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異常な愛情
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ミュゲットたちが部屋を出て、アルフローレンスと二人になったウォルフは気まずい思いをしていた。言いづらそうにしていたからミュゲットは気を利かせて部屋を移動してくれたのだろうが、アルフローレンスと二人になることは望んでいなかった。
(気まずい。怖い)
変わったといえど、やはり怖い。二度言うのが嫌いで、失敗したと聞くのも嫌い。任務失敗=死ではなくなったといえど罰は受ける。
『それが貴様らの仕事だろう』と言ったあと『何故失敗した?』と詰められる。これはアルフローレンスが納得するまで質問責めに遭う。ウォルフも過去に二度、直接尋問を受けたことがある。思い出すだけでトラウマを呼び起こしそうになる。
「ウォルフ」
「は、はい!!」
「さっさと話せ」
「はい!」
耳と尻尾が出ていたら思いきり立っていただろう。安定剤であるミュゲットが出ていったことで苛立ちさえ感じる様子に慌てて口を開いた。
「本日、こうしてグラキエスに降り立ったのは偶然です。イベリス皇妃が聖女を名乗る女とその一味に誘拐され、船に。それを救出したまでは良かったのですが、運悪く、嵐に巻き込まれました。なんとか嵐に耐え、霧が晴れたところで外に出るとグラキエスの近くまで流されていたことに気付いたんです」
「誘拐か」
ミュゲットが聞けば嫌な記憶を呼び覚ますだろう単語。長い脚を組んで、その上で手を組むアルフローレンスの目はウォルフではなく自分の手を見ている。
「私は正直、テロスに戻ることに反対なんです」
何も言わないアルフローレンスをチラッと見ると目が合った。
「いちいち誰かに相槌を打ってもらわねば話せぬのか?」
「い、いえ!」
最近はずっとイベリスという優しい人間と一緒にいたため突き放されるような言い方をされると辛さを感じる。サーシャとアルフローレンスの突き放しではレベルが違う。
「ロベリア・キルヒシュの四度目の命日に親族を集めた食事会が行われました。私は偶然にもロベリアの姉であるアナベルとその娘が廊下で話しているのを聞いてしまったんです。テロスの皇帝、ファーディナンド・キルヒシュは魔女と契約してロベリアを生き返らせようとしている、と」
「その依代があの娘というわけか」
アルフローレンスに驚いた様子はなかった。むしろ、何故瓜二つの娘を妻として迎えたのか納得がいく理由だった。
「魔女は人の命をも弄んだりするのですか……?」
過去にアルフローレンスが魔女と取引をしたのを知っているからこその問いかけ。アルフローレンスの視線がウォルフの目に突き刺さる。逸らしてしまいたくなるような冷たい瞳。それでもウォルフは拳を握ってその目を見続ける。
先に逸らしたのはアルフローレンスだった。
「なんでもやるだろうな、あの魔女ならば」
「死んだ人間を生き返らせるなんて魔女でも許されないはずです!」
「魔女に法律も倫理もない」
「で、ですが、勝手に被害者を出すような真似は……」
「何かしらの条件はつけてあるはずだ。終焉の森を抜けた褒美に願いを叶えると噂されているが、実際は等価交換だ」
「陛下は何を差し出したのですか……?」
返事はなかった。だが、その表情が安いものではなかったことを物語っている。
「陛下は、ミュゲット様のために解毒薬を望んだのですよね?」
「ああ」
解毒薬で語れぬほどの物なら、死んだ人間を生き返らせる代償はなんだったのか。
「ファーディナンド・キルヒシュが払った代償はどの程度だと思いますか?」
「さあな。興味もない」
