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契約執行2

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「さて、可愛いペットちゃんにお礼を受けさせたことだし、本題に戻りましょうか。さあ、契約執行のお時間です」

 魔女はこれからショーでも始めるかのように楽しげに笑い、両手を広げる。

「どうして教えてくれなかったの!?」

 サーシャの叫び声で魔女の楽しげな表情が一変する。口を開けば第一声は「面倒臭い」だろう表情で目を閉じ、まるでそこにテーブルがあるかのように椅子に座って頬杖をついているようなポーズを取る。

「何度もお願いした! 何十通も手紙を出した! あなたには届いていたはずよ!」
「ええ、届いていたわ。あなたが必死に書いた何十枚もの必死なお手紙」
「じゃあどうして──」
「教える義理がないからよ」

 吐き捨てるように言った魔女は伸びてもいない爪を眺めている。

「義理が、ない……?」
「そうよ。どうしてあなたに私が契約執行日をあなたに教えなきゃいけないの? どこにそんな義理が?」
「私はずっとあなたに──」
「契約としてね。だから私はあなたの弟の命を救ってあげたし、誘拐されたイベリスの場所も教えてあげた。取引は既に成立してる」
「二度、契約してくれたじゃない……!」
「それはあなたが差し出した物が面白かったからよ。冷凍人間になっちゃうなんて傑作も傑作。触れた物全部凍らせちゃうんだから、そんなあなたがこれからどうやって幸せを見つけるのか楽しみになったの」

 歪みきった性格。契約条件によっては相手の人生をぶち壊すと容易に想像がつくことでさえ契約として受け入れる。彼女の中に同情という感情など存在しない。絶望する二人の人間と全身を這う虫唾に怒りが込み上げる人間。イベリスだけが魔女が何を言っているのかわからない。

「私の人生に幸せを、なんて願ったこともない。これからも願おうなんて思ってない。私の人生はどうだっていい。どうだっていいから、イベリス様を助けてください。イベリス様は本当に無関係なんです。リンベルに戻って優しい両親と共に人生をやり直さなきゃいけない人なんです。これ以上辛い思いをしてほしくないんです。だからどうか、もう一度──」
「却下」

 ファーディナンドと同じように床の上で土下座をするも魔女には響かない。宙に浮いた皿の上にあるクッキーをサクサクと小気味良い音を立てながら食べる腹立たしい姿にウォルフが爪を伸ばすも「爪を剥がれたくなきゃしまいなさい」という警告が飛んでくる。白狼の爪は武器だ。手持ちの武器が破壊されても爪があれば戦える。魔女のその言葉は脅しではない。それは出会ったばかりのウォルフにもわかった。
 ゆっくりと爪をしまう自分が情けない。

「そこの皇帝の命とあなたの命は同じく無価値。言ったでしょ。土下座にはなんの意味もないって。私が土下座嫌いだって言ったの聞いてた?」
「お願いします! それが無理なら私の身体にイベリスの魂を入れてください!!」
「お前何言って……」

 驚くウォルフの耳に届いた魔女の嫌味なほど大きな笑い声。爆笑というよりはあえて笑う演技をしているようで癪に触る。
 ロベリアが入ることで抜けた魂を代わりにこっちへと言うサーシャは本気だった。

「サーシャ、この顔で生まれ育った少女が、あなたの身体に入ったら死にたくなると思わない? 私だったら死を選ぶわ。だって、レベルが違いすぎるもの」

 一年間、ずっと仕えてきた。弟とは二度と会うつもりはなかったが、無垢な笑顔がよく似ていたから重ねてしまっていた。失われる必要のない命が失われるのは耐えられない。弟を救ったのに今度はイベリス。
 身体も命もダメなら差し出せる物は何もない。溢れる涙が氷となって床に落ちた。

「あら、涙まで氷になっちゃったのね。可哀想な子」

 他人事。ポットから出る湯気立つ紅茶がカップへと注がれるのを見る魔女の足を掴もうとファーディナンドが手を伸ばすも魔女の身体の周りに現れた球体の膜によって弾かれた。

「許可なくレディに触れようとするなんて随分と躾がなってないのね。ああ、そうよね。まともな教育を受けてないんだからわからなくて当然よね。私が優しくてよかったわね。今ここで教えてあげる。レディの身体に許可なく触れるのは重罪よ」
「ぐあああッ!」

 弾かれた手にだけピンポイントで岩が乗せられたように重力がかかり、床へと叩きつけられた。急落下した手は床を砕く勢いで叩きつけられ、その痛みは骨が砕けたのではないかと思うほどで。それでもまだ手にかかる重力は強まり、ビシッと音を立てて床にヒビが入る。

(何が起こってるの……)

 サーシャと魔女の言葉は表示されないためわからない。わかるのはファーディナンドの叫びとウォルフの冷静な言葉。それから予想するしかないが、頭の中はまだグチャグチャ生まで整理がついていない。何が起こっているのかもわからない。呼吸が荒くなり、手が震えるが、その手で魔女の防御壁に触れた。トントンと肩を叩くようにゆっくりと。

