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イベリス復活編

家族だから

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「魔法ってすごいな。便利じゃん」

 一瞬で景色が変わり、懐かしさを肌で感じる。ついさっきまで美しい森の中で魔女が目の前にいたのに、今はもう雪景色に変わっている。澄み渡る青空を見ながらイベリスとウォルフは胸いっぱいに冷えた空気を吸い込んだ。
 着の身着のままだった身体はいつの間にか冬用のコートを身に纏っており、魔女からの贈り物だとイベリスは嬉しくなった。サーシャだけがこの空気に気まずそうにしている。

「イベリス様、やっぱり私は……家族に会うべきではないんです」
「あなたの両親は冷たい人だった?」
「いいえ、優しい人たちでした。テロスに着いた後、手紙は出しましたし、どこにいるかもわかっているので……」
「私もそう思ってた。手紙で両親と繋がってるからって何も問題はないって。でもやっぱり会えたらすごく嬉しかった。あなたたちのおかげで手紙だけじゃなくて会いたかったんだって実感することができたの。あなたのご両親も一度でいいから会いたいんじゃないかな。あ、もちろん、これ以上を強要するつもりはないわ。ここからどうするかはあなたに任せる。」

 手を掴んで強制的に引っ張っていくつもりはなく、ここでムリだと思うのなら彼女のこれからの選択を尊重する。自分が生きていくのではなく、彼女が歩む人生だから。会ってほしいと願いがあるだけ。
 イベリスに強制的に連れてこられたのではない。自分がわかったと返事をした。寸前になって怖気付くみっともない姿を見せたくはないが、足は前に進もうとしない。

「余計なお世話だろうけど、おばさんの顔はシャルが病気だった頃と同じだったぞ」
「そんな……」

 どうして、とは言えない。息子が治ったと思ったら次は娘が姿を消した。どこにいるかはわかっていても理由も言わずに飛び出したのだ。長年帰ってこない娘をまだ待ち続けているのは母親だけではないだろうと家族のことだから容易に想像がつく。
 魔女が言っていた。『魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ』と。母親は親としての責任感が強い人だったから、娘が一人で魔女に会いに行ったことよりも一人で行かせてしまったことを悔やんでいるのだろう。そして背負わせてしまったと思っているのかもしれない。
 最後のチャンス。そう思い、一歩目を踏み出す。

「行きます」

 拳を握ってハッキリと告げると二人は顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべる。

「そこまで一緒に行きましょ」

 嬉しそうに笑って手を差し出すもサーシャが戸惑う。

「手袋越しなら大丈夫よ」

 戸惑いながらもそっと触れる。凍らない。大丈夫。そっと握るとイベリスが強く握り返す。

「ごめんね、サーシャ」
「イベリス様は謝りすぎです」
「どれだけ謝っても足りないの。身体の傷も、魔法に支配された身体も、私のせいなのにどうやって償えばいい? 私はいつも与えてもらうばかりで、あなたたちにまだ何一つ返せてない」

 二人揃ってかぶりを振る。

「イベリス様の人生はイベリス様だけのもので、私たちは関わっている人間です。この力を犠牲にして助けてくれと頼まれたわけではなく、私が勝手にそうしただけです。魔女から提示された条件をのんだのは私で、後悔なんて一つもないんです。この力があったからこそもう一度森を抜けられ、あなたに会うことができました」
「お前だけ無傷だったもんな」

 その力はグラキエスの皇帝同等か、それ以上の強さになっただろう。違うのは持っていた力と犠牲ありきで強制的に強められた力。後悔していないとサーシャは言ったが、イベリスからすれば“今は”でしかない。この先、愛する者を見つけたとき、サーシャは後悔するのではないかと心配している。物に触れるにも、愛する人に触れるにも手袋をしていなければならないことを地獄だと思う日が来るのではないかと。

