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従者だからこそ

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 ベンジャミンと別れ、イベリスを部屋まで送ると怒れるサーシャと出くわした。遅いと叱られ、サーシャの母親に会ったことを話すと怒りは静まった。着替えて風呂に入るからと追い出され、そのまま部屋に帰ったウォルフだが、夜は寝付けなかった。
 昨日、ここでイベリスにキスをして一緒に寝た。興奮ではない。穏やかな気持ち。なんてことをしてしまったんだという後悔もない。むしろ覚悟の上でそうしたのだから。
 夜に港へ向かうと船には既に灯りがついていた。中に入ると水夫たちが酒盛りしており『明日にはテロスに向けて出航できる』と言った。イベリスに伝えれば喜ぶだろうが、ウォルフはやはり乗り気ではない。

(心配していたと言ってイベリス様を抱きしめるんだろうな。夫面してさ。結婚したから夫だけど、形だけだろ。アンタが欲しがってるのは彼女じゃなくてロベリアだ。全然違うんだよ)

 ロベリアが幻術使いではなく誰もを魅力するほどの魅力を持っていたのだとしてもイベリスとは似ても似つかないとウォルフは思う。
 ベッドの上で両手を頭で敷き、足を組む。二メートルを超えるウォルフには普通のベッドは少し小さくて、足を曲げなければ出てしまう。イベリスを抱きしめて寝ていたときは全く気にならなかった。抱き心地が良過ぎて熟睡していたほど。ファーディナンドには一生味わってほしくないと願う自分は心が狭いだろうかと自問して自分の中の天使と悪魔を争わせる。

(いっそ、彼女に何か大きな狙いがあって留まってるとかならいいのに。例えば彼女は大組織のテロリストで、テロスを崩壊させるために潜り込んでるとか。それだったら……)

 手伝うと頭に浮かんだが、現実的じゃない。家族を悲しませてまで愛に生きられるとは思えないのだ。

(白狼の番なんてムリだろうしな……)

 獣人族は基本的に同じ種族と結婚する。それは規則ではなく本能的なもの。集落から外に出て暮らそうとも年頃になれば獣人族のつがいを連れて帰ってくる。早ければ十一歳頃。遅くても十六歳には番を見つける。ウォルフはまだ番を見つけていない。候補すらいない。イベリスだったと、ここ数日ずっと考えているのだが、これも現実的ではない。
 ゴロンと横向きに体勢を変えると目に入った紙袋の存在に身体を起こした。ランプ屋で買った砂時計だ。話の上手い店主に乗せられて買ってしまった。壊れやすい物は好まない。力加減が難しくてすぐに壊してしまうからだ。でもこれは購入に迷いはなかった。
 袋から箱を取り出し、箱を開けると中には少し大きめの砂時計が入っている。手の大きいウォルフが握るとしっくりくる大きさ。イベリスが持つと少し大きく見えるだろうと想像して笑みが浮かぶ。

「はー! 一人で考えてても仕方ねぇ」

 立ち上がって向かうは鏡の前。その中に映る自分に向かって言い放った。

「従者は所詮従者でしかない。だけどな、従者だからこそできることもあるって知ってるだろ。……行けよ」

 コンッと拳をガラスにぶつけたら「よしっ!」と気合を入れて部屋を出た。
 使用人さえ寝静まった夜の静寂の中を一人ゆっくりと歩く。本当は走って行きたい。でも、時間をかけることで心の準備をしている。伝えたいことをブツブツと何度も呟いて復唱しながら緊張を抑えていた。
 主人との部屋は当然そう離れてはおらず、あっという間についてしまう。

(もう寝てるかもしれないのに)

 まずノックをしても聞こえない問題にぶつかった。いつもは日中にしか会わないためサーシャが対応する。今は夜で、サーシャは与えられた部屋に戻っている。やってしまったと頭を抱えたくなりながらも一応、ノックをした。

(当たり前か)

