亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
上 下
180 / 190
番外編

if story〜リンウッド〜5

しおりを挟む
 カフェに入ってすぐ、イベリスはリンウッドに問いかけた。

〈リンウッド、大丈夫?〉
〈ん? 何が?〉

 義務教育を終えたあと、イベリスは進学を選ばなかった。耳の聞こえない者たちが集まる学校に行くべきか迷ったのだが、女性でそういう選択をする者は少ない。家にいる者に学歴など必要ないというのが現代の考え。
 耳が聞こえない者への当たりは強く、仕事なんて探しても見つかるはずもなく、イベリスは進学しないと両親と話し合った。それはリンウッドの願いでもあった。結婚するのだから学校に行く必要はないとわざわざ家まで来てイベリスの両親に頼んだのだ。
 リンウッドは進学する。その先はイベリスと同じ学校を選ぶことはできなかったため、行かないでほしいと頼んだ。話し合いにして二時間。リンウッドは学校に行かないメリットを延々と両親にプレゼンし続けた。両親が困惑の表情を浮かべるのを見ながらイベリスは書類を読み続けていた。
 一枚ではなく、二十枚ほど綴られている紙にびっしりと書き込んであったことにさすがのイベリスも若干引いていた。

〈顔色、良くないよ?〉
〈ちょっと遅くまで勉強してたせいかな〉
〈無理しないで。家に帰って休んだほうがいいよ〉
〈絶対に嫌だ。ありえない。君とのデートを中止にするぐらいなら学校を休んだほうがマシだよ〉

 昔からデートを中止にすることだけは絶対にしなかった。過去に一度、リンウッドが高熱を出したことで中止になったことがあった。イベリスは花を持って見舞いに行ったのだが、こんな姿は見せられないと泣きじゃくるリンウッドの声を聞いた。会いたいと矛盾した言葉を吐き続け、ごめんと謝罪を繰り返す。会えたのはそれから三日後。泣き続けていたのだろうリンウッドの声は枯れ、目の周りは真っ赤だった。
 そういうのは今も変わらない。婚約してからずっと顔色は良くない。まるで何かに取り憑かれているかのようにすら見える。通常を装っていてもイベリスにはわかる。

〈あなたが苦しんでる姿を見るのは嫌だ〉
〈苦しんでないよ〉
〈じゃあ嘘つきね〉

 ひどく驚いた顔をした。リンウッドは一度だって嘘をついたことはない。自分の体調を偽ることはあってもそれは嘘にはならない。それは思いやりだと考えるようにしているのだが、今のは嘘と判断した。

〈ぼ、僕は君に嘘なんてつかない〉
〈じゃあ話して。あなたが抱えてること全部〉
〈抱えてるって……〉

 イベリスの目を見るとここで黙り込むことは得策ではないと瞬時に悟った。この目に見つめられると黙っているのが怖くなる。黙っていたら呆れたように目を逸らされるかもしれないから。きっとイベリスにそんな思惑はないだろうが、リンウッドは時折、脅迫障害のようにそういった感覚に陥ることがあった。

〈学校でね、少し問題を起こしてしまったんだ……〉

 あの日起こったこと。あれからクラスで浮いてしまっていること。自分の感情が抑えきれなくなる日があること。それら全てをポツリポツリと話し始めた。
 
〈僕は、汚い人間なんだよ。君と出会ってからずっと薄汚れた感情を抱え続けている。君のように真っ白で美しい人間の隣に立つのも憚られるほど汚い人間なんだ〉

 時間をかけて吐き出すリンウッドの表情は更に悪化し、既に青くなりつつある。今日の天気は晴れ。見上げると快晴の空が広がっている。テラス席に座っていると気持ちの良い風が吹き抜ける。笑顔を浮かべる日にリンウッドだけが苦しげな表情で、そこに後悔を滲ませながら自分の手の甲に爪を立てていた。
 手を伸ばしてリンウッドの手に触れる。上げられた顔にイベリスは笑顔を向けた。

〈優しすぎるんだよ、リンウッドは〉
〈僕は優しいんじゃないんだよ、イベリス……〉

 爪を立てていたことで手の甲に痕が残っている。その部分を慰めるように撫でながらかぶりを振る。

〈キレイでいる必要なんてないと思う。なんでも私に言ってよ。一人で抱え込まないで。なんでもいいよ。私にできることなら頷くし、できないことには首を振るから。ちゃんと一緒に考えよう? 結婚してもそんな風に一人で抱え込むの?〉
〈それは……だって……〉
〈話し合いできない人と結婚するの怖いなー〉

 顔を覗き込みながら目を細めるイベリスの意地悪だと分かっていても焦ってしまう。

〈は、話し合うよ!全部ちゃんと話す!〉
〈ホント?抱え込まない?〉
〈う、うん……だ、だけど、話すと君に……僕の醜い部分を見せなきゃいけない。き、嫌いになるかもしれない〉
〈誰が?〉
〈君が〉
〈誰を?〉
〈僕を〉

