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イベリス復活編

フローラリア8

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「誰をクソ女と呼んだ?」

 門のほうから聞こえてきた声に男たちが一斉に振り向き、銃を構える。だが、銃は既に氷漬けとなっており男たちの手と同化している。

「ヒッ! なんだよこれぇ!!」

 ピキピキと音を立てながら身体を侵食していく氷に慄くも止まらない。足と手を封じてしまえば逃げることもできず、凍っていく自分の身体を見て恐怖に声を上げるしかできない。言葉にならない悲鳴を上げるも氷が止まることもない。

「氷帝テメェ!! テメェのせいでフローラリアは──」
「冗談だろ……」

 ライフルの男が溜まりに溜まった鬱憤をぶつけようとしたが、一瞬で髪の先まで凍った男は降っている雹のように砕け、それをアルフローレンスが踏みつけて更に砕いた。
 太陽の石が効力を失うほどの冷気をまとった男が歩いてきた道が凍っている。
 問答無用で人間を破壊した氷帝に男たち同様にウォルフも絶句する。

「陛下、お待ちください。彼らのやり方は間違っていますが──」
「黙れ」

 怒っている。相当怒っている。いや、キレている。とても静かにキレている。目から氷柱が発射されそうなほど鋭い目つきに顔の横まで両手を上げたウォルフの背後で残りの男たちが砕け散った。

「アルッ!!」

 ミュゲットの声が聞こえる。一緒に来たのだろうが、国の現状を見回っていて遅れた。

「アル、やめて!!」

 アルフローレンスが止まる気配はない。サーシャやウォルフに何も言葉をかけないまま熱を感じるほうへと歩いていくその背中にミュゲットが腹の底からの声をぶつける。

「アルフローレンス・ヴィ・セレン=マクスウェル! 止まりなさい!!」

 フルネームで呼ばれた男の足がようやく止まった。振り返った夫の表情はフローラリアで出会った日に見たものと同じで、ミュゲットが拳を握る。今でも思い出すあの日の衝撃と怒り。一生忘れることがないだろうあの日の感情。それでも彼を愛してしまったから忘れようとしていた。忘れている日もあった。でも、こうしてここに立って、今のような彼を見ると思い出してしまう。
 ぐちゃぐちゃになった感情が込み上げ、それを必死にのみ込みながら彼の前まで早歩きで向かうとそのまま勢いに任せて頬を打った。

「あ……」

 この世で氷帝の頬を打てるのはミュゲットだけ。思わず声が漏れたウォルフはその場から三歩後ずさる。

「生きている価値のない人間を生かしておく理由がどこにある。この異常な熱波によりこれから死にゆく者、これまでに死した者たちの無念はどうするつもりだ? 生きている者全ての命に価値があり尊いわけではない。お前は知るべきだ、価値がない命もあるということを」

 アルフローレンスはいつだって現実しか見ない。自分に必要のないものは世界にも必要ないと思っている。そうではないと何度説いても彼は変わらない。国の常識は自分が決めているだけにその考え方だけは変わることがない。

「だからって殺す必要はないのよ」
「余の判断に口を出すな」
「私が生まれ育った国よ!!」

 カッとなった。ミュゲットが怒りで声を張ったのもまだアルフローレンスという男を知らなかった頃以来。対峙する姿はまるであの日に戻ったかのよう。
 いつもはミュゲットには甘いアルフローレンスも今はミュゲットの言葉が何一つ響かない。

「余の支配下にある国だ。余が皇帝であり、ここがグラキエスの支配下にある以上、余がルールであることは変わらん。この国のために生きられぬなら出国し、この国を脅かすなら死刑だと言っておいたはずだ。何が難しいのか余には理解できん。」

 グラキエスの支配下となったことを説明した際、彼は国民にそう告げた。今まで変わらない暮らしをしていれば問題はないルール。そこに加わったのは内戦を起こすなら死刑という過激なものと小さな島国に王は必要ないということ。そこはミュゲットと揉めはしたが、譲らなかった。何かあればすぐに連絡を。一ヶ月に一度は島民の意見を集めて報告するよう、派遣した騎士に頼んでいたのだが、騎士はそうしなかった。
 手紙を信じきっていた自分の責任でもあると拳を握るのを見ながらもアルフローレンスは歩き出した。

「どこへ行くつもり?」
「ウォルフ」
「は、はい!」
「ミュゲットをお前の女と共に見張っていろ。邪魔だ」

 世界でたった一人の愛する妻を邪魔だと言い放ったアルフローレンスの怒りは底知れない。傍にいるだけで凍ってしまいそうなほどの強い冷気を放っている。人の命など石ころほどの価値もないと言いきる彼らしい性格に改めて恐ろしくなる。

