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番外編

if story〜ファーディナンド〜

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「本当にすまない」

 あれから何度そう謝られたことか。傲慢で、人の気持ちを考えようともしない、察することもできない人間だった男が後悔をし、懺悔をし、涙を流す。その光景がイベリスにはとても不思議なものに見えた。

〈しつこい〉

 そう言うと謝罪は止むのだが、また時間を置くとふとした瞬間に謝罪を口にする。思い出して恥ずかしくなることがあるように、思い出すと猛烈な後悔と申し訳なさに襲われるらしく、最近では起きると毎日安堵した表情でこちらを見ている。
 こんな人間だったかとおかしくなる。

(これでよかったのかな……)

 魔女が現れた日、イベリスは選択肢を与えられた。

『あなたはどうしたい?』

 その言葉に戸惑った。消える選択肢しかないと思っていたから一人静かにそれを受け入れていたのだ。でも、寸前で魔女がそう言った。こちらを見て、小首を傾げた。選んでいいと直接的な言葉はなかったけれど、イベリスにはそう言っているように聞こえた。だから選んだ。

〈私は……譲りたくない〉

 ロベリアに渡さなくてもいい未来があるのなら、それを掴みたい。イベリスとして堂々と生きていたい。未来がないかもしれないと怯えなくていいのなら、明るい未来を欲したい。
 巻き込まれた側なのだから当然だという意識はなく、本当にいいのかと少し戸惑っていた部分もある。
 魂として魔女の隣に立つロベリアが喚いているが、イベリスには聞こえない。皇帝として君臨する男が涙を流しながら頭を下げて魔女に懇願する姿を見つめながらイベリスは決断する。

〈生きたい〉

 告げた言葉に魔女は小さく笑った。そしてロベリアに振り返り、こう言った。

『ごめんなさいね、ロベリア。あなたの帰る場所はないんだって』
『そんなわけないでしょ! ファーディナンドはあなたと契約したのよ! 私を生き返らせるって契約をしたの! 契約を破棄するつもり!?』
『叶えるも叶えないも私の自由。だって魔女だもの。誰にも従わない』
『契約違反よ! あなた自身にもペナルティを与えるべきだわ!』

 すごい人間がいたものだ、と魔女は久しぶりに感心という感情を思い出した。世界政府から指名手配を受けている魔女に向かって自分にペナルティを与えろと言ってしまえるその性格。魔女は自分を傲慢だと自覚しているし、人間の大半は傲慢だと知っている。しかし、ここまでの人間を見たのはいつぶりか。
 面白い。この女は生かすべきではないだろうか。なんでも自分の思いどおりになると思っている傲慢さを捨てないまま生まれ変われば臆するものなど何もなくなるのだろう。全て自分の思いどおりにできるという自信がある。きっとこの女ならやってしまえるだろう。その様を見てみたい。自分の欲望を叶えるためなら何百万の民を踏み台にしても構わないと思っているその傲慢さはきっと退屈させないはずだ。何せ、その後、必ず待っている絶望に全身浸ることになるのだから。何百年ぶりかに大笑いできそうだと思った。しかし……

『誰に向かってそんな口利いてるの?』

 なんの力も持たない人間の分際で。その感情がロベリアを生かす選択肢を消した。

『だってそうでしょ! 契約は守るべきものよ!』
『そうね。でも契約者間で互いに不利益となると感じたら契約変更もありでしょ? だって私は自営業みたいなものだもの』
『私を生き返すことがどうしてあなたに不利益となるわけ!?』
『この男はもうあなたはいらないと言ってる。イベリスがいてくれればそれでいいって。今更すぎて笑えやしないし、都合良すぎて呆れちゃうけど、それでも汚物みたいな魂を生き返らせるために無垢な魂を消すのはどうにもねー?』

 明らかなる侮辱にロベリアは顔を真っ赤にするが、魔女は肩を竦めるだけ。何を言ったところで、どれほど感情を剥き出しにしたところで意味はない。相手は魔女で、自分の運命を握っている相手。魂では掴みかかることもできないのだから。