 先ほどまで優しく撫でられていた手の甲が今度はパンッと叩かれた。

〈い、痛いよ〉
〈その賢い頭はなんにためについてるの?〉
〈君を幸せにする方法を考えるため〉
〈じゃあ機能してない〉
〈ええっ!?〉

 成績優秀であることはリンウッドにとって誇りでもあった。それは自分がちゃんとやってきたという証拠であり、イベリスに褒めてもらえることだったから。なんでも知っててすごいとイベリスに言ってもらえることが嬉しくて、毎日何社もの新聞を読み漁っては情報を仕入れている。この賢さは自分のためでも親のためでもなくイベリスのために培ってきたもの。今までずっと、イベリスが笑ってくれるにはどうすればいいか。イベリスを喜ばせるのには何をすればいいかと考え続けてきたものが機能していないと言われたのは少しショックだった。

〈ぼ、僕の頭は──〉
〈リンウッドは私の汚い部分を見たら嫌いになる?〉

 青かった顔が急に消えて真剣な表情に変わる。

〈君に汚い部分なんて存在しない〉
〈するよ。ドロッドロに汚れてる部分がいっぱいあるんだから〉
〈例えば?〉
〈歩行者を轢きかけた馬車を見たら走行中に車輪が飛んでいって上手く馬を繋いでる部分が外れて、乗ってる人と御者だけ不幸にならないかなって思ったりする〉
〈可愛い〉
〈……もっとある!お店でふんぞり返って店員さんを叱責してる貴族を見たらどこかの段差で躓いて転んで脛を強打すればいいのにって思う。他にも、歯が折れるとか鼻や唇が真っ赤に腫れ上がるとか、店員さんに謝らせて気分良く帰ろうとした直後に最悪な思いをすればいいのにって願ったりする〉
〈可愛いね〉
〈…………まだまだあるよ!〉
〈どんなことを思ってもイベリスは可愛いよ〉
〈お手上げ〉

 普段は目にしても何も言うことはなく、心の中で念じるだけだった一つの告白をリンウッドは優しく微笑んで受け入れた。
 昔からそうだ。何を言ってもリンウッドは必ず味方をしてくれた。これからもきっとそれは変わらないのだろう。それが良いか悪いかは別にして、これがリンウッドなのだと改めて実感する。

〈君がどんな人間でも僕は君を根こそぎ愛すって決めてるんだ〉
〈人々を恐怖のどん底に陥れる殺人鬼でも?〉
〈もちろんだよ。返り血を浴びた君も美しいだろうからね〉

 本当に笑顔で愛しそうで怖いとかぶりを振るイベリスの手を握ってそのまま手の甲にキスをした。

〈どんな君でも愛してる〉
〈じゃあその愛してる人からのお願い聞いてくれる?〉
〈もちろん〉
〈なんでも話して。抱え込まないで。苦しまないで〉

 自分の醜い感情を全て表に出せと言われているようなもの。それはリンウッドにとってとても厳しいことでもある。幼い頃から様々な感情を抱き続けているリンウッドはイベリスに言えないような感情をたくさん抱いている。だが、言わなければ怒られる。拗ねた顔がとても可愛いことは知っていても、自分が拗ねさせたくはないのだ。

〈……わかったよ〉
〈約束できる?〉
〈しなきゃダメかい?〉
〈しなきゃ結婚しない〉
〈婚約者のまま?〉
〈そう〉
〈わかった。秘密はなし〉
〈破ったら婚約破棄〉

 先手を打たれた。傍に入れるなら婚約者のままでも、婚約者になれなくてもいいと思っていたリンウッドの考えを先読みしたイベリスにリンウッドはお手上げだった。
 苦笑しながら顔に横まで両手を上げる。

〈わかった。絶対に破らない〉
〈破ったら?〉
〈死ぬ〉
〈重い重い重い重い怖い!〉
〈君との婚約破棄は僕には死も同然だ〉
〈じゃあ絶対守って〉
〈君のことも君との約束も絶対に守るよ〉
〈約束〉

 差し出した小指を絡める。

〈君の小指、小さくて食べちゃいたくなる〉
〈怖い〉
〈冗談だよ〉

 冗談だとわかっていても冗談に聞こえないことが怖くて思わず絡めたばかりの指を引っ込めた。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

残念ながら、定員オーバーです!お望みなら、次期王妃の座を明け渡しますので、お好きにしてください

mios
恋愛
ここのところ、婚約者の第一王子に付き纏われている。 「ベアトリス、頼む!このとーりだ!」 大袈裟に頭を下げて、どうにか我儘を通そうとなさいますが、何度も言いますが、無理です! 男爵令嬢を側妃にすることはできません。愛妾もすでに埋まってますのよ。 どこに、捻じ込めると言うのですか! ※番外編少し長くなりそうなので、また別作品としてあげることにしました。読んでいただきありがとうございました。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...