亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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パーティー3

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 ファーディナンドとのダンスが終わるとアイゼンが申し込みカードに書いた。続いてサーシャも書く。

〈イベリスったら、とても人気者なのね〉
〈知らなかった? お母様の娘はとっても人気者なんだから〉
〈さすがは我が娘〉
〈当然です〉

 嬉しそうに笑う娘の頬を撫でる母親がクスッと笑う。何に笑ったのかと首を傾げると小さく後ろを指した。それを追って振り返ったイベリスが吹き出しそうになるのを堪える。
 彼は人型になっているため尻尾も耳もない。それなのにイベリスにもレイチェルにも彼が尻尾を揺らしながら今か今かとダンスの順番を待っているように見えた。

〈行ってあげなさい〉

 頷いて母親の傍を離れるとウォルフが歩み寄ってくる。

〈ウォルフの騎士以外の正装って初めて見るわ〉
「こういうのも似合うでしょう?」
〈ええ、とってもよく似合ってる〉
「お褒めいただき光栄です。イベリス様もよくお似合いです」
〈お褒めいただき光栄です〉

 二人で笑い合ってから手を取ってダンスに入る。舞踏会のように、社交界のようにしっかりとした踊りではなく、二人の時間を楽しむようなゆっくりとしたリズムで踊る。身体を寄り添わせるもウォルフの身長が高すぎて顔が遠い。本当に同い年かと一人笑うイベリスを見つめるウォルフの瞳には慈愛が満ちており、手を握る力は誰よりも強い。

「イベリス様、今日はこれからまだまだたくさん驚いてもらいますからね。心の準備はいいですか?」
〈心臓がもたないかもしれない〉

 ウォルフがイベリスと一緒にいて悲しいと思うのはこれだけ。自分の言葉はなんでも伝わるし、手話だってできるようになったが、イベリスが口を動かして話したときだけ、何を言っているのかわからないということ。
 イベリスは喉の病気というわけではない。耳が聞こえないことによって声を出して話す必要がなかったから喉の筋肉が全く発達しなかったせいで発声できないだけ。耳が聞こえないため物音に驚くことも反応することもなくなり、会話はいつの間にか手話となった。親の真似をしたがる子供だったから、よく親の口の動きを真似て喋る真似をしたと言っていた。親も教えてくれたからまるで話しているように口を動かせるんだ、と。少しでも周りと同じようになりたかったという意識だろうかとウォルフは思った。
 全く聞こえなければ発音を教えることもできない。だからイベリスが声を出せたらきっと発音はとんでもないものかもしれない。だけど、勝手に想像してはそれを可愛いと思い、口元をニヤつかせるウォルフに目を細めてあからさまにニヤつくイベリス。

「あ、ちょ、もしかしてスケベだって思いました? 違いますからね? 俺は断じてスケベではないです。これはその、イベリス様が可愛くて思わずニヤけてしまっただけで、なんか下心ありありだったとかそういうんじゃないんで」
〈下心がないなんて残念。あってもいいのに〉

 ウォルフがわからないと思って口にする意地の悪さに両親は遠目に見ながら苦笑するもウォルフが嫌な顔をしていないことがありがたかった。彼はいつもこうして娘に接してくれていたのだろう。愛情を持って、優しさを持って娘を受け入れてくれているのを見ると何度でも安心する。

「俺ね、イベリス様に出会えて本当に幸せだと思ってるんです。あなたに会えなきゃ俺はきっと何が騎士の本質かもわからないまま生きてたと思います。イベリス様に出会って、本当に守りたいものは何か、騎士とはどうあるべきなのかわかった気がするんです。だからこれからもイベリス様の騎士としてずっとお供させてくださいね」

 嬉しい言葉だ。リンウッドもなんでも言葉にしてくれた。態度で読み取れと言ったことは一度もない。いつも気を遣ってくれて、いつも愛を示してくれて、いつも優しさをくれた。ウォルフもそうだ。笑わせてくれて、守ってくれて、大事にしてくれる。
 まだパーティーは始まったばかりなのにまた涙が出そうだった。胸がいっぱいで、込み上げてくるものを飲みこむので精一杯。ウォルフを見上げて満面の笑顔で何度も頷く。その笑顔をウォルフは全て抱きしめてしまいたかった。足を止めて、皆が見ているこの場で、抱きしめて想いの丈をぶつけたい。そんな衝動に駆られながらも表には出さなかった。
 ウォルフとのダンスが終わるとアイゼンと踊り、次にサーシャと踊った。それから今まであまり話すことがなかった他の使用人も申し込みが続き、はじめは困った顔でいたイベリスも次第に笑顔に変わっていった。体力がもたない気がすると言いながらも喜びが勝り、ダンスを終えるまで終始笑顔だった。

〈すごい食事……!〉

 ダンスが終わると演者が交代となり、軽やかな音楽へと変わり、食事が運ばれてきた。他のパーティーのように先に食事が置かれているのではなく、温かい食事を食べてもらおうとウォルフとサーシャが考えた提供だ。ダンスで身体を動かしたあとだからこそ食べたくなるはずだと。
 使用人が温かい食事にありつくことは稀で、休憩時間がゆっくり取られているわけではないから焦って食べる。そんな彼らに温かい食事をイベリスと共に楽しんでほしいと願いを込めて用意した。

「今日は遠慮する必要はありません。好きなだけ食べて好きなだけ飲んで……あ、酔っ払って醜態晒さないようにしてくださいね。醜態晒したら陛下よりそれはそれは厳しいお仕置きがあるそうなので、常識の範囲でお願いします」

 メニューはイベリスの好物ばかり。肉も魚も用意してある。温かい食事がテーブルの上に並べられ、ウォルフの説明には使用人たちからは拍手が起こった。

(素敵な光景)

