上 下
146 / 190
イベリス復活編

家族だから

しおりを挟む
「魔法ってすごいな。便利じゃん」

 一瞬で景色が変わり、懐かしさを肌で感じる。ついさっきまで美しい森の中で魔女が目の前にいたのに、今はもう雪景色に変わっている。澄み渡る青空を見ながらイベリスとウォルフは胸いっぱいに冷えた空気を吸い込んだ。
 着の身着のままだった身体はいつの間にか冬用のコートを身に纏っており、魔女からの贈り物だとイベリスは嬉しくなった。サーシャだけがこの空気に気まずそうにしている。

「イベリス様、やっぱり私は……家族に会うべきではないんです」
「あなたの両親は冷たい人だった?」
「いいえ、優しい人たちでした。テロスに着いた後、手紙は出しましたし、どこにいるかもわかっているので……」
「私もそう思ってた。手紙で両親と繋がってるからって何も問題はないって。でもやっぱり会えたらすごく嬉しかった。あなたたちのおかげで手紙だけじゃなくて会いたかったんだって実感することができたの。あなたのご両親も一度でいいから会いたいんじゃないかな。あ、もちろん、これ以上を強要するつもりはないわ。ここからどうするかはあなたに任せる。」

 手を掴んで強制的に引っ張っていくつもりはなく、ここでムリだと思うのなら彼女のこれからの選択を尊重する。自分が生きていくのではなく、彼女が歩む人生だから。会ってほしいと願いがあるだけ。
 イベリスに強制的に連れてこられたのではない。自分がわかったと返事をした。寸前になって怖気付くみっともない姿を見せたくはないが、足は前に進もうとしない。

「余計なお世話だろうけど、おばさんの顔はシャルが病気だった頃と同じだったぞ」
「そんな……」

 どうして、とは言えない。息子が治ったと思ったら次は娘が姿を消した。どこにいるかはわかっていても理由も言わずに飛び出したのだ。長年帰ってこない娘をまだ待ち続けているのは母親だけではないだろうと家族のことだから容易に想像がつく。
 魔女が言っていた。『魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ』と。母親は親としての責任感が強い人だったから、娘が一人で魔女に会いに行ったことよりも一人で行かせてしまったことを悔やんでいるのだろう。そして背負わせてしまったと思っているのかもしれない。
 最後のチャンス。そう思い、一歩目を踏み出す。

「行きます」

 拳を握ってハッキリと告げると二人は顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべる。

「そこまで一緒に行きましょ」

 嬉しそうに笑って手を差し出すもサーシャが戸惑う。

「手袋越しなら大丈夫よ」

 戸惑いながらもそっと触れる。凍らない。大丈夫。そっと握るとイベリスが強く握り返す。

「ごめんね、サーシャ」
「イベリス様は謝りすぎです」
「どれだけ謝っても足りないの。身体の傷も、魔法に支配された身体も、私のせいなのにどうやって償えばいい? 私はいつも与えてもらうばかりで、あなたたちにまだ何一つ返せてない」

 二人揃ってかぶりを振る。

「イベリス様の人生はイベリス様だけのもので、私たちは関わっている人間です。この力を犠牲にして助けてくれと頼まれたわけではなく、私が勝手にそうしただけです。魔女から提示された条件をのんだのは私で、後悔なんて一つもないんです。この力があったからこそもう一度森を抜けられ、あなたに会うことができました」
「お前だけ無傷だったもんな」

 その力はグラキエスの皇帝同等か、それ以上の強さになっただろう。違うのは持っていた力と犠牲ありきで強制的に強められた力。後悔していないとサーシャは言ったが、イベリスからすれば“今は”でしかない。この先、愛する者を見つけたとき、サーシャは後悔するのではないかと心配している。物に触れるにも、愛する人に触れるにも手袋をしていなければならないことを地獄だと思う日が来るのではないかと。

