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ロベリア復活
食事会2
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「疲れた……」
「お疲れ様でございました」
ファーディナンドはあまり疲れたと口にすることはない。どれほど疲れていても基本的には大きく息を吐き出す程度。これは父親から『お前だけが疲れていると思っているのか? お前よりも使用人のほうが働いている時間が長いのだから彼らのほうが疲れているに決まっている。使用人が疲れたとこぼしているのを耳にしたことがあるか? ないだろう。疲れたなどとくだらんアピールはするな』と何度も言われてきたせいだろう。そのファーディナンドが寝室ではなく自室に戻ってソファーにドカッと腰掛け、四肢を投げ出しながら言ったそれは堪えきれない本音なのだとアイゼンは感じた。
「もう二度と食事会などしたくない」
「一年に何度もあることではございませんので我慢なさるべきかと」
「まあ、全て平らげたからな。彼らも次は一人前でいいとロベリアに言っていたことだし、食事会も警戒するやもしれん」
彼らは苦しげな顔をしながらも必死に胃袋へと詰め込み、テーブルの上に置いてある皿は見事に空になった。皿の白い底が見えた代わりに彼らの顔は青くなっていたが、ファーディナンドは気にしなかった。それどころか、それが当然だと言わんばかりの笑顔を向けたぐらいだ。
「皇妃の表情はあまり良いものとは呼べませんでしたね」
「まあ、気に入らないだろうな。なんでも言うことを聞いていた夫が自分の家族の前であんなことを言い出した。粗末に扱われたとさえ思ったのだろう」
「あえて、ですか?」
「……いや、タイミングが良かっただけだ。……食事中に流れてきた少女との記憶の中で、少女はあれらの食事をおかしいと言っていた。食べる分だけでいいと。俺も今日、あの光景を見てそう思った。俺はきっと、自分が食べる分だけの食事に満足していたのだろう」
「そうですね。ご立派になられました」
「三十になるまで何もわからず生きてきたからな。遅すぎたぐらいだ」
「変われる瞬間があるなら何歳でもいいのです。変わることが大事なのですから」
「そうだな」
「私が死ぬ前に変わってくださって本当によかった」
嫌味かと笑う今のファーディナンドがとても自然に見えることがアイゼンは嬉しかった。ロベリアの操り人形のようになっていたときは心配しかなかったが、今の彼は皇帝として背筋を正そうとしている。ロベリアに嫌われようと、怒らせようと、失望されようと構わない。彼にはその覚悟があった。
ロベリアは皇妃という立場を手放そうとはしないだろう。ファーディナンドが変わり、昔のようにいかないのであれば従うしかない。これは良い変化かもしれないと希望さえあった。
「来るぞ」
バタバタと駆け足の音が聞こえ、ファーディナンドは投げ出していた四肢に力を入れて身体を起こし、ノックもなく開くだろうドアの動きを待つ。
「どういうつもり!?」
ドアが開き、飛び込んできたロベリアの第一声は予想どおり。
「帰っちゃったじゃない!!」
「俺は帰れとは言っていない。部屋を用意していると言っただろう」
「あなたがあんなこと言うから皆萎縮しちゃったんじゃない!!」
「俺は彼らと同じ部屋では寝ない。萎縮する必要などないだろうに帰ると言い出したのは彼らだ」
「あなたがあんな扱いするからよ! せっかく来てくれたのにどうしてあんな振る舞いができるの!?」
「俺はお前が嫁いだ国の現状を話しただけだ。俺は皇妃の夫として皇帝であるわけではなく、帝国を統べる者として皇帝に座している。上辺だけを見るのではなく、詳細も知っていかねばと思っての言動だ」
「彼らには関係ないじゃない!」
「テロスに入ったのだからテロスのルールに従うのは当然だ」
「私の両親よ!?」
「そうだな。突然言い出し、要求したのはすまないと思っているが、俺はこれからも意見を変えるつもりはない」
さも当たり前のことであるかのように発言する様子に拳を震わせる。今日は両親の部屋に泊まって愚痴を山ほど聞いてもらうつもりだったのに、それが全て白紙となった。今にも吐きそうな様子で『今回は日帰りのつもりだったから』と言って帰ってしまった。嘘だ。泊まるのを楽しみにしていると手紙で言っていた。日帰りなどあるはずがない。ファーディナンドから命令されたことにショックを受けたんだとロベリアの怒りは鎮まらない。
