょうだいは理由を知らないが、良くない話であることは、この場に流れる重たい妙な空気でわかっていた。末のロニーだけがそれがわからず席を立ってクラリッサの膝の上に乗ろうとしていた。それを抱き上げて膝に乗せるとクラリッサの胸に背中を預けて足を揺らす。ここがティータイムの場ならそれが癒しにもなっただろうが、今は違う。ここにいる全員がその足のパタパタ音が父親の逆鱗に触れないかの心配をしていた。
「デイジー、座りなさいと言ったのが聞こえなかったのか?」
緊張しているのだろう。立ち尽くしたまま座ろうとしないデイジーに父親がもう一度声をかけ座らせた。
クラリッサとリズの間に腰掛けるデイジーの表情に嫌悪感はない。それを表している余裕がデイジーの中にはなかった。あるのは緊張だけで、デイジーの頭の中はここに来るまでに必死に考えたであろう問答でいっぱいだった。
「それで……俺たちはなんで集められたんだ?」
デイジーが不機嫌じゃないことがデイジーに関する話であることを証明しているが、エヴァンはあえて知らないふりをした。
「この中でデイジーに関する噂を耳にしたことがある者はいるか?」
静かな声。嘘が許されないような雰囲気だが、クラリッサもウォレンも手は上げなかった。
「クラリッサ、動くな」
「ロニーがクッキーを取りたがるので取ってあげるだけです」
テーブルの真ん中に置かれているクッキーを取ろうとしただけでまるで看守のような言い方をする父親にクラリッサは従わず、皿から一枚取ってロニーに渡した。
下ろしていた髪がサラッと流れて父親から顔を隠す。前に傾けていた身体を戻す際、クラリッサはリズを見て「ダメよ」と口を動かした。だが、用心しなければならなかったのはリズではなかった。
「パン屋さん?」
ロニーだ。クッキーを食べたがっていたのではなく、クラリッサがクッキーを食べて口を閉じていてほしかっただけ。その願いは彼がクッキーを食べる前に打ち砕かれ、クラリッサは思わず目を閉じた。
「アンタ言ったのね!? 言うなって言ったのに!! 言ったら殺すって言ったわよね!?」
カッとなったデイジーが隣に座るリズの髪を鷲掴みにして何度も揺さぶり、何度も手を顔に振り下ろす。
「やあっ! ごめんなさい! ごめんなさいデイジー! ごめんなさいッ!」
痛みに涙を流しながらも抵抗せず必死に謝るリズを駆け寄ったダニエルが守るように両手を伸ばして抱きしめた。
「妹に手ぇ上げんなよッ! 謝ってんだろ!」
「謝って済む問題だったら許してるわよ! 謝って済まないから──」
「問題なのはお前が隠さなきゃいけねぇような相手と会ってることだろうが!」
ダニエルの正論にデイジーは震える唇を噛み締めながら目にいっぱいの涙を溜める。
デイジーもリズに見られた以上はバレるのも時間の問題だとわかっていた。いつかバレる。いつまでも隠してはおけないとわかっていたが、言えば最後だと自分の口から言うことができなかった。
「デイジー、パン屋の息子と関係があるのは本当か?」
相変わらず静かな声にデイジーは顔を逸らしたが「私の目を見て答えろ」と言われ、こぼれた涙で濡れた顔を向けるが答えず父親を睨みつけるだけ。
反抗的な態度は良くない。今は正直に話すべきだと目を開けて拳に変わっているデイジーの手を握ろうとするが、それよりも先に「答えろ!!」と父親の怒声が響き渡った。
それに応戦するようにデイジーが口を開く。
「そうよ! だったらなに!? リズからどこまで聞いた!? 会ってたこと!? キスしたこと!? 彼と身体の関係を持ったこと!?」
全員が絶句する。クラリッサもダニエルも二人がキスしたことまでは聞いていたが、まさか身体の関係を持っていたとは思わなかった。婚約者でもない相手と身体の関係を持つことが女はタブーとされていることはパン屋の息子でも知っているはず。相手は王女。婚約など認められるはずがない相手だとわかっていながら手を出したのだ。
やってしまった。こればかりはウォレンでさえ庇う言葉が出てこない。
「このッ……恥知らずが!!」
何度も机を叩きながら怒鳴る父親にロニーが床にクッキーを落とし、恐怖に涙しながらクラリッサにしがみつく。こうなることがわかっていたから部屋に置いておきたかったのにと眉を寄せるクラリッサはロニーの耳を塞いで父親に「ロニーが怖がっています」と言った。それでも落ち着かず、父親は「連れて行け!」と使用人に言ってクラリッサから引き剥がし両手足をバタつかせるロニーを部屋に連れて行かせてしまった。