アルフローレンスにまともは返事を期待してはいけない。彼は自分の愛した者しか大切にできない人間だ。何十年誠心誠意仕えようと愛情どころか情が芽生えることすらない。まだ十六歳、騎士になって年数の浅いウォルフの相談に親身になるはずがない。
ミュゲットでさえ『もう少し人の心に寄り添おうって感情を持ったほうがいい』と呆れを見せて距離を取る日もあったぐらいだ。ミュゲットがいない場所は彼の独壇場となる。
「イベリス様は彼がしようとしていることに気付いている気がするんです。でも彼女はそれを受け入れようとしている」
「気付いているかどうかはお前の憶測でしかない」
「そうです。でも、言葉の端々に、なんとなく、それを感じるというか……」
「お前はイベリスの騎士であって伴侶ではない」
「騎士は対象をお守りするのが役目です」
「魔女相手に勝てるとでも思っているのか?」
この暴君が命懸けで魔女を訪ねた。命を懸けなければならないほどの森を作ったのは魔女で、それだけで魔女の魔力量がどれほどのものか想像に難くない。
魔女に挑む日が満月で、持てる力を全て獣化して使ったところでかすり傷さえ与えることはできないのだろうと想像はついている。だからこそ悔しい。しかし、だからといって諦めることはできない。
「ファーディナンドを軽蔑しているのか?」
「当たり前です! 人の命を勝手に犠牲にして、死んだ者を生き返らせようとしてるんですよ!? 許せるはずないじゃないですか!」
「余でもそうする」
激昂していたウォルフの感情が止まる。信じられないと言いたげな様子を視界に映しながらアルフローレンスが続ける。
「余はミュゲットを手元に置いておくためならなんでもする」
「自らの命と引き換えでもですか……?」
「ミュゲットがこの世を去れば余も去る」
「あなたはグラキエスの皇帝ですよ?」
「それがどうした。余はミュゲットなき世界で生き続けるつもりはない。かといって、余が存在せぬ世界でミュゲットに生き続けてほしくもない。死ねとも言わぬが、ミュゲットが先に死ねば余も死ぬだけだ」
アルフローレンスにとって写真や肖像画と共に思い出と生きていくことはバカげたことなのだろう。代わりはいない。誰もがそうだ。それでも二人の皇帝は他者を犠牲にしてでも愛する者を望むという。ウォルフにはそれが理解できない。
「ミュゲット様が戻ってくるなら犠牲があってもいいとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
答えに迷いはなかった。
「し、死んだ事実を受け入れるべきです」
「一般論はそうだろうな。だが、余はこの世でミュゲットの命ほど愛おしく、絶対の物はないと考えている。どのような見目であろうと魂は余が愛した女だ。どれほどの醜女であろうとミュゲットの魂が入っているなら愛せる」
盲目の愛は異常だと言う。それが事実であることをウォルフは確信した。
アルフローレンスは冗談を言わない。談笑することもない。ミュゲットが聞けばきっと「バカじゃないの」と言うだろうが、彼の意見は変わらないだろう。
「陛下は……ファーディナンド・キルヒシュの考えが理解できるということですか……」
「そうだ」
「ミュゲット様の顔をした別人に惹かれる可能性もあるじゃないですか」
「ありえん。余はそもそもミュゲットの顔をしただけの女を傍には置かん。ミュゲットの見た目をした別人はもはやミュゲットではないからな」
「情が湧くからではないのですか?」
スッと上がった視線がウォルフを捉えた。怒りを宿した目を向けるウォルフを見る冷たい目が怒りを溶かす。
「ミュゲットではない女を傍に置く理由がどこにある。余が愛する女はミュゲットただ一人というだけだ」
アルフローレンスは魔女に頼み、大きな代償を支払ったことで愛する者を救った。ミュゲットの姿をしていようと魂が本人でなければ意味がないと言う。反対に、魂が本人であれば見目はいくら醜くとも構わないと。
