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番外編

if story〜リンウッド〜

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 気乗りしなかった貴族の交流会。貴族に生まれながらも華やかな世界を嫌い、親に強制的に連れて行かれる以外で参加したことはなかった。今までは隅っこで一人、本を読んで時間を潰していた。
 でもこの日だけは違った。令嬢たちが集まるお茶会のほうに居た少女。初めて見る顔だった。
 純白の髪が太陽の光で透けて輝いていた。青空を映したような瞳が美しかった。少し緊張したような面持ちが可愛かった。
 一目惚れだった。
 気が付けばベンチに本を投げるように置いて駆け出していた。

「ちょっと、ここは男子禁制よ」

 一番年上だろう令嬢が言った言葉など気にもせず、少女の前に立った。

「あ、あの、名前は!?」

 驚いた顔でこちらを見る少女は首を傾げるだけで答えない。

「あ、僕はリンウッド! リンウッド・ヘイグ! 八歳! 君は?」

 右に傾いていた首が左に傾く。

「ムダよ。その子、耳が聞こえないらしいから」
「耳が聞こえない……?」
「そっ。だからおしゃべりが中心のお茶会に参加したって意味ないのにこうしてやってくるのよね。こっちが気を遣うってのに、これだから伯爵止まりは嫌なのよ」

 相手は侯爵か公爵。知らない相手だが、敬いに値しない人間性であることはわかった。だからリンウッドは何も言わず、少女の手を引いてその場を離れた。

「ちょっと! 挨拶ぐらいして行きなさいよ!」

 彼女の声はノイズ。聞く必要はない。今聞きたいのはこの少女の名前だけ。
 手を引いて、さっきまで自分が座っていたベンチに連れていく。

「ここに座っててくれる? 僕、ペンと紙を借りてくるから!」

 不思議そうに、戸惑い混じりの表情で首を傾げる少女に片手を紙に見立てて何かを書く真似をした。
 ああ、と両手を合わせた少女が手首から下げていたメモ帳とペンを差し出す。

「借りてもいい?」

 用意周到、ではない。これは少女にとって必需品。本当に耳が聞こえないのだと少し胸が痛くなる。こういう障害を持った人間がいることは知っていても実際に見たのは初めてだった。
 メモ帳とペンを受け取ってパラパラと開いていく中で、あるページでリンウッドの手が止まった。衝撃の言葉が綴られている。

〈話すのにわざわざこれに書けって? あなたが書くのを待って、私がそれにこの上で返事をするの? 冗談でしょ?〉と。

 わざわざそれを残す理由は意地の悪さ、性根が腐っているからだ。
 少女はとても残酷な世界で生きているのだと思った。声で話すならまだ相手の声量が小さければ聞こえなかったということもあるが、紙は絶対に残る。こんな言葉が書かれているページなんてすぐにちぎって捨ててしまえばいいのに何故残しているのか。こんな言葉、一生慣れることはない。見るたびに傷つくに決まっている。
 リンウッドは背を向けてそのページをちぎってジャケットの胸ポケットに入れた。
 トントンと叩かれた背中。振り向くと不思議そうな顔をした少女がメモ帳を返せと手を伸ばす。それに待ったをかけて慌てて文字を書いた。

〈僕の名前はリンウッド・ヘイグ。八歳だ。君は?〉

 メモ帳を返すと書いてあった自己紹介を読んで嬉しそうに目を輝かせる。ドキッとした。
 少女はペンを受け取って言葉を綴る。

〈イベリス・リングデールです。六歳です〉

 二つ年下の可愛い女の子。自己紹介が書かれた紙を見せながら浮かべたその満面の笑みにもう心は決まっていた。

〈イベリス、僕と友達になってくれる?〉
〈もちろん! おともだち、まだいなくて、すごくうれしい!〉
〈どこに住んでるの? 君に毎日手紙書くよ!〉
〈いいの!? うれしい!〉

