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ロベリア復活
わがまま
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「……はあ」
アイゼンから渡された紙を見て目を見開いたファーディナンドが大きく溜息をついたのは午後のティータイムのとき。
今日はロベリアの好きな紅茶とチョコレートが用意され、上機嫌でそれを味わっている妻を呼ぶ。
「ロベリア」
「なあに?」
「少し使い過ぎだ」
「え? 何が?」
「何が、じゃない。買い物だ」
「だって全部買ってくれるって言ったじゃない。あなたがそう言ってくれたから私、失ったお気に入りの物を取り戻そうって……ごめんなさい。使い過ぎたかもしれない。あなたの気持ちが嬉しくて、調子に乗っちゃった」
少し、の金額ではない。まるで金の成る木と金が湧いて出る泉でも所有しているかのように使っている。あまりにも金額の大きい請求書が来たのではファーディナンドも注意なしに甘やかすことはできない。今までは全てアイゼンに任せているため請求書など確認したことなどなかったが、アイゼンもさすがに見過ごせないと思ったのか請求書を持ってきた。
「ごめんなさい、ファーディナンド」
「少し控えるように」
しおらしく謝る姿を見ても注意したのは、失った物を既に揃えたことを知っているからだ。お気に入りだった鏡台もそこに置いていた小物も新しいドレスや装飾品も全て取り戻すように買いつけた。それでもロベリアは何も言わずに欲望のままに買い物を続けていた。
『結果的に良かったのかも。イベント時に着たドレスが消えちゃったのは辛いけど、デザイナーの元にデザイン画は残ってるわけだし、作りたくなったらもう一回作ってもらえばいいのよね』
盗まれた、犯人は誰だとあれだけ大騒ぎしておきながら結果的にラッキーだったと笑顔で言い放ったロベリアに先日、全員が呆れた。
立ち上がり、ファーディナンドの後ろへと回ったロベリアが抱きつき甘えた声を出す。
「私がお気に入りの物を取り戻せたのは全てあなたのおかげよ。ありがとう」
リップ音を立てて頬にキスをしたロベリアに苦笑しながら「ほどほどにな」と返した。
「皇妃、陛下は勤務中でございますので、あまり接されませんようお願いします」
「あら、妻が夫にキスをするのもダメなの?」
「ご覧のとおり、仕事が溜まっておりますので」
「私といるのが楽しくてついお喋りしちゃうのよねー」
まるで他人事。皇帝の職務が遅れれば色々と支障が出るというのにロベリアは常にファーディナンドと共に行動して邪魔をする。執務室に居座っては食べて飲んで喋っての繰り返し。静かなのは彼女が本を読んでいるときだけ。それも大体がファッション誌であるためすぐに『次はこれを作ってもらおうと思うんだけど、どう?』とか『これって私に似合うと思うんだけど、どう?』などとすぐに話しかける。妻という立場を盾にするロベリアの言動をアイゼンはあまり快く思っていなかった。
「ロベリア様もそろそろ体調がお戻りになられたでしょう。公務を始めていただかなくてはなりません」
「まだ不調が出るのよ。だからもう少しお休んでもいいでしょう?」
「陛下、期限をいつといたしましょう?」
「半年ぐらい休まなきゃムリよ。元気そうに見えるかもしれないけど、実際はそんなことないんだから。ね? ファーディナンドならわかってくれるでしょ?」
「……そうだな」
稼ぎもしないのに好き放題使うロベリアはこの自由を手放したくなかった。机に向かって延々と手紙の返事を書くだけの毎日なんてもう過ごしたくない。皇帝が言わないことを執事長が命令できるはずもなく、サーシャやウォルフなど尚更だ。
半年も皇妃が公務を休むなど病気でもない限りはあり得ない話だ。生前のロベリアはもっと公務に精を出していた。多くの国民がロベリアへ手紙を書き、返信が大変だと同情するほどだったのに、今は国民からの手紙を読もうとすらしない。
