亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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四度目の命日6

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「あ、あら……? ここじゃなかったかしら……」

 幾度か来ている場所。迷うはずがないのだが、ぼんやりとしながら歩いていたため気がついたときには食堂ではない廊下に立っていた。
 造りがややこしい城の内部についてロベリアはよく文句を言っていた。でも迷子になるとファーディナンドが迎えに来てくれるのだと笑っていたこともあった。あれも狙っていたのだろうか。迷子になる頼りない女を演じて迎えに来てもらう。忙しい皇帝がわざわざ手を止めて迎えに来るという愛されている自分を実感するためだったのだろうか。今となってはそれを確認する術はない。
 もし仮に、ロベリアの言葉が本当だとして生き返ったあとでも自分はきっと聞けないだろうと思った。生き返ったことに驚き、涙し、そして何も聞かなかった、何も知らない姉を演じ続ける。哀れなのは両親だ。自分たちの娘が演じ合って生きている姿を微笑ましく見ることになるのだから。
 一歩踏み出す足が重い。このまま食事会が終わるまでここでボーッとしていたいとさえ思う。
 天使のように優しく愛らしかった妹が持つ裏の顔にショックを受けている。妹も人間だ。ドス黒い部分を持っていて当然なのだ。何故自分ではなく妹が皇妃に選ばれたのだろうと悔しさのあまり部屋中を羽毛でいっぱいにしてしまったように。ショックを受けるほうがおかしい。誰でも持っている一面なのに、それをフレドリカにだけ見せたのがアナベルのショックを深まらせている。
 姉ではなく自分が選ばれたのは当然だと嘲笑い、何があろうと夫は姉を愛するどころか好きになることすらない。騎士を何人犠牲にしてでも自分を生き返らせる。それは自分が与えた愛に彼がしがみついているからだと傲慢さを作り上げた妹を四年前と同じ気持ちで見ることはもうできないだろう。
 打ちつけた雨が流れる窓に触れながらすっかり暗くなった外の景色の中に映る自分のひどい顔を見つめていると足音が聞こえた。

「ここは食堂のある階ではありませんよ」

 声に振り返るとアナベルが目を見開いた。

「ロベリア……」

 イベリスがウォルフとサーシャとマシロを連れて立っている。

「イベリス皇妃です」
「も、申し訳ございません! お許しください!」

 慌てて頭を下げるアナベルの心臓は痛いほど速く動いている。
 ロベリアが生き返ったと勘違いするほどに似ている。遠くで見てもそう思ったが、間近で見ると強くそう思った。だが、よく見ると違う。美しい白髪だが、彼女はまつ毛まで白い。そしてロベリアより少し背が低く、胸元も控えめ。よく観察すると違うのだとわかる。それでも、遠くから見ればロベリアそのもの。よくこれだけ顔が似た少女を見つけてきたものだとファーディナンドの熱量に感心する。

「この階は皇族専用です」
「申し訳ございません。考え事をしていたら迷ってしまいました」
「では今すぐお戻りください」
「はい」

 イベリスはニコリともしない。無表情でアナベルを視界に捉えているだけ。だが、フレドリカの言ったとおり、少し気まずげに見える。それもそうだ。今日はロベリアの四回目の命日。故人を偲ぶ日にその人と瓜二つの人間が目の前に現れれば誰もが驚き、戸惑い、そして疑う。皇帝はロベリアを生き返らせたのではないか、と。禁忌だから瓜二つの顔だと言っているだけなのではないか、と。自分もそうだ。一瞬疑った。
 ファーディナンドはきっとそこまで考えてはいないのだろう。蘇生させたわけではないのだから後ろめたいことは何もない。だが、彼女はそうは考えなかった。これ以上戸惑わせないように微笑むことをしないのではないかと考えてしまうほど、彼女の戸惑いが伝わってくる。
 サーシャの厳しい眼差しに階段へと向かおうとした足を止めた。

「食堂は下の階の東棟ですよ」

 迷子と言っていたから足を止めたアナベルにウォルフが親切心で教えるとアナベルはもう一度イベリスを見た。

「あなたは陛下と仲が良いのでしょうか?」

 アナベルの目を見たあと、ウォルフに顔を向けるイベリスに対して彼は「迷子です」と答えた。

「両陛下の仲はあなたには関係ないでしょう」
「そう、ですが……」
「さっさとお戻りください」

 サーシャの態度は変わらず、厳しい口調で追い払おうとする。それに従って帰ろうとするが、アナベルはイベリスの隣に座るマシロに目がいった。

「この犬は陛下がイベリス様のために連れて来てくださったのですよ」
「陛下が……」

 ロベリアは犬が苦手だった。幼い頃に犬に吠えられてからずっと苦手だと言い続けていた。猫は吠えないから好きだと。
 アナベルは少し混乱していた。ロベリアを生き返らせようとしているのなら何故犬を買い与えたのか。ロベリアが戻ってきたときに捨てようと思っているのだろうか。自分が暮らしていた場所で犬を飼っていたことを生き返ったロベリアが知れば怒るだろう。

(また演技をして……)

 そんなことを考えてしまう自分が嫌になり、かぶりを振る。

「犬を飼うのが夢だったイベリス様の願いを叶えたり、池にボートを浮かべたり、一緒にスケートをしたりと仲睦まじい日々を送られていますよ」

 顔を上げたアナベルの驚いた顔に笑顔を維持するウォルフが言った。

「陛下は不器用なお方ですので、あまり口頭で伝えられることはしませんが、見ていればわかるほどの愛情をお持ちです」
「そう、ですか。それを聞いて安心しました」
「ええ、ご心配なく」
「では、失礼いたします」

