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四度目の命日4
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「フレドリカ! フレドリカ待ちなさい!」
階段を降りた廊下の先でようやく追いついた娘の腕を掴んだアナベルは怒っていた。
「痛いんだけど。強く掴まないでよ」
「どうしてあんなこと言ったの!? 陛下に失礼でしょ!」
ここはまだ城内だというのに響き渡るほどの大声で問うとファーディナンドに向けていたような嘲笑が向けられる。
ロベリアが生きていた頃はこんなにも反抗的な子ではなかったのにと最近よく思う。何が彼女を変えてしまったのかと。
「あんなこと? ああ、ママが妹の後釜を狙ってたって話? 言っちゃいけなかった?」
「陛下の前でよくもあんな嘘が言えたものね! ママは既婚者よ!」
「だから? 陛下に結婚してくれって言われたらパパのこと捨ててでも結婚するくせに」
「そんなわけないでしょ!」
「どうだか。ママは陛下が好きだし、陛下は妻を亡くしてフリーだったし、妻の姉だし、後釜としては誰も文句言わないよね。ママがロベリア叔母さんの看病に熱心だったのは誰もが知ってる事実だし? 陛下もそれはそれは深く感謝してたものね」
何を思ってそんなことを言い出したのか、アナベルには理解できなかった。反抗期は誰にでも訪れると夫は言う。長い目で見るつもりだと。だが、人が変わったようになってしまった娘をこのまま放置しておくことは母親としてできないアナベルはなんとか向き合おうとしているのだが、そうすればするほどフレドリカは反抗的になる。嘲笑し、軽蔑したような眼差しを向け、鬱陶しそうな態度をとる。
「ロベリアが死んでからおかしいわよ」
「ハッ。おかしい? おかしいのはそっちでしょ。妹の後釜を狙う母親も、自分の後釜を姉に任せようとする母親も、前妻を崇めて今の妻を貶す皇帝も全部気持ち悪い。中身空っぽの人間が集まってロベリアは良い子だった。ロベリアは天使だった。ロベリアが生きていれば。ロベリアに会いたい。故人を偲ぶにしてもやり方ってもんがあるでしょ。ロベリアと瓜二つの女を選んだのはロベリアが恋しすぎるが故の行動とか思ってんでしょうけど、それさえも気持ち悪い。真実でもそうじゃなくてもね。異常だよ、あの空間は」
「あなたも言い方ってものがあるでしょ」
「ああ、そうだね。じゃあ戻って言い直そうか? ロベリアの後釜はアナベルに決まってた。姉妹の間でそんな約束が交わされてたのにどうして別の女と再婚なんかしたんだって」
「あなた、どこでそれを……」
なんのことだと言えない母親を娘は嘲笑する。
「ベッドに横たる妹とそれを看病する姉。それだけ見るとすごく感動的な光景よね。だけど、交わしてた約束は感動とは程遠いものだった」
「聞いてたの……?」
「さっさとドアを閉めないからだよ」
部屋から取ってきてほしい物があると言う妹の頼みを聞いて部屋を出ようとドアノブを握ったアナベルは暫くそこで立ち話をしていた。偶然、前を通りかかったフレドリカは二人が話す内容を耳にして思わず足を止めた。
『私が死んだら彼のことよろしくね。他の誰にも渡さないって約束して。お姉ちゃんならいいよ。お姉ちゃんが彼の妻になるなら安心できるもの』
『何言ってるの。元気になるんでしょ』
『自分のことは自分が一番よくわかってる』
『元気になるの。皇妃が諦めちゃダメ。国民のためにも、夫のためにも元気になっていかなきゃ。あなたほど愛されてる皇妃は世界中どこ探してもいないわよ』
『お願い、約束して。他の誰にも渡さないって』
『はいはい。わかった。もしも、のときはね』
『絶対よ。約束だからね』