「急に貧困街のことなんて話題にして! 貴族にはそんなの関係ないの!」
「俺は皇帝だ。国を統べる者として無関心でいるわけにはいかん」
「だからって私の親族にまであなたの考えを強要しないでよ!」
「出された物を平らげるのは当然のことだろう。お前の一口食べたいだけだったと捨てるような真似は今後は許さん」
食べたいから作ってと言って休憩中のシェフに命令して作らせた挙句、一口食べて『もういらない。一口食べたかっただけだから』と片付けさせるロベリアをどうかと思っていたことを伝えるとカッとなったロベリアの手がファーディナンドの頬を打った。
「ロベリア様何をッ!」
「夫に暴力か。随分と偉くなったものだな?」
「あなたが悪いんじゃない!! 私の行動は全てあなたのせいよ!! あなたがもてなすべき相手なのに、もてなすどころか遅刻してきた!! 失礼じゃない!!」
「お前の親族だろう。もてなすのはお前じゃないのか?」
「あなたの親族でもあるのよ!! 私はあなたの両親にちゃんとしてきたじゃない!!」
「そうだな」
「だったらあなたもちゃんとしてよ!!」
泣きながら訴えるロベリアにファーディナンドは手を伸ばそうとはしなかった。両手で顔を覆って肩を震わせる姿を見ながら昔のことを思い出していた。
昔から気に入らないことがあるとロベリアはいつも泣いていた。どうして、と必ず理由を問い、納得のいく答えを得られるまで泣き続ける。そしてようやく自分の納得がいく答えが聞けると涙を拭わずに笑った。笑ってくれると安堵して、彼女が不満を抱いている理由に不満を抱いたことなどなかった。それがそもそもの間違いだったことに今ようやく気が付いた。
「笑ってくれるだけで安堵していたのだがな……」
ボソッとこぼした呟きにロベリアが眉を寄せる。
「どういう意味……?」
「俺が変わったという意味だ」
「わかってるなら戻ってよ!! 昔の優しいあなたに戻って!!」
妻が泣こうと立ち上がらなかった身体は自身の笑いと共に立ち上がった。
「お前の操り人形のように生きていた俺に、か?」
彼の口から出たとは思えない発言に目を見開くロベリアを見てフッと笑う。
「お前の理不尽な怒りに同調し、お前が求めるがままに甘やかし、お前の機嫌を取るのに必死だった俺に戻れば実権はお前が握っているようなものだからな」
「……冗談でしょ……私がそんな風に考えてると思ってたの……?」
「事実だろう?」
どこか嘲笑めいた表情でこちらを見るファーディナンドにまたロベリアの目にじわりと涙が浮かぶ。
「違う!! 私はあなたを純粋に愛してるだけよ! どうして疑うの!?」
「今の俺を受け入れず、昔に戻れと言うお前のそれは純粋な愛か? 今の俺ではなく過去の俺に戻れと言うお前のどこに愛を感じろと言うんだ?」
返ってくるだろう言葉に何か希望を見出したりはしなかった。穏やかだったはずのロベリアはもういない。彼女を失ってからの四年の間に美化され続けていたのかもしれない。いや、見破れなかっただけだ。目が覚めればこんなもの。人を見下し、自分こそ崇高な存在だと思い込んでいた哀れな人間が真の愛も幸せも掴めるはずがないのに、そんな勘違いにも気付けずにいた。
愛だと即答しないその間にロベリアは何を考えているのか。視線を逸らさず見つめていると彼女の瞳からまた大粒の涙がこぼれる。
「ファーディナンドは私といて、幸せじゃなかったの……?」
「幸せだった」
それだけは嘘ではない。
「だが、それは自分たちさえ良ければそれでいいと思い上がっていたことで得ていた幸せだ」
使用人を雑に扱うこと。不満を持つ彼らに不満を持っていたこと。自分たちは間違わない、絶対に正しいと思い込んでいたこと。それら全てが間違いであったことに気付いたファーディナンドが胸の中にある膨らんだ思いを告げた。
「現実を受け入れようとせず、誰を犠牲にしてでもと考えていた俺たちに幸せになる資格などあろうはずもないんだ」
なんのことを言っているのか、ロベリアもわかっていた。だが、それに頷くことはできない。拳を震わせ、子供が駄々をこねるように何度も床を叩きはじめた。
「あなたが言い出したことでしょ!! 私じゃない!!」
「そうだ」
