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聖女2

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(つっかれた! 疲れた! 疲れたし嫌い! もう二度と会いたくない!!)

 イベリスはほとんど座っているだけだった三時間。苦痛も苦痛。自分はとことん皇妃に向いている人間ではないと自覚した。
 ベッドにダイブするように寝転んで足をバタつかせる。サーシャは器用にヒールを掴んで器用に脱がせ、靴の底を洗うためにドア付近に置く。

「話を聞いてると聖女というよりシャーマンって感じでしたね」
「魔法と違って目に見えないものを信じる人間の神経を疑う」
「辛辣ですねぇ、サーシャさん」

 イベリスが座っていた三時間、二人は立ちっぱなしだった。イベリスと違ってファーディナンドと話す聖女を見ていたが、本当に聖女かと疑いたくなるような発言もあっただけに信憑性は高くないと判断している。

〈そもそも、聖女の力ってなに? 神通力のこと?〉
「処女だけが持つ力とか聞きますけど、あの女は絶対に処女じゃない」
「男が処女って単語を口にしないで」
「差別だ」
「差別で結構。嫌いなの」
「じゃあ女が童貞って言葉使うのはいいのか?」
「少なくとも私は使わない」

 また始まったとベッドにうつ伏せに寝転んだまま頬杖をつきながら二人を見るイベリスは大ホールにいたときよりずっと笑顔を見せている。
 足をパタパタと揺らしながら凝り固まった筋肉を動かす。あとでサーシャがマッサージをしてくれるのが楽しみだった。

〈本当に闇を祓ったのはあの人なのかしら?〉

 イベリスがメモ帳でベッドを叩くことで二人の意識がそちらへ向く。

「広場にいた全員が見てますからね。聖女が広場で膝をつき、祈るように手を組んで歌ったらパアッと闇が祓われたと。俺も遠くからですが一応見てたんです」
「歌ったら祓われた?」
「そ。だから俺も一応は承認」

 イベリスにはずっと朝でしかなかったため闇が祓われた瞬間は知らないが、サーシャの驚き方からしてその表現は間違っていないだろう。
 魔女の存在も聖女の存在も信じていなかったイベリスにとって聖女の存在は目の前にいてもいまいち信用に値しなかった。ファーディナンドなど広場での彼女を見てもいないのに信じきっている。今も彼は聖女と二人で話をしている。今日から一週間ほど城に滞在させ、もてなすと聞き、イベリスは〈ご自由に〉とだけ言って部屋に戻ってきた。聖女との話を切り上げるつもりはないように見えたが、皇妃として聖女をもてなせと言わなかっただけ進歩かと肩を竦める。
 
「父親を聖人扱いとは驚いたね」
〈でも、彼女の言葉と信念は正しいと思うわ。聖女として自分の力が役に立てるならどこへでも行くって素晴らしい姿勢よ〉

 ウォルフは同意しかねるとでも言いたげな表情でイベリスを見る。

「俺はイベリス様のように心が清くないので聖女を偽善者だって思いました」

 正直すぎるウォルフにイベリスが肩を揺らして笑う。うつ伏せだった姿勢を仰向けに変えるとベッドの端から少し頭を垂らす。サーシャには注意を受けるが、イベリスはこの体勢が好きだった。髪が長かった頃は母親にも注意を受け、今は短くしたため髪がつくことはないが、危ないからと今も注意される。

「危ないですよ」

 OKと親指と人差し指で輪を作るもやめないイベリスにやれやれとかぶりを振るだけで強制的にやめさせようとはしない。それほど高さのあるベッドでもないため身体がずり落ちて床に頭をぶつけたとて怪我はしない。
 その甘やかしがイベリスがここを居心地良いと思う一番の理由。

〈もし、私が本当にグラキエスに逃げたいって言ったらサーシャは一緒に来てくれる?〉

 暫し考えたあと、サーシャは唇を噛んでかぶりを振った。ウォルフが怪訝な顔をする。

「私はここで、陛下に雇われている使用人です。陛下を裏切ることはできません」
「陛下に忠誠を誓ったわけじゃないだろ? グラキエスにはお前の帰りを待ってる家族がいるんだぞ。会いたがってた」

 キッと睨みつけるサーシャの瞳が揺れるのをウォルフは見逃さなかった。

「俺はグラキエスで騎士として働くし、お前も向こうで使用人として働けばいい。家借りて、三人で暮らすのも悪くないだろ?」
「あなたは宿舎で、私も今と同じで使用人の部屋が与えられる。三人で暮らすなんて不可能よ。現実的じゃない」
「通えばいい」
「私もあなたも何時に起きることになるの? グラキエスの城と城下街が離れてるのをもう忘れたの?」
「覚えてる。俺が送迎する。走ればすぐだ」