 使用人の制服を着て、日々忙しそうに働いている彼らが今日は豪華な衣装に身を包んで満開の笑顔を咲き誇らせている。
 ロベリアと瓜二つであることと耳が聞こえないことでずっと彼らを戸惑わせていた。自分はロベリアではない、イベリスなんだとわかってもらうこともせずにいたことを後悔するほど彼らの笑顔が目に焼き付く。
 もっと早く、こうした場を設けるべきだったのかもしれない。サーシャは『使用人の中にもイベリス様と話したがっている者が大勢います』と言っていたが、イベリスはそれを慰めだと受け取っていた。でもこうしてダンスを申し込んでくれる人たちがいる。彼らがそうだったのだ。

(ああ……私は、とてももったいない時間の使い方をしてたみたい……)

 温かい料理を食べて幸せそうに目を細める者。グラスを片手に談笑する者。ダンスの時間では足りなかったのか再びダンスを踊る者。彼らは今日という日をとても楽しんでいる。仕事で疲れているだろうに、誰も疲れた顔を見せず、この場に立っている。それを見てイベリスは溢れんばかりの思いで胸がいっぱいだった。
 ジッとその光景を見つめるイベリスの横にアーマンが立った。

〈イベリス、お前にはこの光景がどう映っている?〉

 手から会場へと視線を戻したイベリスがゆっくりと手を上げる。

〈とても美しい光景よ。だって、彼らがいるから私は何もしないで生きていられるの。彼らはお給料のためにしていることでも、彼らが働いてくれるから立場ある者は楽な生活ができる。包丁で指を切ることもない。洗剤で手が荒れることもない。掃除で埃をかぶることもない。ただそこに立ってるだけでキレイな庭が眺められて、キレイな服が着られる。髪も身体も洗ってもらって、乾かしてもらって、寝る前にはホットミルクも淹れてくれるの。座ってるだけで食事が出てくる。そんな生活ができるのってお給料のためでも毎日必死に働いてくれる彼らがいるからなのよね。ここに来るまで……今この瞬間まで、そういうことってあんまり深く考えたことなかった〉
〈皇妃になると視線が変わったかい?〉

 即答するようにかぶりを振る。

〈私は皇妃という肩書きを持ってるだけでこの一年、本当になんの役にも立ってないの。皇妃として仕事もしてない、名ばかりの皇妃よ。好き放題して言いたい放題。食っちゃ寝の生活。あと十年もしたら牛になってびっくり人間コンテストに出るわ〉
〈それは是非見に行かなければ〉

 ふふっと笑い合う二人。

〈本当に、してもらってばかりなの。池にボートを置いてもらったり、池を凍らせてその上を滑ったり。あ、グラキエスにも行ったのよ。ミュゲット皇妃からスズランを分けていただいたの。あとね、ウォルフから砂時計をもらったのよ。とってもキラキラしててキレイなの。このドレスの飾りはイベリスの花で、サーシャのお手製。すごいでしょ〉

 目の前の光景を見つめたまま手を動かす娘の横顔を見た父親はそれすらも誇らしく思えた。
 結婚すると決めたのはイベリスで、手放したのは親である自分たち。していたことと言えば心配だけ。手紙に綴り続けた心配を彼女は鬱陶しいと思ったかもしれない。それでも感情的に返すことはなく、いつも『元気でやってる』『毎日楽しい』『いい人に恵まれて幸せ』と返事を寄越した。少しだけ、いつもとは字が違うときもあった。それはまるで、強がりながら書いたのだとでも書いてあるかのようにわかりやすく、それが余計に心配を増幅させた。今なら思える。そんなときもあって当たり前だと。だが、この瞬間を迎えるまでは辛い思いをしているんだと可哀想に思い、迎えに行きたい気持ちになっていた。
 こうして使用人たちの笑顔に幸せを感じ、自分が置かれている環境がいかに恵まれたものかを実感した娘の成長がとても誇らしかった。

「イベリス様、ケーキが出てきますよ」

 父親と話しているため遠慮がちに小声で声をかけると父親が一歩下がる。

〈どんなケーキ?〉
「すっごいケーキです。俺が考案しました。シェフを困らせながらだったので大作ですよ。期待しすぎてくださいね」

 奥から『ケーキ入ります!』と皆に声をかけて注目を集めるシェフたち。

「イベリス、行っておいで」

 ウォルフが軽く会釈をし、イベリスに前へ行くよう促す。開けてくれた道を歩き、向かうはケーキのために空けてあるテーブルの前。奥から運ばれてきたケーキにイベリスの目が輝く。驚いたのはイベリスだけでなく会場中の人間も同じ。
 ウェディングケーキのように高さがあるケーキの表面には上から滝が流れているように薄く伸ばした飴細工。でその上を砂糖で作ったイベリスの花。アイシングによるレース模様が描かれ、どこから見ても芸術品だった。
 一番上に飾られているイベリスの文字。下地はクッキー。表面は溶かしたホワイトチョコレートでコーティングが施してある。

「サーシャは名前を主張しすぎてるしダサいって言うんです。五歳の子供の誕生日会じゃあるまいしって。俺はすごく可愛くて好きなんですけど……どうですか?」
〈とっても嬉しい……こんなに素敵なケーキ……他にはないもの……〉

 テーブルに置かれ、自分の名前のクッキーは見上げるほど高い場所にある。一箇所一箇所丁寧な仕事で作り込まれたケーキを見つめながらイベリスは涙を流す。楽しいことを、と言った自分のためにここまでしてくれる彼らの存在がありがたくて、何物にも変えられない思い出に涙が止まらなかった。
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