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一悶着
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幸せな気分で眠りについた日は睡眠時間が短かろうと肌の調子は良く、三時間にも満たない眠りでもすっきりとした気分で起きることができた。
今日開催されたパーティーも最高の気分で過ごし、父親の機嫌も良かった。
時間は遅くなったが、アイレが来てくれたら花の感想を伝えようとはやる気持ちを抑えながら食事を終えた。
「なんだこれは……」
食事の際、使用人から耳打ちを受けて足速に席を立った父親が食事が終わるまでに戻ってくることはなかった。クラリッサも含め家族全員がそれを気にすることなく済ませたのだが、きょうだいに送られて部屋に戻るとドアが開いていることに気付いた。
中から聞こえてくる感動とは程遠い震えた声にクラリッサがハッとし、慌てて駆け出した。
「クラリッサッ!」
響き渡る父親の怒声。まさかと思ったときには遅かった。
「これはどういうことだ?」
父親の手にはレニスが入った一輪挿しの花瓶。なぜ怒っているのかと問いかけるまでもない。父親はそれがどういうものか知っているのだ。だが、クラリッサはあえて問いかけた。
「……何をそんなに怒っているのですか?」
その言葉に父親の表情が険しくなる。
「なぜお前がこの花を持っているんだ!」
知らないとは言えない。お気に入りの花瓶に入っているのだから使用人が勝手に触って飾るわけがない。となれば犯人は疑うまでもなくクラリッサだと父親の中で結論が出ているのだろう。
「それは鳥が運んできてくれた物です」
「嘘をつくんじゃない」
「嘘ではありません!」
クラリッサの声と張り合うように近くのテーブルに拳を振り下ろした父親にきょうだいも眉を寄せる。怯えるロニーをダニエルが抱き寄せ、そのダニエルをリズが抱き寄せた。
「この花はな、ダークエルフの森でしか咲かない花だ。ダークエルフが宝としている花なんだ。それを鳥が摘んで運んできたとでも言うのかッ!!」
この花に大事な娘が触れたという事実だけでもダークエルフを嫌っている父親には許せないことだった。
「これは呪われた花だ!! 二度と触れるんじゃない! こんな花は──」
「やめてください!!」
花瓶を握った父親の手が上がったのを見て悲鳴にも近い声を上げたクラリッサが慌てて駆け寄った。
「何をするんだ! 離しなさい!」
「花に罪はありません! やめてください!」
「私の話を聞いていなかったのか!? この花は呪われていると言っただろう!!」
「呪われてなんていません! 花は花です!」
「いい加減にしなさいッ!!」
クラリッサが父親の手を掴み、父親はその手を離させようと左右に動かす。花瓶の中の水が揺れてテラスにこぼれていく。
花だけはと必死に死守しようとするクラリッサに怒鳴りながら力いっぱい引き離した瞬間、花瓶からこぼれて伝っていた水で滑った手から花瓶が離れ、一階へと落ちていった。
「いやッ! だめッ!」
アイレが、エイベルがクラリッサにと譲ってくれた花。あの森にしか咲かない貴重な花。心がこもった大切な花が傷ついてしまうと花瓶を追いかけようと階段に向かうクラリッサの腕を父親が掴んだ。
「離してください!! 離して!!」
「言うことを聞くんだ!!」
地面に落ちた花瓶が割れる音が聞こえた。全身の力が抜けようにその場に座り込んだクラリッサをエヴァンとウォレンが支えるも立とうとはしない。
彼らの気持ちさえも踏み躙ったような気分に声こそ出さないものの顔を両手で覆って丸めた背中を震わせるクラリッサが泣いているのがわかった。
「花瓶はまた同じ物を手配してやる──ッ!?」
そっと背中に触れる父親の手をクラリッサが強く振り払った。初めてのことだ。
「花に罪はないと言ったじゃないですか! 花が呪われてるなんてあるはずない! お父様はダークエルフを嫌ってるから花にまでそんな馬鹿馬鹿しいことを思うんです!」
