亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
上 下
96 / 190

愛をくれた人

しおりを挟む
「ロベリアとはパーティーで出会った。華やかな笑顔に目を奪われ、その柔らかな声が耳に焼き付いて離れなかった。その日からロベリアという少女に心を奪われ、何をするにも彼女が思考の真ん中にいた。一目惚れだった。俺から連絡を取り、文通が始まった。時には呼び寄せて会うこともあったが、両親が生きている間はとにかく時間がなかったから手紙でのやり取りが多かった。手紙の中で彼女は幾度となく俺を褒めてくれた。努力している。あなたは偉い。皇帝だからといって誰もが努力するわけではない。重責に耐えてよくやっている。そういう言葉を得るたびに想いは強くなり、出会って半年で俺から結婚を申し込んだ」

 懐かしいと目を細める様子には愛しさが込められており、イベリスは横目でその表情を見ながら小さく微笑む。病で亡くならなければ今も彼はロベリアと幸せな毎日を過ごしていた。彼女も抗えない運命に命を落とした。ロベリアが現れたことも消えたこともファーディナンドの人生を狂わせる大きな要因となった。

「結婚すると報告した日、次期皇帝としての自覚も勉強も足りていないのに結婚など早いと言う親に初めて反抗した。『うるさい! 俺が決めたことに口を出すな!』と怒鳴ったらその日から両親は何も言ってこなくなった。それと同時に全ての教育も終わった。どういうことだと聞いたら親を怒鳴る人間は碌でもない。親を敬うことも知らず、礼儀もない人間がこの国の皇帝として生きることは許さんと言って俺を追い出した」
〈追い出されたけどあなたはテロスで皇帝をやってる。いつ戻ってきたの?〉
「両親が訪問先の国で暗殺されてからだ」

 知らなかった話。家庭教師のアーシャルはそこまで教えてはくれなかった。

「それまではロベリアと二人で暮らしていた。幸せだった。何を失敗してもロベリアは『初めてなんだから』と言ってくれた。『初めてにしては上手よ』とも。食事中に話をしても怒らず、むしろ黙っていると話すつもりがないのかと怒られたぐらいだ。俺にとっては生まれて初めて笑顔の多い生活を送れた日々だった。だが、喧嘩もした。くだらないことでな。喧嘩をしたら抱きしめて謝るだけでいいと教えてくれた。怒っている相手を抱きしめるのはおかしいと言う俺に謝らないほうがずっとおかしいと言った。皇帝とかホームレスとか、大人とか子供とか関係ない。喧嘩をしたら謝る。それで仲直りするんだと。知らなかったことを教えてくれる、欲しかった物を全て与えてくれる彼女を心から愛していた」
〈バブちゃんだったのね、あなた〉
「バブちゃ……」

 メモ帳に書かれた文字に目を瞬かせるも苦笑しながら頷く。褒められたかった。子供のように。それは間違いない。皇帝になることだけを見据えて厳しい教育環境に身を置かせた両親から追放を受け、知らない世界で生きることになっても幸せだったのはロベリアがいたから。親が与えてくれなかった愛情を注がれ、失敗を許され、努力を褒められる。イベリスにとって当たり前だったことがファーディナンドには当たり前ではなかった。
 ロベリアといる世界はとても居心地が良かったのだろう。一歩もその世界から出たくないと思うほどに。当時の記憶を掘り起こす彼の表情がそれを物語っていた。

「手を繋ぎ、抱きしめ合う温もりの心地良さ。笑い合う幸せ。肌を重ねる高揚感。全てロベリアが与えてくれたものだ。両親が亡くなり、皇妃として生きさせなければならないことを伝えても嫌な顔一つせずに『任せて』と言ったんだ。そして彼女は本当に皇妃としてよく努力してくれた。皇族ではない人間にとって皇族のルールは異常で、疎ましいものばかりだっただろうが、文句一つ言わずにやってのけた」

