鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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「謝れだと!?」

 朝、クラリッサの顔を見に来た父親に向かってクラリッサはこう言った。

『パーティーに出席してほしければ謝ってください』と。それが父親の怒りに火をつけた。

「私に何を謝れと言うんだ!?」
「勝手に花を捨てようとしたこと、怒鳴ったことは謝罪すべきことだと思いませんか?」
「あの花は毒花だ!」

 毒があるなら自分は今頃どうにかなっていると表情にだけ出したのは今日は同じことを繰り返すつもりがないから。
 大きなため息を吐き出すと一瞬父親の肩が跳ねた。エヴァンと話したことが頭に浮かんでいるのだ。クラリッサを怒らせて良いことは何もない。それを一番よくわかっているのは父親だった。

「お父様、私はお父様が謝ってくださればパーティーに出ると言っているのです。天秤にかけなければわからないことでしょうか?」
「私が何を天秤にかけていると言うんだ?」

 極力怒らないように努めているのは伝わってくる。

「謝罪とプライドです」
「私がプライドのために謝らないとでも言いたいのか!?」

 それはクラリッサも同じ。頭の中では父親に紅茶をぶっかけてそのままティーカップを頭に叩きつけて怒鳴っているが、それは頭の中での出来事として留めている。

「怒鳴ったことを謝罪してくださいと言っている私にまた怒鳴るのですか?」
「ぐっ……!」
「私はお前をパーティーに引きずり出すこともできる」
「私はそのパーティーで不愉快そうな顔をすることもできます」
「お前にそんなことができるのか?」
「やってみましょうか?」

 そう言われてしまうと弱いのは父親だ。脅しだとは思っているが、本当にされてしまっては困る。

「手を差し出すのもお礼を言うのも笑顔を見せるのもやめて人形のように座っていることもできるんですよ」
「わかった!! わかった!!」

 鑑賞用として育ててきた父親にとって娘がパーティーに出ないことほど痛手を負うことはない。不機嫌な顔をされると親子関係に問題あるのかと思われてしまう。それも避けたかった。
 観念したように立ち上がった父親を真顔で見つめるクラリッサ。父親にはその顔が本当に謝る気があるのかと疑っているようにさえ見えた。

「クラリッサ、あれは全て私が悪かった。お前のことを思うがあまりカッとなって怒鳴ってしまった。ダークエルフがお前に近付こうとしているのではないかと不安に駆られて心配だったんだ。わかっておくれ」
「理解はしていますが、必要なのは謝罪だけです」
「ぐぬぬっ!」

 謝罪ついでに自分の行動を正当化しようとする父親に笑顔で告げるとすぐに悔しげな顔へと変わる。

「それで、パーティーには出てくれるんだな?」
「ええ、それが仕事ですから」
「すぐに準備しろ! 街にも知らせを出せ!」

 やれやれと首を振りながらもこれでいいのだとクラリッサは思った。外の世界を望むには遅すぎた。今の生活に退屈を感じていたのはもう過去のことで、今は夜に楽しみがある。幸せさえ感じている瞬間があるのなら誰もが平穏に暮らせるよう行動するのが自分の役目だと思っているから鑑賞用に戻るのも辛くはない。
 今日はパーティーを気分良く過ごせそうだと思っていた。出た瞬間までは……



「お久しぶりでございます! 最近はパーティーの頻度も減り、なかなかお会いできず寂しい思いをしていました」
「クラリッサにも休息が必要と思ってな」
「そうだと思っていました! リフレッシュすることで心身共にまた一段と磨かれたとお見受けします」

 一人の王女に会うために高価な贈り物を持って並ぶ姿は何千回見ても滑稽でならない。膝をついて目を輝かせながら見つめてくる男にクラリッサは笑顔を浮かべるだけ。
 それだけで男たちは幸せそうに表情を蕩けさせて帰っていくのだ。
 そういえばこんな毎日だったと懐かしく思う光景に今日は嫌気はささない。自分の人生にあるのはこのワンシーンだけではないのだから悲観する必要はない。何も恐れることはないのだと今日は爽やかな気持ちでいる。

「もうすぐお誕生日ですね。二十歳の記念パーティーはさぞ豪華になさるのでしょう?」
「長女の誕生日を盛大に祝わない親はいない。各国に招待状を出すつもりだ」
「婚約者をお決めになられるので?」
「いやいや、まだ早い。あと五年は婚約者など決めるつもりはないよ」

 表情こそ崩さなかったものの、クラリッサはやはりそうかと心の端が重くなるのを感じた。
 二十五歳がリミット。なぜその年齢なのかはわからないが、その年齢から美しさに翳りが見え始めるのだろう。今が絶頂期と言わんばかりに結婚の話を持ち出してくる男たちに爽やかな気分は一瞬で吹き飛んだ。

「クラリッサ王女がご結婚なされば私も含め、ショックを受ける男たちは多いでしょうね」
「そうだな。だが、いずれは嫁に行く身。クラリッサには子を残す義務がある」
「この美しさは受け継いで行かなければなりませんからね。わかりますわかります」

 子を残すことを義務と言われるのは辛いが、顔しか取り柄がない自分にできることはそれぐらいかと納得してしまうのが嫌だった。だが子供は欲しい。だから怒る気にはならなかった。
 事務的に流されていく男たちの顔と名前は相変わらず一致しないまま時間が流れていき、態度に出さず鑑賞用王女として振る舞う娘に父親も上機嫌で話をし続けていた。
 だが……

「デイジー王女のご婚約、おめでとうございます」

 ある一人の男の言葉によって会場の空気が一変する。

「どこからそんなくだらない噂が出てきたのか。デイジーの婚約者は決まっていない」
「え? ですが、デイジー王女が──」
「あ、なっ何を持ってきてくださったのですか!?」
「あ、これはですね──……」