「待ちなさい! アルフローレンス!!」
「ミュゲット様、こちらへ。一緒に行ってはなりません」

 ミュゲットの前に立って誘導するもミュゲットは抵抗する。力で敵うはずもなく、叫ぶように呼んでも夫は振り向かなかった。

「殺さないって約束して!! 殺したら許さないから!!」

 何を言っても、離婚だと叫んでも彼はきっと殺してしまう。わかっている。彼はいつだって自分の判断でのみ動く。他人から指図されることを嫌い、二度同じことを繰り返すのを嫌う。妻であろうと譲らない部分は絶対に譲らない。
 美しい景色はかろうじて保たれているが、枯れつつある場所もあった。人々は暑さによって生気を失い、誰もが生きることに苦しんでいた。
 ここはどこだ。フローラリアではない。そう思いたくなるほどの光景が広がっている。そのショックに涙し、もっとちゃんと気にかけるべきだった。自分の太ももを叩いてしゃがみ込んだミュゲットの傍にイベリスが駆け寄る。

「ミュゲット皇妃、こちらへ」

 まだ雹は降り続けている。太陽の石が男たちと共に破壊されたことで魔法が使えるようになったサーシャが建物全体に氷の膜を張って守っているが、勢いの強さにあっという間に傷がついてしまう。あの怒りがどこまでひどくなるかわからない以上は更なる天候悪化もありえる。
 手を握って引っ張るイベリスに合わせて立ち上がり、よろつきながらも奥へと進むとミュゲットをよく知る者たちがソファーへ座るよう促した。

「皆、ごめんなさい」
「ミュゲット様が謝ることなんかあるもんかい! これは全部アイツらが悪いんだよ! 自業自得さ!!」

 死者が出ている以上、原因となった男たちの死は当然だと言い張る国民に少し救われる。自分ではもう彼を止められない。ならば誰にも止められないのだ。自業自得であれば死んでもいいのかという葛藤はある。でも彼が言うように死んでいった者たちのことを考えると命だからとその言葉だけで守るのもおかしな話。
 フローラリアは雨が降ると気温が下がり、長袖の羽織り物が必要な気温まで下がることがあるため寒さを知らないわけではないが、全身が震えるほどの寒さは初めて。ガタガタと震える国民たちに分け与える毛布もない。
 先程まで滝汗を流していた者たちは急激な気温低下により体温が下がり始めていた。

「ウォルフ」

 イベリスがお願いと言うと察したウォルフが天井の高い中央へと移動して獣化する。皆に寄るよう伝えると国民はまずミュゲットとイベリスに一番暖かい腹部へ寄るよう促した。
 それから三十分ほど経った頃、雹が止み、雲が消え、太陽が姿を表した。氷漬けになっているのではないかと思うほど震えていた身体が一気に解放されるような暖かさが戻り、皆が顔を見合わせる。暑い。でも熱くはない。フローラリアの気温だと誰もが抱き合って喜びに声を上げた。
 しかし、ミュゲットは喜びの表情を見せることはなく、そのまま外へと駆けていく。イベリスが続き、ウォルフとサーシャも追いかける。

「ああ……」

 北のほうにあった塔らしき建物が丸ごと消えている。まるでこの国にそんな物は存在しなかったかのように。

(建物ごと、いや、太陽の石があった地面ごと凍らせて破壊したのか……?)

 現場を見ないことにはわからないが、彼が持つ魔力量は魔女にも匹敵するのではないだろうか。機嫌一つで天気すら変えてしまうほどの力を彼は持っている。そして人の命を躊躇なく奪える残忍な性格。愛している妻ですら止められぬほどの怒りを抑えられぬ人物を世界が危惧するのも当然だと納得した。

「ミュゲット皇妃、陛下が戻られるのをここで待ちましょう」
「大丈夫。彼がいる場所ならわかるし、危険はないわ」
「俺が殺されます」
「それも大丈夫」

 行かないように止め続けたところで彼同様に行ってしまうのだろう。似た物夫婦だとかぶりを振り、殺されないことを祈りながら見送った。

「どうなると思う?」
「ボッコボコでしょうね、陛下が」
「ミュゲット皇妃がボコボコにするの?」
「だと思いますよ。だって止めたのに止まらなかったのは陛下ですし、ミュゲット様は許さないとまで言いましたからね」
「ミュゲット皇妃は見かけによらず強いのね」
「立場ある者は強くなければやっていけませんよ」