「全部あなたが始めたことじゃない! 生き返らせるって約束したのも! 魔女と契約するって言ったのも! 契約したのもあなたよ!! 生き返らせておいて幸せになる資格がないって何よそれ!!」
サーシャがいることも忘れて声を上げる。アイゼンが慌ててサーシャを外に出すもサーシャに驚いた様子はなかった。
ファーディナンドの前まで行き、その胸を突き飛ばすように押して何度も叩く。泣き叫ぶ姿を見るファーディナンドは一度拳を握ったあと、ロベリアを強く抱きしめた。
「俺たちは間違っていたんだ、ロベリア。すまない……」
まるで、終わらせようとでも言っているように聞こえたロベリアが突き飛ばすように離れてドアへと下がる。
「嫌よ……何言ってるの……? 絶対に嫌……私はここで生きるの……。この身体は私のものよ! 誰にも渡さない!!」
「ロベリア……」
「あなたの思いどおりになんてならない! 私には私の人生がある! それを奪う権利があなたにあるわけないでしょ!!」
「その身体の少女にも生きる権利はあった」
「知らないわよそんなこと!! あなたが連れてきたんでしょ!! あなたが魔女にそう約束したんじゃない!! 私は関係ない!! 私は病で苦しみながら待ってただけ! 」
自分さえ良ければそれでいい。悪いことは全て誰かのせいで、自分に非はない。立場を利用して上手く生きる。自分の思いどおりにできるから穏やかでいられただけのこと。これが妻の本性だった。
「誰にも私の魂は奪えない! 私は死ぬまでこの身体で、ここで、皇妃として生き続ける!」
「ロベリア、その考えは間違っている」
「これはあなたが選んだ道よ、ファーディナンド」
呪いの言葉にファーディナンドが固まる。
確かにそうだ。今更後悔しても遅い。少女はもういない。自分の妻として生きているのはロベリアであってイ──ではない。記憶の中にその存在があろうと、もう魂は存在しないのだ。どんなに詫びようが、この身体はロベリアの物になってしまった。
「すまない……」
その言葉にようやく落ち着いたように笑ったロベリアがファーディナンドの前に戻ってその身体を抱きしめる。
「わかってくれたならいいの。仲良くしましょう。私とあなたは夫婦なんだから。ね?」
名前がわかれば呼んでいただろう。謝って許されることではないとわかっていても、少女の名前を呼んで謝りたかった。
「お疲れ様でございました」
ファーディナンドはあまり疲れたと口にすることはない。どれほど疲れていても基本的には大きく息を吐き出す程度。これは父親から『お前だけが疲れていると思っているのか? お前よりも使用人のほうが働いている時間が長いのだから彼らのほうが疲れているに決まっている。使用人が疲れたとこぼしているのを耳にしたことがあるか? ないだろう。疲れたなどとくだらんアピールはするな』と何度も言われてきたせいだろう。そのファーディナンドが寝室ではなく自室に戻ってソファーにドカッと腰掛け、四肢を投げ出しながら言ったそれは堪えきれない本音なのだとアイゼンは感じた。
「もう二度と食事会などしたくない」
「一年に何度もあることではございませんので我慢なさるべきかと」
「まあ、全て平らげたからな。彼らも次は一人前でいいとロベリアに言っていたことだし、食事会も警戒するやもしれん」
彼らは苦しげな顔をしながらも必死に胃袋へと詰め込み、テーブルの上に置いてある皿は見事に空になった。皿の白い底が見えた代わりに彼らの顔は青くなっていたが、ファーディナンドは気にしなかった。それどころか、それが当然だと言わんばかりの笑顔を向けたぐらいだ。
「皇妃の表情はあまり良いものとは呼べませんでしたね」
「まあ、気に入らないだろうな。なんでも言うことを聞いていた夫が自分の家族の前であんなことを言い出した。粗末に扱われたとさえ思ったのだろう」
「あえて、ですか?」
「……いや、タイミングが良かっただけだ。……食事中に流れてきた少女との記憶の中で、少女はあれらの食事をおかしいと言っていた。食べる分だけでいいと。俺も今日、あの光景を見てそう思った。俺はきっと、自分が食べる分だけの食事に満足していたのだろう」
「そうですね。ご立派になられました」
「三十になるまで何もわからず生きてきたからな。遅すぎたぐらいだ」
「変われる瞬間があるなら何歳でもいいのです。変わることが大事なのですから」
「そうだな」
「私が死ぬ前に変わってくださって本当によかった」
