上 下
168 / 190
イベリス復活編

フローラリア9

しおりを挟む
「イベリス様、知ってますか? 双眼鏡はそうやって使う物じゃないってこと」
「そうなの?」
「よかったら、ですが、お教えしましょうか?」
「ううん、大丈夫。自分で学びたいから」
「あ、はい」

 部屋に帰ったウォルフはイベリスとイチャつきたかったのだが、イベリスは荷物の中から動物観察用にと父親からもらった双眼鏡を出してテラスから外を見ていた。双眼鏡の先にいるのはフローラリアに生息する動物ではなくサーシャとリオ。
 浜辺に腰掛けながら話している二人の様子を覗いていた。悪趣味と呼ばざるを得ない状況に苦笑するも隣に立ってウォルフも同じ方向を見る。
 サーシャは悪い人間ではない。好き嫌いがハッキリしているだけ。職場には仕事をしに行っているのだから仲良しごっこはせず、仕事をするという決まりで生きていたから友人は作れなかった。彼女はそれを後悔してはいなかったが、そんな状態で一生を過ごすのだろうかとウォルフも内心、心配はしていた。しかし、助言したところで素直に受け取られることはないし、嫌味が返ってくると腹が立つため言わないでいた。
 そんなサーシャにようやく春が訪れるのかと少し興味はあった。浜辺で男女二人が並んで座っている。しかも男から意味ありげに声をかけた。自分だったら間違いなくキスすると隣で双眼鏡で悪趣味な覗きをする婚約者の唇に視線を移す。

「告白されるかしら?」
「かもしれませんね。リオはずっとサーシャに興味があったみたいですし、共に死地を越えると絆が深まると言いますしね」
「ウォルフは私に興味あった?」
「ありましたよ。興味しかなかったです。興味津々でした」

 率直に答えるウォルフに双眼鏡を覗いたままおかしそうに肩を揺らして笑う。

「そりゃね、最初は戸惑いましたよ。耳が聞こえない人なんて見るのも初めてでしたし。でもペンと紙があれば話せるし、毎日一緒に過ごしていくうちに耳が聞こえないとか関係ないあなたの明るさに惹かれていきました。弱さも強さも愛情もなんでも持ってるあなたにね」
「嬉しい」
「ホントに思ってますー?」
「思ってるよー」

 相変わらず双眼鏡を覗き込んだ状態で答えるイベリスが真面目に聞いていないことに少し拗ねた顔を見せるも今までならこうした返事の仕方は絶対にしなかっただけに、気を抜いてくれていることが少し嬉しかった。

「イベリス様、俺ね──」
「キスした!!」

 バッと双眼鏡を外したイベリスは興奮と共に見てはいけないものを見てしまったような表情を見せる。それを聞いてウォルフはスッと視線を逸らして身体ごと部屋の中へと向けた。
 不思議なほど気温が落ち着いた中で意中の相手と美しいビーチで二人きりとなればキスぐらいする。リオも立派な男だということ。リオはもともと南国の人らしい陽気な若者という感じであるため不思議ではない。

「わー」

 両親の挨拶のようなキスとは違う、自分たちが交わすようなキスシーンだった。ねっとり濃厚というわけではないのだが、知っている相手なだけに妙に恥ずかしくなった。
 双眼鏡を覗けなくなったイベリスはそれを手に腹部まで下ろしてウォルフを見上げる。

「サーシャはこのままリオを受け入れると思う?」
「さあ……どうでしょうねぇ。頑固ですし、こだわりも強いみたいですから拒むんじゃないですか?」

 サーシャの恋愛事情など心底どうでもいいと思っているのが伝わってくる答え方に苦笑しながらテーブルの上に双眼鏡を置いて椅子に腰掛けるイベリスを追って向かいに座る。

「これからもサーシャが一緒だとウォルフは嫌?」
「嫌ですね」

 ここだけは譲れなかった。サーシャとは二人でイベリスを守ってきた同志のようなものだが、家族ではない。一時は三人で暮らすことも考えた。しかしそれはあくまでも従者だったときの話。今は恋人であり婚約者。サーシャを使用人にして一生一緒に、など絶対に御免だと意思表示だけはハッキリしておいた。

「そっか」

 イベリスは落ち込んではいなかった。むしろやっぱりそうかと納得したようですらあった。だが、迷っているのだろう。どこでどう切り出すべきなのか。まだ結婚はしていない。結婚するまではウォルフもサーシャの同行を許すつもりだ。イベリスの幸せを自分と同じぐらい祈っているから見届けたい思いがあるのも知っているから。

「まだまだ旅は続きますし、ゆっくり考えていいんですよ。今日ここで、今すぐ答えを出す必要はないです」
「そうね」

 握られた手を握り返して微笑む。フローラリアに到着してだいぶ経ったが、観光はまだ一度もできていない。これからだ。ここが運命の分かれ道ではないのだから相手が許してくれるのならゆっくり考えよう。互いにそう思っていた。しかし──……

「はぁぁぁああああああああッ!?」

 戻ってきたサーシャからの報告にホテル全体を揺らすような大声を上げたウォルフをイベリスが背中を撫でながら宥める。

「ウォルフ、マシロが驚いてるから」

 遠吠えのように感じたのか、マシロはそれに反応するように遠吠えをする。ウォルフとマシロに静かにするよう人差し指を立てて笑顔を見せるもウォルフはマシロの頭を撫でながら気に入らないと言いたげな表情でサーシャを見ていた。