 確かにそうだ。自分はたった一年という短い期間でも皇妃の立場にあった。耳が聞こえないからやらなくていいと言われ、それに甘んじて皇妃の仕事は何もしなかった。国民からも歓迎されていない辛さやしんどさを武器にして放棄していた。ファーディナンドを愛していなくとも少しは皇妃らしいことをすべきだったのかもしれないと今更になって思う。
 国民を楽しませたのは一度だけ。アイススケート場を作ったとき。

(でもあれは私じゃなくてサーシャの功績)

 ミュゲットは王族として生まれたから皇妃をやれているのではない。覚悟を持って皇妃をしているのだ。自分とは違う。

「ミュゲット様は慕われていたのね」
「ここの王女様でしたからね」

 羨ましい。そう思う資格もないかもしれないが、純粋に羨ましかった。

「私は……テロスで何もしなかった。皇妃としても女としても、何も……」
「当たり前です。それでいいんです。あなたはあそこにいるべき人間ではなかったんですから。俺とこうして他国を旅する運命だったんです。テロスで色々してもらっては困りますよ」

 そんなことはない。一生懸命やってきたと慰めない辺りがウォルフらしいとサーシャは思う。いつだってウォルフは言葉をくれた。傍にいて守ってくれた。ありがたい存在だと何度でも思う。
 フローラリアの状況を聞いたアルフローレンスは皇帝でありながら全てを放り出してここへやってきた。ここが愛する妻が生まれた国で、妻との思い出があって、妻が愛した国だから駆けつけた。妻を邪魔だと言い、自分の怒りを優先させた彼は正しくないのかもしれないが、それも大きな愛だと思った。ファーディナンドがロベリアに向けていた愛とはまた、少し違う愛だと。

「……ファーディナンドはどうしてるかしら……」
「ロベリアとイチャついてるんじゃないですか? だって彼はロベリアを取り戻したかったんですから」
「そうね」

 別れの日に彼が見せた後悔も涙も嘘ではない。彼は間違いなく愛してくれていた。でも受け入れられらなかった。愛せなかった。どう転んでも彼に心が揺らぐことはなかったのだ。愛せるはず、愛さなければと使命のように言い聞かせていた時点で不可能だとわかっていたはずなのに。

「彼との出会いはあなたたちと出会うために必要だったのよね」

 二人が頷く。

「だから私はあの思い出を悪いものにはしない。悔しかったし、情けなかったし、苦しかったけど、嬉しかったり楽しかったりした思い出もちゃんとあるから」

 ファーディナンドがこれから死ぬまで後悔し続けることを知っているのはサーシャだけ。ウォルフのはあくまでも憶測。だからサーシャはあえて言わない。イベリスが同情心で手紙を書くようなことをしないように。彼には後悔し続けてもらうと決めたから。

「これでやっとマシロを散歩させてやれますね」
「そうね。迎えに行かなくちゃ。きっとすごく怒ってるわ」

 靴底が溶けて地面とくっつくほどの暑さの中を散歩させられるはずもなく、マシロは到着してからずっと留守番だった。この美しい景色を彼にも堪能させてやらなければとホテルに向かおうとしたとき、サーシャを呼び止める声が聞こえた。

「リオ」

 振り向くと既に傷の手当てがされているリオが立っていた。

「戻ってたの?」
「看護師たちが救急箱を持ってたんだ。俺よりずっと優秀だよ」
「そう。よかった」
 
 腕はだらんとしている。痛みもあるだろう。病院に戻って痛み止めを使ったほうがいいのではないかと考えるサーシャとは反対にリオは空を見上げる。

「晴れたね」
「そうね」
「ちょっと、話があるんだけど……いいかな?」
「今からホテルに帰るの。明日でいい? あなたも早く病院に戻って適切な処置をしたほうがいいわ」

 イベリスでもリオが何を言おうとしているのか悟ったのにサーシャはそれを事が起こる前に断った。サーシャの人生なのだからサーシャに決定権があると言えど、リオと話しているときのサーシャは自分ともウォルフとも話しているときには見せない顔をしているときがあった。もったいない、はお節介かもしれないと思いながらもイベリが先手を打つ。

「サーシャ、ごめんね。私、ちょっとウォルフと二人きりになりたい」

 二人は婚約者。ハッキリ告げられた言葉に同行者のサーシャが邪魔できるはずもなく、一瞬固まるもすぐに「わかりました」と返事をした。勝ち誇った笑みを浮かべるウォルフの顔を殴ってやりたくはあれど手を繋いで歩いていく二人を見送るしかなかった。
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