亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
上 下
37 / 190

四度目の命日2

しおりを挟む
 用意された黒のドレスを着て、ファーディナンドの隣に立つイベリスの手首からメモ帳はぶら下がっていなかった。雨で濡れては意味がないと思ったからか、それともこの瞬間だけは外しておくのが礼儀と判断したのか。ファーディナンドは横目でイベリスの細い手首を見る。

「献花はしたことあるのか?」

 イベリスに問いかけると小さな頷きだけ返ってくる。 

「両陛下、お進みください」

 アイゼンの言葉でファーディナンドが一歩踏み出すとイベリスも一緒に歩く。ファーディナンドにはアイゼンが、イベリスにはサーシャが付き、その後ろをウォルフたち騎士団が歩く。
 広場の中央に設置された肖像画には魔法士による防御壁が張られており、雨によって濡れることもなければ雷に打たれても壊れることもない。そこへ伸びる黒い絨毯の上を歩くイベリスの横顔を盗み見るも目が合うことはない。いつもは横に目でもついているのかと思うほど盗み見ただけで目が合うのに、あれから目は一度も合わないでいる。
 献花台の横に積まれた花を取る。ロベリアの花が小さな花束になっている。ロベリアの肖像画の前で目を閉じ、祈る。

(ロベリア、もうすぐよ。もうすぐ、彼のもとへ帰れるから、もう少しだけ待っててね)

 目を開け、肖像画を見つめながら口だけ動かしたイベリスを視界の端で捉えながらファーディナンドも同じタイミングで花を置いた。
 イベリスはファーディナンドが歩き出すのを待ってから一緒に歩いていく。屋根の下へと戻り、用意された椅子に腰掛けながら多くの国民が黒い絨毯の上を歩きながら涙している。
 誰もイベリスのことなど見てもいない。亡くなって四年が経つというのに今も国民たちはその現実に打ちひしがれている。

「イベリス」

 声をかけられるもイベリスは顔を向けない。

「お前、さっきロベリアの肖像画の前で何を言った?」

 その問いかけさえもイベリスは無視する。
 国民の前だ。怒鳴りつけるわけにはいかない。

「サーシャ、メモ帳を出せ」
「申し訳ございません。所持しておりません」
「なんだと?」

 思わず振り返ったファーディナンドにサーシャが頭を下げるも言葉は続く。

「侍女でありながらツールであるメモ帳を所持していないだと? お前はどうやってイベリスと会話するつもりだ?」
「今日はロベリア前皇妃の命日でございます。黙祷を捧げ、余計な会話は必要ないためメモ帳は置いてくるようにとイベリス様よりご指示がありましたので」
「イベリス、どういうつもりだ」

 イベリスは一切顔を向けない。その幼稚な抵抗にファーディナンドの苛立ちは募るばかり。

「今日一日中こうして俺を無視するつもりか? 願いが叶わなかった子供のように拗ね、相手が機嫌を取ってくれるまでそうしているつもりなんだな?」

 何を言われようとイベリスの視線が真正面から外れることはない。

「ロベリアならそんな幼稚なことはしなかった。常に国民に笑顔を向けていた」

 誰も見ていないのに笑顔を向けてどうするんだと心の中でだけ反論し、口は開かない。横で溜息をつくファーディナンドにイベリスはもう何も期待していない。別れまでもう半年を切っている。相手がどういう態度を取ろうと、自分がどういう態度で接しようと結末は変わらないのだから好かれようと思うのもやめようと決めた。考えるだけ、期待するだけ苦しくなるとわかっているから。

「お前にはうんざりだ……。今日ぐらい俺の願いを叶えようとは思わないのか……」

 目の前に表示される言葉を見ながらイベリスはその言葉をなるべく一回で視界から消えるようにといつもより時間をかけて瞬きをする。次に目を開けたとき、その言葉はなく、安堵の息を瞬きと同じようにゆっくり時間をかけて静かに吐き出す。
 それ以降、ファーディナンドは何も言わず、イベリスも人形のように動かなかった。

「陛下、このあとは食事会ですよね」

 式典が終わり、ロベリアの友人や親族を集めての食事会の予定を確認するウォルフに言い放った。

「部屋に帰りたければ帰れ。話す気のない者がいても邪魔なだけだ。気分を害さぬように気を遣うのが普通だと言っていたが、どの口がそのようなことを抜かしたのか。笑えるな」

 ファーディナンドはイベリスを見て嘲笑したが、イベリスはファーディナンドを見なかった。顔を歪めることも涙を流すこともなく、言葉は見えているはずなのに反応すらしない。そのまま城の中へと戻っていく後ろ姿に舌打ちをした。
 ファーディナンドはもてなさなければならないため欠席はできず、そのままアイゼンを先頭に食堂へと移動する。