『ファーディナンド・キルヒシュ。あなたのすべきことをしなさい』

 ビクッと肩を跳ねさせたファーディナンドが顔を上げる。何をすればいいと戸惑ってはいない。立ち上がってヨロつきながらロベリアの前に立った。

『ロベリア……』
『ファーディナンド! この女になんとか言って! 生き返らせるよう言ってよ! 私を生き返らせることがあなたの最大の望みでしょ!?』
『そうだった』
『でしょ!? じゃあ──』
『今は違うんだ、ロベリア……』

 喉を震わせながら静かな声で告げる。

『俺は……イベリスと生きたい』
『私でしょ? ロベリアと生きたいって言ったのよね?』
『俺の妻はイベリス・リングデールで、俺に本当の愛を教えてくれた人だ』

 カッとなったロベリアが手を伸ばしてファーディナンドの肩を掴もうとするが手がすり抜けてしまう。何度も両手で叩くもファーディナンドには感覚すら与えられない。

『あなたの妻は私で、愛を教えてあげたのも私! 何勘違いしてるの!? 一年近く一緒に過ごしただけで愛が芽生えるわけないでしょ! 勘違いしてるの! 私と同じ顔だからよ!!』
『……俺にはもう……ロベリアとイベリスが同じ顔には見えないんだ……』

 耳を疑う言葉にロベリアは放心する。彼は今、なんて言った? 彼は今、誰を見た? 信じられない言葉に拳を握りながら勢いよく魔女に振り向いた。

『あなたが早く生き返らせないから混乱してるんじゃない! 早くしてよ!』
『嫌よ』
『私が生き返るの!』
『残念だったわね』
『早くして!!』
『ロベリア……生まれ変わって幸せに生きてくれ』

 罪悪感と謝意を含んだ小さな願いに魔女が笑う。

『ホント、頭の中ぜーんぶお花畑なのね』

 どういう意味だと全員が魔女を見つめる。

『本来のルートから外れた魂に生まれ変わりは存在しない』
『何それ……じゃあ……私は……』
『消滅して終わり』

 焦らすこともせずスパッと切るように告げた魔女の言葉にロベリアの悲鳴が響き渡った。超音波のような悲鳴。声は聞こえないが、ビリビリッと嫌な感じを肌に受けた。

『それでもイベリスを選ぶというの?』
『ああ』

 ファーディナンドに迷いはなかった。

『……あなたってサイッコーにクズよね』
『わかっている』
『ホントに? あなたがロベリアの死を受け入れていれば誰も苦しまずに済んだことわかってる? 一目惚れなんてしてないのに嘘をついて求婚し、死んだ妻を生き返らせるための器として傍に置いてたことも覚えてる? でもそのうち情が芽生えて好きになっちゃった瞬間も覚えてる? 嫌われたくて今更必死に足掻いたことも?』
『ああ』
『どんなに反省して後悔して懺悔しようと言動が取り消せないことはご存知? イベリスの心にはあなたが言ったこと、したこと、しようとしたこと全て残ってる。それは死ぬまで消えることはないし、あなたなんて愛さないかもしれないし、許さないかもしれない。でもロベリアはそうじゃない。自分の利益のためにあなたに愛を囁き続けるわ』

 魔女の言葉の一つ一つが槍のように鋭く胸に突き刺さっていく。わかっている。誰よりもわかっている。今更都合が良すぎることも、イベリスの心の傷が残り続けることも、愛されないかもしれないことも全部わかっている。それでも、それは当然のことだと受け止めて生きるしかない。イベリスが生きたいと言ってくれたのだから償いたい。

『イベリスを生かしたら離婚してあなたの前から消えるかも。あなたは離婚したがってたわけだしね?』
『構わない。彼女の人生だ。どう生きるかはイベリスの自由だ』
『一緒に生きたいって言ってたのに?』
『それは俺の気持ちというだけで、強要するつもりはない』

 呆れたと声に出しながらかぶりを振る魔女は心底呆れていた。

『男ってどうしてこうもかっこつけたがるのかしら? 相手が幸せならそれでいいなんてバカみたい。自分の人生で自分の幸せを一番に考えたらどう?』
『それが俺の幸せなんだ』