「ああっ、情けない!! 本当に情けない!! だからお前は出来損ないだと言うんだ! 反抗ばかりで親に敬意を払うことも知らん! わがままで可愛げのない出来損ないだ!!」
「お父様!! 怒りに任せた発言はやめてください!!」
「お前は黙っていろ!!」
デイジーを出来損ないとまで罵った父親は既にクラリッサを怒らせると厄介であることなど吹き飛ぶほど怒りで満ちている。
「よりにもよって下町の貧乏人の手垢がつくなどありえんことだッ!! 汚れたお前を誰がもらいたがる!? 情けでもかけてもらわん限りは貰い手など見つからんぞ! お前が処女ではないことをどうやって説明させるつもりだ!? 私に恥をかかせたくてふざけたことをしたのか!? それとも何が恥かもわからんほどお前は愚かだったのか!? 一族の面汚しめ! ふざけるな!!」
絶叫に近い怒声が屋敷中に響き渡る。言葉を選ぶことさえも忘れて怒りのままに言葉を発する父親にデイジーの涙が止まらなくなる。実の父親から言われる罵詈雑言に耐えられる娘などいない。ショックを受けないはずがない。
「だったら追い出せばいいでしょ!! 出来損ないを家族として置いておく必要ないじゃない!! 縁を切って追い出せばいい!! お前はもう家族じゃないって追い出しなさいよ!!」
「父親である私に対してなんだその言い方は!!」
「娘を出来損ないなんて言う父親いらないわよ!! こんな偽物家族こっちからお断りよ!! 出ていくわ!!」
「デイジー!!」
泣き叫びながら立ち上がったデイジーが出て行こうとするのを慌ててクラリッサが呼び止めるもドアの前に立った使用人がその場から動くことはせず、デイジーを外に出さないようにしている。
「どきなさいよ!」
泣きながら睨みつけようとも使用人は動かない。雇い主はこの家の当主であってデイジーではないのだ。デイジーがどけと殴ろうとも使用人はその拳を受け止めるだけで押し返すことも突き飛ばすこともしない。
「デイジーやめろ!」
ウォレンが駆け寄って後ろから腕を回してデイジーを使用人から引き離すと「あああああああああああああああ!!」と腹の底から叫ぶデイジーが近くにあった花瓶を掴んで床に叩きつけた。飛んでくる破片からリズを守るため背を向けるダニエルの制服のブレザーに破片が刺さる。
「八つ当たりした気分はどうだ?」
人は不思議なもので、頂点に達した怒りも他人の怒りを見ると鎮まっていく。
父親は今その状態であり、また静かな声でデイジーに問いかけた。
「お前はもう外に出るな」
「学校は? 行かなくていいってわけ? 私は恥晒しなんでしょ? 私はお姉さまみたいに座ってニコニコしてるだけで貢ぎ物がもらえるレベルじゃないし、家の中でダラダラしてるだけの娘がいるってそれこそ恥じゃない?」
「お前は修道院に入れる」
「…………は?」
やけになって半笑いで返すデイジーもさすがに咄嗟の反応が出てこなかった。聞き間違いかと思えるその言葉にデイジーが震えた声で問いかける。
「修道院……?」
「そうだ」
聞き間違いではなかった。父親が下す信じられない決断にデイジーは口を開けたまま固まっている。
「パン屋は明日にでも取り壊せ。王女と知りながら手を出すような犯罪者が開く店のパンなど恐ろしくて国民には食べさせられん」
「やめて!!」
今日一番の悲痛な声に父親は無情にも首を振る。
「やめて……お願い……潰さないで……。あのお店は彼のおじいさんの代から続くお店なの……大事なお店なの……。あのお店を継ぐことが彼の夢なの……だからお願い……それだけはやめて……」
滝のような涙が頬を濡らし、声を震わせながら何度も首を振るデイジーがようやく父親を睨みつけるのをやめた。だが、娘がどれほど涙を流そうと父親の意思は固く、慈悲は与えない。
「ダメだ」
ハッキリと告げられたその言葉にデイジーがその場で膝をついて祈るように両手を組みながら父親に懇願する。
「お願いです! お願いします! 修道院に入りますから彼のお店だけは潰さないでください! お願いします! お願いします! お願いします! お店だけは許してください!!」
段々と背が丸くなり、伸ばしていた腰も曲がって絨毯の上に額をつけたデイジーが懇願を続ける。