「ファーディナンド、夕方から霊園に行くのよね?」
「ああ」
「用意しなくちゃ。サーシャ、お風呂に行きましょう」
「かしこまりました」
ドアへと向かうロベリアの後ろをサーシャが歩く。その表情に愛想はなく、無表情。使用人の誰もがロベリアの世話役を嫌がり、絶対にしたくないと土下座までする者もいた。サーシャはボーナスが出るならと引き受けてくれた。仕事だと割り切れるその性格には感謝しかない。
「サーシャ。以前、私が使ってた香油は取り寄せてくれた?」
「はい。届いております」
「もう、しっかりしてよね。侍女が皇妃の好みを間違えるなんて絶対にダメよ」
「申し訳ございません」
「それじゃあファーディナンド、また夕方に会いましょ」
「ロベリア」
振り返ったロベリアを引き止め、立ち上がって近付き抱きしめた。
「ふふっ、どうしたの? 甘えんぼね」
首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐとロベリアがくすぐったそうに笑う。
「香油を変えたのか?」
「まだよ。前に使ってた香油は今日から使うの。サーシャが間違えて発注してたせいで届くのが遅れちゃったの。懐かしい香りだからきっとあなたも喜んでくれるわ」
「あの砂糖菓子のように甘い香りか」
「砂糖菓子? 違う。フリージアよ。私の大好きな爽やかな香り。忘れちゃったの?」
「……そう、だったか?」
驚いた顔で離れるファーディナンドの頬を両手で包み、唇を重ねる。ゆっくりと押し付け、ゆっくりと離れるロベリアの妖艶な笑みを見ながらまた違和感を覚える。
見惚れていたはずの笑みが何故か似合わないと感じる。
彼女がつけていた香水も言われてみれば爽やかな香りだった。ロベリアによく合う香りだと好んでいたことを思い出した。何故自分は甘い香りなどと思ったのか。
「サーシャも砂糖菓子みたいに甘い匂いの香油を発注したのよ。私のイメージってそんな子供っぽい?」
「いや、そうではないが……」
「ふふっ、わかってる。私がスウィートな人間ってことよね」
「そうだな」
「ありがと。じゃあまたあとでね」
投げキッスをして笑顔で去っていくロベリアを見送ったあと、アイゼンと二人になった部屋で溜息を吐いた。
「陛下?」
すぐに笑顔が消えたファーディナンドに声をかけるも返事はない。ペンも握らず、頬杖をついて目を伏せた。
「アイゼン」
「はい」
「俺は、ロベリアが生き返ってくれて嬉しいと思っている」
「はい」
「それなのに何故か……」
続きが出てこない。言葉を選んでいるのだ。ウォルフがいるからではない。言葉にしてしまうと何かが起こりそうで怖い気持ちがある。
「今を愛せない」
いつの間にか入ってきていたウォルフの言葉にファーディナンドが勢いよく顔を上げた。驚いた表情で。
「すみません。アイゼンさんにサインをいただきたい物があるとかで」
ウォルフは風呂までついていくわけにはいかないため待機していたのだが、小走りでやってきた使用人がサインをもらいたいと言うため中に入った。
差し出された紙に書かれたものをしっかりと確認してからサインをし、それをウォルフが使用人に渡した。また小走りで去っていく使用人を見送って外に出ようとしたウォルフをファーディナンドが引き止める。
「お前……以前も俺にそんなことを言わなかったか……?」
「……わかりません。私が陛下にそのようなことを申し上げるはずがありませんが、言ってしまったような気もします」
「……吐き気がする……」
「大丈夫ですか?」
「ロベリアが戻ってきたからずっとだ。ずっと何かが引っかかっていて出てこない。まるで頭の中に砂嵐と霧が同時に発生しているようにハッキリとしない。何か大事なことを忘れているような気がするんだ。思い出さなければならないような、大事なことを……」
ウォルフも同じ気持ちだった。まるで思い出せと言わんばかりに毎日何かしらの映像が流れてくる。それなのに一向に思い出せない気持ち悪さにずっとモヤモヤしている。