なら、ファーディナンドは悪質なのだろうか。傍に置いて、優しくしておきながら、あと数ヶ月でイベリスを殺してロベリアを取り戻す。時が来るまで地下牢に閉じ込めておくほうが優しいのだろうか。
答えの出ない疑問に緩くかぶりを振ってソファーに背を預ける大男にアルフローレンスが問いかけた。
「イベリスを嫁にしたいのか?」
何も口に含んでいないのに吹き出した。唾をかけてしまったと慌てるもアルフローレンスの前には薄い氷の壁ができていた。
「嫁に、なんて……おこがましいことは考えてません。ただ、彼女はとても愛らしくて、優しい方ですから……幸せになってほしいんです。強欲な人間の犠牲になるなんて、あってはならないことじゃないですか」
「何もしないのなら文句を言うな。迎える日を待つだけのお前も同罪だ」
「ッ!?」
何を、と眉を寄せるウォルフに言い放つ。
「連れて逃げることもせず、ダメだと他人に愚痴を零し、幸せを願っていると綺麗事を口にする。殺すとわかっていながらダメだと言うばかりで結局はその時を待つお前もテロスの皇帝も同じだろう」
「仕方ないじゃないですか! イベリス様は帰るつもりなんです! 帰したくないけど俺は従者で、彼女を強引にでも留めておく力はないんです!」
「説得したのか?」
「……いいえ……」
「マヌケめ」
悔しさに拳を震わせる。自分は騎士で、夫でもない。受け入れようとしているイベリスをどう説得できるのか。彼が言うように自分の考えは全て憶測でしかない。イベリスは何も知らないかもしれない。それなのに知っていると憶測で話をして真実を知らせることなったら、と考えると二の足を踏む。
「手を掴んで逃げ出せと言うのですか……」
「余に聞いてどうする。人に決断を委ねるな。お前が一人で決断し行動すべきことだ。誰かもそう言ったという逃げ道を作るな」
「私は……」
「嫌だった、逃げさせたかったと泣いて終わるなら二度と口にするな。偽善者を気取りたくば部屋で一人演じていろ」
「ははッ……容赦ないですね……」
偽善者と言われたことは一度もない。忠実に騎士として生きてきた自分が偽善者と呼ばれるはずがないというのは驕りか。
明るい未来を夢見ないわけではない。自分とサーシャとイベリスの三人で暮らすのはとても穏やかで楽しいだろう。だが、それはあくまでもイベリスとサーシャの同意があってこそ。話もしていない自分のそれは妄想に過ぎない。
「愛する者のために命を懸けた者を懸けもせぬ者が批判するな」
「イベリス様の命はイベリス様のものです。他の誰にも奪う権利などありません」
「権利はなくとも力がある。魔女にはな」
立ち上がったウォルフは既に決意したような目でアルフローレンスを見下ろす。
「終焉の森に行きます」
「お前が辿り着こうとも他者が交わした契約を破棄はできぬぞ」
「ッ!?」
「アイツは情に絆されることはない。お前がいくら無様に泣き喚こうが同じこと。契約は契約だと言われ、追い返されるか殺されるか、だ。」
「だ、だけど、やってみなきゃわからないじゃないですか!」
呆れた顔でやれやれとかぶりを振りながらアルフローレンスも立ち上がる。これ以上話すのも面倒なのか、ドアへ向かう背をウォルフが追う。
「一つの命を奪い、もう一つの命を戻す倫理違反を叶える契約を結ぶ生き物に情があると本気で思っているのか?」
「それは……」
「覚悟を持たぬ者が感情だけで動くな。そんなものは所詮、自己満足にすぎぬ」
賓客室へと続く廊下を歩いていくアルフローレンスは立ち止まることはなかった。
相変わらず冷たい人だと思いながらも反論できなかった。自分の覚悟はどれほどのものか。
ファーディナンドの契約を止めるために終焉の森に挑んで帰って来れるのか?
自分は何を差し出せる?
大きな契約を解除させるために支払う代償はどの程度のものだ? 腕か? 足か? それとも声か? イベリスのように耳だったら?