王女としてデイジーが取った行動はあまりにも軽率で許されることではない。処女であることが貴族にとっては大事で、処女でない者は貰い手もつかない事態となるのは想像できたことだ。エヴァンもウォレンも痛々しいその姿を見ていることしかできなかったが、リズは立ち上がってダニエルを軽く押してデイジーの横に膝をついた。
「パパ、デイジーがこんなにお願いしてるんだよ? お願い聞いてあげてよ。デイジーがこんなにお願いしたことある? デイジーが泣いてるんだよ? パパがひどいことたくさん言うからデイジー泣いちゃったんだよ?」
「リズ、お前は黙ってなさい」
「やだ。黙らない。パパがデイジー許してくれなきゃリズも黙らない」
「リズ!! お前まで修道院に入れられたいのか!」
「デイジーと一緒ならいいもん!! デイジーが悲しいほうがやだ!! デイジーが泣いてるのやだよ……!」
驚いたデイジーが顔を上げてリズを見ると目が合ったリズがデイジーを抱きしめる。
「デイジーはすごくすごく優しいの。口は悪いけど、いつもリズのこと助けてくれるし、勉強だって教えてくれる。リズの大事にしてるピンクちゃんが敗れたときもデイジーが縫ってくれたんだから。デイジーは出来損ないなんかじゃない。デイジーは良い子だよ。優しくて強い子だもん。恥知らずなんかじゃない。デイジーにひどいこと言わないで。デイジーに謝ってよ。デイジーのこと泣かさないでよぉ……!」
ボロボロと止まらない涙が頬を伝ってそれを絨毯が吸収する。リズが遊びすぎてぬいぐるみの腕が破れて中から綿が飛び出したときもデイジーが縫ってくれた。バカと連呼しながらも勉強を教え、買い物に付き合うこともある。リズはデイジーの口の悪さも優しさも全てデイジーだと言い、泣きながら父親に謝れと訴えては子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「リズ、これは全てデイジーのせいだ。デイジーが自らの身分を自覚し、それに相応しい行動を取っていればそうはならなかったんだ」
「違うよ!!」
「違わん!!」
「違う違う違う違う!! デイジーは好きな人ができただけだもん!! その人と一緒になりたかっただけだもん!! その人のお姫様になりたかったんだもん!! それがどうしていけないの!? どうして悪いことになるの!? デイジーはパン屋さんのお嫁さんになりたかっただけなんだよ!? デイジーが悪いんじゃないもん!!」
「その金切り声をやめろ!! 黙らんと許さんぞ!!」
デイジーに非がないわけではない。デイジーは王族に生まれ、王女として育って今を生きている。何が良くて何がダメなのかわからない子供ではない。だからもし身体の関係まで許したのだとすればデイジーにも非があり、それは誰かに庇ってもらえるようなことではない。王族としては大罪といっても過言ではない行為だ。それでも、だからといって何を言われても仕方ないというわけではない。ましてや親に出来損ないだ、面汚しだと言われることが正しいわけがない。
反抗知らずのリズが、能天気と言われるほど笑顔の多いリズがここまで父親に反抗してデイジーを守っているのに、なぜ自分はここで黙って見ているだけなのかとクラリッサは自分が情けなくなった。妹が必死に姉を守っているのに、どうして姉である自分が妹を守らないんだと。
グッと拳を握ったクラリッサが立ち上がり、二人の前に膝をついた。
「リズもデイジーも泣かないで。可愛いお顔に涙は似合わないでしょ? 大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげるからね」
「お姉、さま……」
「ねえ……」
優しい微笑みを見せながらハンカチで涙を拭いてやるクラリッサに二人はなぜか安堵を覚えた。
クラリッサはいつも大事なときに前に立ってくれた。それは父親が自分に甘いことを知っているからだとデイジーは思っていたが、実際はそればかりではなかったことも知っていた。冷静な父親ほど怖いものはない。クラリッサはときに手を震わせながらも自分たちを後ろに隠して守ってくれた。そのとき、いつも必ずこの笑顔を見せた。女神のように優しい微笑みを。
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