亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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番外編

if story〜ファーディナンド〜3

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 三日後、ファーディナンドに呼び出され、イベリスは宿題を受け取った。白紙もあり得ると思っていたが、ちゃんと書いてあった。

〈願いのランタン?〉
〈そうだ。以前、飛ばしたことがあっただろう? グラキエスでは年に一度、こうした祭りをしていると〉

 ウォルフに取り寄せてもらった物だ。相手が覚えていたのが意外だった。

〈それをテロスでもやってはどうだろうか? ああいう淡い光というのは人の心を落ち着ける。美しいと心和むのではないだろうか?〉
〈願いってことは願い事を書くの?〉
〈そうだ。自分の願いが天まで届くようにと〉

 ジッと企画書を見つめるイベリスからの反応がないことに緊張するファーディナンドは思わず顔を覗き込む。その顔に大きく書かれた「ダメだろうか?」の文字を見てイベリスが微笑みながらかぶりを振った。

〈とてもロマンチックで素敵だと思うわ。眩しいほどの灯りじゃないのが素敵なところよね。オレンジ色の灯りが一斉に空に上がっていく光景は何度見ても美しいもの。年に一度、それを楽しみにするイベントがあってもいいと思う〉

 安堵に胸を撫で下ろすファーディナンが長い息を吐き出しながら背もたれに身体を預ける。幼稚ではないかと不安になっていた。何度もアイゼンに確認しては大丈夫とお墨付きをもらったのだが、それでも安心できなかった。皇妃であるイベリスに決定権があるわけではないのだが、期待に応えられないのはやはり怖い。書いた上でダメだった場合、イベリスは絶対に怒ったりはしない。やり直しか、あるいはアドバイスかのどちらかになるはず。彼女は両親とは違う。そうわかっていても、怖かった。

〈ねえ、ファーディナンド〉

 ランタンの企画書とは別にまだある企画書を目にしたイベリスは驚きに目を瞬かせる。自分の目を疑ってしまう内容に顔を向けて思わず「正気か?」と顔に書いた。
 驚かれるだろうとは思っていたため、予想どおりの反応に苦笑する。

〈我ながらおかしな企画だとは思う。らしくないとわかってもいる。だが、こういうことが必要なのではないかと思ったんだ〉

 紙に書かれていたのは【お茶会】の文字。よく読んでみると抽選で選ばれた国民を城に招いて皇帝と皇妃と共にお茶会をして話をするというもの。

〈参加人数が二万人ってなってるけど、二万人の人と話ができるの?〉

 二万人がどれほどの数なのかわからないが、一日で二万人の参加者とどうやって話をするのか想像もつかないイベリスはこの企画に首を傾げる。

〈挨拶程度にはなるが、参加したという記念にはなるかなと〉
〈記念……〉
〈参加者には土産を持って帰らせようと思う。それを俺たちで手渡しするというのはどうだろうか? それなら必ず挨拶程度に言葉を交わせるだろう?〉

 悪くはない提案に返事なくゆっくりと数回頷く。

〈でも、どうして急に? お茶会って今までもしてたの?〉
〈いや、一度もしたことがない〉
〈じゃあ、どうして?〉

 何故急にお茶会など言い出したのか、まずそこがイベリスの中での大きな疑問だった。ロベリアの性格上、自分を良く見せるためならお茶会ぐらい開きそうなものだが、面倒くさがりそうな気もしていた。だから一度もないイベントだと言われて更に疑問が大きくなる。
 テーブルに置かれた紙に書いた企画。それはファーディナンドにとって大きな賭けでもあった。考え込むような表情を見せるファーディナンドを急かさず、彼が話し出すのを待っていた。

〈全て……変えたいんだ〉

 紙に書かれたその文字になんとなく、何が言いたいのかわかった。でもイベリスはペンを動かさない。

〈……最低な真実をもう一度口にすることを許してくれるか?〉

 もちろんだと頷くイベリスを見て一度目を閉じ、深呼吸してから言葉を綴り始めた。

〈ロベリアを生き返らせるための器としてお前と結婚したから、国民たちに向けて、ろくに行動しなかった。ロベリアは死んだはずなのに同じ顔の女が新たな皇妃になったことで国民たちが戸惑っていたのは知っていたのに、だ。ロベリアが戻ればロベリアが上手くやる。そう思っていたからだ〉

 それはとっくの昔に想像がついていたことで、今更ショックを受けることはない。

〈でも、ロベリアはもう戻らない。テロスの皇妃はロベリアではなく、イベリス……お前だから……ちゃんと皆に、知ってもらいたい〉

 お茶会という企画書の文字を見たときよりもずっと驚いた。
 ファーディナンド・キルヒシュという男はお喋りではない。どちらかといえば静かなほうではないだろうか。話しかければ話すが、自らあれこれ話すことはない。不器用で、小心者な大人になりきれなかった子供のような人。
 皇妃になれるかどうかは自分の努力次第だと思っていたイベリスにとって、彼のその言葉は予想外過ぎた。
 何十年後でもいい。いつかどこかでテロスの皇妃はイベリスという名前の人だと誰かが口にしてくれたらいいと思っていただけに、ファーディナンドに何かしてほしいとは思ってもいなかった。

