上 下
35 / 190

半年

しおりを挟む
「いい天気でございますな、陛下」

 昨日の天気と変わらないのにわざわざ部屋にやって来てまで天気が良いなどと言うアイゼンをファーディナンドは無視した。この男が無用で部屋を訪れるはずがない。なんの目的があってここにやって来たのか、それを探るのさえ煩わしい。

「イベリス様が嫁いでこられて今月でちょうど半年になります」
「それがどうした」
「何か心境に変化はございましたか?」

 大体の予想はついていた。そしてこの問いはその予想どおりである。アイゼンは何故かイベリスを気にする。事あるごとに気は変わっていないかと聞いてくるのが鬱陶しくてたまらない。

「ない」
「おや、そうですか」
「何か言いたげだな」

 あからさまに含みある声を出すアイゼンに眉を寄せながら書類から目を離さないまま一応問いかけるとすぐに言葉が返ってきた。

「私の目には陛下はイベリス様にとても優しくなられたように映っております」
「逃げ出さないようにするためだ」
「楽しそうに見えるのですがね」
「ロベリアとの思い出を遡っている気分になれるからだ」
「そうですか。それはとても残念でございます」

 残念と思っていないような声色。こちらが嘘をついているとでも言いたげで、こういうときのアイゼンの態度は昔から気に入らない。

「ですが、イベリス様がロベリア様とは別人であることは既に実感されておられるのでしょう?」
「別人だからな。俺はロベリアの魂を入れる器が欲しいがためにアイツに優しくしている。優しくしていればこちらの思惑に気付くこともない。あと半年もすればロベリアが戻ってくるんだ」

 黙るアイゼンが気になって振り向くと真面目な顔でこちらを見ていた。

「今を愛されてはいかがでしょうか」

 ウォルフに言われたことを思い出す。二人が言いたいのは何故今を愛さないのかということ。失った者を追い求め、今を愛さない人間が不思議でならないのだろう。
 きっとそう思っているのは二人だけではない。サーシャも、他の使用人も思っているだろう。生きている人間を犠牲にしてまで亡くなった者を取り戻そうとするのはおかしいと、計画を公表すればきっと非難が集中するはず。

(わかっている。イベリスを犠牲にして、ロベリアが戻ってきてもロベリアはきっと喜ばないだろう。むしろ軽蔑するだろう。だが……)

 わかっていても求めることをやめられない。会いたい。もう一度、ロベリアをこの腕に抱きたい願いが止まらないのだ。

「イベリス様のことは愛せそうにありませんか?」
「お前は何故そこまでイベリスを気にするんだ?」
「陛下に前にお進みになっていただきたいからです」
「俺がイベリスを愛せば前に進むと?」
「少なくとも過去に縋るようなことは無くなるでしょう」

 苛立つ。ロベリアが亡くなり、彼女は過去の人間となった。だが、まだ亡くなって立ったの三年。それを過去だ過去だと言われるとどうしようもなく腹が立つ。わかっている。そうすべきだと。正しいのはアイゼンであるとわかっているが、前に進めない。
 バンッと机を叩いて立ち上がったファーディナンドにアイゼンは表情を変えない。

「お前に俺の気持ちがわかるか? ロベリアを失って俺がどんなに苦しんだかなどお前にわかるまい!」
「陛下の苦しみは重々承知しております。ですが、イベリス様も生きておられます。彼女は何も知らず、陛下の嘘を信じて嫁いでこられた。彼女はまだ十六の少女。陛下のお考えはあまりにも残酷すぎます」
「仕方ないだろう! 他に何がある!? 他にロベリアが生き返る方法があれば教えてくれ! 俺はそのためならなんでもする!」
「だから今を愛せと申し上げているのです」
「俺が愛しているのはロベリアだ! イベリスではない!!」

 外に響き渡るほどの大声での宣言にアイゼンの表情は相変わらずで、口調にも怯みはない。

「なら何故、マシロを与えたのですか?」
「なに?」
「ロベリア様は犬が苦手なお方でした。半年後にロベリア様の魂をイベリス様のお身体に降ろすのであればマシロを与えるべきではなかったのではありませんか? ロベリア様が戻られたとき、マシロはどうなさるおつもりで?」
「……犬を飼いたいと言うから与えてやっただけだ。俺はアイツに一目惚れしたことになっているから叶えてやらなければ怪しむだろう。犬など児童養護施設にでも譲渡してやれば喜ぶはずだ」
 