想像もつかない。
「何やってんだ……」
自分が抱える感情は所詮そんなものだと苦笑がこぼれる。
ファーディナンドやアルフローレンスのように命懸けで魔女を頼りに行くこともせず、リンウッドのようにおかしくなるほど人を愛したこともない。
ただ、大事だと思う相手が幸せでいてほしいと願っているだけ。あの笑顔が消えてしまわないように。
窓にもたれかかりながら映る自分の情けない顔を見つめながら苦笑を深めた。
(気まずい。怖い)
変わったといえど、やはり怖い。二度言うのが嫌いで、失敗したと聞くのも嫌い。任務失敗=死ではなくなったといえど罰は受ける。
『それが貴様らの仕事だろう』と言ったあと『何故失敗した?』と詰められる。これはアルフローレンスが納得するまで質問責めに遭う。ウォルフも過去に二度、直接尋問を受けたことがある。思い出すだけでトラウマを呼び起こしそうになる。
「ウォルフ」
「は、はい!!」
「さっさと話せ」
「はい!」
耳と尻尾が出ていたら思いきり立っていただろう。安定剤であるミュゲットが出ていったことで苛立ちさえ感じる様子に慌てて口を開いた。
「本日、こうしてグラキエスに降り立ったのは偶然です。イベリス皇妃が聖女を名乗る女とその一味に誘拐され、船に。それを救出したまでは良かったのですが、運悪く、嵐に巻き込まれました。なんとか嵐に耐え、霧が晴れたところで外に出るとグラキエスの近くまで流されていたことに気付いたんです」
「誘拐か」
ミュゲットが聞けば嫌な記憶を呼び覚ますだろう単語。長い脚を組んで、その上で手を組むアルフローレンスの目はウォルフではなく自分の手を見ている。
「私は正直、テロスに戻ることに反対なんです」
何も言わないアルフローレンスをチラッと見ると目が合った。
「いちいち誰かに相槌を打ってもらわねば話せぬのか?」
「い、いえ!」
最近はずっとイベリスという優しい人間と一緒にいたため突き放されるような言い方をされると辛さを感じる。サーシャとアルフローレンスの突き放しではレベルが違う。
「ロベリア・キルヒシュの四度目の命日に親族を集めた食事会が行われました。私は偶然にもロベリアの姉であるアナベルとその娘が廊下で話しているのを聞いてしまったんです。テロスの皇帝、ファーディナンド・キルヒシュは魔女と契約してロベリアを生き返らせようとしている、と」
「その依代があの娘というわけか」
アルフローレンスに驚いた様子はなかった。むしろ、何故瓜二つの娘を妻として迎えたのか納得がいく理由だった。
「魔女は人の命をも弄んだりするのですか……?」
過去にアルフローレンスが魔女と取引をしたのを知っているからこその問いかけ。アルフローレンスの視線がウォルフの目に突き刺さる。逸らしてしまいたくなるような冷たい瞳。それでもウォルフは拳を握ってその目を見続ける。
先に逸らしたのはアルフローレンスだった。
「なんでもやるだろうな、あの魔女ならば」
「死んだ人間を生き返らせるなんて魔女でも許されないはずです!」
「魔女に法律も倫理もない」
「で、ですが、勝手に被害者を出すような真似は……」
「何かしらの条件はつけてあるはずだ。終焉の森を抜けた褒美に願いを叶えると噂されているが、実際は等価交換だ」
「陛下は何を差し出したのですか……?」
返事はなかった。だが、その表情が安いものではなかったことを物語っている。
「陛下は、ミュゲット様のために解毒薬を望んだのですよね?」
「ああ」
解毒薬で語れぬほどの物なら、死んだ人間を生き返らせる代償はなんだったのか。
「ファーディナンド・キルヒシュが払った代償はどの程度だと思いますか?」
「さあな。興味もない」
アルフローレンスにまともは返事を期待してはいけない。彼は自分の愛した者しか大切にできない人間だ。何十年誠心誠意仕えようと愛情どころか情が芽生えることすらない。まだ十六歳、騎士になって年数の浅いウォルフの相談に親身になるはずがない。
ミュゲットでさえ『もう少し人の心に寄り添おうって感情を持ったほうがいい』と呆れを見せて距離を取る日もあったぐらいだ。ミュゲットがいない場所は彼の独壇場となる。
