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イベリス復活編
出発
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翌朝、ウォルフはベッドに腰掛けて魔女の治癒を受けていた。
「おしまい」
完全には治りきっていなかった身体は治療を受けた今、どこをどう動かしても痛みはなく、むしろ以前よりもコンディションが良くなったように感じる。その場で飛び跳ねると天井が高くなり、頭がぶつかることはない不思議な小屋。
「傷までは治せないの?」
魔獣によって傷だらけになったウォルフの身体を見てイベリスが問うと魔女が神妙な顔で言った。
「この子の傷はあなたが背負うべきものだから」
「私が……?」
「あなたが死を受け入れたせいで彼が負うことになった傷よ。愚かなのはあの皇帝だけじゃない。あなたも同じ。彼らと一緒にいたかった気持ちはわかるし、辛い人生から逃げたかったのもわかる。だけど、あなたは死を受け入れるべきではなかった。私が問いかけたときに拒むべきだったのよ。リンウッドの死とサーシャの氷はあなたのせいじゃない。だけど、彼のこの傷だけはあなたの選択によるものなの」
「違う。この傷だって俺が選んだことだ」
「あなたが背負うものとして私は彼の傷は消さない。わかるわね?」
頷くイベリスに良い子と言った。森に自ら足を踏み込んだのだとしても、イベリスに消えるか消えないかの選択肢を魔女は与えた。魔女との契約をどうするか決められるのは魔女だけ。だからイベリスに問いかけたが、イベリスは魂を手放すことを選んだ。結局は魔女の気まぐれによって生きていた。生かすことを選んだのは魔女だが、あえてウォルフの身体に傷を残すことにした。
治す前、傷が残ると言った魔女にウォルフは勲章と言った。信じてここまでやってきたから会えたという点で後悔はないのだろうが、イベリスは違う。
魔女に言われた言葉を胸に刻むように手を当てて黙るイベリスをウォルフが正面から抱きしめる。
「騎士の傷は勲章なんですよ、イベリス様。あなたを守って得た傷も勲章にしたでしょうけど、あなたを見つけ出すために得た勲章だってとても誇らしいんです。魔獣と戦って勝ったんですよ、俺。俺はこれを同期の奴らに自慢します。それに身体には傷があるだけで痛みはないですからね」
背中に腕を回して何度も頷く。謝罪はしない。胸を張ってくれる彼に申し訳ないから。それでも、一つしかない命を他人に譲るために手放した自分への罰をウォルフにも背負わせてしまうことが後悔となる。
あのとき、どうすることが正解だったのか、イベリスはまだ答えられない。
「ありがとな」
「どーいたしまして。タダ飯食らいがいなくなると思うとハッピーだわ」
「俺もやっと肉が食えると思うとハッピー」
軽蔑の眼差しを向ける魔女に笑顔を向けるとまた魔力で頬を叩かれる。
「魔法をたくさん見せてくれてありがとう」
「耳も聞こえず、魔法も使えないなんて惨めな人生歩んでた子があまりにも哀れで、つい同情しちゃった」
「でも今は耳も聞こえるし、声も出せるし、パンも焼ける。魔法も使えたのよ」
「そうね。私の力でね」
「ふふふっ、でも私が使ったの」
トンボを捕まえるように人差し指で宙に円を描くイベリスの満面の笑みを見てウォルフとサーシャもつられて笑顔になる。
二人はまだ信じられない気持ちでいた。イベリスが魔女と楽しく暮らしていたなんて。でも偽りではない笑顔がそれを証明している。
「魔法使ったんですか?」
「魔女さんがね、杖を貸してくれたの。それを振ると魔法が出たのよ。火がついたり、凍ったり、光ったり。すごく面白かった」
サーシャが魔法を使えたため魔法を見るのは初めてではないが、魔女の魔法は格別だった。すごいと喜ぶと同時に使ってみたいという憧れもあったのだろう。察した魔女はイベリスに杖を渡し、それを振るのに合わせて魔法を使ってやった。まるで自分が魔法を使えているような気分を味わせたなど、特にサーシャは今も信じられない。
「はいはい。人間が大好きな無駄話はいいから、どこへ行きたいか言って」
テロスには戻らないため行き先を決めなければならない。その選択肢は二人ともイベリスに預けた。
三人から視線を集めるイベリスは迷うことなく答えた。
「グラキエス」
「グラキエス、ですか?」