「あれだけ恋しかったロベリアがこの腕の中に戻ってきたというのに何故か彼女ではない別人を愛していたような感覚がある。俺が知っている匂いも好みもロベリアであるはずなのに、口にするとロベリアは否定する。俺がロベリアの好みを間違える? ありえんだろう……」
「四年という年月はあっという間に過ぎてしまいましたが、とても長いものです。忘れてしまうのもムリはありません」
「あれだけ求めていたのにか?」
違和感は日に日に増すばかり。
「アイゼン、ロベリアはあんなにわがままだったか?」
思わずこぼした一つの違和感にアイゼンがすぐさま頷く。
「ロベリア様は以前より買い物依存症の傾向にありました。陛下の財産を湯水の如く使い回り、好き放題し放題。陛下に甘えれば陛下がランプの魔神のように願いを叶えてくれると思っている節が見受けられました」
「それはお前の偏見ではないのか?」
「また使用人全員に話をお聞きになりますか?」
使用人のことはアイゼンに聞けというほど知り尽くしている彼の言葉は「自分だけでなく使用人もそう思っている」と言わんばかりのもので、初めて聞く意見に愕然としている。
ファーディナンドにとってロベリアはわがままな女ではなく貞淑で穏やかな女性だった。努力家で誰からも愛されている女性だと自慢し回っていたのに、生き返ったから変わったのではなく生前もこうだったと知ってショックを受けた。
「あー……変わってしまったのか?」
「陛下、私は先程、以前よりと申し上げました。それは四年以上前から、という意味です」
恋は盲目。どんなわがままも愛おしさすら感じていた。まず、それらをわがままとすら思っていなかったのだろう。してやれることは全てしてやると、それをまるで甲斐性のように勘違いして叶え続けた結果が今なのだ。
自分だけが何も見えていなかったということかと顔に書く皇帝にアイゼンは重々しく頷き返した。
「ですから、私は反対していたのです。魔女に頼む禁忌に足を踏み入れてまで……」
その先は言ってはいけない言葉だとわかっているからアイゼンも口を閉じた。ロベリアを生き返らせることはテロスのために、何よりもファーディナンドのためにならないと思っていたから反対し続けた。
それでも、初めて愛を与えてくれたロベリアに盲目の愛を捧げ続けたファーディナンドには何をどう言っても伝わらなかった。
「陛下、冷静に周りを見回すことは皇帝だけでなく誰にでも必要なスキルですが、あなたは皇帝であるが故に更にそういったことに気付かなければなりません。目の前で起こることは間違いではなく現実だと受け入れてください。その上でどうすべきかを考えるのです。あなたも人の子。間違えることはあります。それは恥ずべきことではございません。間違いを認められないことこそ恥なのです」
「ロベリアが間違っていることを認めろと……?」
「私が言えるのはここまで。あとは陛下が判断されることです」
「そこまで言っておいて俺に丸投げか?」
ファーディナンドは変わった。ロベリアがいない間に成長したように思う。以前の彼ならロベリアのことをわがままだと言おうものなら烈火の如く怒りを撒き散らし、相手がアイゼンであろうと許さなかった。今は苦笑し、その苦言を受け入れようとする。何が彼を変えたのか。変わる瞬間がどこかにあったのだろうかと不思議に思う。
「陛下が愛した女性ですから」
誰よりも甘やかした人間だと自覚がある。愛していたからなんでも言うことを聞いてやりたかった。喜んだ顔が見たかったから。叶えてやることこそが愛だと勘違いしていたから。それが間違いであったと認められなかったし、思ってすらいなかった。
「ウォルフ」
「はい」
「もし、お前がまた何か映像が見えたら教えてくれ。俺の記憶と擦り合わせたい」
彼が言った『今を愛せない人』という言葉。やはり自分とウォルフの記憶には共通点がある。共に記憶した者と共に忘れていると確信する。
「一度、魔法士のもとへ向かう。ウォルフも一緒に来い」