嫌味かと笑う今のファーディナンドがとても自然に見えることがアイゼンは嬉しかった。ロベリアの操り人形のようになっていたときは心配しかなかったが、今の彼は皇帝として背筋を正そうとしている。ロベリアに嫌われようと、怒らせようと、失望されようと構わない。彼にはその覚悟があった。
ロベリアは皇妃という立場を手放そうとはしないだろう。ファーディナンドが変わり、昔のようにいかないのであれば従うしかない。これは良い変化かもしれないと希望さえあった。
「来るぞ」
バタバタと駆け足の音が聞こえ、ファーディナンドは投げ出していた四肢に力を入れて身体を起こし、ノックもなく開くだろうドアの動きを待つ。
「どういうつもり!?」
ドアが開き、飛び込んできたロベリアの第一声は予想どおり。
「帰っちゃったじゃない!!」
「俺は帰れとは言っていない。部屋を用意していると言っただろう」
「あなたがあんなこと言うから皆萎縮しちゃったんじゃない!!」
「俺は彼らと同じ部屋では寝ない。萎縮する必要などないだろうに帰ると言い出したのは彼らだ」
「あなたがあんな扱いするからよ! せっかく来てくれたのにどうしてあんな振る舞いができるの!?」
「俺はお前が嫁いだ国の現状を話しただけだ。俺は皇妃の夫として皇帝であるわけではなく、帝国を統べる者として皇帝に座している。上辺だけを見るのではなく、詳細も知っていかねばと思っての言動だ」
「彼らには関係ないじゃない!」
「テロスに入ったのだからテロスのルールに従うのは当然だ」
「私の両親よ!?」
「そうだな。突然言い出し、要求したのはすまないと思っているが、俺はこれからも意見を変えるつもりはない」
さも当たり前のことであるかのように発言する様子に拳を震わせる。今日は両親の部屋に泊まって愚痴を山ほど聞いてもらうつもりだったのに、それが全て白紙となった。今にも吐きそうな様子で『今回は日帰りのつもりだったから』と言って帰ってしまった。嘘だ。泊まるのを楽しみにしていると手紙で言っていた。日帰りなどあるはずがない。ファーディナンドから命令されたことにショックを受けたんだとロベリアの怒りは鎮まらない。
「急に貧困街のことなんて話題にして! 貴族にはそんなの関係ないの!」
「俺は皇帝だ。国を統べる者として無関心でいるわけにはいかん」
「だからって私の親族にまであなたの考えを強要しないでよ!」
「出された物を平らげるのは当然のことだろう。お前の一口食べたいだけだったと捨てるような真似は今後は許さん」
食べたいから作ってと言って休憩中のシェフに命令して作らせた挙句、一口食べて『もういらない。一口食べたかっただけだから』と片付けさせるロベリアをどうかと思っていたことを伝えるとカッとなったロベリアの手がファーディナンドの頬を打った。
「ロベリア様何をッ!」
「夫に暴力か。随分と偉くなったものだな?」
「あなたが悪いんじゃない!! 私の行動は全てあなたのせいよ!! あなたがもてなすべき相手なのに、もてなすどころか遅刻してきた!! 失礼じゃない!!」
「お前の親族だろう。もてなすのはお前じゃないのか?」
「あなたの親族でもあるのよ!! 私はあなたの両親にちゃんとしてきたじゃない!!」
「そうだな」
「だったらあなたもちゃんとしてよ!!」
泣きながら訴えるロベリアにファーディナンドは手を伸ばそうとはしなかった。両手で顔を覆って肩を震わせる姿を見ながら昔のことを思い出していた。
昔から気に入らないことがあるとロベリアはいつも泣いていた。どうして、と必ず理由を問い、納得のいく答えを得られるまで泣き続ける。そしてようやく自分の納得がいく答えが聞けると涙を拭わずに笑った。笑ってくれると安堵して、彼女が不満を抱いている理由に不満を抱いたことなどなかった。それがそもそもの間違いだったことに今ようやく気が付いた。
「笑ってくれるだけで安堵していたのだがな……」
ボソッとこぼした呟きにロベリアが眉を寄せる。
「どういう意味……?」
「俺が変わったという意味だ」
「わかってるなら戻ってよ!! 昔の優しいあなたに戻って!!」
妻が泣こうと立ち上がらなかった身体は自身の笑いと共に立ち上がった。
「お前の操り人形のように生きていた俺に、か?」
彼の口から出たとは思えない発言に目を見開くロベリアを見てフッと笑う。
「お前の理不尽な怒りに同調し、お前が求めるがままに甘やかし、お前の機嫌を取るのに必死だった俺に戻れば実権はお前が握っているようなものだからな」