予想外すぎる指定場所に驚く二人に「いい?」と問うと当然頷きは返るが、サーシャの表情はウォルフと違って困惑に近い。
「サーシャ、あなたは家族とちゃんと話をするべきよ」
あまり必要以上に聞こうとしなかったイベリスからの言葉に咄嗟に魔女を見た。喋ったのかと睨むも首を傾げられるだけ。
「私は……帰るべきではないんです」
「家族はきっと、あなたの帰りを待ってる」
「帰ってはいけないんです。私が帰ると……」
「魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ」
バレてないと思っているほうがおかしいと呆れる魔女に唾を吐きかけたい気分だが、もう相手にしないことにした。
わかっている。わかっているが、だからといって開き直ったように帰る選択ができない。
「私のためにグラキエスに行くわけには……。もっと素晴らしい場所に行きませんか? イベリス様が行きたいとおっしゃっていたフローラリアとか──」
「ウォルフの実家に挨拶に行くの。だからあなたのために行くんじゃない」
「ウォルフの実家に?」
「俺とイベリス様は夫婦になるから」
サーシャは驚かなかった。ウォルフの想いは知っているし、ここまで来たのだから結ばれてほしいとは思う。しかし、その思いとは裏腹に「はあ?」と地鳴りのような声が出て、ウォルフを見た。
「声が地底人なんだよな」
「私は彼の実家に行くから、あなたも偶然、家に立ち寄ってみるのもありなんじゃない?」
とても偶然ではないが、サーシャは拒みはしなかった。家を飛び出してから一度も帰っていない。家族を嫌って飛び出したわけではないため、サーシャも帰りたいと思う日がないわけではなかった。帰れないと自分に言い聞かせていただけで。これからも自分から帰ろうとすることはない。だからきっとこれが最初で最後のチャンス。
一度目を閉じてゆっくりと開いたサーシャが頷く。
「わかり、ました……」
「じゃあグラキエスに送ってくれる?」
「あのイケメン皇帝に会ったら言っておいて。嫁が死んだら私のコレクションになるようにって」
「死にたくないから言わねぇ。あの人はミュゲット様が死んだらすぐに死ぬさ」
小屋の外に出ると既に地面に描かれた魔法陣が光っていた。グラキエス行きの魔法陣。サーシャが乗り、ウォルフが乗り、マシロが乗るとイベリスが魔法陣の前で足を止めた。
「イベリス様?」
振り向いたイベリスに「何よ」と魔女が問う。
「あなたってとっても良い人ね」
魔女がキョトンとする。
「良い人? 私が?」
その言葉に大笑いする。吹き出して、声を上げての大笑い。
「私にそんなことを言うのはあなたが最初で最後でしょうね」
「もっと人と触れ合えばいいのに。そうすれば皆あなたを好きになるわ」
「結構よ。私、自分以外の人間が嫌いなの。ここで動物と過ごしてるほうが合ってる」
「あなたは愛を知ってる人でしょ。ちゃんと向き合えばきっと好きになれる人がいると思うの」
「愛なんて知らないし、人間を好きになったりなんてしない。大きなお世話よ」
「ううん、知ってる。知ってるから愛を否定するの。あなたもファーディナンドと同じで少し臆病なのね」
「心外。あんなクズと一緒にしないで」
心底嫌そうな顔をする魔女が杖を取り出してイベリスに放る。慌てるイベリスだが、杖はゆっくりと手元に落ちてくるため小躍りを見せただけ。
クリスタルで作られた美しい杖を手に驚いた顔をする。
「あげるわ」
「いいの?」
「杖を使う魔女なんていないのよ。魔法使った快感が忘れられなくて、犬みたいにそこら辺の木の棒拾ってごっこ遊びするぐらいならそれ振りなさい。魔法は使えないけど」
「ちょっと貸してください」
イベリスの手から杖を取ったウォルフがそれを魔女に向けて振る。
「ミュート……ぐはッ!」
「だ、大丈夫?!」
身体が浮いてそのまま地面に強く叩きつけられたウォルフを心配するのはイベリスだけでサーシャは呆れ顔で見ている。
「またいつか、生まれ変わった娘さんに会えるといいね」
「生まれ変わりなんて信じてない」
「きっと会えるよ」
「話を聞かない子ね」
ふふふっと笑いながら魔法陣に乗るとパアッと光が強くなる。
「またね」
「はいはい」
満面の笑顔で手を振るイベリスに返事をして指を鳴らすと魔法陣と共に消えた。
「ふう……」
静かになった森の中、魔女は空を見上げる。思い出すのは三百年も前のこと。
