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お迎え
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ノックをしてから中に入る。
〈ファーディナンド、お茶にしましょう〉
「俺が起こしますよ」
〈いい。私が起こす〉
机の上で昼寝でもするように伏せているファーディナンドの肩に手を当てて軽く揺さぶるとゆっくり起き上がる。すごい寝ぼけた顔だったらと少しワクワクしながら待っていたが、見上げてくる顔に驚いた。
〈ファーディナンド?〉
ひどい顔をしている。あの日のリンウッドを思い出させるようなひどい顔。
(何があったの……?)
言葉を失うイベリスの前に一枚の紙が差し出された。何かと覗き込むとそれに思いきり眉を寄せる。
〈それは私がしたいと思ったときに出すって言ったでしょ〉
離婚証明書だ。新しく作ったのだろう。改めて差し出す彼に怒った顔を見せるも相手も同じ顔をしていた。
「サインしろ」
〈だから私が──〉
「今すぐサインしろと言ってるんだッ!!」
耳が聞こえないイベリスには彼の必死の怒声は聞こえない。わかるのは怒っている、怒鳴っているということだけ。振り下ろした拳が机を叩くその爆音も聞こえない。だから肩を跳ねさせて驚くこともない。
〈嫌よ〉
ハッキリと拒絶するイベリスに唇を噛み締めながら机に叩きつけたままの拳を震わせる。もしリンウッドのように暴走したらと危惧したウォルフがイベリスの前に立つ。
「頼む、イベリス。時間がないんだ……」
弱々しい声にウォルフが困惑する。サーシャは理由を知っているだけに視線を逸らして彼の痛々しい姿を直視しないようにしていた。
ウォルフの後ろから出て、机をノックするように叩く。
〈何をそんなに焦ってるの? パレードの開催を決定したばかりなのに離婚を言い出すなんて。離婚したらパレードができな──〉
「知ってるんだろう……」
続く弱々しい声にハッとしたウォルフがサーシャを振り返るも目が合わない。その表情を見ただけでわかる。サーシャは彼に話してしまったのだと。
「お前ッ──」
サーシャを責めようとしたウォルフだが、イベリスが机の上のペンを取って離婚証明書の上で走らせたことで意識がそちらに逸れる。
〈私が何を知ってるっていうの?〉
あえて問うイベリスにウォルフは思わず拳を握った。別れの瞬間まで黙っているつもりだったイベリスはきっと彼の回答次第で白状するつもりでいると感じた。自分の命を奪おうとした彼に真実を問う覚悟をも持って。
サーシャが言わなければあと一ヶ月は、最低でも半月はまだ穏やかでいられたはずなのに全てが台無しになった。それが悔しかった。
「全て知っているんだろう……!」
泣き出しそうな顔にイベリスの眉が下がる。
「いつから知っていたんだ……?」
答えないイベリスに手を伸ばして小さな手を握る。
「頼む……教えてくれ、イベリス。一体、いつから知っていたんだ……?」
握られた手が痛い。
答えるべきかどうかを考えはしたが、意味はなかった。
〈結婚して、一ヶ月経った頃〉
手は意思を持ったように動いて字を書く。書かれた言葉にサーシャからイベリスが知っていることを聞いたときよりも大きな絶望が広がる。
「どうやって……」
大袈裟なほど震えている彼の手を落ち着かせるようにトントンと軽く叩いてからペンを走らせる。
〈本当はね、少し距離があっても表示されるようになってるの〉
「リーダスでの距離より、か?」
その頷き一つは心臓を貫くより強く鋭い痛みを与えた。
〈庭で、あなたとアイゼンが話してるのが表示されて、あなたが魔女と契約してロベリアを生き返らせようとしてることを知ったの。ロベリアの魂を降ろすための器として私と結婚したことも〉
「何故……何故そのときに言わなかった……。何故逃げ出さなかった……何故……」
何万回言っても足りない“何故”の言葉。
イベリスは一年近く前から知っていたのだ。聞いていたのだ。アイゼンが止めたようとしたあの日の会話を。どの日だと言わずとも鮮明に思い出せる。自分があの日、アイゼンに何を言ったかハッキリと覚えている。
肖像画に、写真に、ロベリアが使っていた物。本気で一目惚れして求婚されたわけではないことはここに来たときからわかっていただろう。
一目惚れが嘘であることがバレていることはわかっていた。だが、魔女との契約が、企みまでがバレているとは思っていなかった。いや、もしかしたらと思うことはあった。それでも確信には至らなかった。いや、気付きたくなかっただけかもしれない。
何故イベリスは逃げ出さなかったのか。何故何も言わなかったのか。その疑問で瞳が揺れる。
「まさか……」
今になって気付いた。
「髪を切ったのは……」