「謝らないでください。あなたに謝らせるためにしたことではないんですから。むしろ、ありがとうと言ってください。そのほうが嬉しいですし、救われます」

 困った顔をするイベリスに手を揺らして催促すると「ありがとう」と聞こえた。

「助けてくれてありがとう」
「はい」
「ずっと傍にいてくれてありがとう」
「はい」
「お世話してくれてありがとう」
「はい」
「わがままに付き合ってくれてありがとう」
「はい」
「味方でいてくれてありがとう」
「はい」
「たくさんの笑顔をありがとう」
「はい」
「守ってくれてありがとう」
「はい」

 出てくる感謝に全て笑顔で返事をしたサーシャにウォルフも微笑みながら頷く。笑顔なんてサーシャらしくないが、ウォルフもイベリスと同じ気持ちだった。自分だけでは救えなかった。守れなかった。叶えられなかった。そう思うことが多々あり、サーシャがいたから出来たことがたくさんある。数多の戦場を駆けてきた戦士でもないのに傷だらけの身体は脱ぐとみっともないと思えるほどだが、後悔はない。サーシャとはレベルが違うが、彼女も同じ気持ちなんだと感じる。

「あなたがいつでも私の幸せを願ってくれてたように、私もあなたの幸せを願ってるから」
「ありがとうございます」

 近付く家の前、サーシャの足が止まる。グラキエスに来たときは見るのも嫌で街に行こうとさえしなかった。ここまで来てもまだ乗り気にはなれない。でも逃げるつもりもない。

「ドアの前まで一緒に行く?」
「いえ、大丈夫です。もう充分に勇気をもらいましたから」

 守られるのは性に合わない。守るほうが合っている。手を繋いでドアの前までついて来てもらうなんて子供じみた真似はしたくないとゆっくり手を離したサーシャがイベリスに向かって深く頭を下げる。

「私はもう皇妃じゃないから頭なんて下げないで」
「とても幸せな一年でした」
「私もよ。あなたたちがいたから幸せだったの」
「守りきれなくてすみません」
「守ってくれた。だから私はここにいるのよ」
「魔女が救ってくれただけです。私は──」
「私があの瞬間までいられたのはあなたたちのおかげ」
「あなたが堪えたからです。耐え続けたからですよ」
「耐えられたのはあなたたちのおかげよ。笑わせてくれた。安心させてくれた。癒してくれた。だからもっとここに居たいと思って、逃げ出さなかったの」

 逃げ出してくれと何度も思ったが、逃げ出していても魔女は魂を降ろしたと言っていた。もしそうなっていたら魔女は彼女に何も感じることなく、降ろした瞬間に小屋へと帰って終わりだっただろう。
 辛いことだらけだったイベリスにとって生き甲斐が自分たちであったならこんなに幸せなことはないと嬉しくなる。

「これ以上は泣いてしまいそうなので、そろそろ行きます」
「行ってらっしゃい」

 頭を上げて大きく息を吐き出し、目の前の家に向かって一歩踏み出そうとしたとき、ドアが開いた。

「……サーシャ……?」

 出てきた女性はウォルフが言ったとおりの見た目で、健康とは言い難い容姿をしていた。

「お……かあ……さ……」

 彼女をそう呼ぶのはいつ以来か。手紙にもそう書きはしなかった。他人行儀な書き方をしていただけに、そう呼んでいいのかすら躊躇われる。

「サーシャ……!!」

 悲鳴のような声で名を呼び、ストールを脱ぎ捨てて駆け寄ってくる母親を受け止めるもどうしていいのかわからず困惑する。細い。痩せすぎている。

「シャル、は……元気?」

 シャルのことを自分から聞くことはなく、母親からの手紙で状況を知るだけだった。弟に会いたいとずっと思っていても勇気が出なかった。それを今、ようやく勇気を出せたことで胸の奥にあった重石が少し小さくなった気がした。
 