 アイゼンがかぶりを振る。溜息と共に。呆れたと言わんばかりの様子に眉を寄せるが、噛みつきはしなかった。

「命の尊さを誰よりも理解しておられる陛下が命をぞんざいに扱われるとは……」

 アイゼンはそれ以上何も言わなかった。ゆっくり頭を下げ、アイゼンが部屋から出ていったことでファーディナンドは一人、肩を上下させながら一点を見つめている。
 愛を教えてくれた最愛の人を求めることの何が悪い。前に進めないのはロベリアがいないからだ。ロベリアが戻ればまた前に進める。あの頃のように。そう思っている。

「イベリス様、全部食べてはいけませんよ。昼食はイベリス様の大好物のリゾットなんですから」

 ウォルフの声に窓から下を覗き込むといつもの場所でティータイムの準備をしていた。イベリスが大事そうに抱えるクッキー缶。既に開けて食べようとしているのをウォルフが待ったをかけるも一枚差し出されて買収される。そのままイベリスの手から食べたウォルフはその美味さに目を見開き、もう一枚とねだる。サーシャはお茶を淹れに行っているのだろう。二人が笑い合ってクッキーを食べる様子をただ見つめるだけ。

「……イベリス」

 名前を呼んだが振り向かない。二階から呼んでも聞こえない。遠くから見ればロベリアでしかない外見も、笑えば別人。ロベリアがあの身体に入ったとき、自分はイベリスを思い出すのだろうか。ロベリアを取り戻したのに、イベリスはそうじゃなかった。もっとこうだったと思ってしまうのだろうか。
 ありえないとかぶりを振る。求めていたロベリアが戻ってきたのにイベリスを思い出す必要などない。半年後、イベリスを連れて魔女の元を訪ねた際、記憶を消してもらうよう頼もう。そうすれば後ろめたいことなどなくなるのだから。

「イベリス様? 何を見てらっしゃ……あ、陛下!」

 胸に手を当てて頭を下げるウォルフに手を上げるも目を合わせているのはイベリス。ジッとこちらを見上げるイベリスを見つめ返しているとパッと笑顔に変わった。胸元まで手を上げてそこで腕ではなく手だけ揺らす様子はロベリアだった。イベリスはいつも腕ごと振る。

『今を愛されてはいかがでしょうか?』
『今を愛せないお方、という印象を持っています』

 イベリスを愛したら何か変わるのか。相手は十六歳の少女。子供だ。どうやって愛せと言うのか。マシロを与えたのは嫉妬ではなく願いを叶えて喜ばせるため。ベンジャミンを叱ったのもイベリスを守ったのではなく相手の礼儀のなさを叱責しただけ。一緒に寝るのも一人で寝かせて朝になったらいませんでしたとなるのを防ぐためだ。
 アイゼンは勘違いしている。
 ロベリアがいない今でも何も怠ることなく生きている。前に進んでいる。今、今と言われるのが嫌だった。

「一緒にお茶しないかとイベリス様がおっしゃっています」
「仕事中だ」
「ですよね~。仕事中だからムリですって」

 唇を尖らせるイベリスに「のんきでいいな」と言うとウォルフはそれを伝えなかった。苦笑するだけ。

「……お前では……ダメなんだ……」

 今月で半年。イベリスに情がないと言えば嘘になる。あの屈託のない明るさは天性のもので、周りにいる者たちの気分を明るくする。ロベリアにはそれがなかった。明るさはあったが、イベリスほどではない。
 それでも、ファーディナンドはロベリアが恋しいと思う。
 来月はロベリアの四度目の命日。あの日に至るまでのことを思い出してしまう。出会った日から離れる日までのことを、まるで昨日の出来事のように鮮明に。そのたびに胸が締め付けられて痛くなる。
 あの愛が恋しくてたまらないのだ。
 また大勢の人間がロベリアを懐かしんでやってくる。イベリスを見て驚くだろう。特にロベリアの姉は受け入れないかもしれない。
 ロベリアがファーディナンドの人生から姿を消して四年目になる。彼はそれをまだ受け入れたくなかった。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?

ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。 だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。 これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

【完結】いいえ。チートなのは旦那様です

仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。 自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい! ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!! という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑) ※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

処理中です...