亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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ロベリア復活

違和感

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「ねえ、これって希望した茶葉じゃないわよね?」

 何故だろう。ロベリアが戻ってきたというのに何故こんなに違和感を抱いているのだろう。

「ロベリア、それぐらいで怒るな」

 そう注意することが増えた気がする。終焉の森を命懸けで抜け、犠牲を払って魔女のもとへと辿り着いた。愛する妻を生き返らせてくれと頼んでから一年が経ち、契約は破られることなくロベリアが生き返ったというのに何故こんなにも以前と違うように感じてしまうのか。

「怒ってるんじゃないの。どうしてお願いしたのと違う茶葉の紅茶を淹れたのか聞きたいだけ」
「ロベリア様はこちらの紅茶がお好きだったように思いまして」
「私が? 私はこの茶葉は好きじゃない。ちゃんと茶葉を指定したわよね? どうして私がお願いした紅茶じゃなくてあなたの判断で勝手に変えるの? あなたは私より偉いの?」
「申し訳ございません。淹れ直して参ります」
「そうして」

 テーブルに置いた紅茶をワゴンに乗せて部屋を出たサーシャにロベリアが呆れたように大きな溜息をつく。
 ロベリアはこんなにもわがままだっただろうか。ファーディナンドは紅茶に詳しくはないが、ロベリアもそれほど紅茶には詳しくなかったはず。それなのにあれがいいこれがいいと何かと注文をつける。既に淹れられてしまったのだからそれを飲めばいいものを自分の指示とは違ったからと淹れ直させる。
 ロベリアはもっと上品で思いやりのある女性だったはずなのにとファーディナンドの中の違和感は膨れるばかり。

「ねえ、ウォルフ。あなたの特技はなんだったかしら?」
「ありません」
「ないの? 獣人族なんでしょ?」
「獣人族は身体能力が高いだけの種族でして、何か特別というわけではないんです」
「じゃあ獣化して」

 命令にも近い言葉を無邪気に使われ、ウォルフの身体が一瞬固まった。

「確か……犬はお嫌いなんですよね?」
「ええ。でもあなたは言葉が通じるし、私に吠えたり噛みつこうとしたりしないでしょう?」
「そういう嫌な経験がおありなのですか?」
「ええ、そうなの。だから今でも犬は見るだけでも怖くて」
「じゃあ私の獣化は見ないほうがいいと思います」
「大丈夫よ。ここにはファーディナンドもいるし。理性はあるんでしょ? 獣化して」

 ファーディナンドは止めない。チラッと視線だけ送るとやってやれと軽く顎をしゃくってすぐに書類へと視線を戻す。
 ウォルフは何故か彼女のことが好きになれなかった。何故犬が嫌いな妻のためにわざわざグラキエスから召喚したのかもわからなかったが、妻を警護するにあたって身体能力の高い者がいいと考え、犬は嫌いでも獣人族なら大丈夫と思ってのことかとようやく理解した。
 笑顔のまま渋々獣化すると「わあっ」と声を上げて寄ってくる。

〈触ってもいい?〉

 ウォルフの頭の中に急に荒い映像が流れた。紙に書かれた文字を見せる少女。白いワンピースを着ている。

(誰だ……?)

 モヤがかかるその映像に眉を寄せると毛に手が埋め込まれた。ゾワっとするその感覚に目を見開き、思わず「ガウッ!!」と吠えてしまった。

「キャアッ!!」
「ロベリア!」

 立ち上がったファーディナンドが急いでロベリアの腕を掴んで引き寄せるとロベリアが腕の中で震えながらしがみつく。

「ウォルフ、どういうつもりだ」
「申し訳ございません!!」

 獣化を解き、慌てて頭を下げて謝るもロベリアに触れられた瞬間の気持ち悪さに眉を寄せる。

「あえてか?」
「違います! どういうわけか、わからないんですけど……頭の中に、映像が流れて……」
「映像?」
「少女が紙に言葉を書いて見せてくる映像が……」

 ピクッとファーディナンドの眉が反応する。何故ウォルフが自分と同じ映像を見ているのか。

(共通の記憶? だとしても互いにその記憶を忘れているなどありえるのか?)

 ファーディナンドにとっても時折流れるその映像がずっと引っかかっている。ザラついてモヤついてハッキリとしない少女の顔。それが気になって最近は仕事のペースが遅くなっている。

「ウォルフ、その少女は──」
「そんなの言い訳だわ!!」

 問いかけようとしたファーディナンドの言葉をロベリアの怒声が遮る。

「犬が怖いって言ったわよね!? 吠えられたことがトラウマになってるって!! それなのに吠えたのよ!! 私がどんなに怖い思いをしたかわかってるの!?」
「大丈夫だ。ウォルフに噛むつもりはなかった。それに、相手は言葉が通じると言ったのはお前だろう」
「でも吠えたじゃない!!」
「混乱していたんだ」
「そんなの言い訳よ! あなたは私よりウォルフのほうが大事なの!? だから彼を庇うの!?」
「そうじゃない。お前が一番に決まってるだろう。だが──」
「じゃあ謝らせてよ!! 悪いことをしたら謝らなきゃいけないって子供に教えられないでしょ!」