「……冗談でしょ……私がそんな風に考えてると思ってたの……?」
「事実だろう?」
どこか嘲笑めいた表情でこちらを見るファーディナンドにまたロベリアの目にじわりと涙が浮かぶ。
「違う!! 私はあなたを純粋に愛してるだけよ! どうして疑うの!?」
「今の俺を受け入れず、昔に戻れと言うお前のそれは純粋な愛か? 今の俺ではなく過去の俺に戻れと言うお前のどこに愛を感じろと言うんだ?」
返ってくるだろう言葉に何か希望を見出したりはしなかった。穏やかだったはずのロベリアはもういない。彼女を失ってからの四年の間に美化され続けていたのかもしれない。いや、見破れなかっただけだ。目が覚めればこんなもの。人を見下し、自分こそ崇高な存在だと思い込んでいた哀れな人間が真の愛も幸せも掴めるはずがないのに、そんな勘違いにも気付けずにいた。
愛だと即答しないその間にロベリアは何を考えているのか。視線を逸らさず見つめていると彼女の瞳からまた大粒の涙がこぼれる。
「ファーディナンドは私といて、幸せじゃなかったの……?」
「幸せだった」
それだけは嘘ではない。
「だが、それは自分たちさえ良ければそれでいいと思い上がっていたことで得ていた幸せだ」
使用人を雑に扱うこと。不満を持つ彼らに不満を持っていたこと。自分たちは間違わない、絶対に正しいと思い込んでいたこと。それら全てが間違いであったことに気付いたファーディナンドが胸の中にある膨らんだ思いを告げた。
「現実を受け入れようとせず、誰を犠牲にしてでもと考えていた俺たちに幸せになる資格などあろうはずもないんだ」
なんのことを言っているのか、ロベリアもわかっていた。だが、それに頷くことはできない。拳を震わせ、子供が駄々をこねるように何度も床を叩きはじめた。
「あなたが言い出したことでしょ!! 私じゃない!!」
「そうだ」
「全部あなたが始めたことじゃない! 生き返らせるって約束したのも! 魔女と契約するって言ったのも! 契約したのもあなたよ!! 生き返らせておいて幸せになる資格がないって何よそれ!!」
サーシャがいることも忘れて声を上げる。アイゼンが慌ててサーシャを外に出すもサーシャに驚いた様子はなかった。
ファーディナンドの前まで行き、その胸を突き飛ばすように押して何度も叩く。泣き叫ぶ姿を見るファーディナンドは一度拳を握ったあと、ロベリアを強く抱きしめた。
「俺たちは間違っていたんだ、ロベリア。すまない……」
まるで、終わらせようとでも言っているように聞こえたロベリアが突き飛ばすように離れてドアへと下がる。
「嫌よ……何言ってるの……? 絶対に嫌……私はここで生きるの……。この身体は私のものよ! 誰にも渡さない!!」
「ロベリア……」
「あなたの思いどおりになんてならない! 私には私の人生がある! それを奪う権利があなたにあるわけないでしょ!!」
「その身体の少女にも生きる権利はあった」
「知らないわよそんなこと!! あなたが連れてきたんでしょ!! あなたが魔女にそう約束したんじゃない!! 私は関係ない!! 私は病で苦しみながら待ってただけ! 」
自分さえ良ければそれでいい。悪いことは全て誰かのせいで、自分に非はない。立場を利用して上手く生きる。自分の思いどおりにできるから穏やかでいられただけのこと。これが妻の本性だった。
「誰にも私の魂は奪えない! 私は死ぬまでこの身体で、ここで、皇妃として生き続ける!」
「ロベリア、その考えは間違っている」
「これはあなたが選んだ道よ、ファーディナンド」
呪いの言葉にファーディナンドが固まる。
確かにそうだ。今更後悔しても遅い。少女はもういない。自分の妻として生きているのはロベリアであってイ──ではない。記憶の中にその存在があろうと、もう魂は存在しないのだ。どんなに詫びようが、この身体はロベリアの物になってしまった。
「すまない……」
その言葉にようやく落ち着いたように笑ったロベリアがファーディナンドの前に戻ってその身体を抱きしめる。
「わかってくれたならいいの。仲良くしましょう。私とあなたは夫婦なんだから。ね?」
名前がわかれば呼んでいただろう。謝って許されることではないとわかっていても、少女の名前を呼んで謝りたかった。
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