「当たり前じゃない! あなたのおかげよ! あなたのおかげであの子は元気になったの! 学校へ行って、外を走り回って、お友達と楽しく遊んでるし、ご飯もいっぱい食べてる! 全部あなたのおかげなのよ!」
「私は……」
「あなた一人に背負わせてしまってごめんなさい!」

 母親の言葉に目を見開く。

『魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ』

 魔女がバラしたわけではない。気付かないはずがない。不治の病は文字どおり治ることのない病気。世界中の医者を回っても匙を投げられるだろう。そんな病を患った少年が小瓶に入った液体を飲んだだけで治ってしまったのだから。現代医学ではありえないことを起こせるのは魔女だけ。

「私が勝手に行っただけだから……別に背負ったとか思ってない……」
「私たちはあなたを引き留めるべきだった! 知ってるんだと言って、あなただけに背負わせずに一緒に国を出るべきだったのにッ……甘えてしまったの! あなただけに背負わせて辛い思いをさせて……本当にごめんなさい!!」

 あれから何年もずっと後悔していた。娘が家を出た日から今日までずっと、母親は窓から外を見続ける毎日を送っていた。娘が帰ってきたときにすぐ迎えられるようにと。
 あの日、ウォルフから言われた言葉を当然だと受け止めはしたが、やはり後悔は続き、あれからも窓の外を見続けていた。
 あの子が帰ってきたら謝ろうと何万回も自分に言い聞かせてきた。

「……心配……かけて……ごめん、なさい……」

 痩せ細った母親が涙を流す光景に胸が痛む。戸惑いの中、辿々しくも謝る娘に母親は何度もかぶりを振って「いいの」と言い続けた。

「でも、私は……幸せだった、から……」
「本当に……?」
「彼女のおかげで」

 顔を上げた母親がイベリスを見るとハッとする。

「あなたは……ロベ──」
「彼女はイベリス・リングデール伯爵令嬢。えっと……」

 彼女たちの記憶がどうなっているかわからない。魔女に聞くのを忘れてしまった。テロスにはロベリアが復活しているからイベリスは皇妃ではない。かといって、イベリスは皇妃のときに彼女に会っている。どう言えばいいのかと迷っているとイベリスがその場で軽く膝を曲げて挨拶をした。

「サーシャの友人のイベリスと申します」
「お友達……?」
「はい」

 ロベリアと瓜二つの少女がここにいて、隣にはロベリアのために召喚されたと聞いたウォルフが立っている。でも少女はイベリスと言い、姓もキルヒシュではない。お忍で来ているのだろうかと様々な推測をするも見上げた娘が嬉しそうに笑っているのを見たら、そんなものは邪推でしかないとイベリスに頭を下げた。

「サーシャの母、ミーシャです。娘と仲良くしてくださり、ありがとうございます」
「私のほうがお世話になりっぱなしなんです。彼女には感謝してもしきれないほど良くしていただきました」
「そうですか……!」

 離れている間、ずっと独りなのではないかと思っていた。黙々と仕事をして、独りきりで抱え込んで苦しんでいるのではないかと。でも違った。友人がいた。娘を笑顔にしてくれる素晴らしい友人が。何故自分はそう信じてやれなかったのだろう。心優しい娘なのだからきっと友人に恵まれて幸せにやっていると。
 母親として情けないと自分の太ももを叩いた。

「話さなきゃいけないこと、たくさんあるだろ。ゆっくり話せよ」
「アンタに言われなくてもわかってる」
「マジ可愛くねぇ」
「結構よ」
「またね、サーシャ」
「はい」
「妖怪二重人格め。ギャアッ!!」

 尻尾が凍りついた痛みに声を上げるとサーシャが勝ち誇ったように笑い、すぐに解除された。「こらっ」と優しく叱られながら促されるままに家へと向かい、玄関のドア前で二人揃って頭を下げた。イベリスも頭を下げてから手を振り、ウォルフに引かれるままに彼の家へと入っていった。

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