 頭を下げて階段を降りるアナベルの足は今にも止まりそうだった。頭が混乱する。どういうことだ。ロベリアが猫を飼いたいと言ってもファーディナンドはそれを許さなかった。毛が舞うのが嫌い、使用人の手間が増える、どこにでも乗り、なんでも壊すと言ってお願いを聞いてくれなかったと落ち込んでいたときがあった。家の猫はどこにでも乗ったりなんでも壊したりしないと言ってもダメだったと。ロベリアを絶賛しておきながらロベリアには禁止した動物を飼っている。池にボートを浮かべたりスケートをしたなどとロベリアから聞いたことは一度もない。
 魔女がロベリアを生き返らせてくれるまでの間、少しは楽しませようということだろうか。
 食堂で言っていた言葉と彼の行動があまりにも違いすぎて、ファーディナンドの真意がどこにあるかわからない。一体、どういう気持ちであんなことを言ったのだろう。

(パフォーマンス? 彼はロベリアの裏の顔に気付いていて実は嫌気がさしていて……いや、葬儀のときのあの異様な泣きじゃくりを考えるとそれはない。だったらどうしてロベリアにはしなかったことを彼女にはしてるの?)

 ロベリアを生き返らせようとしていることすら知らなかった身としては四年前の死を受け入れられているだけに生き返らなくても問題はない。今の心境では生き返られるほうが困る。だからファーディナンドがイベリスを愛していたところで構わないのだが、疑問が残る。

(愛、だとしたら……)

 自分が愛した妻を共に偲んでくれたら、という思いがファーディナンドにはあった。だが、イベリスはそれを歓迎しなかった。嫉妬か、それとも賢明か。意見が合わなかったため食事会の場に同席はせず、ファーディナンドは感情的になり、あんな発言をしただけだとしたら甘やかしにも納得がいく。

(本人はそれを自覚していないのか、それとも否定したいのか。どちらにせよ、あんな約束しておきながら四年も経ってるんだからロベリアの願いは叶いそうにないってことかもしれないわね)

 一種の同情はあれど、人の心は変わるもの。自分しか愛さないと言いきった傲慢さに腹を立てた気分が少しスッキリとした。急激に冷めた妹への愛情。悲しむ必要はないとフレドリカの気持ちに同意しながら食堂の前に戻り、深呼吸をしてから中に入った。

「あの話、本当だと思うか?」
「さあ」
「俺、もし陛下が本当にロベリア・キルヒシュを生き返らせようとしてるならイベリス様を連れてグラキエスに帰ろうと思ってる」
「冗談でしょ……?」
「本気だ。イベリス様が報われない。まだ十六歳だぞ。……今でもあんなに可哀想なのに……」

 寝ると言ったイベリスの身の回りを整えて部屋を出たサーシャと一緒に歩きながらウォルフは既に決めていることを話すもサーシャは背中を押すことはしなかった。

「反対なのか? お前も一緒に帰ろうぜ。お前あんまり陛下のこと好きじゃないだろ? グラキエスでも使用人募集してるし、ここでの経験があれば──」
「帰らない。私はここで働くの」
「なんでそんな頑ななんだよ。ここでイベリス様が犠牲になるの見てるってのか?」
「それはイベリス様がお決めになることでしょ」
「俺はそのときが来たらイベリス様に話す。それで一緒に行くって言ってくださったらそのまま連れ帰る」
「契約違反よ」
「俺はイベリス様の護衛であって陛下に忠誠を誓ったテロスの騎士じゃない」
「そんないい加減な台詞、よく吐けたわね。信じられない」

 人間の種類を善悪に分けるとしたらウォルフは善の人間だ。困っている人を見たら放っておけず、人助けに損得勘定を持たずに動く。グラキエスに生まれたことを誇りに思い、忠誠を誓った相手のためなら命をも投げ出せる真面目な男。だからイベリスに忠誠を誓った以上は彼女を不幸にしないために全力を尽くそうとしている。良い事だとは思う。だが、サーシャは反対だった。

「もしロベリア・キルヒシュが生き返ってイベリス様がお役御免みたいな扱い受けたらどうする。それどころか、イベリス様がロベリア・キルヒシュになるなんてことが万が一にでもあったら──」
「口を慎みなさい。そんなこと口にすべきではないわ」

 誰が聞いているかわからないと周りを見回したあと、サーシャは自分の部屋のドアノブに手をかけた。 

「彼女は犬や猫じゃないのよ。自分の意思で道を選んでる」
「だから俺は彼女に選択肢を増やしたい」
「あなたの仕事じゃないでしょ」
「俺はイベリス様の騎士だから」

 言いきったウォルフは堂々としており、輝いて見えた。羨ましいとさえ思う。ドアノブを握った手に力を込めるサーシャはそのまま引いて中へと入っていく。ドアが閉まる間際、ウォルフに振り返り目を合わせた。ただそれだけ。何も言わずドアは閉まった。
 閉まる寸前、サーシャの部屋の中に広がった青い光。ウォルフにはそれが、まるでサーシャが帰ってきたのを感知してそうなったかのように見えた。
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