「馬鹿馬鹿しいだと? 私に馬鹿馬鹿しいと言ったのか!?」
「やめろやめろッ! 喧嘩なんからしくないぞ!」
エヴァンが二人の間に入って落ち着けと宥めるが、クラリッサの父親を睨む目は緩まない。
父親に怒声を浴びせることも、これほど強い口答えをしたこともなかった物分かりのいい長女が今、自分の意思で反抗している。その光景を家族全員が驚いた顔で見ていた。
何があろうと長女には甘い父親がムキになることも、なんだかんだで父親の横暴さに付き合ってきた長女の真っ向からの対立が起こりそうな予感にエヴァンが緊張状態だけでも解こうと二人に交互に笑顔を向ける。
「クラリッサはあの花がどういう物か知らなかったんだ。仲良くしてる鳥がお礼にって持ってきてくれたかもしれないだろ? ダークエルフの森にだって鳥ぐらいいるだろうし、持ってきたっておかしくないさ。そうだろ? な?」
「ダークエルフは鳥を食糧としか見ていない。奴らに愛でる心などありはしないのだからな!」
クラリッサが拳を握る。
「そんなのわからないだろ? 事実、鳥はこれをここまで持ってきた。俺やリズの部屋じゃなくてクラリッサのテラスに置いたのがその証拠だ。鳥もわかって置いたんだよ。クラリッサは何も悪くない。そんなクラリッサを責めるなよ」
父親の肩を軽く叩いて宥めたら次はクラリッサだと身体を向けた。
「お前が花好きなのは俺たち全員が知ってることだが、ムキになりすぎだ。世の中には毒草ってのもあって、死に至ることもあるんだぞ」
「私が言っているのは呪われた花なんかではないということです。お父様がダークエルフを嫌っていることは知っていますし、それを変えさせるつもりもありません」
「変えるわけがないだろう。ダークエルフは存在すべきではないんだ! 契約がなければあんな森、今すぐにでも焼き払ってやるというのに!」
沸々と湧き上がる怒りをどうすればいいのかクラリッサ自身わからないでいる。ウォレンが一方的な婚約破棄をされたときも腹の底から怒りを感じたが、ここまでではなかった。
今は握りしめた拳を父親の顔めがけて放ちたいほど。
「花を愛でる気持ちがないのはお父様も同じでしょう!」
「なんだと!? 誰のためにあの花畑を維持していると思ってるんだ! お前が願ったからだぞ! お前が毎日花が見たいと言うから作ってやった私にそんな口を利くのか!?」
親として娘の願いを聞いただけで花を愛でていたわけではない。そんなこともわからないのかとクラリッサは父親を睨むのをやめて再び階段へと向かった。
「行かせるな!!」
エヴァンがクラリッサの腕を掴み、アイコンタクトをする。足を止めたクラリッサの代わりにエヴァンが下へと駆け足で降りていき、花を取りに行った。
「どういうことだ……?」
下から聞こえた困惑を含んだ声にウォレンがどうしたのかと問いかける。
「花がないぞ……」
「どういうこと? 花瓶はそこに落ちたよね?」
「花瓶はここにある。割れて使い物にならない。でも花がないんだよ……」
誰かが持ち去らないかぎりは花が消えるはずがない。そんな常識に戸惑うのは誰もいないはずの庭に落ちた花だけがなくなっているから。
「だから言っただろう! あの花は呪われているんだ!!」
父親の怒声にウォレンも階下へ降りていく。
「よく探したの? 花だけどっかに飛んでったかもしれないよ」
「花束と違って軽いからって見回して見つからん場所にまで飛んでいくってことはないだろ」
「でも花が消えるなんておかしい。よく探そう」
これ以上父親の見苦しい癇癪は御免だとウォレンはその場だけではなく足を動かして辺りを探し始めた。白い花だから闇夜に紛れにくいはずだと。
エヴァンはそうしない。父親の癇癪を見るのは御免だが、ここはクラリッサのために整えられた庭だ。花が隠れるような長い草もなければ置物もない。見回してないのならない。賢いウォレンならそれがわかっているはずなのに探すのは、ウォレンがクラリッサの味方だから。
兄として妹のためにしてやれることは多いはずなのに、父親の命に従ってばかりで何もしてやれていない。それがいつも申し訳ないと思っていた。