縋りつく、というよりはどこか脅迫めいたように感じたフレドリカはロベリアが知らない人に思えて怖くなり、その場から離れた。それ以降の会話は知らないが、ロベリアを嫌だと感じた。
今でも昨日のことのように鮮明に思い出せるあの声がフレドリカは耳についたまま離れないでいる。
「私はさ、ママが陛下の新しい妻になっても、陛下が今の妻を貶そうとどうだっていい。私には関係ないもの」
「じゃあ何にあんなに怒ってたの?」
「ジジババと陛下の気持ち悪さに腹が立った。反吐が出そうになった。イベリス皇妃は出席しなくて正解だよ。あんな場にいるべきじゃないもの。可哀想だよね。本来ならあんなのと結婚することはなかったのに、顔で選ばれて、中身が違うからって貶されて」
「伯爵令嬢が皇妃になれるなんて稀よ。光栄に思うべきだわ」
またフレドリカが嘲笑する。鼻で笑って、母親より背が高いから顎を上げるだけで簡単に見下ろせる。あえてそうしているのだ。最近は何か話し合おうとすると嘲笑と軽蔑の眼差しがセットで出てくる。アナベルはそれに辟易としている。
「ファーディナンド・キルヒシュに嫁ぐくらいならそこら辺の優しい炭鉱夫に嫁いだほうが幸せだと思うけどね」
「なんてことを……」
「私ならそうする」
天と地ほどの差がある立場。何故そこまで嫌っているのかがわからず、アナベルが眉を寄せる。
「ロベリアが死んで、あなたは変わったわ。ショックだったのね」
気持ちは同じだと二の腕に触れようとした手が払われた。そして続いたのは怒声ではなく笑い声。楽しそうに笑っているのに何故かそれが妙に引っかかるのはその笑い声に喜も楽も含まれていないように感じるから。
ひとしきり笑うと目に浮かんだ涙を指先で拭ったフレドリカがフーッと息を吐いて言い放った。
「ショック? 何か勘違いしてるようだから教えてあげるけど、私はロベリア叔母さんが大嫌いだった。だから死んでもショックじゃないし、ロベリア叔母さんの死と私の性格の変化は関係ない」
初めて聞く娘の気持ちにアナベルは驚き固まった。
「私はあの人を美化したりしない。性悪のクソ女のことなんてね」
「なんてこと言うの! 謝りなさい!」
「誰に? ロベリア叔母さんは死んだ。もういない。何? お墓に向かってごめんなさいでもしてこいって?」
「ロベリアはあなたを可愛がってたじゃない! どうして性悪だなんて……あなたは何か勘違いしてる! ロベリアは心根の優しい子だったわ!」
わからない。フレドリカは良くも悪くも嘘をつくタイプではないだけに何故ロベリアのことをそんな風に言うのか。誰からも愛され、誰からも褒められる天使のような子だったのに。
一体二人の間に何があったのか、アナベルは怪訝な表情でフレドリカを見つめる。
「そう見られるように努力してただろうからね。上手かったよね、猫かぶり」
「……お願い。ちゃんとわかるように説明して。どうしてあなたはロベリアを悪く言うの? ロベリアはあなたに何かしてたの?」
「何も。ただ本性を見せてくれてただけ。頼んでもないのに、ね」
本性──その意味がアナベルにはわからなかった。ロベリアとは十歳の歳の差があるだけに猫可愛がりしてきたのは確かだが、だからといって盲目になっていたつもりはない。両親と共に善悪はちゃんと教えてきた。だからこそあんな良い子に育ったんだと自負していたのに、自分たち家族が知らないロベリアの一面をフレドリカは知っている。
知るのは怖いが、知りたい。それはアナベルの中にもバラの小さな棘のようなものがどこか片隅に引っかかっている部分があったから。
怪訝だった表情が少し頼りなくなったのを見てフレドリカがその場で小さく息を吐く。
「ロベリア叔母さんは良くしてくれたと思う。可愛がってくれたしね。だから私も彼女を大好きだって思ってた頃があった。彼女が病気になって死にかけるまでは、ね」