〈そのためのお茶会?〉

 頷きだけが返ってくる。
 もう一度、企画書に目を通すとイベリスが視線だけをファーディナンドに向けた。

〈四季それぞれのテーマ? 年に四回もするの?〉
〈ダメだろうか?〉

 紙に一から四まで数字を書いてファーディナンドの前に押す。

〈テーマ、毎年四つも考えられるの?〉
〈手伝ってくれないのか?〉
〈あなたの企画よ?〉
〈だが、気配りはお前のほうができるから、俺が気付けていない部分などはお前が付け足してくれると助かる〉

 彼は意地っ張りではない。むしろ素直なほうだ。まともな親のもとで育っていたら彼はもっと良い人間だったはず。親にもらえなかった愛をくれる人に縋り付くような真似はしなかった。愛が失われることを恐れ、魔女と契約するなどと恐ろしいことを考え、現実が受け入れられず、実行してしまった。

(彼もリンウッドと同じ。愛に狂った人……)

 誰だってそういうラインに立っているのかもしれないとイベリスは思った。彼はきっと死ぬまで臆病なのだろう。自分がしてしまったことを自分で許せないまま生きていく。今はもう、愛されることを求めようとはしない。今はただ、真っ当に生きようとしているように見える。
 だからイベリスは手を繋いで歩くのではなく、彼が立ち止まってしまいそうなときに背中を押してやりたいと後ろを歩くことにしている。彼が不安で振り返ったときに笑顔を見せてやれるように、後ろにいるから大丈夫だと彼が前を向き続けられるように。
 それは彼の望みではないかもしれない。彼は隣に立ってくれることを望んでいるかもしれない。でもそれはしない。

〈じゃあ、あなたがテーマと大まかな流れを考えて、私はお土産を考えるっていうのはどう?〉
〈計画書は見てくれるか?〉
〈ええ、もちろん〉

 安堵したように笑顔を見せるファーディナンドを見ると何故かおやつをあげたい気分になる。子供がいたらこんな気分だろうかと考えながらも世継ぎのことはまだ口には出さない。まだそういうこともしていないし、そういう雰囲気にもならない。ファーディナンドは触れてこようとしないから。
 彼はそれを許しだと思っているのだろう。許されたとき、触れることができると。だからまだイベリスから問いかけることはしない。時期を考えながら少しずつ話題にしていこうと考えていた。

〈お茶会と願いのランタンはいつから始めるの?〉
〈いつがいいと思う?〉

 きっとこんなやりとりを何度も何度も繰り返していくのだとイベリスは呆れながらも笑ってしまう。

〈急いで決めなくていいの。来年からでもいいんだから〉
〈だが、早いほうがいいだろう?〉
〈内容が雑になったら意味ないでしょ? しっかり考えたものを完璧な状態で行えるほうがいいに決まってる〉
〈それはそうだが……〉

 決まったからには披露したい気持ちがあるファーディナンドに焦りは禁物だと言い、アイゼンが持ってきてくれたカレンダーに彼のスケジュールを書き込んでいくことから始めた。

〈あなたって意外と忙しいのね。知ってたけど〉
〈一応は皇帝だからな。仕事だけはしてる〉
〈そうね。それで充分よ〉

 言いたいことがありそうな相手に小首を傾げると口を開けたが、すぐにかぶりを振った。苦笑というよりはどこか切なげなその表情にやれやれとかぶりを振り返してメモ帳を指先で叩く。

〈言ってよ〉

 かぶりを振る。

〈願いのランタンに書くことにする〉
〈神様が叶えてくれることなの?〉
〈違うが……誓いのようなものだ〉
〈神様に誓うことなの?〉

 もう一度かぶりを振る。

〈じゃあ言って〉

 紙の上でペンをうろうろさせること二十往復。その間にチラチラとイベリスを見たが、視線は外れていない。逃げることはできない。覚悟を決めたように息を吐き出したあと、真っ白な紙に言葉を綴る。

〈夫として、何かできるようになりたい〉

 本当に願い事のような言葉にイベリスが肩を揺らして笑う。

〈これ、大きな紙に書き直して額縁に入れて飾っておく?〉
〈……それもいいかもしれないな〉
〈冗談よ?〉
〈戒めの一つだ〉
〈そんなに何個も戒めるようなことしてきたの?〉
〈ああ〉
〈怖い人ね〉

 これっぽっちもそう思っていないような笑顔にファーディナンドは感謝する。自分がしてきたこと、しようとしていたことを考えると笑顔を向けてもらえなくても仕方ないことだ。それなのにイベリスは寄り添って笑顔をくれる。そんな相手にこれ以上を望めば罰が下る。
 ファーディナンドの願いが書かれた紙を見ながらまだ笑っているイベリスを見つめながらファーディナンドは「ありがとう」と呟いていた。
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