鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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「二十五歳になったら婚約者を作って結婚、かな」

 父親が何歳まで自慢し続けるのかはわからない。今がピークかもしれないし、まだまだ続くかもしれない。長くて二十五歳まで。この美しさに翳りが見えたらきっと解放されるはず。
 だんだんと減っていくパーティーの数。一週間に一度が二週間に一度となり、一ヶ月、二ヶ月と空いていく。どうして?と問いかけると「忙しくなってきたからな」と笑顔で嘘をつくだろう。
 でもクラリッサはその嘘に傷つきはしない。その日を今か今かと待ち望んでいるのだから。

(でも問題は相手)

 相手を決めるとなったとき、自分の国よりもずっと大きな国の王子を何がなんでも婚約者にすると意気込む必死な姿が目に浮かぶ。クラリッサにどういう相手が好みなのか、と聞くこともなく、どんな性格であろうと国の大きさで決める。
 そして父親は笑顔でこう言うだろう。

「立派な相手だぞ!」と。

 娘の幸せなんてこれっぽっちも考えていない父親にクラリッサは答える。

「ありがとうございます」

 完璧な笑顔で。

「自分の足で歩いて世界を見るってどんな感じかしら……」

 いつも寝る前はこうしてテラスに出て想像する。世界はどんな感じなのか、リズが休日になると必ず足を運ぶ城下町はどんな場所なのか、広場で見る大道芸はどんなものか──知りたいことはたくさんあるのにクラリッサにはそれを知るチャンスがない。
 そのチャンスが訪れることはないとわかっているから想像するだけ。

「王女様、ホットミルクをお持ちしました」
「ありがとう」

 きっとここよりずっと素晴らしい場所なのだろうと楽しく想像していてもこうして現実に引き戻されるこの瞬間が一番嫌いだった。
 使用人なら返事を待って入ってくるものじゃないのかと思っても、何かあっては困るからノックの後はすぐに入れと命令を父親が出しているため侍女たちはそれに従っている。

「夜風は身体を冷やしますので、あまりお出になられない方がよろしいかと」
「ええ、そうね」
「他に必要な物はございますか?」
「いいえ、これを飲んだら寝るわ。あなたたちも休んで」
「失礼いたします」

 風邪は一度もひいたことがない。少し身震いをするだけで医者が飛んできて状態を見る。そして少し寒気を感じるとでも言おうものなら風邪でもないのに看病されていた。
 侍女に促され中に入るとテラスへ続くドアが閉められ、カーテンも閉められ、そして鍵も閉められた。ドアの鍵と同じでクラリッサが勝手に出ていかないようにと父親が警戒してつけたクラリッサの部屋にだけある特別なドア。
 この音はもう外には出るなという合図。
 ソファーに腰掛けてミルクティーを飲むと完飲するのを見届けてからカップと共に部屋を出ていった。
 これで今日は邪魔が入ることはないが、残念なことにまだ眠気はきていない。

「……退屈ね……」

 一人の時間は好き。見張りの侍女がいなくなるから何をしていても注意を受けることはないし、父親に報告されることもない。こうして大人しくソファーに腰掛けて静かにしていれば外で聞き耳を立てて様子を窺っているであろう侍女たちも騙せる。
 だが、時として虚しくてたまらない時間でもあった。
 デイジーはきっと今頃、姉のことをボロカス言っているだろう。『顔しか取り柄がないくせに甘やかされていい気になってんじゃないわよ!』と枕を叩いているのが目に浮かぶ。そして明日の授業の準備を嫌々ながらする。その際にもきっと文句を言っているだろう。

『もしアイツが学校に通ってたら絶対に私の方が成績が良かったのに! バカにしてやれたのに!』と。

 デイジーはわかりやすい。鑑賞用として育てられた姉とは違う。まだ決められたレールの上を歩いてはいるが、干渉されることも少ない。自由に自分の人生を歩いていけるチャンスがある。
 クラリッサの交流はパーティーだけ。パーティーの翌日、どんな身分の男性が訪ねてこようと父親は門前払いすると決めている。門番に追い払われる男性を窓から何度見たことか。

(両親は十五歳で結婚したのよね。王女が二十五歳で結婚なんて行き遅れかしら?)

