亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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闇を祓う力

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〈何するの!?〉

 慌てて離れたイベリスに「違ったか」と呟いたファーディナンドにサーシャが背後で呆れる。

「お前が少しでもその気になってくれたのかと思った」

 この状況で?というのは聞かなかった。錯乱状態には見えず、いつもどおりの様子だが、もしかすると冷静を装っているだけかもしれないと考えることにした。

〈とりあえずウォルフに情報を集めてもらって、状況を整理することから始めるべきじゃない? わからないまま疑心で動いてもいいことはないと思うの〉

 メモ帳を見たファーディナンドが再び「ふむ」と声を漏らしてその場で腕を組む。

「だが、皇帝という立場はそうのんびりしてもいられん。民が不安になっているのだから早急に何か手を打たねば」
〈大した情報もないのにどう説明つもり? テロスにもついに闇夜が来た可能性がある、とか?〉
「バカな」
〈それ以上にバカな説明をあなたはしかねない〉
「俺をバカにしているのか? 俺はそんな浅慮な人間ではない」
〈本当に?〉

 その目に一瞬怯んだ。全てを見透かしているように見えるイベリスの目を直視できず、逸らしてしまった。
 情けない夫だと思うだろう。つまらない男だと思うだろう。イベリスがどこまで知っているのか追求することもできず、相手が離れないと言ったことに甘えて、言えない秘密を抱えている。言えば最後の話を。

「……わかった。まずは情報収集だ」

 しかし、ここにいる人間は全員が同じ考えだった。夜が闇に包まれているのは当然で、誰もが朝になってようやく朝が来ていないことに気付いた。どうやって、何の情報を収集するのか。
 イベリスはこれが幻術だと確信している。きっと自分以外にも朝が来ている者はいるはず。しかし、それをここで公表してファーディナンドが勝手な行動に出ては困る。魔法士がしたのであれば安易に魔法士の塔へ行くわけにはいかないし、余計な情報を漏らすなどもっての他。
 なら、どこか情報を集めるのか。誰も口にはしないが、心の中では皆がそう思っていた。

「このまま夜が明けないなどとあってはならん」
「そうですね。混乱が長引けば長引くほど問題が発生するでしょうし……」
「手を打たねばな……」

 しかし、一週間が経っても夜が明けることはなかった。朝起きて、昼は働き、夜は眠る。そんな当たり前の日常が崩れ、今が朝の七時か、夜の七時かもわからないという者が増えた。蝋燭の消費が激しく、これ以上は家計を圧迫すると悲鳴を上げる声も出ていると聞く。そのためファーディナンドは大急ぎで蝋燭を掻き集め、国民に配った。テロスだけでなく、テロスの近隣諸国も同じような状況であるため多くを手配することは不可能だったため、配った本数で一体どの程度持つのかはわからない。
 広場に集まる国民の不安と不満の声が日に日に増していく。彼らは不安を怒りへと変え、足は広場ではなく城門前へと向けた。

(どうすればいいの……)

 イベリスにだけ朝が来ている。朝日で目を覚まし、昼を過ごし、黄昏の空を眺め、夜を迎える。当たり前の日常が訪れる中で、自分以外が不安な顔をするその違和感を解消するためにはこの不可解な状況を打破するしかないのだが、ファーディナンドの話では手がかりは掴むどころか見当りもしないと。
 廊下に出て窓から門のほうを見下ろすと気持ちいいほどの快晴の下で集まっている大勢の国民全員が手に蝋燭を持っている。おかしな光景にしか見えないその状況になんとも言えない気持ちになる。

(誰が、なんの目的があってこんなことをしているの? テロスだけじゃなく、テロスの近隣諸国まで同様の被害に遭ってる。狙いがわからないのが一番気持ち悪い。これは自然現象ではなく、意図的な攻撃……)

 犯人も犯人の目的もわからない。なんの声明も出せないのだが、国民からすれば“出せない”のではなく“出さない”だけ。だから城門前に押し寄せる国民の数も日に日に増えている。
 毎日見る異常な光景に慣れることはない。どうにかしなければとわかっていても手を打つことさえできない状況にファーディナンドも苦戦している。

〈魔法士に光魔法を使ってもらうのはどう?〉

 明るい部屋の中でランタンをテーブルの真ん中に置く邪魔さ。必要のない灯り。その中で用意されるティータイムの紅茶。違和感しかない光景をあまり視界に捉えず、サーシャに問いかけた。

〈既に陛下が魔法士に命じて試したそうですが、効果はなかったと聞いております〉
(皆が暗闇に見えてるこれが幻術なのだとしたらいくら魔法を使おうと意味はない、か……)

 実際にテロスが暗闇に覆われたのであれば効果もあったのかもしれないが、これは幻術。幻術を使えるのは魔法士。だが、監視させているファーディナンドが受ける報告によると魔法士に怪しいところはないらしく、それも頭を悩ませている理由の一つだという。