 これで出てきたら驚きだと苦笑するもハッとする。窓を開け、そのまま躊躇なく外へと飛び降りる。ここが三階だろうと関係ない。獣人のウォルフにとって三階の高さなど恐怖対象にもならない。
 地面に着地し、すぐ獣化して庭のほうへと回る。もしかしたらグラキエス最後の夜をテラスで見ているかもしれないと考えたのだ。イベリスの部屋のある場所で立つと部屋を見上げる。

(いない、か……)

 出ていなかった。これでイベリスが立っていたら運命的だと思ったのに。少し残念に思いながらも帰ろうとしたウォルフの耳にノックの音が聞こえた。扉ではなくガラスをノックする音。
 音がする方向を振り返るとガラス越しに手を振るイベリスと目が合った。

〈そっちに……〉

 手を動かすと獣化したままだったことを思い出し、急いで人型へと戻り「そっちに行ってもいいですか?」と手話で伝える。

「おいで」

 手招きをするのを見てトンットンットンッと各階のテラスの柵を足場に易々と上がっていく。イベリスの部屋のテラスに上がると同時に窓が開いた。

〈お散歩中だった?〉
〈いえ、あなたに会いに来ました〉

 驚いた顔がはにかみへと変わる様子に胸がくすぐったくなる。

〈どうして?〉
〈これを渡したくて〉

 獣化して咥えていたため涎に濡れているのに気付き、慌てて自分の服で拭いてから差し出すもイベリスは不思議そうな顔をする。

〈訓練のときに使うんでしょ?〉

 支払いをするとき、寄ってきたイベリスに砂時計が好きなのかと聞かれ、咄嗟に訓練のときに便利かと思ってと嘘をついた。イベリスにと言うときっとその場で断られただろうから。

〈砂時計の意味って知ってますか?〉

 かぶりを振る。

〈砂時計は、上が未来、中央が現在、下が過去を表してるんだそうです。プレゼントする意味は“これからも一緒にいよう”です〉

 複雑そうな表情へと変わり、受け取ろうとしないイベリスの考えは手に取るようにわかる。だからこそウォルフは決めたのだ。

〈あなたの覚悟にお供させてください〉

 昨夜、イベリスはファーディナンドの計画を知った上で一緒にいることを話した。テロスへは帰らなければならない。それは絶対だ。イベリスの中に帰らないという選択肢がないのであれば従うしかない。

〈騎士は王へ絶対の忠誠を誓います。この身、この命、全ては王のためにと。俺はイベリス様に誓います。あなたの覚悟の邪魔はしない。ただ、あなたが一人で苦しまないように傍にいさせてください。傍にいたいんです〉

 戸惑うイベリスに向けて砂時計を立て、下段を指す。

〈あなたと出会った過去があって〉

 中段へと指を上げ

〈あなたと過ごす今があって〉

 上段を指す。

〈明日も明後日も、あなたが存在する限り、その未来をあなたと生きたいです。あなたの騎士としてお傍に置いてください〉

 偽りない想い。手を取って逃げようなんて思っていない。彼女の中に確かな覚悟があるなら、騎士として最後の瞬間まで傍にいる。責務を全うすると決めた。
 今日で別れるわけじゃない。明日も明後日も自分はテロスでイベリスの騎士として存在する。それでも伝えておきたかった。

〈変な人〉
〈え? へ、変ですか!? かっこよくキメたつもりなんですけど……あんまり響きませんでしたか?〉

 その場にしゃがんで不安そうに見てくるウォルフに小さく微笑みながら砂時計を受け取った。その表情は大喜びとは程遠いが、しっかり握りしめてくれる手の力が彼女の感情を表しているように見え、それだけで嬉しかった。

〈お別れの瞬間まで一緒にいてくれる?〉
〈もちろんです〉

 別れなんて来ない。そう言いたいのを飲み込んで、笑顔で答えたウォルフが立ち上がって遠慮がちに両手を伸ばす。ダメだとわかっていても、今は二人。誰の目もない部屋の中。ウォルフの望みを叶えるためか、それとも自身がそれを望んでいるのか。砂時計を片手で握ってウォルフの背に腕を回し、目を閉じた。
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