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イベリス復活編

リンベルへ

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「ここがリンベルかー! レンガの街並みが美しいですね!」

 地面も建物の外壁もレンガ造りの街並みにウォルフは感嘆の息を漏らす。
 グラキエスを出発してから長い旅路だった。しかし、馬車に乗るより速かった。ウォルフの背中に乗って走ったからだ。

「疲れてない?」
「全然。むしろ楽しかったです」

 二メートルを超える巨体のウォルフに馬車は窮屈。木箱に押し込められている気分になると憂鬱そうだったため、船で行こうと提案したのだが、ウォルフは自分が走ると言った。イベリスを後ろに乗せて走るウォルフは楽しそうで、長旅でも一度も疲れたと言わなかった。雨が降れば街に寄って宿を取り、晴れれば一気に走り出す。猛獣使いにでもなった気分でイベリスも楽しかった。

「イベリス様が育った国だと思うと感慨深いなぁ!」

 手を繋ぎながらゆっくりと歩く。ウォルフにとっては遅すぎるだろうが、彼は一度だってイベリスのペースを無視して歩いたことはない。お祭りに来た子供のようにあちこち忙しく顔を動かしながら興奮隠しきれない表情を見せる。
 久しぶりのリンベル。ロベリアのように七年八年と離れていたわけではないのに懐かしくてたまらない。しかし、イベリスの表情はあまり長く笑顔を保てなかった。

「どうしました?」
「ちょっと……怖い、かな」

 両親の記憶に自分はどんな形で残っているのかがわからなくて怖い。曖昧な記憶に混乱させたくない。一応、帰ると手紙は書いておいた。ウォルフから記憶が戻ったときの話を聞き、手紙を書いておいたほうが言われてそうしたのだが、それによって彼らがどういう風に記憶を戻したのかがわからず不安で動悸がする。進めば実家に着く道に入るところで足を止めてしまったイベリスの前にウォルフがしゃがんで両手を握る。

「ご両親がもしあなたを忘れていたら、間違えましたって言って走りましょう。俺がイベリス様を咥えて走りますよ」
「背中に乗せるんじゃなくて?」
「子供を運ぶ白狼の親みたいにして走ります」
「目立つからやだ」

 イベリスが笑ってくれるだけで安心する。不安はウォルフも感じているが、顔には出さない。握った両手を軽く上下に揺らして笑顔を見せる。

「ご両親はきっと、あなたの帰りをご馳走を用意して待ってるはずです」
「ご馳走がなかったらどうする?」
「街一番のレストランでご馳走を食べましょう」
「とっても高いのよ?」
「よし、そのときは俺が作ります! イベリス様フルコースを!」

 どんな料理か想像もつかないが、本当に作りそうだと笑い、息を吐き出す。怖がっていても仕方ない。ダメならダメで仕方ない。自分を見て両親が不思議そうな顔をしたらそのときは逃げよう。ウォルフならきっとすぐにそうしてくれる。そう思うと少し心が軽くなった。

「ウォルフとサーシャのお母様が覚えてて、うちの両親が覚えてないなんてありえない、よね?」
「当然ですよ。絶対に覚えてますから安心してください」
「……よし! じゃあ、行こう」
「あー緊張するー!!」

 緊張と興奮のあまり耳と尻尾が飛び出しそうだと腕をさすって歩き出す。あえて緊張を声に出すウォルフの優しさに微笑み、一緒に道を進んでいく。

「レンガの道ってキレイですよね」
「わかる。私もお気に入り。幼い頃、ケンケンパッてやったの」
「うわー、見たかったなー。絶対可愛かったはず。うちは雪国だからそういうのなかったですし。今日からこの道は俺のお気に入りでもありますよ」

 一つ一つがパズルのように並んでいる道を見ながら歩くのは楽しい。耳が聞こえないイベリスは馬車や人が来てもわからないため前を見て歩きなさいと幼い頃に何度も注意を受けた。それすら今は懐かしい。ウォルフといると誰もぶつかってはこない。誰もが避けていく。女が一人で歩いているとあえてぶつかってくる男もいたのに。不思議な気分だった。
 門を曲がって真っ直ぐ歩く。もう少し進んで小さな橋を渡ると周りと比べると少し目立つ大きめの家が見えた。

「あの赤い屋根の家ですか?」
「どうしてわかったの!?」
「なんとなく、イベリス様が居そうな気がして。あそこに立っててもおかしくないなーって思ったんです」

 家を見てすぐにあれがイベリスの家だとピンときた。
 懐かしい家に涙が出そうだった。帰りたいと何度思ったかわからない。駆け出しそうになる気持ちとまたすくみそうになる足が矛盾を起こす。
 中に両親はいるだろうか。父親は仕事に行っているかもしれない。いや、でも、親バカな二人だからきっと父親は仕事を休んでいると思う。パーティーで会ったのに、懐かしく思うのは恋しかったからだろうか。
 自分の家をこうして足を止めて眺めたことはなく、目に焼き付けるようにその場で見ていると門が開いて女性が一人出てきた。