苦笑しながら頷くイベリスにファーディナンドは手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。イベリスからの返事がなくともわかる。確信があった。
「理由を、聞かせてくれ……。何故、俺なんかの傍に居てくれたんだ……?」
真実を知った時点で暴言を吐き散らして逃げ出してもおかしくはなかった。むしろそうすることが正しいとすら言えるのに、イベリスはそうしなかった。何を考えてのことか、想像もつかないファーディナンドの懇願に笑顔が消えたイベリスが深呼吸のあと、ゆっくりと言葉にした。
〈誰かの命を犠牲にしてでも愛する人を生き返らせたいってその愚かしいまでの焼け付くような愛を、もう少し、見ていたいと思ったの〉
「それだけ、か……?」
たったそれだけの理由でここまで残り続けたことが信じられず、震えた怒声が部屋に響き渡る。
「自分の命が奪われるとわかっていたのにか!?」
〈私もあなたと同じでバカだから〉
笑いながら書くイベリスにファーディナンドは泣かないと決めたのに流れ出る言葉を堪えきれない。
〈でもね、本当は少し、意地もあったの。あなたの思いどおりになんかならないって。絶対に従ってなんかやるもんかって。意地を張ってロベリアと違うことをすればするほど、あなたのロベリアへの愛を感じた。それがとても眩しかった。でも腹も立った。私がこんなに腹を立ててるんだから私がロベリアと違うことにあなたもたくさん腹を立てればいいと思ってた〉
「お前はバカだッ」
〈私もそう思う。逃げようかなって考えた日もある。でも、家に帰ってからロベリアが入ったら両親は困惑するし悲しむし絶望する。そんなの嫌だって思ったら帰る選択肢なんてなかった。だから、それならロベリアが戻るまでの人生を目一杯楽しもうって思ったの。サーシャがいて、ウォルフがいればなんだって出来るんだもの。実際、リンベルにいたら絶対に経験できないことがたくさんできた。だからね、たくさん欲張っちゃった。あなたがロベリアを想う愛から、いつの間にか彼らといる楽しさを手放せなくなって、ずっとここに彼らと一緒に居続けたいって思いに……〉
リンベルにいれば負わなくていい心の傷をたくさん負った。それと同時に心から楽しめることをたくさん経験できた。それがイベリスをテロスに留まらせた。
〈あなたがロベリアの肖像画を燃やしたとき、パフォーマンスだって思った。ロベリアの魂の器である私を引き留めておくためにしたんだって〉
「違うッ……俺は本気でお前を愛してしまったたからロベリアを過去にするためにケジメとして──」
〈わかってる。今のあなたの顔を見れば疑う気なんて起こらない〉
後悔にまみれたその顔はロベリアの復活を心待ちにしている人間では絶対にあり得ないものだ。
イベリスは不思議な気分だった。彼が泣いている姿は想像していなかったし、後悔するとも思っていなかった。なんだかんだでロベリアの復活を喜ぶのではないかとさえ思っていた。それがこうして目の前で後悔の色に染まり、子供顔負けに泣きじゃくる彼を見ると、彼を恨み続けなくてよかったと想う気持ちがあることに気付いた。
そして少しスッキリした気分でもあった。
〈私ね、後悔はないの〉
「死ぬんだぞ!」
〈そうね。だけど、この一年は今までの人生の中で一番楽しい時間だったから。それはあなたが嘘つきになって求婚してくれなきゃ絶対に味わえなかった。私はここでサーシャとウォルフ、マシロという宝物ができた。それは全部、あなたが与えてくれたものよ〉
「イベリスッ……!」
喉が締まる。言わなければならない言葉が山のようにあるのに言葉が詰まって出てこない。
「今すぐ、リンベルッ、に……かえ……ッ」
〈ファーディナンド〉
「ウォルフッ、すぐ、イベリスを、連れ──」
まだ間に合うと声を絞り出してウォルフに命じ、一歩踏み出そうとしたウォルフだが、足が地面と張り付いているように動かなかった。
「ッ!?」
サーシャかと顔を向けるも地面も足も凍ってはいない。恐怖で動けないわけじゃない。何故だと困惑の中で必死にもがこうとするも身体はそれを無視するように微動だにしない。
「なん──」
唯一動く口を動かそうとしたとき、サーシャが声を上げた。
「イベリス様ッ!!」
悲鳴のような声でイベリスを呼んだサーシャの横をスッと白いワンピースに身を包んだ少女が通った。
「呼ばれてないけどジャジャジャジャーン」
緩い声が滑らかに広がった直後、テロスを覆う黒雲が轟音のような雷鳴を轟かせた。
〈ファーディナンド、お茶にしましょう〉
「俺が起こしますよ」
〈いい。私が起こす〉
机の上で昼寝でもするように伏せているファーディナンドの肩に手を当てて軽く揺さぶるとゆっくり起き上がる。すごい寝ぼけた顔だったらと少しワクワクしながら待っていたが、見上げてくる顔に驚いた。
〈ファーディナンド?〉
ひどい顔をしている。あの日のリンウッドを思い出させるようなひどい顔。
(何があったの……?)