『お母さんの魔法って楽しいものばかりね! 大好き!』
『楽しませてあげてるだけで全ての魔法が楽しいってわけじゃないのよ』
『じゃあ、お母さんは魔法で人を楽しませる天才ね!』
『ええ、天才よ。知らなかったの?』
『ふふふふふふふっ』
『何よ、不気味ね』
『私のお母さんはすごいんだぞって皆に自慢したいなーって思ったの』
『やめときなさいよ。まーたいじめられるわよ』
『チェッ。でもいつもえらそうにしてるあの子たちはこんなに楽しいこと知らないんだろうなー! へっへー!』
大きなシャボン玉の中に入って寝転んだり跳んだり。光の滑り台を何十回も滑ったり。散った花びらを集めてドレスを作って森の妖精ごっこをしたり。氷でかき氷を作ったりした懐かしい思い出。
色鮮やかに、鮮明に思い出せる大切な記憶。
『あなたの魔法はなんのためにあるの!? 人を傷つけるためじゃないでしょ!? 人を楽しませるためにあるんじゃないの!?』
娘以外にそう言われる日が来るとは思っていなかっただけに戸惑ってしまって、治してしまった。人間の言葉で動く日が来るなんて想像したことすらなかったのに。
魔法が使えるサーシャはその力で彼女を楽しませたことがあるのだろう。そうでなければあんな言葉が出てくるはずがない。
あの無邪気さが娘と似ていたから魂を消すことを躊躇ってしまった。魔法で遊んでやりたくなった。娘と過ごした時間をもう一度過ごしたくなってしまった。
自分らしくないとわかっていても求めてしまったのだ。
『顔変える?』
『どうして?』
『テロスの愚妃と同じ顔って言われるわよ』
『もう慣れたし、この顔は私の両親がくれた顔だから変えない』
『違う親から同じ顔が生まれる可能性なんて天文学的な数字よね』
『でも、世の中には同じ顔をした人間が三人いるって言われてるのよ』
『寝る前に読んだ絵本に影響されすぎよ。五歳児なの?』
『十七歳ですー』
『同じ顔した人間に会ったら死ぬって言われてるの知ってる?』
『だから私死んじゃったのね』
『死んでないでしょ』
『ふふっ、そうね。あなたのおかげ』
その無垢な笑顔は娘によく似ていた。
静かになった森の中でふと空を見上げるのはあの子が去って以来、はじめてのこと。
「こんなことがあってもいいわよね。魔女は気まぐれだもの」
自分に言い聞かせるように呟いて空を見上げたまま微笑んだ。
「おしまい」
完全には治りきっていなかった身体は治療を受けた今、どこをどう動かしても痛みはなく、むしろ以前よりもコンディションが良くなったように感じる。その場で飛び跳ねると天井が高くなり、頭がぶつかることはない不思議な小屋。
「傷までは治せないの?」
魔獣によって傷だらけになったウォルフの身体を見てイベリスが問うと魔女が神妙な顔で言った。
「この子の傷はあなたが背負うべきものだから」
「私が……?」
「あなたが死を受け入れたせいで彼が負うことになった傷よ。愚かなのはあの皇帝だけじゃない。あなたも同じ。彼らと一緒にいたかった気持ちはわかるし、辛い人生から逃げたかったのもわかる。だけど、あなたは死を受け入れるべきではなかった。私が問いかけたときに拒むべきだったのよ。リンウッドの死とサーシャの氷はあなたのせいじゃない。だけど、彼のこの傷だけはあなたの選択によるものなの」
「違う。この傷だって俺が選んだことだ」
「あなたが背負うものとして私は彼の傷は消さない。わかるわね?」
頷くイベリスに良い子と言った。森に自ら足を踏み込んだのだとしても、イベリスに消えるか消えないかの選択肢を魔女は与えた。魔女との契約をどうするか決められるのは魔女だけ。だからイベリスに問いかけたが、イベリスは魂を手放すことを選んだ。結局は魔女の気まぐれによって生きていた。生かすことを選んだのは魔女だが、あえてウォルフの身体に傷を残すことにした。
治す前、傷が残ると言った魔女にウォルフは勲章と言った。信じてここまでやってきたから会えたという点で後悔はないのだろうが、イベリスは違う。
魔女に言われた言葉を胸に刻むように手を当てて黙るイベリスをウォルフが正面から抱きしめる。
「騎士の傷は勲章なんですよ、イベリス様。あなたを守って得た傷も勲章にしたでしょうけど、あなたを見つけ出すために得た勲章だってとても誇らしいんです。魔獣と戦って勝ったんですよ、俺。俺はこれを同期の奴らに自慢します。それに身体には傷があるだけで痛みはないですからね」