「何度も何度も確認しに行かなくていいよ。中で待ちなさい」
「帰ってくるって書いてあったのよ! もうすぐ着くかもしれないじゃない!」
「だからって十分おきに見に行ってどうする」
「あなただって本を読んでくるって言って庭に出たけど、二時間前と同じページのままじゃない」
「ジェンキンスと話をしていたからだよ。ちょうどイベリスの花をこっちに植え替えると言うから」
「あら、私だってイベリスの花を見に来てるだけよ」
「イベリスの花は門の外には咲いてないよ」
「空気の入れ替えしてるだけよ!」
「外で?」
「外で!」

 ウォルフの耳にはハッキリと聞こえる夫婦の会話とイベリスの花の匂い。
 彼らが忘れているはずがない。大事な娘を、愛しい娘を。どんなことがあろうと思い出すに決まっている。

「お母様ぁ!!」

 たまらず悲鳴のような声で母親を呼ぶと驚いた顔がこちらを向く。姿を見る前に驚いた顔をしていた。まるでその声が誰の声なのかわかっているかのように。
 本を片手で抱えて隣に出てきた父親も同じように驚いた顔でこちらを見た。

「イベリス!!」

 母親も娘同様に悲鳴のような声で名を呼び、駆け出した。ウォルフの手が離れ、イベリスが駆けていく。本当はもっと早く帰ってきたかったはずだ。結婚を後悔した日からずっと。それでも彼女は帰らなかった。自分の意思で残ると決め、自分の力だけで勝ち取った支えと共に生きることを選んだ。
 それでも、この人生の中に帰りたいという願いがなかったわけではないだろう。口にしなかっただけ。できなかっただけ。もっと早く連れ帰るべきだった。グラキエスに流れ着いたあの日にでも。
 ウォルフの中にある小さな後悔だ。

「おかえりなさいッ! おかえりなさいイベリスッ!」
「おかえり、イベリス」

 父親は冷静に振る舞っているが涙を隠すことまではできなかった。母親にキツく抱きしめられ、ただいまも言えずに泣きじゃくるイベリスにウォルフの目にも涙が滲む。
 ずっと、こうして泣いていたはずだ。でも誰にもその泣き声が届くことはなかった。涙をこぼし、肩を震わせるだけ。本当はこんなにも胸が痛くなるほどの声を上げていたのに。
 まだ十七歳。親元を離れたのは十六歳。守られて生きてきたイベリスにとってあの一年は辛いばかりだっただろう。守ってきたつもりでも守りきれなかったことも多々あった。騎士を名乗ることさえ恥ずかしいほどに。

「いらっしゃい」
「お会いできて光栄です、リングデール伯爵」

 涙を拭いながら寄ってきたアーマンにウォルフも涙を拭って笑顔を見せた。差し出された手を強く握る。

「大きいね。獣人族かい?」
「はい。白狼の獣人なので少しばかり幅を取ります」
「うちは大きいから大丈夫だよ」
「ちょっと、品のない発言はやめて」

 涙を拭えないまま文句を言う妻に笑いながらウォルフを先に中へと招き入れる。
 門から玄関までレンガで作られた道があり、右のスペースにはちょうどイベリスの花が植えられている。白くて可愛い花だ。娘にイベリスと名付けたのもわかるとウォルフが頷く。

「どうぞ」

 中に入ると玄関の広さに驚いた。テロスやグラキエスの城の玄関と比べれば倉庫のようなものだが、外観からは想像もつかない広さがある。

「壁が少ないのか──ッ! す、すみません!!」

 壁が少ないから玄関が広く見えるんだと気付いたときにはもう口に出していた。慌てて口を押さえて謝るウォルフをアーマンが笑う。

「私たちは自他ともに認める親バカでね、耳が聞こえないイベリスのために壁を壊して柱を補強したんだ。呼んでも聞こえない、返事もないのが怖くてね。どこからでも見えるようにってね。だから玄関が広く見えるんだよ」
「広くて美しいです」
「ありがとう。私たちも気に入ってるんだ」

 花瓶や絵画のセンスも良い。花瓶に飾られている花も壁に飾ってある絵画もどれも優しい色合いのもので、彼らの内面が反映されているように感じた。
 家中に広がる良い匂いにご馳走が待っていることを確信し、肉汁滴るステーキもあると匂いだけでわかる。

(イベリス様の家でがっつくわけにはいかない! どんなに美味そうな料理が出ても静かに食べるんだぞ!!)

 垂れそうになった涎を拭ってかぶりを振りながら自分に言い聞かせる。

「パーティーの日以来だね」
「あ……は、はい。そうですね」

 パーティーのことを覚えているのかと少し慌てた。

「あの……イベリス様がこうして帰ってきた理由は……」
「わかっているよ」

 その目が、声が、全てを知っていることを悟らせた。
 チラッと門のほうを見て、まだドアの外で抱き合って何か話している二人を見てアーマンが歩き始める。

「少しだけ、私たちで話そうか」
「はい」

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