「イベリス様は彼がしようとしていることに気付いている気がするんです。でも彼女はそれを受け入れようとしている」
「気付いているかどうかはお前の憶測でしかない」
「そうです。でも、言葉の端々に、なんとなく、それを感じるというか……」
「お前はイベリスの騎士であって伴侶ではない」
「騎士は対象をお守りするのが役目です」
「魔女相手に勝てるとでも思っているのか?」
この暴君が命懸けで魔女を訪ねた。命を懸けなければならないほどの森を作ったのは魔女で、それだけで魔女の魔力量がどれほどのものか想像に難くない。
魔女に挑む日が満月で、持てる力を全て獣化して使ったところでかすり傷さえ与えることはできないのだろうと想像はついている。だからこそ悔しい。しかし、だからといって諦めることはできない。
「ファーディナンドを軽蔑しているのか?」
「当たり前です! 人の命を勝手に犠牲にして、死んだ者を生き返らせようとしてるんですよ!? 許せるはずないじゃないですか!」
「余でもそうする」
激昂していたウォルフの感情が止まる。信じられないと言いたげな様子を視界に映しながらアルフローレンスが続ける。
「余はミュゲットを手元に置いておくためならなんでもする」
「自らの命と引き換えでもですか……?」
「ミュゲットがこの世を去れば余も去る」
「あなたはグラキエスの皇帝ですよ?」
「それがどうした。余はミュゲットなき世界で生き続けるつもりはない。かといって、余が存在せぬ世界でミュゲットに生き続けてほしくもない。死ねとも言わぬが、ミュゲットが先に死ねば余も死ぬだけだ」
アルフローレンスにとって写真や肖像画と共に思い出と生きていくことはバカげたことなのだろう。代わりはいない。誰もがそうだ。それでも二人の皇帝は他者を犠牲にしてでも愛する者を望むという。ウォルフにはそれが理解できない。
「ミュゲット様が戻ってくるなら犠牲があってもいいとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
答えに迷いはなかった。
「し、死んだ事実を受け入れるべきです」
「一般論はそうだろうな。だが、余はこの世でミュゲットの命ほど愛おしく、絶対の物はないと考えている。どのような見目であろうと魂は余が愛した女だ。どれほどの醜女であろうとミュゲットの魂が入っているなら愛せる」
盲目の愛は異常だと言う。それが事実であることをウォルフは確信した。
アルフローレンスは冗談を言わない。談笑することもない。ミュゲットが聞けばきっと「バカじゃないの」と言うだろうが、彼の意見は変わらないだろう。
「陛下は……ファーディナンド・キルヒシュの考えが理解できるということですか……」
「そうだ」
「ミュゲット様の顔をした別人に惹かれる可能性もあるじゃないですか」
「ありえん。余はそもそもミュゲットの顔をしただけの女を傍には置かん。ミュゲットの見た目をした別人はもはやミュゲットではないからな」
「情が湧くからではないのですか?」
スッと上がった視線がウォルフを捉えた。怒りを宿した目を向けるウォルフを見る冷たい目が怒りを溶かす。
「ミュゲットではない女を傍に置く理由がどこにある。余が愛する女はミュゲットただ一人というだけだ」
アルフローレンスは魔女に頼み、大きな代償を支払ったことで愛する者を救った。ミュゲットの姿をしていようと魂が本人でなければ意味がないと言う。反対に、魂が本人であれば見目はいくら醜くとも構わないと。
なら、ファーディナンドは悪質なのだろうか。傍に置いて、優しくしておきながら、あと数ヶ月でイベリスを殺してロベリアを取り戻す。時が来るまで地下牢に閉じ込めておくほうが優しいのだろうか。
答えの出ない疑問に緩くかぶりを振ってソファーに背を預ける大男にアルフローレンスが問いかけた。
「イベリスを嫁にしたいのか?」
何も口に含んでいないのに吹き出した。唾をかけてしまったと慌てるもアルフローレンスの前には薄い氷の壁ができていた。