 傍にいてほしい。笑い合いたい。そう願う気持ちは強いが、イベリスが苦しまずに生きられる道が自分と同じ道ではないなら解放だって厭わない。
 愛してると言うには遅すぎて、どうしようもない男だと自覚がある。
 苦笑混じりだが、穏やかに笑う様子を見て魔女は肩を竦め、呆れたままかぶりを振った。

『あー鬱陶しい。この場に長居したくない。終わらせましょ』
『嫌よ! 死にたくない! 二度も死ぬなんて絶対に嫌!』
『生き返ってもどうせ最期は死ぬんだから喚かないでよ』
『嫌よ! 人生を謳歌するの! 死ぬのはそれからなんだから!!』
『一つ、教えておいてあげる。人生ってね、思ってる以上に甘くないのよ。あ、死んじゃうあなたには言っても意味ないか。ごめんなさいねー』

 ロベリアがどれほど叫んだところで魔女の意思は変わらない。ロベリアの魂を水晶玉へと戻して声を消した。必死に叩くもそれが割れることはありえない。

『で?』

 突如向けられた視線にイベリスがビクッと肩を跳ねさせる。

〈え?〉

 何が「で?」なのかわからないイベリスが困惑の眼差しを向けると魔女が宙で座って足を組む。

『あなたの障害、取り除いてあげることもできるけど?』
〈耳が聞こえるようになるってこと?〉
『ええ』

 神様か何かだろうかと勘違いしてしまいそうになるほど希望に満ちた提案。耳が聞こえたらどんなに素晴らしいだろう。生まれ変わったら耳が聞こえるようになりたい。そう願っていた。嬉しい。
 だが、イベリスは頷かなかった。

〈このままでいいわ〉
『不自由のままよ?』
〈この身体は私が両親から授かったもの。このままの私を両親も彼らも愛してくれた。だから私はこのまま、人生を謳歌したい〉

 クルッとファーディナンドに振り返り、目が合うとニッコリ笑った。

〈その代わり、この言語表示の魔法を解除してくれる? これから彼にも手話を覚えてもらうから〉

 未来ある言葉に目を見開いたファーディナンドの瞳にうっすらと涙が滲む。期待してしまう。いいのかと。これからなんて言葉を自分が受けていいのかと。

〈ま、それぐらいならしてあげないわけじゃないけど〉

 ファーディナンドとイベリスの周りに微粒子のような輝きが見え、ファーディナンドは即座に声を出した。

『待ってくれ!』
『何よ』
『残しておいてくれないか? 耳が聞こえないままならイベリスを呼んでも聞こえないんだ。休憩中、イベリスを呼ぶのに不満だ』
『従者がずっと傍にいるでしょ。甘えないの』

 ファーディナンドの願いは即座に却下。言い方も冷たく、無表情。
 微粒子が消え終わってすぐ、イベリスを呼んだ。

『イベリス』

 今までのように文字は見えない。どうだと目で訴えるファーディナンドにかぶりを振る。

〈見えない〉

 これでいい。自分は甘えすぎていた。従者である彼らはちゃんとイベリスと話をするためにイベリスの言葉を覚えていたのに、自分は愛だなんだ言いながらも手話一つ覚えようとしなかった。言葉で伝えるよりもずっと誠意が伝わったかもしれないのに。
 こんなことすら今更気付く愚かさに苦笑を滲ませることもできない。

〈まずは紙に書くことから始めてもいいか?〉

 潰れた手でペンを握り、震えた字で紙に書く。

〈まずはメモ帳とペンを持ち歩くことから始めて〉
〈わかった〉
〈まだ許してないから〉
〈わかってる〉

 許してはいない。でも、ここで生きたいと思った。彼と、彼らと共に。

〈皇妃としての仕事、はじめてもいい?〉
〈当然だ。お前はテロスの皇妃なんだから〉
〈教えてくれる?〉
〈もちろんだ。お前も教えてくれ。俺が間違っていたときはその都度〉
〈厳しいわよ?〉
〈覚悟の上だ〉

 ここからようやく本当のスタートだとイベリスは思っていた。まだ許せないけど、いつかは許せるはず。彼はそのための努力をする。今までの全てを捨てて、今度こそ正しい選択をしようとする。それを近くで見守りたいと思った。ちゃんと人として成長し、変わっていく彼を。
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