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 全速前進と必死に進める船に無情にも襲いかかる嵐。遠くに見ていた時点で雷鳴を轟かせていた黒雲が船上に広がる。
 船を左右上下に揺らす巨大な荒波の影響を受け、船内は家具が行ったり来たりを繰り返す。
 サーシャは怒っていた。

「あなたがドアを壊したから風も雨も水も全て入ってくるじゃない! その巨体で塞ぎなさいよ!!」

 何も考えずドアを蹴破ったせいでそこから入ってくる暴風雨の影響がひどい。水夫たちが数人がかりでドアを押さえつけているが、揺れもあって上手くいかない。
 ウォルフは何が飛んできても大丈夫なように身体でイベリスを守っているため動けない。自分がイベリスを守るから行けと命令するサーシャが何を言っているのかわからず、ウォルフを見ると「俺が壊したドアを自分の身体で塞いでどうにかしろと怒ってます」と正直に報告した。悪いことは言っていない。だからサーシャも告げ口するなと怒りはしないが、行動しようとしないウォルフには相変わらず腹を立てている。

〈サーシャ〉

 ウォルフの大きな尻尾に腹部を支えられながらサーシャに伝える。

〈壊れたドアをサーシャの氷魔法で固定できない?〉

 二人は同時に「あ」と声を漏らした。

「イベリス様は本当に賢いお方だ! サーシャ、その手があった。どうして思いつかなかったんだろうな。バカだな、ホントに。知能が足りない。イベリス様はさすがです」

 イベリスに頬擦りしているだけでも気に入らないのに、さっさと行けと前足で促されると更に腹が立つ。知能が足りないと自分も含めて言ったように聞こえるが、絶対にこちらのことだと確信がある。壁にかかっていたナイフが激しい揺れによって床に落ちたのを視界に捉え、頭の中だけで妄想する。それを拾ってブスッと彼の傷口を刺す妄想を。
 チッと舌打ちをしてドアへと向かう。

「ありがとう。ここはもう大丈夫だから仕事に戻って」

 全員でドアを押し付け、ドア枠と一緒に凍らせて固定する。風の音が止み、浸水も止まった。水夫たちがあからさまな安堵を見せ、その場にへたり込む。天災の被害を人力で対抗していた彼らの体力はゼロに等しい。回復が必要なのはわかっているが、ゆっくり休めと肩を叩ける状況にない以上は仕事に戻れと厳しい言葉をかける他ない。

(船を覆ったほうがいいのかもしれない)

 船の周囲だけでも凍らせて嵐が過ぎ去るまで凌げるかどうかを外を見ながら考える。
 甲板に打ちつける海水が白い。強風や激しい雨が船の周りに水しぶきを立てることで霧が発生すると聞いたことがある。必ずしも発生するわけではないが、辺りを見る限り、朝にはここら一帯は霧に包まれているだろう。このままでは嵐に揉まれて移動する他の船と衝突するか、霧で前方が見えずに座礁する可能性がある。

(これだけの荒波を凍らせる? 船も揺れてるのよ。ましてやこれだけの強風。投げ出されたら終わり……)

 船の中で魔法を操作するのとは違う。池や川のように動かない水を相手にするのではない。穏やかな波とは違い、想像どおりに凍る保証はない。
 港から海を凍らせて走ってきたが、所詮はウォルフが走れる程度の幅であり、厚さは160kg程度が耐えられるもの。感覚で凍らせたため厚くても二十センチメートル。
 これだけ巨大な船の周辺を嵐によって動けないほど厚く凍らせることはできるのか? どこまで温度を下げられるのかわからない。以前よりずっと下げられるようにはなったが、自分の身体を強化したわけではないため嵐の中で自分の身体がどれほど耐えられるかがわからないのも不安材料だった。

「キャアッ!」

 大きく揺れたことでサーシャの身体が廊下の壁にぶつかる。船は既に制御を失っているのかもしれない。
 テロスの船だ。メンテナンスを怠っていることはないだろうが、嵐に遭遇することを前提に作られていない以上は船がどれほど保つかもわからない。

「窓ガラスが割れました!!」

 何故自分に報告に来るんだと眉を寄せながらも起き上がり、割れた窓へと向かう。
 通常、船の窓ガラスは強化ガラスで出来ているため割れることは少ない。しかし、船が揺れすぎて動いた物が飛び交い、それが重なることによって割れることがある。そこを氷で覆って塞ぐ。強化ガラス程度の厚みを出すのは造作もない。むしろ強化ガラスよりもずっと強固である自信すらある。

「ありがとうございます!」
(自分の魔法がこんなふうに役に立つ日が来るとは思わなかった)
「サーシャ」

 ウォルフの声に部屋へと駆け入ると座るよう指示を受ける。のんびり座っている暇はないと苛立ちながらも座ると一枚の見せられる。船が描かれている。自分たちが乗っているキャラック船だろう。

「これが何? まさか上手く描けたとか言うつもりじゃないでしょうね……」
「周りの海を凍らせるより船を氷で覆ったほうが安全性は確かだと思う」

 提案にサーシャも紙を見つめながら考える。だが、即決はできない。

「それだと気温が下がりすぎる」
「この嵐の中、荒れた海を凍らせるのはいくらお前の魔法でも不可能だろ。キャラック船の底まで凍らせて、船の周囲も凍らせるなんて不可能じゃないか?」