言葉を失うイベリスの前に一枚の紙が差し出された。何かと覗き込むとそれに思いきり眉を寄せる。
〈それは私がしたいと思ったときに出すって言ったでしょ〉
離婚証明書だ。新しく作ったのだろう。改めて差し出す彼に怒った顔を見せるも相手も同じ顔をしていた。
「サインしろ」
〈だから私が──〉
「今すぐサインしろと言ってるんだッ!!」
耳が聞こえないイベリスには彼の必死の怒声は聞こえない。わかるのは怒っている、怒鳴っているということだけ。振り下ろした拳が机を叩くその爆音も聞こえない。だから肩を跳ねさせて驚くこともない。
〈嫌よ〉
ハッキリと拒絶するイベリスに唇を噛み締めながら机に叩きつけたままの拳を震わせる。もしリンウッドのように暴走したらと危惧したウォルフがイベリスの前に立つ。
「頼む、イベリス。時間がないんだ……」
弱々しい声にウォルフが困惑する。サーシャは理由を知っているだけに視線を逸らして彼の痛々しい姿を直視しないようにしていた。
ウォルフの後ろから出て、机をノックするように叩く。
〈何をそんなに焦ってるの? パレードの開催を決定したばかりなのに離婚を言い出すなんて。離婚したらパレードができな──〉
「知ってるんだろう……」
続く弱々しい声にハッとしたウォルフがサーシャを振り返るも目が合わない。その表情を見ただけでわかる。サーシャは彼に話してしまったのだと。
「お前ッ──」
サーシャを責めようとしたウォルフだが、イベリスが机の上のペンを取って離婚証明書の上で走らせたことで意識がそちらに逸れる。
〈私が何を知ってるっていうの?〉
あえて問うイベリスにウォルフは思わず拳を握った。別れの瞬間まで黙っているつもりだったイベリスはきっと彼の回答次第で白状するつもりでいると感じた。自分の命を奪おうとした彼に真実を問う覚悟をも持って。
サーシャが言わなければあと一ヶ月は、最低でも半月はまだ穏やかでいられたはずなのに全てが台無しになった。それが悔しかった。
「全て知っているんだろう……!」
泣き出しそうな顔にイベリスの眉が下がる。
「いつから知っていたんだ……?」
答えないイベリスに手を伸ばして小さな手を握る。
「頼む……教えてくれ、イベリス。一体、いつから知っていたんだ……?」
握られた手が痛い。
答えるべきかどうかを考えはしたが、意味はなかった。
〈結婚して、一ヶ月経った頃〉
手は意思を持ったように動いて字を書く。書かれた言葉にサーシャからイベリスが知っていることを聞いたときよりも大きな絶望が広がる。
「どうやって……」
大袈裟なほど震えている彼の手を落ち着かせるようにトントンと軽く叩いてからペンを走らせる。
〈本当はね、少し距離があっても表示されるようになってるの〉
「リーダスでの距離より、か?」
その頷き一つは心臓を貫くより強く鋭い痛みを与えた。
〈庭で、あなたとアイゼンが話してるのが表示されて、あなたが魔女と契約してロベリアを生き返らせようとしてることを知ったの。ロベリアの魂を降ろすための器として私と結婚したことも〉
「何故……何故そのときに言わなかった……。何故逃げ出さなかった……何故……」
何万回言っても足りない“何故”の言葉。
イベリスは一年近く前から知っていたのだ。聞いていたのだ。アイゼンが止めたようとしたあの日の会話を。どの日だと言わずとも鮮明に思い出せる。自分があの日、アイゼンに何を言ったかハッキリと覚えている。
肖像画に、写真に、ロベリアが使っていた物。本気で一目惚れして求婚されたわけではないことはここに来たときからわかっていただろう。
一目惚れが嘘であることがバレていることはわかっていた。だが、魔女との契約が、企みまでがバレているとは思っていなかった。いや、もしかしたらと思うことはあった。それでも確信には至らなかった。いや、気付きたくなかっただけかもしれない。
何故イベリスは逃げ出さなかったのか。何故何も言わなかったのか。その疑問で瞳が揺れる。
「まさか……」
今になって気付いた。
「髪を切ったのは……」
苦笑しながら頷くイベリスにファーディナンドは手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。イベリスからの返事がなくともわかる。確信があった。
「理由を、聞かせてくれ……。何故、俺なんかの傍に居てくれたんだ……?」