 二十五歳で結婚できればまだいい。三十代になっても輝きに翳りが見えなければずっと父親に囚われ続ける可能性もある。

(想像するだけでゾッとする)

 身震いを起こして立ち上がったクラリッサが窓に寄ってカーテンを開ける。 

(あの子たちの方がまだ自由ね)

 大空を飛び回る鳥たちは誰にも飼われていない。自分の力だけで自然界を生きている。それに比べて自分はどうだ。父親に自慢させるために存在しているようなもの。
 親にわがままも言えず、きょうだいに自然な笑顔も向けられないこんな人生にいったいなんの価値があるのだろう。
 でもこれ以外の生き方を知らない。外の世界を一ミリだって知らないクラリッサが裸足のまま出ていけるはずがない。そんな勇気もないのだから。

「さーて、寝ようかなー」

 あえて大きな声を出したあと、ドアに近づいて小さくノックを鳴らす。誰も入ってこない。侍女は自室に帰ったということ。以前は部屋の前に番が立っていたが、監視されているようで嫌だと抗議したことで解放された。
 ドアをそっと押し開けて廊下を覗き込むと人はいない。数回頷いてドアを閉めれば同時に鍵も閉める。そしてそのまま閉められたテラスへと出た。一人でお茶を楽しむために作られたクラリッサ専用のテラス。夜風は少し冷たいが、その冷たさが気持ちよかった。
 テラスから一段降りれば立派な中庭に繋がっており、昼間はよくそこを散歩する。花畑と呼ぶほど立派な花壇へ続く道もクラリッサがリラックスできるようにと父親が特別に作ってくれた場所。そこを抜けると温室がある。それも、デイジーは使えないクラリッサ専用の温室。
 そうやってなんでもクラリッサのために作るのに他のきょうだいたちのためには専用の場所を一つだって作らないからデイジーは父親が大嫌いで、それに進言しない母親も、受け入れるクラリッサも嫌いだった。その感情は嫌というほどクラリッサにも伝わっている。
 クラリッサは中庭を歩くのも花畑を眺めるのも温室でお茶をするのもデイジーの好きにしていいと何度も言ってきたのだが、デイジーは強く拒否するばかり。
 自分にするならきょうだいたちにも同じようにしてほしいと父親に何度言っても父親は『お前のきょうだいは飽き性だから』で終わってしまう。
 確かにきょうだいたちには飽き性なところがあって、その熱し方は世の中の流行と同じ。一瞬で火がつき、あっという間に飽きてしまう。あれやこれやと次から次に欲しがってはすぐに使わなくなる。それは母から再三注意を受けているのを何度も見かけた。それでも直らないらしい。
 きょうだいの中でもデイジーだけがクラリッサに牙を剥くため放っておくべきだろうかと考えるが、距離を置けば一生仲良くはなれない。
 幼い頃からいつもデイジーはクラリッサに『ズルい!』と言い続けている。仲良く手を繋いで歩いたのは三歳までで、四歳からはずっと『ズルい!』とまるで流行り言葉のように口にしては睨まれ、怒鳴られ、泣かれての繰り返し。そして今はもう嫌悪丸出しで睨まれるだけ。
 そんな対応を受けてもクラリッサにとってデイジーは可愛い妹。揃ってパーティーに来る姉妹のように仲良くしたいのにできない。
 それが昨今とても悲しい出来事となっている。

「何を送ってもお下がりを喜ぶと思うのかって言われちゃうし」

 自分が使わない装飾品を母親が管理しているから欲しい物があれば持っていくよう言っても喜びはしない。
 
「姉がバカだと嫌になるのも当然よね」

 学校に行ったことも家庭教師をつけたこともない姉の学力は十歳の四男より下。学校で出た宿題をする弟の教科書を覗き込んでも何もわからない。何をしてやるでもない、パーティーに出席することしかしない姉を誇れるはずがないことはクラリッサもわかっている。
 だからこそどうすればいいのかがわからない。

「あーあ……」

 ため息しか出てこない。きょうだいの中で誰よりも恵まれていると分かっていても、ないものねだりが出てしまう。
 きょうだいたちと同じように学校に行きたかった。ダンスの練習をしてみたかった。好きな物を好きなだけ食べてみたかった。庭を走り回ってみたかった。
 パーティーに出席して、顔と名前もわからない男性にお礼を言い続ける人生よりずっと良かったはずだと思ってしまう。

「ん? ……なに、あれ……?」

 森のほうで何かが光ったのが見えた。よくテラスには出ているが、何かが光ったのは見たことがない。

「すぐに戻れば大丈夫よね」

 今まで言いつけを破ったことはない。だから寝ると言ったクラリッサの言葉を疑って使用人が戻ってくることはないだろう。
 睡眠不足はお肌の敵だと言われ、誰であろうとクラリッサの睡眠の邪魔は許されない。
 だから今日はもう誰かが訪ねてくることはないということ。
 クラリッサは疼き出した好奇心に駆られ、ローヒールの靴を片手に一階へと続く階段を下りて森へと向かった。
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