「見つかったか?」
上から降ってくる父親の不機嫌な声にウォレンがエヴァンを見ると首を振る。これ以上探してもパフォーマンスにしかならない。意味のないことだと階段を上がっていくエヴァンの後をウォレンも肩を落としながらついていく。
「ウォレンが端から端まで探したが……見つからなかった」
「当然だ。あの花は呪われているのだからな」
「呪いと消失は無関係だと思いますけど」
クラリッサの言葉に再びテーブルを叩く父親に怯えたロニーが泣き始め、ダニエルとリズと一緒に部屋から出ていった。
「お前はさっきから何様のつもりだ! 私はバカにするのも大概にしろ!」
言葉で反抗しない代わりに無視をするクラリッサにエヴァンもお手上げだった。
花一つにそこまで固執する理由はなんだと聞こうにも父親がいるこの場でクラリッサが答える可能性はゼロに等しい。
「もう出てってください」
「テラスには出るな! 鍵をかけておけ!」
「鍵をかけるならパーティーには出ません!」
「なんだと!?」
クラリッサの怒声にまた父親がカッとなるがエヴァンが父親の肩を抱いて歩みを進めていく。
「まあまあまあまあ、二人とも頭に血が上りすぎてるんだ。一旦離れて落ち着こう。な? パーティーも休めばいいし、父上もクラリッサのことを気にかけ続けるのはやめればいい。互いに少し肩の荷を下ろそう」
「パーティーには出席しろ!」
「父上」
「絶対に出席しません! させられても笑顔は見せませんから!」
「クラリッサ」
勘弁してくれと頭を抱えたくなったエヴァンだが、振り返って叱ろうとする父親を強制的に引き摺り出して部屋へと連れ帰った。
「見つけられなくてごめんよ、クラリッサ」
「お兄様が気にすることじゃないわ。大騒ぎしてごめんなさい。ロニーにも謝っておいて」
「わかった。君が気にすることじゃないからね」
「ありがとう」
クラリッサの腕をポンポンと軽く叩いて部屋から出ていくと使用人も全員撤退するが、クラリッサは数人だけ呼び止めた。この部屋に出入りする許可を得ているクラリッサ専属の使用人たち。その中でも掃除係を担っている四人。
「テラスであれを見つけたのは誰?」
全員が顔を青くしながら俯く。何が行われるかわかっているのだ。
「いいわ、わかった。じゃあ目を閉じて」
ギュッと目を閉じる使用人にクラリッサはもう一度同じことを問いかけた。
「テラスであれを見つけたのは誰?」
四人のうち三人が同じ人物を指差した。
「お父様に報告したほうがいいと言ったのは?」
また同じ人物が三人から指を指される。
「私の部屋にある物をわざわざお父様に報告した理由を教えてくれる? カレン」
「ッ!?」
名前を呼ばれて顔を上げたそばかすだらけの地味な少女。慌てて三人を見るが、三人は俯いて目を合わせようとはしない。裏切られたと唇を噛み締めるカレンがその場で膝をついて祈るように手を組んだ。
「お願いします! クビにはしないでください! 私には病気の両親がいて、弟と妹がいるんです! 私が養っていかなければならないんです!」
泣きじゃくりながら必死に懇願するカレンの言葉が嘘かどうかクラリッサにはわからない。クラリッサには自由に雇える使用人がいない。カレンの言っていることが本当か調べてほしいと他の使用人に頼むことができないのだ。そんなことを頼めばすぐに父親の耳に入ってしまう。
「私の疑問に答えてくれる?」
「わ、私は……私たちは……旦那様からクラリッサ王女様に関することはなんでもいいから報告するよう言い付けられています。な、なので、庭では見ない花が置いてあったので報告して……」
ガタガタと震えるカレンが最後まで言葉を続けることはなく、泣き声が響くだけ。
「お許しください! どうかお願いです! お許しください! ここに置いてください!」
まるでこれから処刑にでもかけられるような言い方にクラリッサは溜め息にも似た息を吐き出してカレンの前に膝をついた。額を絨毯に擦り付けながら謝り続けるカレンの背中の上をクラリッサの手が這う。