背中に腕を回して何度も頷く。謝罪はしない。胸を張ってくれる彼に申し訳ないから。それでも、一つしかない命を他人に譲るために手放した自分への罰をウォルフにも背負わせてしまうことが後悔となる。
あのとき、どうすることが正解だったのか、イベリスはまだ答えられない。
「ありがとな」
「どーいたしまして。タダ飯食らいがいなくなると思うとハッピーだわ」
「俺もやっと肉が食えると思うとハッピー」
軽蔑の眼差しを向ける魔女に笑顔を向けるとまた魔力で頬を叩かれる。
「魔法をたくさん見せてくれてありがとう」
「耳も聞こえず、魔法も使えないなんて惨めな人生歩んでた子があまりにも哀れで、つい同情しちゃった」
「でも今は耳も聞こえるし、声も出せるし、パンも焼ける。魔法も使えたのよ」
「そうね。私の力でね」
「ふふふっ、でも私が使ったの」
トンボを捕まえるように人差し指で宙に円を描くイベリスの満面の笑みを見てウォルフとサーシャもつられて笑顔になる。
二人はまだ信じられない気持ちでいた。イベリスが魔女と楽しく暮らしていたなんて。でも偽りではない笑顔がそれを証明している。
「魔法使ったんですか?」
「魔女さんがね、杖を貸してくれたの。それを振ると魔法が出たのよ。火がついたり、凍ったり、光ったり。すごく面白かった」
サーシャが魔法を使えたため魔法を見るのは初めてではないが、魔女の魔法は格別だった。すごいと喜ぶと同時に使ってみたいという憧れもあったのだろう。察した魔女はイベリスに杖を渡し、それを振るのに合わせて魔法を使ってやった。まるで自分が魔法を使えているような気分を味わせたなど、特にサーシャは今も信じられない。
「はいはい。人間が大好きな無駄話はいいから、どこへ行きたいか言って」
テロスには戻らないため行き先を決めなければならない。その選択肢は二人ともイベリスに預けた。
三人から視線を集めるイベリスは迷うことなく答えた。
「グラキエス」
「グラキエス、ですか?」
予想外すぎる指定場所に驚く二人に「いい?」と問うと当然頷きは返るが、サーシャの表情はウォルフと違って困惑に近い。
「サーシャ、あなたは家族とちゃんと話をするべきよ」
あまり必要以上に聞こうとしなかったイベリスからの言葉に咄嗟に魔女を見た。喋ったのかと睨むも首を傾げられるだけ。
「私は……帰るべきではないんです」
「家族はきっと、あなたの帰りを待ってる」
「帰ってはいけないんです。私が帰ると……」
「魔女との契約がバレてないと思ってるのはあなただけよ」
バレてないと思っているほうがおかしいと呆れる魔女に唾を吐きかけたい気分だが、もう相手にしないことにした。
わかっている。わかっているが、だからといって開き直ったように帰る選択ができない。
「私のためにグラキエスに行くわけには……。もっと素晴らしい場所に行きませんか? イベリス様が行きたいとおっしゃっていたフローラリアとか──」
「ウォルフの実家に挨拶に行くの。だからあなたのために行くんじゃない」
「ウォルフの実家に?」
「俺とイベリス様は夫婦になるから」
サーシャは驚かなかった。ウォルフの想いは知っているし、ここまで来たのだから結ばれてほしいとは思う。しかし、その思いとは裏腹に「はあ?」と地鳴りのような声が出て、ウォルフを見た。
「声が地底人なんだよな」
「私は彼の実家に行くから、あなたも偶然、家に立ち寄ってみるのもありなんじゃない?」
とても偶然ではないが、サーシャは拒みはしなかった。家を飛び出してから一度も帰っていない。家族を嫌って飛び出したわけではないため、サーシャも帰りたいと思う日がないわけではなかった。帰れないと自分に言い聞かせていただけで。これからも自分から帰ろうとすることはない。だからきっとこれが最初で最後のチャンス。
一度目を閉じてゆっくりと開いたサーシャが頷く。
「わかり、ました……」
「じゃあグラキエスに送ってくれる?」
「あのイケメン皇帝に会ったら言っておいて。嫁が死んだら私のコレクションになるようにって」
「死にたくないから言わねぇ。あの人はミュゲット様が死んだらすぐに死ぬさ」
小屋の外に出ると既に地面に描かれた魔法陣が光っていた。グラキエス行きの魔法陣。サーシャが乗り、ウォルフが乗り、マシロが乗るとイベリスが魔法陣の前で足を止めた。
「イベリス様?」
振り向いたイベリスに「何よ」と魔女が問う。
「あなたってとっても良い人ね」