 それでもサーシャは「行かない」と言った。
 家族を大事にしてきたサーシャが家族に会いたくないと言う。家族は会いたくて仕方ないと言う。もとは仲が良かった家族なだけにウォルフはサーシャの意地を張る理由がわからない。
 
「お前さ──」

 まだ何か言おうとした瞬間、パンパンとイベリスが手を叩く音が響き、二人が同時に顔を向ける。

〈ごめんね、サーシャ。聞いてみただけなの。私も実際にグラキエスに逃げようとは思ってないのよ〉
「申し訳ございません」
〈ここで暮らして、ここで死ぬつもりだから〉

 二人の表情が強張る。二人の頭の中にはアナベルとフレドリカの会話が再生されていた。嫁いだ国で生きて死んでいくのは離婚でもしない限り、言葉どおりとなる。それはあくまであの会話がなければ引っかかることもなかったというもので、聞いてしまった以上は〈ここで死ぬ〉という言葉があまりにも近しいものに感じてしまう。すぐそこまで迫っている、タイムリミット付きの──……

「でも、旅行で行くぐらいならいいと思いませんか?」
〈旅行! それいい!〉
「陛下が許可を出すと本気で思ってるの?」
「交渉してみるさ」
「許可なんて下りるわけがない」
「下りたらお前も一緒に来るか?」

 サーシャの目は一度、イベリスに向いたが、目は合わなかった。サーシャの答えはわかっていたためイベリスはあえて目を合わさないようにしていた。目が合えば彼女が気まずい思いをするのはわかっていたから。
 実際、そうでなくとも気まずくはあったのだろう。「いいえ」と答える様子がとても辛そうだった。

「俺とイベリス様の二人でデートですね」
「そういう言葉を使うのはやめなさい」
「陛下はイベリス様とデートはしないし、俺とイベリス様は同い年だし、俺のほうが近くにいるし、過ごした時間も長い。デートって言える権利は俺にあると思うけど?」
「陛下はイベリス様の夫であり、イベリス様は皇妃よ。あなたがどんな条件を持っていようと権利なんて存在しない」

 俺の何がそんなに気に入らないんだと聞きたくなるほどの物言いにウォルフは肩を竦めるも、視界の端に入ったイベリスの表情に首を傾げる。

「イベリス様? どうしました?」

 驚いた顔でこちらを見るイベリスに傾げた首を反対側に傾げる。

〈同い年……? じ、十六歳なの……?〉
「そうですよ?」

 イベリスはウォルフを二十五歳ぐらいだと思っていた。十六歳には見えない端正な顔立ちに身長も二メートルを超えている。どこからどう見ても十六歳と認識するのは不可能。

「ご存知なかったのですか?」
〈知らなかった! だって、聞いたことなかったもの!〉

 相手の年齢を知っておく必要がないため聞かなかった。サーシャは同郷であるため知っていて当然。ファーディナンドも雇い主であるため彼の情報を見ているはず。知らなかったのはイベリスだけ。
 ポカンと口を開けたまま起きあがろうとしたイベリスの身体がずり落ちて床へと着地する。おー、と声を漏らして小さく拍手するウォルフの前に立ち、改めて頭から足先まで見るもやはり十六歳ではないし、とても十代には見えない。

〈獣人族は三十代でおじいさんみたいな見た目になったりする?〉

 キョトンとしたウォルフは五秒後に吹き出して笑い声を上げる。笑い声が言葉となってイベリスの前に表示される。次第に腹を抱えだしたウォルフにサーシャは呆れながらかぶりを振りながら乱れたシーツを整える。

「まさかまさか。獣人族は長寿ですからそんな早くに老人化したりしませんよ。ただ、若者の成長が早いんです。肉体的にも精神的にも」
「精神的にも、ね」
「嫌味をドーモ」
「どういたしまして」

 ウォルフは騎士として動いているときは大人に見えるが、イベリスとマシロと一緒に走っているときは同年齢ぐらいになっていた。合わせてくれていると思っていたが、年相応に戻っていたのかもしれないと考えるとイベリスはなんだか嬉しかった。

〈グラキエスに旅行に行けたらいいなぁ〉
「お連れしますよ」
〈交渉は聖女が国を出たあとのほうが良さそうよね〉
「ですね」

 イベリスはリンベルの王子と面識があったわけではない。だから王族がどういう生き方をしているのかも知らないし、恩人への感謝にどう応えるのかも知らない。テロス近辺を覆っていた闇を払った聖女に厚いもてなしをするのは当然のことかもしれないが、一週間も滞在させる必要があるのかと考える部分もあった。
 暴動を起こしかねない様子だったとウォルフが言っていたぐらいだから民たちも限界ではあったのだろう。それを鎮めてくれた聖女に感謝と、その力に興味を示しているファーディナンドを少し危惧していた。それだけではない感情が見えたような気がして。
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