「謝らないでください。あなたに謝らせるためにしたことではないんですから。むしろ、ありがとうと言ってください。そのほうが嬉しいですし、救われます」

 困った顔をするイベリスに手を揺らして催促すると「ありがとう」と聞こえた。

「助けてくれてありがとう」
「はい」
「ずっと傍にいてくれてありがとう」
「はい」
「お世話してくれてありがとう」
「はい」
「わがままに付き合ってくれてありがとう」
「はい」
「味方でいてくれてありがとう」
「はい」
「たくさんの笑顔をありがとう」
「はい」
「守ってくれてありがとう」
「はい」

 出てくる感謝に全て笑顔で返事をしたサーシャにウォルフも微笑みながら頷く。笑顔なんてサーシャらしくないが、ウォルフもイベリスと同じ気持ちだった。自分だけでは救えなかった。守れなかった。叶えられなかった。そう思うことが多々あり、サーシャがいたから出来たことがたくさんある。数多の戦場を駆けてきた戦士でもないのに傷だらけの身体は脱ぐとみっともないと思えるほどだが、後悔はない。サーシャとはレベルが違うが、彼女も同じ気持ちなんだと感じる。

「あなたがいつでも私の幸せを願ってくれてたように、私もあなたの幸せを願ってるから」
「ありがとうございます」

 近付く家の前、サーシャの足が止まる。グラキエスに来たときは見るのも嫌で街に行こうとさえしなかった。ここまで来てもまだ乗り気にはなれない。でも逃げるつもりもない。

「ドアの前まで一緒に行く?」
「いえ、大丈夫です。もう充分に勇気をもらいましたから」

 守られるのは性に合わない。守るほうが合っている。手を繋いでドアの前までついて来てもらうなんて子供じみた真似はしたくないとゆっくり手を離したサーシャがイベリスに向かって深く頭を下げる。

「私はもう皇妃じゃないから頭なんて下げないで」
「とても幸せな一年でした」
「私もよ。あなたたちがいたから幸せだったの」
「守りきれなくてすみません」
「守ってくれた。だから私はここにいるのよ」
「魔女が救ってくれただけです。私は──」
「私があの瞬間までいられたのはあなたたちのおかげ」
「あなたが堪えたからです。耐え続けたからですよ」
「耐えられたのはあなたたちのおかげよ。笑わせてくれた。安心させてくれた。癒してくれた。だからもっとここに居たいと思って、逃げ出さなかったの」

 逃げ出してくれと何度も思ったが、逃げ出していても魔女は魂を降ろしたと言っていた。もしそうなっていたら魔女は彼女に何も感じることなく、降ろした瞬間に小屋へと帰って終わりだっただろう。
 辛いことだらけだったイベリスにとって生き甲斐が自分たちであったならこんなに幸せなことはないと嬉しくなる。

「これ以上は泣いてしまいそうなので、そろそろ行きます」
「行ってらっしゃい」

 頭を上げて大きく息を吐き出し、目の前の家に向かって一歩踏み出そうとしたとき、ドアが開いた。

「……サーシャ……?」

 出てきた女性はウォルフが言ったとおりの見た目で、健康とは言い難い容姿をしていた。

「お……かあ……さ……」

 彼女をそう呼ぶのはいつ以来か。手紙にもそう書きはしなかった。他人行儀な書き方をしていただけに、そう呼んでいいのかすら躊躇われる。

「サーシャ……!!」

 悲鳴のような声で名を呼び、ストールを脱ぎ捨てて駆け寄ってくる母親を受け止めるもどうしていいのかわからず困惑する。細い。痩せすぎている。

「シャル、は……元気?」

 シャルのことを自分から聞くことはなく、母親からの手紙で状況を知るだけだった。弟に会いたいとずっと思っていても勇気が出なかった。それを今、ようやく勇気を出せたことで胸の奥にあった重石が少し小さくなった気がした。
 