「はい」
今日は両親の命日。あまり良い日ではない。それでも行かなければならない。ロベリアに言われたからではない。行かなければならない何かがあるような気がしたから。
アイゼンから渡された紙を見て目を見開いたファーディナンドが大きく溜息をついたのは午後のティータイムのとき。
今日はロベリアの好きな紅茶とチョコレートが用意され、上機嫌でそれを味わっている妻を呼ぶ。
「ロベリア」
「なあに?」
「少し使い過ぎだ」
「え? 何が?」
「何が、じゃない。買い物だ」
「だって全部買ってくれるって言ったじゃない。あなたがそう言ってくれたから私、失ったお気に入りの物を取り戻そうって……ごめんなさい。使い過ぎたかもしれない。あなたの気持ちが嬉しくて、調子に乗っちゃった」
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「ごめんなさい、ファーディナンド」
「少し控えるように」
しおらしく謝る姿を見ても注意したのは、失った物を既に揃えたことを知っているからだ。お気に入りだった鏡台もそこに置いていた小物も新しいドレスや装飾品も全て取り戻すように買いつけた。それでもロベリアは何も言わずに欲望のままに買い物を続けていた。
『結果的に良かったのかも。イベント時に着たドレスが消えちゃったのは辛いけど、デザイナーの元にデザイン画は残ってるわけだし、作りたくなったらもう一回作ってもらえばいいのよね』
盗まれた、犯人は誰だとあれだけ大騒ぎしておきながら結果的にラッキーだったと笑顔で言い放ったロベリアに先日、全員が呆れた。
立ち上がり、ファーディナンドの後ろへと回ったロベリアが抱きつき甘えた声を出す。
「私がお気に入りの物を取り戻せたのは全てあなたのおかげよ。ありがとう」
リップ音を立てて頬にキスをしたロベリアに苦笑しながら「ほどほどにな」と返した。
「皇妃、陛下は勤務中でございますので、あまり接されませんようお願いします」
「あら、妻が夫にキスをするのもダメなの?」
「ご覧のとおり、仕事が溜まっておりますので」
「私といるのが楽しくてついお喋りしちゃうのよねー」
まるで他人事。皇帝の職務が遅れれば色々と支障が出るというのにロベリアは常にファーディナンドと共に行動して邪魔をする。執務室に居座っては食べて飲んで喋っての繰り返し。静かなのは彼女が本を読んでいるときだけ。それも大体がファッション誌であるためすぐに『次はこれを作ってもらおうと思うんだけど、どう?』とか『これって私に似合うと思うんだけど、どう?』などとすぐに話しかける。妻という立場を盾にするロベリアの言動をアイゼンはあまり快く思っていなかった。
「ロベリア様もそろそろ体調がお戻りになられたでしょう。公務を始めていただかなくてはなりません」
「まだ不調が出るのよ。だからもう少しお休んでもいいでしょう?」
「陛下、期限をいつといたしましょう?」
「半年ぐらい休まなきゃムリよ。元気そうに見えるかもしれないけど、実際はそんなことないんだから。ね? ファーディナンドならわかってくれるでしょ?」
「……そうだな」
稼ぎもしないのに好き放題使うロベリアはこの自由を手放したくなかった。机に向かって延々と手紙の返事を書くだけの毎日なんてもう過ごしたくない。皇帝が言わないことを執事長が命令できるはずもなく、サーシャやウォルフなど尚更だ。
半年も皇妃が公務を休むなど病気でもない限りはあり得ない話だ。生前のロベリアはもっと公務に精を出していた。多くの国民がロベリアへ手紙を書き、返信が大変だと同情するほどだったのに、今は国民からの手紙を読もうとすらしない。
「ファーディナンド、夕方から霊園に行くのよね?」
「ああ」
「用意しなくちゃ。サーシャ、お風呂に行きましょう」
「かしこまりました」
ドアへと向かうロベリアの後ろをサーシャが歩く。その表情に愛想はなく、無表情。使用人の誰もがロベリアの世話役を嫌がり、絶対にしたくないと土下座までする者もいた。サーシャはボーナスが出るならと引き受けてくれた。仕事だと割り切れるその性格には感謝しかない。