フレドリカは語り始めた。家族の誰も知らない、フレドリカだけが知っているロベリアの裏の顔を。
階段を降りた廊下の先でようやく追いついた娘の腕を掴んだアナベルは怒っていた。
「痛いんだけど。強く掴まないでよ」
「どうしてあんなこと言ったの!? 陛下に失礼でしょ!」
ここはまだ城内だというのに響き渡るほどの大声で問うとファーディナンドに向けていたような嘲笑が向けられる。
ロベリアが生きていた頃はこんなにも反抗的な子ではなかったのにと最近よく思う。何が彼女を変えてしまったのかと。
「あんなこと? ああ、ママが妹の後釜を狙ってたって話? 言っちゃいけなかった?」
「陛下の前でよくもあんな嘘が言えたものね! ママは既婚者よ!」
「だから? 陛下に結婚してくれって言われたらパパのこと捨ててでも結婚するくせに」
「そんなわけないでしょ!」
「どうだか。ママは陛下が好きだし、陛下は妻を亡くしてフリーだったし、妻の姉だし、後釜としては誰も文句言わないよね。ママがロベリア叔母さんの看病に熱心だったのは誰もが知ってる事実だし? 陛下もそれはそれは深く感謝してたものね」
何を思ってそんなことを言い出したのか、アナベルには理解できなかった。反抗期は誰にでも訪れると夫は言う。長い目で見るつもりだと。だが、人が変わったようになってしまった娘をこのまま放置しておくことは母親としてできないアナベルはなんとか向き合おうとしているのだが、そうすればするほどフレドリカは反抗的になる。嘲笑し、軽蔑したような眼差しを向け、鬱陶しそうな態度をとる。
「ロベリアが死んでからおかしいわよ」
「ハッ。おかしい? おかしいのはそっちでしょ。妹の後釜を狙う母親も、自分の後釜を姉に任せようとする母親も、前妻を崇めて今の妻を貶す皇帝も全部気持ち悪い。中身空っぽの人間が集まってロベリアは良い子だった。ロベリアは天使だった。ロベリアが生きていれば。ロベリアに会いたい。故人を偲ぶにしてもやり方ってもんがあるでしょ。ロベリアと瓜二つの女を選んだのはロベリアが恋しすぎるが故の行動とか思ってんでしょうけど、それさえも気持ち悪い。真実でもそうじゃなくてもね。異常だよ、あの空間は」
「あなたも言い方ってものがあるでしょ」
「ああ、そうだね。じゃあ戻って言い直そうか? ロベリアの後釜はアナベルに決まってた。姉妹の間でそんな約束が交わされてたのにどうして別の女と再婚なんかしたんだって」
「あなた、どこでそれを……」
なんのことだと言えない母親を娘は嘲笑する。
「ベッドに横たる妹とそれを看病する姉。それだけ見るとすごく感動的な光景よね。だけど、交わしてた約束は感動とは程遠いものだった」
「聞いてたの……?」
「さっさとドアを閉めないからだよ」
部屋から取ってきてほしい物があると言う妹の頼みを聞いて部屋を出ようとドアノブを握ったアナベルは暫くそこで立ち話をしていた。偶然、前を通りかかったフレドリカは二人が話す内容を耳にして思わず足を止めた。
『私が死んだら彼のことよろしくね。他の誰にも渡さないって約束して。お姉ちゃんならいいよ。お姉ちゃんが彼の妻になるなら安心できるもの』
『何言ってるの。元気になるんでしょ』
『自分のことは自分が一番よくわかってる』
『元気になるの。皇妃が諦めちゃダメ。国民のためにも、夫のためにも元気になっていかなきゃ。あなたほど愛されてる皇妃は世界中どこ探してもいないわよ』
『お願い、約束して。他の誰にも渡さないって』
『はいはい。わかった。もしも、のときはね』
『絶対よ。約束だからね』
縋りつく、というよりはどこか脅迫めいたように感じたフレドリカはロベリアが知らない人に思えて怖くなり、その場から離れた。それ以降の会話は知らないが、ロベリアを嫌だと感じた。
今でも昨日のことのように鮮明に思い出せるあの声がフレドリカは耳についたまま離れないでいる。