「ああ、お待たせしてごめんなさいね。外野がグダグダ言うから手間取っちゃってるの。待ちくたびれちゃったかしら」
〈何してるかわからないけど、ひどいことはしないで〉
「私、あらゆる言語は理解できるけど、手の動きで話すことはできないの」
「何してるかわからねぇけどひどいことはやめろって言ってんだよ」
「ひどいこと、ねぇ。強欲な人間のせいで命を奪われること以上にひどいことって存在するのかしら?」

 もし、ファーディナンドの手が砕けていたとしても、これからイベリスの身に起こる出来事と比べれば無傷も等しい。骨は再生するが、イベリスは死んでしまうのだから。
 魔女の言葉に同意するのは癪だが、誰も反論できない。

「サーシャ、無駄死には必要ないんじゃない?」

 隣を見るとサーシャの手には氷の棒が握られている。それが騎士が持つような剣へと正確に形を変えていく。今、目の前でファーディナンドに何が起こったか目撃していながら魔女へ抵抗するつもりのサーシャに思わず声を上げた。

「サーシャ何するつもりだ!! 魔女に勝てるわけないっつったのはお前だろ!」
「わかってる。勝てるはずないのよ。この魔女は最悪じゃなくて極悪。性悪さも魔力も別次元の生き物よ。でも、勝てないからってこのまま指を咥えてイベリス様が消えるのを見ていることなんてできない!!」
「だからって負け試合に挑むのかよ!!」
「アンタも騎士ならわかるでしょ。負けるとわかってても戦わなきゃいけない状況なの! これが最初で最後なのよ!!」

 雹が降っているかのように小さな氷が床に落ちて音を立てる。涙が凍るほどの寒さはテロスには訪れない。イベリスの居場所を知るためだけに自分の人生を捨てたサーシャの悲痛な叫びにウォルフは引っ込めた爪を伸ばした。

「へえ、すごい。ただの獣人と多少の魔力を持ってるただの人間が世界政府から指名手配受けてる魔女とやるつもり? 何をしても現実は変わらないっていうのに、人間って本当に無駄なことが好きなのね。無駄話。無駄足。無駄骨。無駄口。無駄死に──。死ぬとわかってるなら引けばいいのに。黙って指しゃぶって見てれば終わるし、一ヶ月もすれば失った痛みは薄れる。わざわざ犬死にすることはないのにね?」

 最終警告だとサーシャは直感する。それでも一歩も引くつもりはなかった。勝てる可能性など砂粒ほどもあるとは思ってはいない。だって、どんな攻撃も彼女に届くことはないことを知っているから。
 ウォルフも本能で気付いているのだろう。だから震えている。ファーディナンドが受けた攻撃は間違いなく魔女が仕掛けたもの。それを目で捉えることすらできないのに勝ち目など存在するはずもない。あれは魔女にとってほんの少し、砂塵程度の魔力を見せただけ。

「そうよね。やってみなきゃわからないものね。キャラック船を凍らせて守れたその氷で魔女が凍るかやってみたくなるのも当然よね。強くなった氷で私が凍るといいわね。そしたら白狼の力で粉砕すれば魔女は消え、イベリスも助かるもの。目指せ、ハッピーエンド」

 明らかにからかっている。貴族たちの足を凍らせたように床に足がついていれば一瞬で伸ばせるが、魔女は宙にいる。世界政府が指名手配をかけるほどの相手に氷しか使えない人間がどう戦うのか。それでもサーシャは打って出た。左手で氷柱を五本飛ばすと同時に地面を蹴って一気に距離を詰める。
 向かってくる氷柱に見向きもせずリクライニングチェアにでも座っているかのような体勢で優雅に紅茶を飲む魔女が忌々しく腹立たしい。警戒しろ。表情を変えろ。動け。とにかく少しでも可能性を作らなければならないと焦るサーシャだが、ファーディナンドの手と同じで届く寸前で弾かれた氷柱はそのまま向きを変えてサーシャへと戻っていく。咄嗟に解除して冷気へと変えた。

「上手上手。意外と上手く使いこなせてるのね。やっぱりセンスあるわよ。鍛えれば強くなりそうなの、ここで死んじゃうなんて残念」

 パチパチパチパチと魔女が手を叩く。

「まだ終わってない……終わらせないッ」
「あら、本気出すの? 怖い怖い。気をつけなくちゃ」

 魔女が一言発するたびに苛立ちが募る。戦闘で最も心掛けなければならないのは冷静さだというのに、魔女の挑発めいた言葉に苛立って冷静でいられない。
 手袋を脱いだサーシャに魔女は笑うが、ウォルフは笑えなかった。サーシャの手からは冷気が発しており、本当に氷人間になってしまったようで、彼女の覚悟に戦慄する。
 素手で剣を握ると強固さを増したような音が鳴った。

「おいで、サーシャ。遊びましょう」

 クイクイと人差し指を曲げた魔女を睨みつけたサーシャが再び地面を蹴った。
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