魔女がキョトンとする。
「良い人? 私が?」
その言葉に大笑いする。吹き出して、声を上げての大笑い。
「私にそんなことを言うのはあなたが最初で最後でしょうね」
「もっと人と触れ合えばいいのに。そうすれば皆あなたを好きになるわ」
「結構よ。私、自分以外の人間が嫌いなの。ここで動物と過ごしてるほうが合ってる」
「あなたは愛を知ってる人でしょ。ちゃんと向き合えばきっと好きになれる人がいると思うの」
「愛なんて知らないし、人間を好きになったりなんてしない。大きなお世話よ」
「ううん、知ってる。知ってるから愛を否定するの。あなたもファーディナンドと同じで少し臆病なのね」
「心外。あんなクズと一緒にしないで」
心底嫌そうな顔をする魔女が杖を取り出してイベリスに放る。慌てるイベリスだが、杖はゆっくりと手元に落ちてくるため小躍りを見せただけ。
クリスタルで作られた美しい杖を手に驚いた顔をする。
「あげるわ」
「いいの?」
「杖を使う魔女なんていないのよ。魔法使った快感が忘れられなくて、犬みたいにそこら辺の木の棒拾ってごっこ遊びするぐらいならそれ振りなさい。魔法は使えないけど」
「ちょっと貸してください」
イベリスの手から杖を取ったウォルフがそれを魔女に向けて振る。
「ミュート……ぐはッ!」
「だ、大丈夫?!」
身体が浮いてそのまま地面に強く叩きつけられたウォルフを心配するのはイベリスだけでサーシャは呆れ顔で見ている。
「またいつか、生まれ変わった娘さんに会えるといいね」
「生まれ変わりなんて信じてない」
「きっと会えるよ」
「話を聞かない子ね」
ふふふっと笑いながら魔法陣に乗るとパアッと光が強くなる。
「またね」
「はいはい」
満面の笑顔で手を振るイベリスに返事をして指を鳴らすと魔法陣と共に消えた。
「ふう……」
静かになった森の中、魔女は空を見上げる。思い出すのは三百年も前のこと。
『お母さんの魔法って楽しいものばかりね! 大好き!』
『楽しませてあげてるだけで全ての魔法が楽しいってわけじゃないのよ』
『じゃあ、お母さんは魔法で人を楽しませる天才ね!』
『ええ、天才よ。知らなかったの?』
『ふふふふふふふっ』
『何よ、不気味ね』
『私のお母さんはすごいんだぞって皆に自慢したいなーって思ったの』
『やめときなさいよ。まーたいじめられるわよ』
『チェッ。でもいつもえらそうにしてるあの子たちはこんなに楽しいこと知らないんだろうなー! へっへー!』
大きなシャボン玉の中に入って寝転んだり跳んだり。光の滑り台を何十回も滑ったり。散った花びらを集めてドレスを作って森の妖精ごっこをしたり。氷でかき氷を作ったりした懐かしい思い出。
色鮮やかに、鮮明に思い出せる大切な記憶。
『あなたの魔法はなんのためにあるの!? 人を傷つけるためじゃないでしょ!? 人を楽しませるためにあるんじゃないの!?』
娘以外にそう言われる日が来るとは思っていなかっただけに戸惑ってしまって、治してしまった。人間の言葉で動く日が来るなんて想像したことすらなかったのに。
魔法が使えるサーシャはその力で彼女を楽しませたことがあるのだろう。そうでなければあんな言葉が出てくるはずがない。
あの無邪気さが娘と似ていたから魂を消すことを躊躇ってしまった。魔法で遊んでやりたくなった。娘と過ごした時間をもう一度過ごしたくなってしまった。
自分らしくないとわかっていても求めてしまったのだ。
『顔変える?』
『どうして?』
『テロスの愚妃と同じ顔って言われるわよ』
『もう慣れたし、この顔は私の両親がくれた顔だから変えない』
『違う親から同じ顔が生まれる可能性なんて天文学的な数字よね』
『でも、世の中には同じ顔をした人間が三人いるって言われてるのよ』
『寝る前に読んだ絵本に影響されすぎよ。五歳児なの?』
『十七歳ですー』
『同じ顔した人間に会ったら死ぬって言われてるの知ってる?』
『だから私死んじゃったのね』
『死んでないでしょ』
『ふふっ、そうね。あなたのおかげ』
その無垢な笑顔は娘によく似ていた。
静かになった森の中でふと空を見上げるのはあの子が去って以来、はじめてのこと。
「こんなことがあってもいいわよね。魔女は気まぐれだもの」
自分に言い聞かせるように呟いて空を見上げたまま微笑んだ。
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