亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
上 下
147 / 190
イベリス復活編

婚約者として

しおりを挟む
「やっぱり連れて帰ってきたね! ほらね! だから言っただろ! 必ず連れて帰ってくるって言ったんだよ!」
「当然じゃろ」
「は? おじいちゃん、アンタ、ウォルフは根性なしだからムリだって言ってたろ。早く寄越しな」

 ミーシャの悲鳴を聞いて外の様子を伺っていたウォルフの家族は息子だけでなく息子の隣にイベリスがいることに主に母親が大喜びしていた。しかし、その内容は純粋な喜びではなく、何か賭け事でもしていたと思わせるもので、大きな手を祖父に向けている。祖父は祖父でチッと舌打ちをしてポケットから硬貨を出してその大きな手のひらに乗せた。

「もしもし? 息子が帰ってきたのにおかえりの前にそんなゲスな会話聞かせるってどういうこと?」
「あーら、おかえり! おかえりおかえり! 可愛い息子! お前は相変わらず可愛いねぇ!」

 息子に負けないガタイの良い母親からのハグを嫌そうに受けながらも拒絶はしない。

「お嬢ちゃんもおかえり!」
「た、ただいまです!」

 容赦ないハグにイベリスは大蛇に巻き付かれた気分になりながらも返事をした。バッと勢いよく離された強さに頭が揺れるも驚いた顔をする母親にしまったと口を閉じる。

「お嬢ちゃん、耳が聞こえるようになったのかい!? 声も出てるじゃないか!」
「あ、あ、あ、あ、あ! これはさッ、その、あの、イベリス様は、えっと──」

 慌てながら必死に言い訳を考えていたウォルフだが、母親の「良かったじゃないか!」に動かそうとした口がポカンと開いたまま固まった。

「あ、耳が聞こえないから何か思ってたわけじゃないよ? 息子とは問題なく意思疎通取れてたみたいだしね。それはそれで良かったんだろうけど、障害ってのはやっぱどこか不平等さを感じちまうもんだからさ、それが取り除かれたってのは良かったじゃないか。いろんなことがあるこの世の中、何が起こっても不思議じゃないのさ。神も悪魔も天使も気まぐれだって言うからね。アンタの声が聞けて嬉しいよ。想像どおりだ。可愛い可愛い!」

 ああ、彼女はこういう人だったと思い出した。きっと、イベリスが声を出した瞬間、この場にいた全員が不可解に思っただろう。生まれつき聞こえなかった耳が突然聞こえるようになるなんて、出せなかった声が出せるようになるなんておかしい、と。だけど、誰も怪訝そうな表情を見せることはしなかった。家族全員が母親の意見に同意しているような表情を浮かべていることにウォルフは嬉しくなる。

「で、二度も家に連れてきたってことはー?」

 ニヤつく母親にウォルフは緩みを口元に出しながら息を吸い込んで言い放った。

「婚約者を連れて帰ってきました!」

 まるでサプライズパーティーのように一気にワアッと湧いた声にイベリスは驚いた。聞こえるようになってから初めてのグラキエスは静かな街という印象を受けた。空は晴れているが、屋根や地面に降り積もった雪は溶けておらず空気は冷え込んでいる。だからか、街を歩く人の数は少なく、大勢の話し声というのはまだ聞いたことがない。
 耳を聞こえるようにしてもらったとき、魔女が言った。

『耳が聞こえなかった人間が聞こえるようになるってことは幸せなだけじゃないのよ。あなたは十七年間ずっと無音の世界で生きてきた。世の中にどれほどの音が溢れてるのかを知らない。早く知りたいって気持ちはあるでしょうけど、あなたが思ってるよりずっとうるさいものよ。無音が普通だったあなたの脳は暫くその処理に困惑するでしょうね』

 魔女と暮らして声には慣れたつもりだった。魔女の声、動物の鳴き声、川のせせらぎや風が葉を揺らす音、かき混ぜる音、切る音、食器がぶつかる音、水が跳ねる音。雪を踏む音を聞いたのは初めてで、新しい感想だった。
 ここに来て、ミーシャの大きな声は上手く処理できたが、ここでの大人数の声は上手く処理できなくて脳が揺れている感覚に陥る。急激に襲いくる不安を誤魔化すように笑うも上手くいかない。魔女が言っていたのはこういうことだったのかとようやく理解できた。

「シーッ! アンタらの声のデカさにお嬢ちゃんが驚いちまっただろ! 静かにしな!」
「いや、そう言ってる母さんの声が一番デカいから」
「ごめんねぇ? 元気だけが取り柄なもんだからさ。レディへの気遣いなんかこれーっぽっちも持ってないんだよ」
「レディがいない家で育ったからなー」
「へー! じゃあアンタの母親はレディじゃなくてなんなのかねぇ?」
「母親は母親。それだけー」
「だからアンタはモテないんだよ。可哀想にねぇ」
「はあ!? モテるし! すげーモテるし! モッテモテだし! モテすぎる息子見てビビんなよ!」
「ビビらないからモテてる証拠見せてみな」
「モテなかった母親に見せたら嫉妬で殴られそうだからやめとくー」