「嫁に、なんて……おこがましいことは考えてません。ただ、彼女はとても愛らしくて、優しい方ですから……幸せになってほしいんです。強欲な人間の犠牲になるなんて、あってはならないことじゃないですか」
「何もしないのなら文句を言うな。迎える日を待つだけのお前も同罪だ」
「ッ!?」
何を、と眉を寄せるウォルフに言い放つ。
「連れて逃げることもせず、ダメだと他人に愚痴を零し、幸せを願っていると綺麗事を口にする。殺すとわかっていながらダメだと言うばかりで結局はその時を待つお前もテロスの皇帝も同じだろう」
「仕方ないじゃないですか! イベリス様は帰るつもりなんです! 帰したくないけど俺は従者で、彼女を強引にでも留めておく力はないんです!」
「説得したのか?」
「……いいえ……」
「マヌケめ」
悔しさに拳を震わせる。自分は騎士で、夫でもない。受け入れようとしているイベリスをどう説得できるのか。彼が言うように自分の考えは全て憶測でしかない。イベリスは何も知らないかもしれない。それなのに知っていると憶測で話をして真実を知らせることなったら、と考えると二の足を踏む。
「手を掴んで逃げ出せと言うのですか……」
「余に聞いてどうする。人に決断を委ねるな。お前が一人で決断し行動すべきことだ。誰かもそう言ったという逃げ道を作るな」
「私は……」
「嫌だった、逃げさせたかったと泣いて終わるなら二度と口にするな。偽善者を気取りたくば部屋で一人演じていろ」
「ははッ……容赦ないですね……」
偽善者と言われたことは一度もない。忠実に騎士として生きてきた自分が偽善者と呼ばれるはずがないというのは驕りか。
明るい未来を夢見ないわけではない。自分とサーシャとイベリスの三人で暮らすのはとても穏やかで楽しいだろう。だが、それはあくまでもイベリスとサーシャの同意があってこそ。話もしていない自分のそれは妄想に過ぎない。
「愛する者のために命を懸けた者を懸けもせぬ者が批判するな」
「イベリス様の命はイベリス様のものです。他の誰にも奪う権利などありません」
「権利はなくとも力がある。魔女にはな」
立ち上がったウォルフは既に決意したような目でアルフローレンスを見下ろす。
「終焉の森に行きます」
「お前が辿り着こうとも他者が交わした契約を破棄はできぬぞ」
「ッ!?」
「アイツは情に絆されることはない。お前がいくら無様に泣き喚こうが同じこと。契約は契約だと言われ、追い返されるか殺されるか、だ。」
「だ、だけど、やってみなきゃわからないじゃないですか!」
呆れた顔でやれやれとかぶりを振りながらアルフローレンスも立ち上がる。これ以上話すのも面倒なのか、ドアへ向かう背をウォルフが追う。
「一つの命を奪い、もう一つの命を戻す倫理違反を叶える契約を結ぶ生き物に情があると本気で思っているのか?」
「それは……」
「覚悟を持たぬ者が感情だけで動くな。そんなものは所詮、自己満足にすぎぬ」
賓客室へと続く廊下を歩いていくアルフローレンスは立ち止まることはなかった。
相変わらず冷たい人だと思いながらも反論できなかった。自分の覚悟はどれほどのものか。
ファーディナンドの契約を止めるために終焉の森に挑んで帰って来れるのか?
自分は何を差し出せる?
大きな契約を解除させるために支払う代償はどの程度のものだ? 腕か? 足か? それとも声か? イベリスのように耳だったら?
想像もつかない。
「何やってんだ……」
自分が抱える感情は所詮そんなものだと苦笑がこぼれる。
ファーディナンドやアルフローレンスのように命懸けで魔女を頼りに行くこともせず、リンウッドのようにおかしくなるほど人を愛したこともない。
ただ、大事だと思う相手が幸せでいてほしいと願っているだけ。あの笑顔が消えてしまわないように。
窓にもたれかかりながら映る自分の情けない顔を見つめながら苦笑を深めた。
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