〈最近、ウォルフも忙しいみたいね〉
〈国の問題ですから騎士は一人でも多いほうがいいと騎士団長が陛下に頭を下げてウォルフを貸してくれるよう頼んでいました〉

 あれだけ毎日笑顔を見せてくれていたウォルフがいないのが少し寂しく感じる。サーシャとは手話だけで話せる楽さがあっていいのだが、二人揃うとまるで喜劇を見ているようで楽しいのだ。この一週間、それを見ていない。サーシャは鬱陶しくなくていいと言うが、イベリスはそうではない。

〈グラキエスも確か、すごい吹雪に襲われたのよね?〉
〈そうですね。グラキエスは基本的に雪と氷の国と言われるほど気温が低く、晴れ間が見えること自体とても少ないのです。吹雪くことも珍しくはありませんし、国民が外に出られないことも多々あります。一番ひどかったのは皇帝の暴走による氷結化でした。辺り一面が凍ってしまうほどの気温低下。城から城下町へと伸びてきたので城は氷漬けだったと思います〉
〈サーシャもできる?〉
〈城も街も凍らせるには膨大な魔力量が必要です。私の魔力はそこまでではありませんから〉

 川や池を凍らせるだけでも充分すごいとイベリスは思う。何度滑ってもヒビ割れ一つ起こさなかった池の氷。ウォルフはサーシャに『滑り台を作れば子供たちが大喜びするはず』と提案したが、繊細な操作は不可能だと言って却下した。自分の魔法にどこかコンプレックスがあるような言い方をするときがあり、胸を張っていいほどの魔法なのにとイベリスはいつも心の中で声をかける。実際にそう書くとサーシャが否定するため言わないことにしているのだが。

〈魔法士以外で膨大な魔力量を所持する人っている?〉
〈魔女ぐらいでしょうね〉
〈魔女は人間と関わらないようにしてるのよね?〉
〈そのようですね。あくまでも自分からは、というスタンスらしいですが〉
〈この闇夜が続く原因が魔女って可能性は……〉
〈少ないでしょうね。メリットがありません。関わりのない国を混乱に陥れる理由がありませんし、よほどの悪人でもない限りは可能性は低いと思います〉
〈終焉の森に住む魔女はとっても性格が悪いんでしょ?〉
〈そう言われていますね〉
〈じゃあ気まぐれに世の中を混乱に陥れたとか〉
〈ないでしょうね〉

 やっぱりか、とイベリスも同意するように頷く。ただでさえ世界政府から指名手配を受けている魔女が気まぐれに悪行を行うメリットはない。
 浮かんでは消えていく可能性にイベリスは大きな溜息をつ吐いた。

「え……」
〈どうしたの?〉

 突然大きく反応したサーシャが窓へと速足で向かう。何があったのかとあとを追って窓に近付くも景色は変わっていない。いや、実際には少し変わっている。イベリスのお気に入りだった窓から見える景色。庭師たちが早朝から丁寧に剪定しては草刈りや水遣りをしてくれるおかげでそこにはいつも美しい庭が広がっていた。それなのに今は草も伸びて花も枯れつつある。
 何が起きるかわからないから外には出るなとファーディナンドが使用人全員に命令を出した。
 ここに嫁いでからずっと見てきたあの美しい庭が美しさに影を落としているのが悲しい。だが、それは驚くような光景ではない。何をそんなに驚いた反応をしたのかとサーシャを見ると空を見上げていた。

「イベリス様」

 こちらを向いて笑顔を見せたサーシャに首を傾げると告げられる。

「晴れましたね」

 ずっと晴れている。そう思いながらも驚いた。
 何があった? 魔法士か?
 疑惑の消えない彼らが何かしたのだろうか。困らせるだけが目的だったのだろうか。理由はわからないものの、このサーシャの笑顔を国民たちも浮かべているのではないだろうかと廊下に向かった。

(あれ?)

 抱き合って喜んでいるのではないかと思っていただけに城門前から人の姿が消えているのには驚いた。

「イベリス」

 目の前に表示された名前に横を見るとファーディナンドがこちらへと歩いてきていた。

「晴れたぞ」
〈どうして急に? 何かわかったの?〉

 ファーディナンドもサーシャほどではないが、安堵の表情を浮かべていた。夜が明けない世界をイベリスは知らないため不安になることはなかった。だから二人と感情を共有することはできず、ただただ違和感だけを味わっている。
 夜が明けない。晴れた。その言葉に演技をして合わせるしかなかった。

「今から客が来る。お前も同席してくれ」
〈お客?〉

 まさか魔女ではないだろうと予想しながら返事を待っていたイベリスにファーディナンドは笑顔で言った。

「聖女だ」

 候補の中にすらなかった存在に耳を疑った。
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