 そう言ったあと、イベリスを見た。

「お前には負担だったろうな、そのことが。比べてはならなかったのに、あのときの俺は……」

 イベリスがかぶりを振る。
 そう反応することがわかっていたからファーディナンドは頷きだけ返す。そして「すまない」とこぼした。

「ロベリアがいたから皇帝として生きることができた。そう思っていたからロベリアが病で倒れ、長くないと知って動揺した。なんとかして助けようと奔走したが、現代医学ではどうにもならなかった。親が亡くなっているのだから妻もいつか亡くなる。そんなことは当たり前に起こり得るのに、俺はどうしてロベリアが、と嘆いた。両親のときは涙を滲ませることすらなかったのに」
〈それはそうよ。だってあなたにとってロベリアは自分の全てだったんだもの〉
「……そうだな。今思えば、怖かったんだ。ロベリアを失えば俺はまた独りになる。味方がいなくなり、誰も褒めてはくれない現実に戻ってしまう。愛のない日常に生きるなんて今更できるのかと。今ならわかるんだ。それら全てが自分のことだけを考えた言葉だったんだとな。お前が言ったとおり、俺はいつも自分のことばかりだった」

 はー、と息を吐き出すファーディナンドが寝転んだまま伸びをする。手を下ろす際に大きく息を吐き出し、目を閉じる。そしてもう一度深呼吸をしてから目を開けた。

「結婚したとき、ロベリアは十六歳だった。今のお前と同じ年齢だ」
(この身体にロベリアが入れば彼が強烈な愛を感じた日のことを再現できるってことね)

 当時はそう思っていたのだろう。張り付けた笑顔で嘘をついてまで手に入れたかったのは実現したいシーンがあるから急いでいた。彼が熱心に手紙を送ってくれたのはロベリアに出しているつもりだったのだと考えるとあのロマンチックな内容も合点がいく。名前ではなく『君』と書かれていたことにも。
 彼の話を聞いて胸の中に生まれた感情があるが、イベリスはそれが何かわからなかった。モヤっとするような感覚が生まれてもスーッとすぐに消えてしまう。苦しいと思えばすぐに軽くなり、落ち込んだり悲しんだり怒ったりと負の感情もない。かといって喜の感情でもない。胸の真ん中に小さな何かがある。わかっているのはそれだけ。

「ロベリアと顔が似ているだけで中身は別人。当然だ。子供でもわかることを俺は理解しようともせず、ロベリアと違うのは何故だと怒りを覚えた。ロベリアと似ているところを見つければ戸惑い、別人に見えれば怒り、比べては暴言を吐き……愚かにもそれら全てが間違いであることに気付きもしなかった。一目惚れだと嘘をついて求婚した男に俺は憎むほど嫌っていた両親のような行為を繰り返していたんだ」

 それに気付いたとき、ゾッとし、そして後悔した。心の底から嫌っていた両親から吐かれて傷ついた言葉をイベリスに吐きかけた。それでもイベリスは逃げ出さず、今日この瞬間もこうして留まってくれている。この優しさにもっと早く気付くべきだった。もっと早く、この想いに気付くべきだった。もっと早く、謝罪すべきだった。

「過去の話をして言い訳がましいと自分で思うのは初めてだ」

 苦笑ばかりのファーディナンドにイベリスは〈いいんじゃない?〉と書いて見せた。

「いいわけないだろう。俺はお前を傷つけ続けたんだぞ」
〈自分勝手なのはあなただけじゃない。私も同じよ〉
「どこだ?」
〈例えば……そうね……皇妃の権限を使っておやつの時間を増やした〉

 ポカンと口を開けるも「なんだそれ」と言って笑うファーディナンドの身体が揺れる。

「それはただのお願いだろう」
〈あの二人なら聞いてくれるだろうなと思って頼んだの〉
「お前は優しい」
〈ロベリアの次ぐらい?〉
「ロベリア以上だ」

 イベリスの驚いた顔に小さく笑いながらメモ帳に手を伸ばしてパタンと閉じさせた。イベリスはそれを目で追うだけでメモ帳を開こうとはせず、むしろその上に自らペンを置いた。
 再び身体を起こしたファーディナンドの目を見つめる。

「だからイベリス」

 続く言葉はわかっている。

「離婚してくれ」

 イベリスが大事だと気付いたからこそ解放しなければと決心したファーディナンドの意思は固い。それはあっという間に訪れてしまう事態を危惧してのことでもあった。イベリスもそれはわかっている。わからないのは、このままロベリアの魂を入れてしまえば皇帝としての威厳も保てるし、国民もロベリアが戻ってきたようだと心から喜ぶ日が来るというのに、ファーディナンドはその道は選ばないこと。
 困ったように笑ったイベリスも身体を起こし、再びメモ帳を開く。ペンが動くのは短かった。はいか、いいえか。覚悟は決めているのに緊張する。ペンを置いたイベリスの手が動き、メモ帳がズイっと顔の前まで突き出される。