「あなたをクビになんてしないわ。ただ、どうして先にお父様に言ったか知りたかっただけ。私はね、お父様に言う前に私に聞いてほしかったの。これは庭に咲いてない物だけどって。私の部屋にある物は私の持ち物だから」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
何をしても何を言っても父親に報告がいくようにできている。きっとこの四人だけではなく、この屋敷で働く数百人の使用人全員にそう言っている。もともと感じていたことはあったが、確信へと変わった。
「変な物は置いてないつもりだけど、疑問に思ったことがあればお父様に報告する前に私に聞いてくれる?」
「はい! 必ずそうします! 申し訳ございませんでした!!」
「引き止めてごめんなさいね。さ、涙を拭いて」
差し出したハンカチを受け取れないと首を振って袖で涙を拭く使用人が顔を上げて何度も深く頭を下げながら立ち上がって四人一緒に出ていった。
たった一輪でもあれはクラリッサには宝物になった物。それを呪いの花だと言って粗末に扱おうとした父親には心底腹が立ってたが、クラリッサがあの使用人のように泣かなかったのはアイレの姿が見えたから。
父親の後ろに姿を見せて腕で大きな丸を作ったのを見て花が無事であることを知った。残ったのは怒りだけ。だからクラリッサは強気に出続けた。
「……はあ……」
何度父親に嘘をつくのだろう。ここ最近、ずっと嘘をつき続けている。申し訳ないと思う気持ちと少しぐらい自由を得ても許されるだろうと思う気持ちとが交差して上手く整理がつかない。
ダークエルフを憎んでいるとわかっていながらダークエルフの森に行った。そしてダークエルフと親しくなっている。これは許されることではないとわかっていながらもクラリッサはエイベルとの交流をやめるつもりはなかった。彼らとの交流があるから生きているのだと実感できるようになったのだから。
申し訳ない気持ちはあれど、今回ばかりはクラリッサの決意も固い。暫くはパーティーには出ない。
こんなことがあっても使用人たちは気まずさを隠して再度クラリッサの部屋を訪ね、風呂の用意に走る。
冷や汗をかいた今日はうんざりする気持ちとは対照的に久しぶりに湯浴みが心地良く感じた。
今日開催されたパーティーも最高の気分で過ごし、父親の機嫌も良かった。
時間は遅くなったが、アイレが来てくれたら花の感想を伝えようとはやる気持ちを抑えながら食事を終えた。
「なんだこれは……」
食事の際、使用人から耳打ちを受けて足速に席を立った父親が食事が終わるまでに戻ってくることはなかった。クラリッサも含め家族全員がそれを気にすることなく済ませたのだが、きょうだいに送られて部屋に戻るとドアが開いていることに気付いた。
中から聞こえてくる感動とは程遠い震えた声にクラリッサがハッとし、慌てて駆け出した。
「クラリッサッ!」
響き渡る父親の怒声。まさかと思ったときには遅かった。
「これはどういうことだ?」
父親の手にはレニスが入った一輪挿しの花瓶。なぜ怒っているのかと問いかけるまでもない。父親はそれがどういうものか知っているのだ。だが、クラリッサはあえて問いかけた。
「……何をそんなに怒っているのですか?」
その言葉に父親の表情が険しくなる。
「なぜお前がこの花を持っているんだ!」
知らないとは言えない。お気に入りの花瓶に入っているのだから使用人が勝手に触って飾るわけがない。となれば犯人は疑うまでもなくクラリッサだと父親の中で結論が出ているのだろう。
「それは鳥が運んできてくれた物です」
「嘘をつくんじゃない」
「嘘ではありません!」
クラリッサの声と張り合うように近くのテーブルに拳を振り下ろした父親にきょうだいも眉を寄せる。怯えるロニーをダニエルが抱き寄せ、そのダニエルをリズが抱き寄せた。
「この花はな、ダークエルフの森でしか咲かない花だ。ダークエルフが宝としている花なんだ。それを鳥が摘んで運んできたとでも言うのかッ!!」
この花に大事な娘が触れたという事実だけでもダークエルフを嫌っている父親には許せないことだった。
「これは呪われた花だ!! 二度と触れるんじゃない! こんな花は──」