「ロベリアが病に倒れ、その尊き命が無慈悲にも奪われてからもう四年が経った。四年で癒える悲しみなどない。あの愛を、あの温もりを、あの笑顔を、あの声を思い出さぬ日はない。戻れるものなら戻りたい。ロベリアがいて幸せだったあの頃に。前に進まねばとわかっていても、立ち止まって振り返ってしまう。今日は生憎の雨だが、ロベリアが流す悲しみの涙なのだろうと俺は思っている。皆に会いたいと流す涙だろうと。悲しまないでくれと伝えたい。今日、ロベリア・キルヒシュを求める者があれだけ集まったのだからと。そして今、ここにこれだけの家族が集まってくれた。俺からも感謝する。皆でロベリアに黙祷を捧げよう」

 長テーブルを四つ繋げた食堂には空席なくロベリアの関係者が座っていた。腰掛けていた上座から立ち上がり、ワイングラス片手に語るファーディナンドの言葉を聞きながら各々がグラスを持つ。そのまま目を閉じて黙祷を捧げたあと、全員がワインを一口飲んだ。
 まるでパーティーのように次々に運ばれてくる豪華な食事。テーブルの上には果物やパンが数多く並び、好きなだけ食べられるようにしている。
 料理に舌鼓を打ちながら談笑する光景をファーディナンドは嬉しく思う。何年経とうとこの光景は変わらない。誰もロベリアを忘れない。そう感じていた。

「陛下、あの、彼女は……」

 一番近くに座っていたロベリアの父親が発した言葉に談笑していた者たちの口が閉じる。誰のことを聞きたがっているのか察したファーディナンドがグラスを置いて顔を向けた。

「彼女の名はイベリス・リングデール。ラタネヴィア大陸にあるリンベルに住まう公爵令嬢だった」
「ロベリアと顔がそっくりで驚きました……」
「俺もだ」
「こんなことを申し上げるのは失礼だと承知しておりますが、陛下の再婚に驚いた私たちはロベリアのことなどどうでもいいものかと思っていました」
「そんなわけないだろう」
「ロベリアを思うがあまり、彼女と再婚されたのだとわかり、安堵しました」

 うんうんと繰り返し頷く面々にファーディナンドは笑顔を見せる。彼らなら理解してくれると思っていた。だが、計画を話すつもりは今のところなかった。

「内面はロベリアと似ても似つかんものでな。少々わがままが過ぎる。今日も式典に出たくないだ、食事会への出席を拒み、そなたらには申し訳ないと思っている。俺から詫びよう」
「ロベリアは自分がどんな状態であろうとも笑顔を欠かさず、周りに気を遣える子でしたからね」
「辛いのに最後まで笑顔でいたあの子は私たちの誇りです」
「俺も夫として彼女を誇りに思っていた。あれほど素晴らしい女性には二度と会えないだろう」

 ファーディナンドがそこまで言ってくれることに感動するロベリアの両親はハンカチを取り出して涙を拭う。父親の肩に手を置いて摩るファーディナンドを嫌悪感丸出して見ていた奥にいる十代の少女が口を開いた。

「キモすぎて吐きそう……」

 食事のせいではなく、明らかにこちらを見て発言している少女にファーディナンドとロベリアの両親が一斉に視線を向けた。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄されたので田舎に引きこもったら、冷酷宰相に執着されました

21時完結
恋愛
王太子の婚約者だった侯爵令嬢エリシアは、突然婚約破棄を言い渡された。 理由は「平凡すぎて、未来の王妃には相応しくない」から。 (……ええ、そうでしょうね。私もそう思います) 王太子は社交的な女性が好みで、私はひたすら目立たないように生きてきた。 当然、愛されるはずもなく――むしろ、やっと自由になれたとホッとするくらい。 「王都なんてもう嫌。田舎に引きこもります!」 貴族社会とも縁を切り、静かに暮らそうと田舎の領地へ向かった。 だけど―― 「こんなところに隠れるとは、随分と手こずらせてくれたな」 突然、冷酷無慈悲と噂される宰相レオンハルト公爵が目の前に現れた!? 彼は王国の実質的な支配者とも言われる、権力者中の権力者。 そんな人が、なぜか私に執着し、どこまでも追いかけてくる。 「……あの、何かご用でしょうか?」 「決まっている。お前を迎えに来た」 ――え? どういうこと? 「王太子は無能だな。手放すべきではないものを、手放した」 「……?」 「だから、その代わりに 私がもらう ことにした」 (いや、意味がわかりません!!) 婚約破棄されて平穏に暮らすはずが、 なぜか 冷酷宰相に執着されて逃げられません!?

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

(完結)伯爵令嬢に婚約破棄した男性は、お目当ての彼女が着ている服の価値も分からないようです

泉花ゆき
恋愛
ある日のこと。 マリアンヌは婚約者であるビートから「派手に着飾ってばかりで財をひけらかす女はまっぴらだ」と婚約破棄をされた。 ビートは、マリアンヌに、ロコという娘を紹介する。 シンプルなワンピースをさらりと着ただけの豪商の娘だ。 ビートはロコへと結婚を申し込むのだそうだ。 しかし伯爵令嬢でありながら商品の目利きにも精通しているマリアンヌは首を傾げる。 ロコの着ているワンピース、それは仕立てこそシンプルなものの、生地と縫製は間違いなく極上で……つまりは、恐ろしく値の張っている服装だったからだ。 そうとも知らないビートは…… ※ゆるゆる設定です

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...