「サーシャ。以前、私が使ってた香油は取り寄せてくれた?」
「はい。届いております」
「もう、しっかりしてよね。侍女が皇妃の好みを間違えるなんて絶対にダメよ」
「申し訳ございません」
「それじゃあファーディナンド、また夕方に会いましょ」
「ロベリア」
振り返ったロベリアを引き止め、立ち上がって近付き抱きしめた。
「ふふっ、どうしたの? 甘えんぼね」
首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐとロベリアがくすぐったそうに笑う。
「香油を変えたのか?」
「まだよ。前に使ってた香油は今日から使うの。サーシャが間違えて発注してたせいで届くのが遅れちゃったの。懐かしい香りだからきっとあなたも喜んでくれるわ」
「あの砂糖菓子のように甘い香りか」
「砂糖菓子? 違う。フリージアよ。私の大好きな爽やかな香り。忘れちゃったの?」
「……そう、だったか?」
驚いた顔で離れるファーディナンドの頬を両手で包み、唇を重ねる。ゆっくりと押し付け、ゆっくりと離れるロベリアの妖艶な笑みを見ながらまた違和感を覚える。
見惚れていたはずの笑みが何故か似合わないと感じる。
彼女がつけていた香水も言われてみれば爽やかな香りだった。ロベリアによく合う香りだと好んでいたことを思い出した。何故自分は甘い香りなどと思ったのか。
「サーシャも砂糖菓子みたいに甘い匂いの香油を発注したのよ。私のイメージってそんな子供っぽい?」
「いや、そうではないが……」
「ふふっ、わかってる。私がスウィートな人間ってことよね」
「そうだな」
「ありがと。じゃあまたあとでね」
投げキッスをして笑顔で去っていくロベリアを見送ったあと、アイゼンと二人になった部屋で溜息を吐いた。
「陛下?」
すぐに笑顔が消えたファーディナンドに声をかけるも返事はない。ペンも握らず、頬杖をついて目を伏せた。
「アイゼン」
「はい」
「俺は、ロベリアが生き返ってくれて嬉しいと思っている」
「はい」
「それなのに何故か……」
続きが出てこない。言葉を選んでいるのだ。ウォルフがいるからではない。言葉にしてしまうと何かが起こりそうで怖い気持ちがある。
「今を愛せない」
いつの間にか入ってきていたウォルフの言葉にファーディナンドが勢いよく顔を上げた。驚いた表情で。
「すみません。アイゼンさんにサインをいただきたい物があるとかで」
ウォルフは風呂までついていくわけにはいかないため待機していたのだが、小走りでやってきた使用人がサインをもらいたいと言うため中に入った。
差し出された紙に書かれたものをしっかりと確認してからサインをし、それをウォルフが使用人に渡した。また小走りで去っていく使用人を見送って外に出ようとしたウォルフをファーディナンドが引き止める。
「お前……以前も俺にそんなことを言わなかったか……?」
「……わかりません。私が陛下にそのようなことを申し上げるはずがありませんが、言ってしまったような気もします」
「……吐き気がする……」
「大丈夫ですか?」
「ロベリアが戻ってきたからずっとだ。ずっと何かが引っかかっていて出てこない。まるで頭の中に砂嵐と霧が同時に発生しているようにハッキリとしない。何か大事なことを忘れているような気がするんだ。思い出さなければならないような、大事なことを……」
ウォルフも同じ気持ちだった。まるで思い出せと言わんばかりに毎日何かしらの映像が流れてくる。それなのに一向に思い出せない気持ち悪さにずっとモヤモヤしている。
「あれだけ恋しかったロベリアがこの腕の中に戻ってきたというのに何故か彼女ではない別人を愛していたような感覚がある。俺が知っている匂いも好みもロベリアであるはずなのに、口にするとロベリアは否定する。俺がロベリアの好みを間違える? ありえんだろう……」