 こんな場所で広まるのだけは避けなければとクラリッサが慌てて男が持っているプレゼントに手を伸ばして問いかけることで意識を逸らそうとしたのだが、父親がクラリッサの前に腕を伸ばしたことで場が静まり返った。 

「デイジーの噂とやらを話してもらえるか?」
「お、お父様! ここでデイジーの話なんてしないでください! 私のパーティーなんですよ!?」

 少しわがままめいた口調を使うが、父親の厳しい目つきになす術がない。

(デイジーごめんなさいッ)

 心の中で謝るクラリッサの耳にも入るデイジーの噂に目を開けて聞いてはいられなかった。
 男は一応の気を遣って小声で報告するが、この男が目撃者でもない限りは他の者も知っているとみて間違いない。

「パーティーは終わりだ」

 それだけ告げるとまだ大勢の公子たちが並んでいるというのに父親はクラリッサの腕を引っ張って屋敷へと戻っていく。
 ブーイングこそ起こらないものの気合を入れてきた公子たちにとっては予想外で最悪の展開。戸惑いにザワつく会場をあとにしながらもクラリッサはなんとか父親を引き止めようと試みた。

「お父様、きっと何かの間違いですわ。ただの噂ですもの」
「世の中には火のない所に煙は立たんという言葉がある」
「人の噂も、という言葉もあるのでしょう? 勝手に噂させておけばいいじゃないですか」
「どちらにせよデイジーに話を聞く必要がある」

 歩みを止めるどころかスピードを落とすことなく向かうはデイジーの部屋。

「デイジー!」

 ノックもなしにドアを開けるもデイジーは不在。

「デイジーはまだ帰っていないのか?」
「デイジー王女の馬車はまだありません」
「……パン屋に寄っているのではないだろうな……」

 壁にかかっている時計を見る限り、デイジーが帰ってくるまで三十分もない。父親の怒りはデイジーから真実を聞くまで鎮火することはないだろう。
 エヴァンもウォレンもいない。リズは孤児院に寄り、ダニエルはロニーを迎えに行ってから帰ってくる。
 父親が手を離したことでクラリッサは少し離れた場所にいる使用人に声をかけた。

「ダニエルとロニーが帰ってきたら部屋ではなく、離れにいるよう言ってくれる?」
「かしこまりました」

 伝言を伝えるために馬車が停まる玄関口へと向かった使用人の背中を見送りながらクラリッサは必死に頭を働かせる。
 リズは作り話はしない。だからデイジーがパン屋の息子とデキているのは本当だろう。それを聞かれてデイジーが隠すかが問題。
 デイジーにとってはきっと初恋だろうから最悪な物語にはしたくないととにかく考えた。

「クラリッサ」
「……はい」

 こういう声を出すときの父親は妙に鋭い部分があってクラリッサは苦手だった。

「デイジーから相談を受けたことは?」
「ありません。デイジーが私を疎ましく思っているのはお父様もご存知のはず。デイジーが私に相談すると思いますか?」
「……それもそうだな」

 知っていたかと聞かなかったのは外に出ないクラリッサが見かけたはずもなく、外の情報をあまり入れるなと言ってある以上はクラリッサの耳に入っていたとは思っていないから。彼の中で長女は嘘つきではないことになっている。
 もし知っていたかと聞かれてもクラリッサは嘘をつくつもりだった。エイベルに出会ってから嘘をつき続けているのだから今更ついた嘘が一つや二つ増えたぐらいで罪悪感はない。

「どこへ行くんだ?」
「散歩です」
「ここにいろ」

 玄関口までデイジーを迎えに行って父親から話があることを伝えようと思ったのに許されなかった。
 どうにか上手くやってほしいが、デイジーは反抗期ですぐにカッとなってしまう。できるだけ穏やかさを取り繕って知らぬ存ぜぬで通すよう祈るしかできない現状がもどかしかった。

「……なにやってんの?」

 思ったよりも早い帰宅にクラリッサと父親が同時に振り返る。不思議というよりは嫌悪感を滲ませるデイジーが立ち止まって距離を取っていた。

「そこ私の部屋なの。どいて」

 犬でも追い払うようにシッシッと手を動かすデイジーに今日の父親は甘くない。

「話がある」
「……なに?」

 父親が纏う雰囲気にデイジーも気付いた。

「今、巷ではとある噂が流れている。知っているか?」
「知らない。噂とか興味ないし。とりあえず着替えたいからどいてくれる? 部屋に入りたいの」
「お前に関する噂だ」
「……は?」

 一瞬、ほんの一瞬だが、デイジーの表情に緊張が走ったように見えた。

「心当たりは?」

 あえて穏やかに問いかける父親が不気味でならない。デイジーは答えないままクラリッサを見ると眉を下げて首を振っている。知られてしまったのだと青ざめるデイジーにこの時点で父親の中で噂は真実であると確信へと変わった。

「話がある。着替えたら私の部屋に来なさい」

 デイジーは答えない。

「聞こえたのか?」
「…………」
「デイジー、返事をしろ」

 強制さを感じさせる威圧感にデイジーは今にも消え入りそうな声で「はい」とだけ返事をした。

「クラリッサ、お前は私と来なさい」
「私はデイジーと一緒に行きます」
「聞こえなかったのか? 私と来なさいと言ったんだ。これはお願いではなく命令だ」

 王族としての行事ではないことに命令と言う父親はどうかしている。
 差別はあれどデイジーも可愛い娘。いつかはちゃんとした相手を、と思っていた父親にとってパン屋の息子は耐えられなかったのかもしれない。裏切られたとさえ思っているのかもしれないと心中察するが、デイジーのことも心配だった。

 そして、暫くして着替えたデイジーが部屋にやってきた。
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