 まだ出来てもいない子供の教育の話をするロベリアに苦笑すら滲まない。最近のロベリアは癇癪を起こすことが増えた。あれが違うこれが違うと先日も商人を困らせていた。ブラッディムーンが入荷していないと知って残念がるどころか嫌味を口にした。わざわざ仕事をしている執務室で商人を交渉し、その場で夫に許可を得る素早さにモヤついた。
 森を掘り返しても見つからなかった地下通路への入り口。見つからなくて当然ではなく、見つけられなかった無能と彼らを評したときは聞こえていないフリをしたほどだ。
 ロベリアが生き返ってくれて嬉しい。魔女が約束を守ってくれて安堵している。それなのにどうしてこんなにも違和感があるのか。まるでロベリアではないような、心から愛した女ではないように感じている。
 腕の中で震えるその小さな身体を抱きしめたままウォルフを見るも彼は彼で頭を下げたままこちらを見ようとしない。申し訳ないと心から思っているからなのか、それともロベリアの顔を見たくないからか。どちらもわかる。

「ウォルフは謝っただろう」
「あれはあなたに謝ったのよ!! 私にじゃない!!」

 泣き出したロベリアに小さな溜息をついてウォルフに謝れと促すと従って謝った。

「怒ったように謝らないでよ!! ちゃんと心の底から謝って!!」
「大変申し訳ございませんでした。以後、このようなことがないよう気をつけます」

 感情を込めて静かに謝るウォルフも嫌気が差しているように感じた。当然だ。ロベリアを生き返らせた張本人である自分でさえ、そう感じる瞬間があるのだから。
 表情は見えないが、彼は内心、渋々なのが伝わってくる。

「もう今日は部屋に帰って。反省するまで顔を見せないでちょうだい」

 ようやく顔を上げたウォルフがファーディナンドを見ると頷いており、「失礼します」と言って部屋を出て行った。

「ウォルフはいなくなった。もう大丈夫だ」
「やっぱり狼も犬よ。吠えたり噛んだり野蛮すぎる。好きじゃないわ」
「犬を飼うのが夢だと……」
「誰が?」
「……いや、俺が子供の頃、そう思っていた瞬間があったかなと」
「あなたにも動物に癒しを求めようとした頃があったのね。可愛い」

 胸板に指を立ててクルクルと回して微笑みながら可愛いと囁く妻の背中を軽く撫でて身体を離す。

〈犬を飼うのが夢だったの〉

 犬嫌いのロベリアがそんなことを言うはずがない。だが、記憶の中には確かにその言葉がある。
 ファーディナンドはウォルフを召喚した理由がよく思い出せないでいた。犬嫌いのロベリアに獣人族の騎士を当てがったのは嫌がらせでしかないが、身体能力のことを考えて召喚したのだろうと過去の自分の行動を推測している。自分でしたはずのことを何故こんなにも曖昧になっているのか。
 何かがおかしい。去年までこんなことはなかった。変に映像が流れることなど一度も。自分だけなら疲れているせいだと思えたが、ウォルフが同じ映像を見ているのが気になる。

「ねえ、もうすぐご両親の命日よね。お墓参りに行かないとね」
「そうだな」

 もうそんな時期かと、本当にあっという間に一年が過ぎていたことを実感する。
 ロベリアを失い、何年も悲しみに暮れ、魔女のもとへ向かう決心をし、なんとか辿り着き、そして一年待った。

(色々あった一年だった)

 自分で思った言葉に引っかかる。

(色々……?)

 何もなかった。魔女の小屋から出ると城に戻っていた。それ以降は仕事をしながら愛する妻の復活を待つだけの一年で、特別何かが起こったわけではない。あったといえばロベリアの四度目の命日ぐらい。

「素晴らしい息子さんのお嫁さんになれて幸せですって報告しないとね」
「そうだな」

 返事はするが上の空。ずっと引っかかり続けているその“何か”が出てこない。

「墓参り……」

 それも何かが引っかかる。霊園にはあまり足を運ばない。両親の命日だけだ。それも自主的なものではなく、毎年ロベリアに引っ張られて行っているだけ。

『もうあなたを縛る者はいない。故人はもうあなたに命令も圧をかけることもできないんだからお墓参りぐらいしてあげて。それはあなたのためでもあるのよ』

 自分のために行く。自分のためにやる。ロベリアが教えてくれたことだ。そう考えると行動できるようになると。それで勇気を持って行動できるようになったのだ。だが──

〈私は両親が大好きだし、両親も私が大好き。無性の愛をくれるわ。でもそんな親ばかりじゃないでしょ? 子供を殺したり虐待する愛のない親もいる。そんな親を大事にする必要がある? 親は絶対の存在じゃない。あなたは大人になって長いんだから嫌だったら放っておけばいいの。死んだら遺恨も何もなかったことに、なんて綺麗事よ。私はこう見えてすごく心が狭いからひどい親が自分の親だったら死んだから許すなんて絶対にしない。たぶん、ハンマー持ってお墓壊しに行ってたと思う。バーカって書いた紙を残骸に貼り付けるオマケ付きでね〉

 バーカと大きく書いた紙を持って舌を出して笑う少女の映像にファーディナンドの瞳から涙が一筋溢れた。

「ファーディナンド? どうしたの?」
「あ? なんだ……これは……」

 何故涙が出たのかわからない。何も悲しくはない。だが、痛みはある。チクチクと針で刺されているかのように痛む胸を押さえながらその映像を途切れさせてしまわないようにと瞬きを止めたファーディナンドを見上げるロベリアの目には怒りがこもっていた。
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