「当たり前じゃない! あなたのおかげよ! あなたのおかげであの子は元気になったの! 学校へ行って、外を走り回って、お友達と楽しく遊んでるし、ご飯もいっぱい食べてる! 全部あなたのおかげなのよ!」
「私は……」
「あなた一人に背負わせてしまってごめんなさい!」

 母親の言葉に目を見開く。

『魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ』

 魔女がバラしたわけではない。気付かないはずがない。不治の病は文字どおり治ることのない病気。世界中の医者を回っても匙を投げられるだろう。そんな病を患った少年が小瓶に入った液体を飲んだだけで治ってしまったのだから。現代医学ではありえないことを起こせるのは魔女だけ。

「私が勝手に行っただけだから……別に背負ったとか思ってない……」
「私たちはあなたを引き留めるべきだった! 知ってるんだと言って、あなただけに背負わせずに一緒に国を出るべきだったのにッ……甘えてしまったの! あなただけに背負わせて辛い思いをさせて……本当にごめんなさい!!」

 あれから何年もずっと後悔していた。娘が家を出た日から今日までずっと、母親は窓から外を見続ける毎日を送っていた。娘が帰ってきたときにすぐ迎えられるようにと。
 あの日、ウォルフから言われた言葉を当然だと受け止めはしたが、やはり後悔は続き、あれからも窓の外を見続けていた。
 あの子が帰ってきたら謝ろうと何万回も自分に言い聞かせてきた。

「……心配……かけて……ごめん、なさい……」

 痩せ細った母親が涙を流す光景に胸が痛む。戸惑いの中、辿々しくも謝る娘に母親は何度もかぶりを振って「いいの」と言い続けた。

「でも、私は……幸せだった、から……」
「本当に……?」
「彼女のおかげで」

 顔を上げた母親がイベリスを見るとハッとする。

「あなたは……ロベ──」
「彼女はイベリス・リングデール伯爵令嬢。えっと……」

 彼女たちの記憶がどうなっているかわからない。魔女に聞くのを忘れてしまった。テロスにはロベリアが復活しているからイベリスは皇妃ではない。かといって、イベリスは皇妃のときに彼女に会っている。どう言えばいいのかと迷っているとイベリスがその場で軽く膝を曲げて挨拶をした。

「サーシャの友人のイベリスと申します」
「お友達……?」
「はい」

 ロベリアと瓜二つの少女がここにいて、隣にはロベリアのために召喚されたと聞いたウォルフが立っている。でも少女はイベリスと言い、姓もキルヒシュではない。お忍で来ているのだろうかと様々な推測をするも見上げた娘が嬉しそうに笑っているのを見たら、そんなものは邪推でしかないとイベリスに頭を下げた。

「サーシャの母、ミーシャです。娘と仲良くしてくださり、ありがとうございます」
「私のほうがお世話になりっぱなしなんです。彼女には感謝してもしきれないほど良くしていただきました」
「そうですか……!」

 離れている間、ずっと独りなのではないかと思っていた。黙々と仕事をして、独りきりで抱え込んで苦しんでいるのではないかと。でも違った。友人がいた。娘を笑顔にしてくれる素晴らしい友人が。何故自分はそう信じてやれなかったのだろう。心優しい娘なのだからきっと友人に恵まれて幸せにやっていると。
 母親として情けないと自分の太ももを叩いた。

「話さなきゃいけないこと、たくさんあるだろ。ゆっくり話せよ」
「アンタに言われなくてもわかってる」
「マジ可愛くねぇ」
「結構よ」
「またね、サーシャ」
「はい」
「妖怪二重人格め。ギャアッ!!」

 尻尾が凍りついた痛みに声を上げるとサーシャが勝ち誇ったように笑い、すぐに解除された。「こらっ」と優しく叱られながら促されるままに家へと向かい、玄関のドア前で二人揃って頭を下げた。イベリスも頭を下げてから手を振り、ウォルフに引かれるままに彼の家へと入っていった。

しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈 
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。

海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。 アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。 しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。 「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」 聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。 ※本編は全7話で完結します。 ※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

処理中です...