「やめてください!!」
花瓶を握った父親の手が上がったのを見て悲鳴にも近い声を上げたクラリッサが慌てて駆け寄った。
「何をするんだ! 離しなさい!」
「花に罪はありません! やめてください!」
「私の話を聞いていなかったのか!? この花は呪われていると言っただろう!!」
「呪われてなんていません! 花は花です!」
「いい加減にしなさいッ!!」
クラリッサが父親の手を掴み、父親はその手を離させようと左右に動かす。花瓶の中の水が揺れてテラスにこぼれていく。
花だけはと必死に死守しようとするクラリッサに怒鳴りながら力いっぱい引き離した瞬間、花瓶からこぼれて伝っていた水で滑った手から花瓶が離れ、一階へと落ちていった。
「いやッ! だめッ!」
アイレが、エイベルがクラリッサにと譲ってくれた花。あの森にしか咲かない貴重な花。心がこもった大切な花が傷ついてしまうと花瓶を追いかけようと階段に向かうクラリッサの腕を父親が掴んだ。
「離してください!! 離して!!」
「言うことを聞くんだ!!」
地面に落ちた花瓶が割れる音が聞こえた。全身の力が抜けようにその場に座り込んだクラリッサをエヴァンとウォレンが支えるも立とうとはしない。
彼らの気持ちさえも踏み躙ったような気分に声こそ出さないものの顔を両手で覆って丸めた背中を震わせるクラリッサが泣いているのがわかった。
「花瓶はまた同じ物を手配してやる──ッ!?」
そっと背中に触れる父親の手をクラリッサが強く振り払った。初めてのことだ。
「花に罪はないと言ったじゃないですか! 花が呪われてるなんてあるはずない! お父様はダークエルフを嫌ってるから花にまでそんな馬鹿馬鹿しいことを思うんです!」
「馬鹿馬鹿しいだと? 私に馬鹿馬鹿しいと言ったのか!?」
「やめろやめろッ! 喧嘩なんからしくないぞ!」
エヴァンが二人の間に入って落ち着けと宥めるが、クラリッサの父親を睨む目は緩まない。
父親に怒声を浴びせることも、これほど強い口答えをしたこともなかった物分かりのいい長女が今、自分の意思で反抗している。その光景を家族全員が驚いた顔で見ていた。
何があろうと長女には甘い父親がムキになることも、なんだかんだで父親の横暴さに付き合ってきた長女の真っ向からの対立が起こりそうな予感にエヴァンが緊張状態だけでも解こうと二人に交互に笑顔を向ける。
「クラリッサはあの花がどういう物か知らなかったんだ。仲良くしてる鳥がお礼にって持ってきてくれたかもしれないだろ? ダークエルフの森にだって鳥ぐらいいるだろうし、持ってきたっておかしくないさ。そうだろ? な?」
「ダークエルフは鳥を食糧としか見ていない。奴らに愛でる心などありはしないのだからな!」
クラリッサが拳を握る。
「そんなのわからないだろ? 事実、鳥はこれをここまで持ってきた。俺やリズの部屋じゃなくてクラリッサのテラスに置いたのがその証拠だ。鳥もわかって置いたんだよ。クラリッサは何も悪くない。そんなクラリッサを責めるなよ」
父親の肩を軽く叩いて宥めたら次はクラリッサだと身体を向けた。
「お前が花好きなのは俺たち全員が知ってることだが、ムキになりすぎだ。世の中には毒草ってのもあって、死に至ることもあるんだぞ」
「私が言っているのは呪われた花なんかではないということです。お父様がダークエルフを嫌っていることは知っていますし、それを変えさせるつもりもありません」
「変えるわけがないだろう。ダークエルフは存在すべきではないんだ! 契約がなければあんな森、今すぐにでも焼き払ってやるというのに!」
沸々と湧き上がる怒りをどうすればいいのかクラリッサ自身わからないでいる。ウォレンが一方的な婚約破棄をされたときも腹の底から怒りを感じたが、ここまでではなかった。
今は握りしめた拳を父親の顔めがけて放ちたいほど。
「花を愛でる気持ちがないのはお父様も同じでしょう!」
「なんだと!? 誰のためにあの花畑を維持していると思ってるんだ! お前が願ったからだぞ! お前が毎日花が見たいと言うから作ってやった私にそんな口を利くのか!?」