 あー?と言いながら拳を構えて息子へ寄っていく母親を目だけで見るウォルフが「すみません」と謝る。

「耳が聞こえる人ってこんなに多くの声を全部上手く処理して生きてるのね。すごい」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。賑やかさにまだ慣れないだけ。きっとすぐ慣れるわ」
「部屋に行きますか?」
「部屋でナニしようってんだい?」
「何もしないよ!! 変な想像すんな!!」

 ニヤつく母親に怒りながらイベリスの手を引いて自室へと向かうもイベリスが足を止める。

「イベリス様?」
「まだちゃんと自分の声で自己紹介してないから、してもいい?」

 せっかく家族が揃っているのに自己紹介もせずに部屋に引っ込むのは印象が悪いのではと思い、イベリスは家族が集まるリビングを見て挨拶をした。

「イベリス・リングデールと申します」

 笑顔を向けてくれる彼らに挨拶をすると各々が自己紹介を返してくれる。母親と祖父が一回目のときに色々話していたのだろう。彼らは矢継ぎ早に質問を始め、それに一つずつ答えていく。

(そういえば、イベリス様がキルヒシュって名乗ってるの見たことないな)

 ロベリアの器として連れてこられただけだったせいもあって自ら名乗る場面がなかったと言うのもあるが、イベリスはあの一年間、一度も自分をイベリス・キルヒシュとは言わなかった。イベリスなりにファーディナンドを愛そうとしていたが、そこが明確な線引きだったのかもしれない。
 ファーディナンドは必死に愛情を伝えようとしていたが、上手くいかなかった。彼は何もかもが中途半端だった。ただ真面目に生きてきた男は女に操られたことで間違ったほうへと歩み始めた。その中で居心地の良い空間を夢現の中で作り出し、それに縋りついた結果、本当の愛に気付いたときには手遅れという結末を迎えた。

(終焉の森に迎えに行くことをしなかっただけマシ……か?)

 最後まで縋りついて拒絶される未来を避けただけのような気もするが、皇帝という椅子に縛られている彼は他の生き方を知らない。模索する術もない哀れな男だが、ウォルフは自業自得だと心の中で吐き捨てる。夢から覚めた現実はまた現実逃避したくなるほど厳しいものだろうが、全て彼の責任でしかないのだ。

(サーシャが背負い続けるように、彼も背負い続けるんだろうな。ロベリアと歩む、望まぬ人生を)

 魔女と契約を交わすことが禁忌とされている理由の一つかもしれない。どんなに望んでも解除はできない。人生が壊れてしまうこともあるからやめておけという忠告もあるのかもしれない。
 ウォルフは結局、魔女と契約を交わすことはなかった。イベリスは消えず、耳も聞こえ、声も出せるようになっていたのだからウォルフが願うことは何もなかった。犠牲にしたのは身体だけ。傷はあれど痛みはないのだから、感謝してもしきれない。思ってはいけないのだろうが、これから夫婦になってイベリスがこの傷を見るたびに感じることがある。それがとても嬉しいと思ってしまう。絶対に口に出すことはできないが。

「ウォルフのどこに惹かれたんだい? 言っちゃあなんだけど、あの子はガタイと顔がまあまあ良いだけで中身は子供だろう? お嬢ちゃんが惹かれるようなとこがあったかねぇ?」
「ちょっと、婚約者に悪印象与えようとしないでくんない? イベリス様は俺の良い所を山ほど知ってんの。男としても騎士としてもね」

 聞き捨てならない言葉に意識を家族へと戻すとイベリスの横に立って肩を抱き寄せる。

「おーや、騎士様はご立派だねぇ」
「お前は騎士にはしては感情が出過ぎる」
「だからいいんです」

 父親の少し厳しめの声にイベリスが言った。

「私は、彼の感情の豊かさに何度も救われました。いつだって私を慰め、励まし、笑わせてくれましたから。私は彼が専属の棋士になってくれて良かったと心から思っているんです。感情を出さずに騎士に徹することも大事だと思いますが、私は彼が素直で優しくて気遣いができる素晴らしい人であったことにたくさん救われたので、怒らないであげてください」
「ほう」

 チラッと視線を向けてくるウォルフが苦い顔で頬を掻く。父親も騎士団に所属しているだけに感情を表に出すべきではないことを入団前からずっと言われてきた。だからウォルフも初めは気取ろうと思っていたが、イベリスと一緒に過ごしているとムリだった。

「彼は私のヒーローなんです」

 言い切ったイベリスに家族全員の視線がウォルフに向く。あの甘ったれの少年がここまで言われるほどのことをしてきたのかと信じられない気持ちと誇らしい気持ちが同時に込み上げてくる。

「可愛いところもかっこいいところも全部大好きです」
「でもそのワンちゃんの可愛さには負けてそうだねぇ」
「マシロとは別枠なんですー。なー、マシロー。そうだよなー?」

 寒い外から暖かい中へと入って安心したのか、イベリスの足元に伏せていたマシロが顔を上げてグゥッと低い声を出す。ドッと大笑いが響き、イベリスも一緒に笑う。
 同じタイミングで笑い合えることの幸せを噛み締めながら絵に描いたような幸せの光景を見つめていた。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない

ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。 ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。 ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。 ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

処理中です...