「私はさ、ママが陛下の新しい妻になっても、陛下が今の妻を貶そうとどうだっていい。私には関係ないもの」
「じゃあ何にあんなに怒ってたの?」
「ジジババと陛下の気持ち悪さに腹が立った。反吐が出そうになった。イベリス皇妃は出席しなくて正解だよ。あんな場にいるべきじゃないもの。可哀想だよね。本来ならあんなのと結婚することはなかったのに、顔で選ばれて、中身が違うからって貶されて」
「伯爵令嬢が皇妃になれるなんて稀よ。光栄に思うべきだわ」
またフレドリカが嘲笑する。鼻で笑って、母親より背が高いから顎を上げるだけで簡単に見下ろせる。あえてそうしているのだ。最近は何か話し合おうとすると嘲笑と軽蔑の眼差しがセットで出てくる。アナベルはそれに辟易としている。
「ファーディナンド・キルヒシュに嫁ぐくらいならそこら辺の優しい炭鉱夫に嫁いだほうが幸せだと思うけどね」
「なんてことを……」
「私ならそうする」
天と地ほどの差がある立場。何故そこまで嫌っているのかがわからず、アナベルが眉を寄せる。
「ロベリアが死んで、あなたは変わったわ。ショックだったのね」
気持ちは同じだと二の腕に触れようとした手が払われた。そして続いたのは怒声ではなく笑い声。楽しそうに笑っているのに何故かそれが妙に引っかかるのはその笑い声に喜も楽も含まれていないように感じるから。
ひとしきり笑うと目に浮かんだ涙を指先で拭ったフレドリカがフーッと息を吐いて言い放った。
「ショック? 何か勘違いしてるようだから教えてあげるけど、私はロベリア叔母さんが大嫌いだった。だから死んでもショックじゃないし、ロベリア叔母さんの死と私の性格の変化は関係ない」
初めて聞く娘の気持ちにアナベルは驚き固まった。
「私はあの人を美化したりしない。性悪のクソ女のことなんてね」
「なんてこと言うの! 謝りなさい!」
「誰に? ロベリア叔母さんは死んだ。もういない。何? お墓に向かってごめんなさいでもしてこいって?」
「ロベリアはあなたを可愛がってたじゃない! どうして性悪だなんて……あなたは何か勘違いしてる! ロベリアは心根の優しい子だったわ!」
わからない。フレドリカは良くも悪くも嘘をつくタイプではないだけに何故ロベリアのことをそんな風に言うのか。誰からも愛され、誰からも褒められる天使のような子だったのに。
一体二人の間に何があったのか、アナベルは怪訝な表情でフレドリカを見つめる。
「そう見られるように努力してただろうからね。上手かったよね、猫かぶり」
「……お願い。ちゃんとわかるように説明して。どうしてあなたはロベリアを悪く言うの? ロベリアはあなたに何かしてたの?」
「何も。ただ本性を見せてくれてただけ。頼んでもないのに、ね」
本性──その意味がアナベルにはわからなかった。ロベリアとは十歳の歳の差があるだけに猫可愛がりしてきたのは確かだが、だからといって盲目になっていたつもりはない。両親と共に善悪はちゃんと教えてきた。だからこそあんな良い子に育ったんだと自負していたのに、自分たち家族が知らないロベリアの一面をフレドリカは知っている。
知るのは怖いが、知りたい。それはアナベルの中にもバラの小さな棘のようなものがどこか片隅に引っかかっている部分があったから。
怪訝だった表情が少し頼りなくなったのを見てフレドリカがその場で小さく息を吐く。
「ロベリア叔母さんは良くしてくれたと思う。可愛がってくれたしね。だから私も彼女を大好きだって思ってた頃があった。彼女が病気になって死にかけるまでは、ね」
フレドリカは語り始めた。家族の誰も知らない、フレドリカだけが知っているロベリアの裏の顔を。
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