親として娘の願いを聞いただけで花を愛でていたわけではない。そんなこともわからないのかとクラリッサは父親を睨むのをやめて再び階段へと向かった。
「行かせるな!!」
エヴァンがクラリッサの腕を掴み、アイコンタクトをする。足を止めたクラリッサの代わりにエヴァンが下へと駆け足で降りていき、花を取りに行った。
「どういうことだ……?」
下から聞こえた困惑を含んだ声にウォレンがどうしたのかと問いかける。
「花がないぞ……」
「どういうこと? 花瓶はそこに落ちたよね?」
「花瓶はここにある。割れて使い物にならない。でも花がないんだよ……」
誰かが持ち去らないかぎりは花が消えるはずがない。そんな常識に戸惑うのは誰もいないはずの庭に落ちた花だけがなくなっているから。
「だから言っただろう! あの花は呪われているんだ!!」
父親の怒声にウォレンも階下へ降りていく。
「よく探したの? 花だけどっかに飛んでったかもしれないよ」
「花束と違って軽いからって見回して見つからん場所にまで飛んでいくってことはないだろ」
「でも花が消えるなんておかしい。よく探そう」
これ以上父親の見苦しい癇癪は御免だとウォレンはその場だけではなく足を動かして辺りを探し始めた。白い花だから闇夜に紛れにくいはずだと。
エヴァンはそうしない。父親の癇癪を見るのは御免だが、ここはクラリッサのために整えられた庭だ。花が隠れるような長い草もなければ置物もない。見回してないのならない。賢いウォレンならそれがわかっているはずなのに探すのは、ウォレンがクラリッサの味方だから。
兄として妹のためにしてやれることは多いはずなのに、父親の命に従ってばかりで何もしてやれていない。それがいつも申し訳ないと思っていた。
「見つかったか?」
上から降ってくる父親の不機嫌な声にウォレンがエヴァンを見ると首を振る。これ以上探してもパフォーマンスにしかならない。意味のないことだと階段を上がっていくエヴァンの後をウォレンも肩を落としながらついていく。
「ウォレンが端から端まで探したが……見つからなかった」
「当然だ。あの花は呪われているのだからな」
「呪いと消失は無関係だと思いますけど」
クラリッサの言葉に再びテーブルを叩く父親に怯えたロニーが泣き始め、ダニエルとリズと一緒に部屋から出ていった。
「お前はさっきから何様のつもりだ! 私はバカにするのも大概にしろ!」
言葉で反抗しない代わりに無視をするクラリッサにエヴァンもお手上げだった。
花一つにそこまで固執する理由はなんだと聞こうにも父親がいるこの場でクラリッサが答える可能性はゼロに等しい。
「もう出てってください」
「テラスには出るな! 鍵をかけておけ!」
「鍵をかけるならパーティーには出ません!」
「なんだと!?」
クラリッサの怒声にまた父親がカッとなるがエヴァンが父親の肩を抱いて歩みを進めていく。
「まあまあまあまあ、二人とも頭に血が上りすぎてるんだ。一旦離れて落ち着こう。な? パーティーも休めばいいし、父上もクラリッサのことを気にかけ続けるのはやめればいい。互いに少し肩の荷を下ろそう」
「パーティーには出席しろ!」
「父上」
「絶対に出席しません! させられても笑顔は見せませんから!」
「クラリッサ」
勘弁してくれと頭を抱えたくなったエヴァンだが、振り返って叱ろうとする父親を強制的に引き摺り出して部屋へと連れ帰った。
「見つけられなくてごめんよ、クラリッサ」
「お兄様が気にすることじゃないわ。大騒ぎしてごめんなさい。ロニーにも謝っておいて」
「わかった。君が気にすることじゃないからね」
「ありがとう」
クラリッサの腕をポンポンと軽く叩いて部屋から出ていくと使用人も全員撤退するが、クラリッサは数人だけ呼び止めた。この部屋に出入りする許可を得ているクラリッサ専属の使用人たち。その中でも掃除係を担っている四人。
「テラスであれを見つけたのは誰?」
全員が顔を青くしながら俯く。何が行われるかわかっているのだ。
「いいわ、わかった。じゃあ目を閉じて」