「お前さ、雇ってくれたリングデール夫妻に申し訳ないとかそういうのないわけ?」
「あるわよ。当たり前じゃない」
「へー! 意外だなぁ。お前にはそういった感情なんてこれーっぽっちもないもんだと思ってた」
「私と離れられて嬉しいでしょ?」
「俺が働いてる間、イベリス様をお守りするって強制的についてきたのは誰だよ。お前だろ」

 開き直ることもできないサーシャが俯くとイベリスがウォルフのお尻を軽く叩いた。

「イベリス様?」

 怒った顔をしているイベリスにウォルフが首を傾げる。

「リオはサーシャの魅力に気付いたの。サーシャもそう。とっても良い子だもの。惹かれ合うのは当然じゃない。リオにとってサーシャはヒーローよ。かっこいいと思うし、美人だって思うし、好きだって思うのは自然な流れでしょ? どうして責めるの?」
「だ、だって、嘘つきじゃないですか。イベリス様をお守りするって言ったのにフローラリアに残るなんてそんなわがまま……」
「わがまま? 何がわがままなの? 恋人の傍にいるって選択がどうしてわがままなの?」
「信頼してサーシャを雇ってくださったご両親になんと言えば……」
「サーシャはフローラリアで運命の人を見つけたのでフローラリアで別れますって言うだけ。それ以上の説明が必要だと思う? お父様だってそっちを優先しなさいって言うに決まってる。それともウォルフは娘を守らないなんてなんて奴だ!って怒るような心の狭い人間だと思ってるの?」
「まさか! そんなこと絶対に思いません!」

 姿勢を正して敬礼までする大袈裟な反応をする様子にふふっとイベリスが笑う。

「ウォルフは寂しいのよね?」
「は!? 寂しくないですよ! サーシャがいなくなるなんて清々するぐらいです! でも、イベリス様を一人にしてしまう時間があるのは心配なんです。俺は自分のためにそう言ってるだけで寂しいなんて感情はこれっぽっちもありません!」

 わかったわかったと軽く腕を叩いて横を通りすぎたイベリスはサーシャを抱きしめる。驚くサーシャに「嬉しい」と伝えるとサーシャの目にじわりと涙が滲んだ。

「本当は、あなたから離れたくありません。これからもイベリス様にお仕えしていたいです。自慢の侍女だと言っていただきたいです。でも……」
「私も離れたくない。ずっとずっとサーシャとウォルフと一緒にいたい。でも、あなたが誰かと幸せになる道ができたなら絶対にそっちに行ってほしいから、あなたがちゃんとそう決めてくれたことがすごく嬉しいの」
「ごめんなさいッ」

 泣き声混じりの謝罪に困った顔で笑うイベリスの瞳にも涙が滲んでいる。

「どうして謝るの? 私を救うために犠牲になってくれたあなたが幸せになれないなんて絶対におかしいじゃない。皆があなたの魔法に感謝してた。やっぱり魔法はそうでなくちゃ。あなたはとっても優しくて魅力的な人よ。それは私とウォルフが保証する」
「俺は同意できませんけどね」
「あなたはここで生きる運命だったのかもしれない。ここで過ごしていく間にきっと、あなたの氷は溶けていくと思う。あの魔女さんはそういう人よ。愛を大事する人だから」

 魔女は自他共に認める性悪だと言っていた。口が悪く怠惰。それはイベリスも感じた。それでもイベリスは魔女を好きだと思った。優しかった。可愛かった。幸せだった。楽しかった。テロスにいるよりずっと心地良かったのは全て魔女のおかげ。
 素手で触れることができなくなったと言っていたが、イベリスはきっといつかその氷が溶けていくと確信があった。このフローラリアの熱で、彼の愛でゆっくりと溶け、いつか手袋を脱いで、愛する人に触れられる日が来ると。

「これが正しい別れ方よ、サーシャ。今度は笑顔で別れましょ」
「頑張ります」

 涙の別れは一度でいい。もう二度とあんな悲しい別れは味わいたくない。
 ウォルフは今も不満げな顔をしているが、断れとも同行しろとも言わない。一生一緒は嫌だと言ったが、早すぎる別れに上手く心が整理できていないだけ。
 いつかは訪れていた別れ。それが予想よりずっと早かっただけ。複雑な心境の中、ウォルフも心の中ではサーシャの幸せを願っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

もう尽くして耐えるのは辞めます!!

月居 結深
恋愛
 国のために決められた婚約者。私は彼のことが好きだったけど、彼が恋したのは第二皇女殿下。振り向いて欲しくて努力したけど、無駄だったみたい。  婚約者に蔑ろにされて、それを令嬢達に蔑まれて。もう耐えられない。私は我慢してきた。国のため、身を粉にしてきた。  こんなにも報われないのなら、自由になってもいいでしょう?  小説家になろうの方でも公開しています。 2024/08/27  なろうと合わせるために、ちょこちょこいじりました。大筋は変わっていません。

今日は私の結婚式

豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。 彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。

処理中です...