「四年という年月はあっという間に過ぎてしまいましたが、とても長いものです。忘れてしまうのもムリはありません」
「あれだけ求めていたのにか?」
違和感は日に日に増すばかり。
「アイゼン、ロベリアはあんなにわがままだったか?」
思わずこぼした一つの違和感にアイゼンがすぐさま頷く。
「ロベリア様は以前より買い物依存症の傾向にありました。陛下の財産を湯水の如く使い回り、好き放題し放題。陛下に甘えれば陛下がランプの魔神のように願いを叶えてくれると思っている節が見受けられました」
「それはお前の偏見ではないのか?」
「また使用人全員に話をお聞きになりますか?」
使用人のことはアイゼンに聞けというほど知り尽くしている彼の言葉は「自分だけでなく使用人もそう思っている」と言わんばかりのもので、初めて聞く意見に愕然としている。
ファーディナンドにとってロベリアはわがままな女ではなく貞淑で穏やかな女性だった。努力家で誰からも愛されている女性だと自慢し回っていたのに、生き返ったから変わったのではなく生前もこうだったと知ってショックを受けた。
「あー……変わってしまったのか?」
「陛下、私は先程、以前よりと申し上げました。それは四年以上前から、という意味です」
恋は盲目。どんなわがままも愛おしさすら感じていた。まず、それらをわがままとすら思っていなかったのだろう。してやれることは全てしてやると、それをまるで甲斐性のように勘違いして叶え続けた結果が今なのだ。
自分だけが何も見えていなかったということかと顔に書く皇帝にアイゼンは重々しく頷き返した。
「ですから、私は反対していたのです。魔女に頼む禁忌に足を踏み入れてまで……」
その先は言ってはいけない言葉だとわかっているからアイゼンも口を閉じた。ロベリアを生き返らせることはテロスのために、何よりもファーディナンドのためにならないと思っていたから反対し続けた。
それでも、初めて愛を与えてくれたロベリアに盲目の愛を捧げ続けたファーディナンドには何をどう言っても伝わらなかった。
「陛下、冷静に周りを見回すことは皇帝だけでなく誰にでも必要なスキルですが、あなたは皇帝であるが故に更にそういったことに気付かなければなりません。目の前で起こることは間違いではなく現実だと受け入れてください。その上でどうすべきかを考えるのです。あなたも人の子。間違えることはあります。それは恥ずべきことではございません。間違いを認められないことこそ恥なのです」
「ロベリアが間違っていることを認めろと……?」
「私が言えるのはここまで。あとは陛下が判断されることです」
「そこまで言っておいて俺に丸投げか?」
ファーディナンドは変わった。ロベリアがいない間に成長したように思う。以前の彼ならロベリアのことをわがままだと言おうものなら烈火の如く怒りを撒き散らし、相手がアイゼンであろうと許さなかった。今は苦笑し、その苦言を受け入れようとする。何が彼を変えたのか。変わる瞬間がどこかにあったのだろうかと不思議に思う。
「陛下が愛した女性ですから」
誰よりも甘やかした人間だと自覚がある。愛していたからなんでも言うことを聞いてやりたかった。喜んだ顔が見たかったから。叶えてやることこそが愛だと勘違いしていたから。それが間違いであったと認められなかったし、思ってすらいなかった。
「ウォルフ」
「はい」
「もし、お前がまた何か映像が見えたら教えてくれ。俺の記憶と擦り合わせたい」
彼が言った『今を愛せない人』という言葉。やはり自分とウォルフの記憶には共通点がある。共に記憶した者と共に忘れていると確信する。
「一度、魔法士のもとへ向かう。ウォルフも一緒に来い」
「はい」
今日は両親の命日。あまり良い日ではない。それでも行かなければならない。ロベリアに言われたからではない。行かなければならない何かがあるような気がしたから。
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