ギュッと目を閉じる使用人にクラリッサはもう一度同じことを問いかけた。
「テラスであれを見つけたのは誰?」
四人のうち三人が同じ人物を指差した。
「お父様に報告したほうがいいと言ったのは?」
また同じ人物が三人から指を指される。
「私の部屋にある物をわざわざお父様に報告した理由を教えてくれる? カレン」
「ッ!?」
名前を呼ばれて顔を上げたそばかすだらけの地味な少女。慌てて三人を見るが、三人は俯いて目を合わせようとはしない。裏切られたと唇を噛み締めるカレンがその場で膝をついて祈るように手を組んだ。
「お願いします! クビにはしないでください! 私には病気の両親がいて、弟と妹がいるんです! 私が養っていかなければならないんです!」
泣きじゃくりながら必死に懇願するカレンの言葉が嘘かどうかクラリッサにはわからない。クラリッサには自由に雇える使用人がいない。カレンの言っていることが本当か調べてほしいと他の使用人に頼むことができないのだ。そんなことを頼めばすぐに父親の耳に入ってしまう。
「私の疑問に答えてくれる?」
「わ、私は……私たちは……旦那様からクラリッサ王女様に関することはなんでもいいから報告するよう言い付けられています。な、なので、庭では見ない花が置いてあったので報告して……」
ガタガタと震えるカレンが最後まで言葉を続けることはなく、泣き声が響くだけ。
「お許しください! どうかお願いです! お許しください! ここに置いてください!」
まるでこれから処刑にでもかけられるような言い方にクラリッサは溜め息にも似た息を吐き出してカレンの前に膝をついた。額を絨毯に擦り付けながら謝り続けるカレンの背中の上をクラリッサの手が這う。
「あなたをクビになんてしないわ。ただ、どうして先にお父様に言ったか知りたかっただけ。私はね、お父様に言う前に私に聞いてほしかったの。これは庭に咲いてない物だけどって。私の部屋にある物は私の持ち物だから」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
何をしても何を言っても父親に報告がいくようにできている。きっとこの四人だけではなく、この屋敷で働く数百人の使用人全員にそう言っている。もともと感じていたことはあったが、確信へと変わった。
「変な物は置いてないつもりだけど、疑問に思ったことがあればお父様に報告する前に私に聞いてくれる?」
「はい! 必ずそうします! 申し訳ございませんでした!!」
「引き止めてごめんなさいね。さ、涙を拭いて」
差し出したハンカチを受け取れないと首を振って袖で涙を拭く使用人が顔を上げて何度も深く頭を下げながら立ち上がって四人一緒に出ていった。
たった一輪でもあれはクラリッサには宝物になった物。それを呪いの花だと言って粗末に扱おうとした父親には心底腹が立ってたが、クラリッサがあの使用人のように泣かなかったのはアイレの姿が見えたから。
父親の後ろに姿を見せて腕で大きな丸を作ったのを見て花が無事であることを知った。残ったのは怒りだけ。だからクラリッサは強気に出続けた。
「……はあ……」
何度父親に嘘をつくのだろう。ここ最近、ずっと嘘をつき続けている。申し訳ないと思う気持ちと少しぐらい自由を得ても許されるだろうと思う気持ちとが交差して上手く整理がつかない。
ダークエルフを憎んでいるとわかっていながらダークエルフの森に行った。そしてダークエルフと親しくなっている。これは許されることではないとわかっていながらもクラリッサはエイベルとの交流をやめるつもりはなかった。彼らとの交流があるから生きているのだと実感できるようになったのだから。
申し訳ない気持ちはあれど、今回ばかりはクラリッサの決意も固い。暫くはパーティーには出ない。
こんなことがあっても使用人たちは気まずさを隠して再度クラリッサの部屋を訪ね、風呂の用意に走る。
冷や汗をかいた今日はうんざりする気持ちとは対照的に久しぶりに湯浴みが心地良く感じた。
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