 なんでも喜んでくれる子だった。耳が聞こえないという障害に戸惑って、疎ましく思って、誰も相手にしようとしなかった。かける言葉に優しさはなく、誰もが障害を持つ相手を近くに置いておくだけで自分の価値が下がると言わんばかりの態度を見せる。
 まだたったの六歳。幼い少女にかける言葉ではないだろうに優しさ一つ見せられない人間がいるのか。信じられない気持ちと共に、自分が彼女の一番の理解者になりたいと思った。

「リンウッド、嬉しそうね」

 帰り道、笑顔が絶えない息子に母親が声をかける。交流会に行くといつもその日一日不機嫌になる息子が今日は満面の笑みを浮かべている。

「今日から毎日、イベリスに手紙を書くんだ!」
「あらあら、恋しちゃったのかしら?」
「そうだよ」

 即答する息子に驚きはしたが、冗談だとは思わなかった。頬を上気させてイベリスの住所が書かれている紙を見つめるその表情は大人も子供も大差ない、恋をしているものだったから。

『イベリスにお友達ができて嬉しいわ。仲良くしてあげてね』

 イベリスの母親からそう言われたとき、何度も何度も頷いた。親から友達だと認められたのは大きい。
 声でやり取りなんてできなくてもいい。字を書けば話せる。自分達の会話が誰かに聞かれることもない。自分たちの会話は全て内緒話のようなものとなる。メモ帳が燃えたり濡れたりしない限りは一生残るのだ。こんなに嬉しいことはない。自分はイベリスには絶対に厳しい言葉は書かない。優しい言葉を書き続ける。好きになってもらえるように。

「可愛い便箋を買いに行きたい」
「ママが買っておくわ」
「嫌だ! 僕が選ぶ!」

 手紙も一つの贈り物のような物と捉えると便箋にもこだわりたかった。
 突然変わった息子のように夫婦で顔を見合わせながら苦笑する。息子が恋をしたのは嬉しい。だが、やはり相手が耳が聞こえないというのは大きな障害だ。上手く付き合えるのか、親として不安もある。

「ね、手話ってどうやったら学べる? 本が出てる? それとも家庭教師? 僕、手話も覚えたいんだ!」

 息子から夫へと顔を向けると頷きが返ってきた。

「本も家庭教師も探してみるわね」
「本屋さんに行くときは僕も一緒に行くから!」
「はいはい」

 初恋というのは特別で、一目惚れならあっという間に夢中になってしまう。リングデール家に悪い噂はない。良くも悪くも目立っていない家だ。付き合いをしていくのに不安はないのは救いである。奥手な子だから相手なら大人しい令嬢が良いと思っていた。イベリスは大人しい子かどうかまだわからない。リンウッドは大人しいが頑固な面がある。今の状態では親が何と言おうと行動を考え直すことないだろう。

「イベリス、僕からの手紙喜んでくれるかな?」
「もちろんよ。きっとすぐに返事をくれるわ」
「イベリスからの返事……!」

 まだ始まっていない関係に心配を重ねても仕方ない。こればっかりは時間で変わっていくのだから。
 住所と名前が書かれているだけの紙をまるで宝物を手に入れたかのように目を輝かせながら見つめては胸に押し当てて足をバタつかせる。息子の丸い頭を優しく撫でながら夫婦で目を細める。
 家庭教師をあまり快く思っていなかった息子が自ら家庭教師を欲した。これは小さな成長。恋をするのに年齢は関係ないと思わせる彼の行動に親として感心していた。
 ただ一つ、心配なのは彼がその恋に溺れきってしまわないこと。きっとまだ遠い未来の話。

「イベリスのためにお茶会に招きたいんだ。いい?」
「ええ、いいわよ。お菓子、たくさん用意しておくわね」
「ありがとう!」

 帰ってすぐ、リンウッドは手紙を書いた。家にあったのは白いシンプルな便箋だったが、今回はそれで我慢した。便箋を買いに行くまで待てない。今日書いて明日手紙を出す。そうしなければ一日遅れてしまうことになるから。
 会えて嬉しかったこと。手紙の交換ができるのが嬉しいこと。お茶会に招きたいこと。これからずっと仲良くしてほしいこと。手話の本と家庭教師をつけること。初めての手紙に長々と書いた。
 リンウッドがイベリスに書いた一通目の手紙だ。
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