真実を知った時点で暴言を吐き散らして逃げ出してもおかしくはなかった。むしろそうすることが正しいとすら言えるのに、イベリスはそうしなかった。何を考えてのことか、想像もつかないファーディナンドの懇願に笑顔が消えたイベリスが深呼吸のあと、ゆっくりと言葉にした。
〈誰かの命を犠牲にしてでも愛する人を生き返らせたいってその愚かしいまでの焼け付くような愛を、もう少し、見ていたいと思ったの〉
「それだけ、か……?」
たったそれだけの理由でここまで残り続けたことが信じられず、震えた怒声が部屋に響き渡る。
「自分の命が奪われるとわかっていたのにか!?」
〈私もあなたと同じでバカだから〉
笑いながら書くイベリスにファーディナンドは泣かないと決めたのに流れ出る言葉を堪えきれない。
〈でもね、本当は少し、意地もあったの。あなたの思いどおりになんかならないって。絶対に従ってなんかやるもんかって。意地を張ってロベリアと違うことをすればするほど、あなたのロベリアへの愛を感じた。それがとても眩しかった。でも腹も立った。私がこんなに腹を立ててるんだから私がロベリアと違うことにあなたもたくさん腹を立てればいいと思ってた〉
「お前はバカだッ」
〈私もそう思う。逃げようかなって考えた日もある。でも、家に帰ってからロベリアが入ったら両親は困惑するし悲しむし絶望する。そんなの嫌だって思ったら帰る選択肢なんてなかった。だから、それならロベリアが戻るまでの人生を目一杯楽しもうって思ったの。サーシャがいて、ウォルフがいればなんだって出来るんだもの。実際、リンベルにいたら絶対に経験できないことがたくさんできた。だからね、たくさん欲張っちゃった。あなたがロベリアを想う愛から、いつの間にか彼らといる楽しさを手放せなくなって、ずっとここに彼らと一緒に居続けたいって思いに……〉
リンベルにいれば負わなくていい心の傷をたくさん負った。それと同時に心から楽しめることをたくさん経験できた。それがイベリスをテロスに留まらせた。
〈あなたがロベリアの肖像画を燃やしたとき、パフォーマンスだって思った。ロベリアの魂の器である私を引き留めておくためにしたんだって〉
「違うッ……俺は本気でお前を愛してしまったたからロベリアを過去にするためにケジメとして──」
〈わかってる。今のあなたの顔を見れば疑う気なんて起こらない〉
後悔にまみれたその顔はロベリアの復活を心待ちにしている人間では絶対にあり得ないものだ。
イベリスは不思議な気分だった。彼が泣いている姿は想像していなかったし、後悔するとも思っていなかった。なんだかんだでロベリアの復活を喜ぶのではないかとさえ思っていた。それがこうして目の前で後悔の色に染まり、子供顔負けに泣きじゃくる彼を見ると、彼を恨み続けなくてよかったと想う気持ちがあることに気付いた。
そして少しスッキリした気分でもあった。
〈私ね、後悔はないの〉
「死ぬんだぞ!」
〈そうね。だけど、この一年は今までの人生の中で一番楽しい時間だったから。それはあなたが嘘つきになって求婚してくれなきゃ絶対に味わえなかった。私はここでサーシャとウォルフ、マシロという宝物ができた。それは全部、あなたが与えてくれたものよ〉
「イベリスッ……!」
喉が締まる。言わなければならない言葉が山のようにあるのに言葉が詰まって出てこない。
「今すぐ、リンベルッ、に……かえ……ッ」
〈ファーディナンド〉
「ウォルフッ、すぐ、イベリスを、連れ──」
まだ間に合うと声を絞り出してウォルフに命じ、一歩踏み出そうとしたウォルフだが、足が地面と張り付いているように動かなかった。
「ッ!?」
サーシャかと顔を向けるも地面も足も凍ってはいない。恐怖で動けないわけじゃない。何故だと困惑の中で必死にもがこうとするも身体はそれを無視するように微動だにしない。
「なん──」
唯一動く口を動かそうとしたとき、サーシャが声を上げた。
「イベリス様ッ!!」
悲鳴のような声でイベリスを呼んだサーシャの横をスッと白いワンピースに身を包んだ少女が通った。
「呼ばれてないけどジャジャジャジャーン」
緩い声が滑らかに広がった直後、テロスを覆う黒雲が轟音のような雷鳴を轟かせた。
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