「なッ……!?」

 書かれていた言葉に目を見開く。

〈バーカ!〉

 一ページ使って大きな文字で書かれていた言葉。懐かしくすら思えるその言葉にファーディナンドも困った顔をする。

「イベリス」
〈離婚するかどうかは私が決めるって言ったでしょ〉
「イベリス、お前に何度もこの言葉を告げたくはない」
〈言わなきゃいいでしょ〉
「頑なだな」
〈ウォルフとサーシャとマシロとまだまだ一緒にいたの。あなたと居たいから離婚しないわけじゃない。おやすみ〉

 書くだけ書いてポイッとメモ帳とペンを床に放り、背中を向けた。強制的に起こしたところでイベリスはもう話し合いはしないだろうと九ヶ月の間に学んだファーディナンドは相変わらず困った顔のまま身体を横にして天井を見上げる。
 久しぶりに思い出したロベリアとの出会いは今もキラキラと輝く眩しいものだが、今はそれに縋りつこうとは思わなくなった。横を見るな。振り返るな。前を向け。そう自分に言い聞かせるにはあまりにも遅過ぎた。

『生も死も、幸も不幸も、失敗も成功も全てお前が選んだ結果に過ぎない。人を恨むな。自分の愚かさを恨め』

 吐き捨てるように言った父親の言葉。

『この死はあなたたちが選んだものだ』

 葬儀で棺の中で眠る両親を見つめながらそう呟いた自分は彼らに勝った気持ちになっていた。幸せを手に入れ、皇帝の座を手に入れ、誰にも縛られない自由を手に入れた。全ては自分の思いどおり。そう思っていた頃が懐かしくも哀れに思える。
 言葉は自分に返ってくる。愛を伝える資格を手放し、愛されないこの現状も自分が選んだ結果に過ぎない。
 枕もとの明かりを消して真っ暗になった部屋の中で、ファーディナンドはイベリスの寝息を聞きながら全てを失ったあとの生活を想像していた。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

拉致られて家事をしてたら、カタギじゃなくなってた?!

satomi
恋愛
肩がぶつかって詰め寄られた杏。謝ったのに、逆ギレをされ殴りかかられたので、正当防衛だよね?と自己確認をし、逆に抑え込んだら、何故か黒塗り高級車で連れて行かれた。……先は西谷組。それからは組員たちからは姐さんと呼ばれるようになった。西谷組のトップは二代目・光輝。杏は西谷組で今後光輝のSP等をすることになった。 が杏は家事が得意だった。組員にも大好評。光輝もいつしか心をよせるように……

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

真実の愛は、誰のもの?

ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」  妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。  だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。  ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。 「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」 「……ロマンチック、ですか……?」 「そう。二人ともに、想い出に残るような」  それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。

貴方誰ですか?〜婚約者が10年ぶりに帰ってきました〜

なーさ
恋愛
侯爵令嬢のアーニャ。だが彼女ももう23歳。結婚適齢期も過ぎた彼女だが婚約者がいた。その名も伯爵令息のナトリ。彼が16歳、アーニャが13歳のあの日。戦争に行ってから10年。戦争に行ったまま帰ってこない。毎月送ると言っていた手紙も旅立ってから送られてくることはないし相手の家からも、もう忘れていいと言われている。もう潮時だろうと婚約破棄し、各家族円満の婚約解消。そして王宮で働き出したアーニャ。一年後ナトリは英雄となり帰ってくる。しかしアーニャはナトリのことを忘れてしまっている…!

聖女の血を引いていたのは、義妹でなく私でしたね!

新野乃花(大舟)
恋愛
トーレス伯爵の周りには、妹であるマリーナと婚約者であるエリクシアの二人の女性がいた。しかしマリーナはエリクシアの事を一方的に敵対視しており、ありもしない被害をでっちあげてはトーレスに泣きつき、その印象を悪いものにしていた。そんなある日、マリーナにそそのかされる形でトーレスはエリクシアの事を婚約破棄してしまう。マリーナの明るい顔を見て喜びを表現するトーレスであったものの、その後、エリクシアには聖女としての可能性があるという事を知ることとなり…。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

処理中です...