 ここに来るまでにも『自信ないけどやるしかない』と不安を漏らしていたが、根性で凍らせてきた。サーシャの考えていることは道幅程度の範囲ではない。それならキャラック船を、とウォルフは考えた。

「周囲を凍らせることに成功すればそこで止まって、嵐が過ぎ去るのを待ってればいいのは確かだが、流されてる船がその氷を超えないとは限らない。衝突すれば大破する。それは避けたい」

 それはサーシャも同じ。イベリスをこれ以上危険な目に遭わせることだけは避けなければならない。

「座礁しても氷がぶつかるだけなら船は無事だ。まあ、これはあくまでもお前に全てかかってるわけだから俺が指示できることじゃないけど」
「転覆する可能性があるわ」
「でも浮かんでるなら平気だ」
「起こせないじゃない」
「晴れさえすればいい。晴れた穏やかな海の上に足場があって人数がいれば船は起こせる。心配するな。だから、まあ、それまではお前頼りになっちまうけど……いてッ!」

 サーシャにだけ負担をかけ続ける選択肢しか残されていない状況が申し訳なく、言葉を詰まらせるウォルフの鼻をサーシャが叩いた。

「気遣ってくれなくて結構よ。気持ち悪い」
「ひどい言い方してる自覚あるか!?」
「適材適所でしょ。こんなときに自分ばっかりなんて言う人間は必要ない。私は凍らせることしかできない。それが今、何よりも必要とされてるなら尽力するだけよ」

 平然と答えてはいるが、相当な負荷がかかる。サーシャ自身、どこまで魔法が使えるのか把握していない。グラキエスに住んでいた頃は魔法など必要なかった。雪と氷の国で氷魔法などなんの役にも立ちはしなかったのだから。魔力が枯渇するほど使ったことはないため、残りの魔力量がどれぐらいなのかもわからない。大口叩いておきながら船を囲うことすらできないかもしれない。
 それでもやるしかない。救えた命を再び危険に晒すことはできない。枯渇するまでやってやる。

「設計図を!」

 大きさを把握しなければならないと立ち上がったサーシャはすぐに部屋を出て水夫たちと共に計算し始めた。

〈私たちにできることはある?〉

 イベリスの問いかけにウォルフはかぶりを振る。

「俺たちにできるのは、一刻も早く嵐が過ぎ去ってくれるのを願うことぐらいです」

 あまりにも無力。自分にできることは何もないと二人は自分を恥じていた。
 嵐が過ぎ去り、船が無事ならいい。船がダメになってもサーシャの魔力が残っていて道が作れるならそこから近くの港まで全員をおぶって走るつもりだった。それは自分にしかできないことだから。
 どこまで流されるかわからないのも恐ろしい。もし敵国の海域なら撃墜されても文句は言えない。船を凍らせても、嵐が過ぎても不安はまだ残っている。消えない可能性がウォルフを悩ませる。

「イベリス様、上着を探しに行きましょうか。相当冷えますよ」

 船は揺れる。嵐が過ぎ去るまでずっと。そして嵐が過ぎ去るまで氷で船を守るサーシャは集中しなければならないため動けないだろう。
 これ以上の手間はかけられないと獣化を解いて立ち上がり、イベリスと共にイーリスの荷物を探しに向かう。歩くたびに刺された箇所が痛む。それでもウォルフはイベリスの手を握ったまま探し続ける。
 船の揺れによって荷物が散乱している。割れた窓から外に投げ出された可能性もある。

「あった。ありましたよ、イベリス様。男物ですが……」

 それをイベリスに見せるとかぶりを振る。何故だと問わずともわかる。ウォルフはそれを箱ごと抱えて操縦室へと向かった。

「これからかなり気温が下がる! なんでもいい! 船内にあるタオルでも布でもなんでもいいから着込んでくれ!」
「アンタは?」
「俺は平気だ」
「で、でも、皇妃様の分は!?」
「それも平気だ。とにかく体温だけはできるだけ下がらないようにしてくれ」

 ようやく見つけた荷物を全て渡し、積荷管理していた水夫に配るよう命じる。
 部屋に戻ったイベリスに座るよう促し、もう一度獣化するとその場で丸まり、イベリスを全身で包んだ。

「俺もこの姿なら着込む必要ないですし、イベリス様も暖められるので一石二鳥ですね」
〈サーシャは?〉
「氷魔法が使える者はそれほど寒さを感じないらしいんです。なのでサーシャは心配いりません」

 三十分もしないうちに船内の気温が一気に下がり始めた。風力で動くキャラック船は嵐の中で舵を取るのは不可能。漕ぎ手たちにも上がってくるように伝え、多くの者が毛布を分け合いながら身を寄せ合い、暖を取る。
 毛布に包まれているよりもずっと暖かいウォルフの体温を感じながらイベリスは目を閉じる。
 彼らにはどんな音が聞こえているのだろう。雨の音、風の音、雷の音。きっとそれだけではないのだろう。目の前で物が壁に当たる音も、食器が割れる音も聞こえないイベリスの世界は相変わらず悲しいくらい静かだった。
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