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彼が求める理由

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(似てる……)

 自分でもそう思うほど肖像画の人物の見た目。白髪、碧眼、白い肌。違うところと言えばロベリアがボブ、イベリスがロングヘアであることとロベリアのまつ毛が黒、イベリスのまつ毛が白であることだけ。顔も雰囲気もよく似ている。
 サーシャがすぐに説明してくれなければファーディナンドがイベリスを想って描かせたと勘違いしそうになるほどに。

〈似てない?〉

 自分の顔と肖像画を交互に指すイベリスにサーシャが頷く。

〈ロベリア様と瓜二つのイベリス様を陛下がお連れになられたときは使用人一同、驚きを隠せませんでした。まさかロベリア様と同じ顔をした方を連れてこられるとは、と〉

 妻を失ったばかりのファーディナンドを知っているだけにイベリスを連れてきたときは“執念”だとサーシャは思った。
 ロベリアとは別人だとわかっていながらもこれだけ似ている人間を見つけ、嫁として迎えるファーディナンドに恐怖さえ感じた。

(ああ……それで……)

 おかしいと疑っていなかったわけではない。疑問もちゃんと持っていた。帝国の貴族、男爵レベルならまだしも、皇帝陛下が一端の伯爵令嬢に一目惚れなどするはずがないと。万が一にでもしたとして、国を背負う長が仕事からの帰り道に嫁に迎えたいと求婚するなどおかしいとも。
 あの優しい瞳の奥に感じた妙な違和感。あれは勘違いなどではなかった。ファーディナンドはイベリスを通してロベリアを見ていたのだ。亡くなった愛しい妻がまるで目の前にいるように思える人間を手に入れるために良い人間を演じていた。
 あの部屋で腕を引く力の強さ。あれは苛立ちが含まれていた。筆談をして笑ってくれたのは演技だったのだろうか。あんな風に楽しく笑い合って話したのも全て手に入れるための演技だったのか。
 結婚早々こんな感情に陥るとは思っていなかった。

〈陛下はとてもお優しい方ですから、抱えきれないほどの愛情を注がれることでしょう〉
(彼が愛情を注ぐ相手は私じゃないんでしょ?)

 心の中で問いかけるだけにしておいた。サーシャにそんな感情をぶつけたところで仕方ない。亡き妻を、亡き母を想ってそれに似た雰囲気の女性を選ぶ男性は多いと何かの本で読んだことがある。ファーディナンドはまだ二十九歳。妻を亡くして三年。二十六歳での死別。まだたったの三年。恋しく思うのも仕方ないし、理解もする。だが、少なからずショックではあった。

〈行きましょうか〉

 頷くイベリスの前をまた歩き出し、イベリスもそれについていく。階段を上がる最中も横目でロベリアの肖像画を見てしまう。

〈こちらが食堂でございます。食事は常にここで行われます〉
〈こちらが執務室でございます。陛下の許可なく立ち入ることは許されません〉
〈こちらが皇妃様専用のバスルームでございます。皇妃様の希望なさる日に入浴の準備をいたします。汗をかいていないから入らない、汗をかいたから入ると申し付けくださればそれに合わせた対応をさせていただきます〉

 あちこち歩き回りながらの説明にイベリスは少し疲れていた。ウェディングドレスが重い。ヒールが痛い。疲れた。そんな感情を顔に出すもサーシャは前を向いて先を歩いているため気付かない。
 早くドレスを脱いでネグリジェに着替えてしまいたいと開放感を求める中、立ち止まったサーシャに合わせてイベリスも足を止めた。

〈こちらが皇妃様のお部屋となっております〉
〈私の?〉
〈公務がございますし、読書やティータイムの時間などはこちらで過ごしていただきます〉

 紙とペンを貸してくれと手を動かして借りると質問を書く。

〈王立図書館みたいな場所はないの?〉
〈お読みになりたい本を言っていただければ私が探して持ってまいります〉
〈明日、そこに連れていってもらえる?〉
〈かしこまりました〉

 交互にペンを持ってメモ帳に書き込んでいく。サーシャも渋々こうして筆談しているのかもしれないと被害妄想に陥りながらもイベリスは笑顔でありがとうを口パクで伝えた。ペコッと頭を下げるサーシャが進むとイベリスも進む。

「こちらが両陛下の寝室でございます」

 これまで見てきた部屋の中で最も豪華な部屋だった。
 まるでどこかの神殿から持ってきたような太い柱。天蓋付きベッドから垂れるヴェールのような薄布。ピンと張られたシーツ。六つもあるクッション。オットマン。全て白で揃えられている。壁も床も。

〈何時に寝て、何時に起きるか決まってる?〉
〈陛下は八時半に食堂に向かわれます〉

 いつも七時に朝食が出てくる生活だったイベリスにとって一時間半の差は大きい。かといって結婚式当日にも仕事をしなければならないほど多忙な相手はもう少しゆっくり寝たいだろう。合わせてもらうのはさすがにおこがましいかと考え、眉を寄せながら目を閉じて首を傾げる。

〈とりあえずドレス脱ぎたい〉
〈かしこまりました〉

 話し合えばいいかと結論に至ったイベリスはとりあえず開放感を得ることを優先した。
 手際よく順番に脱がされていくドレス。一つずつ外れていく見たことがないほど大きな宝石がついたアクセサリー。
 リンウッドから贈られた婚約指輪でさえこんなに大きな宝石はついていなかった。
 イベリスの目が神父の前ではめられた指輪に落ちる。大きな宝石がついた指輪だと目を瞬かせていたが、これはイベリスのために用意したのではなくロベリアの物だ。肖像画のロベリアが身につけていた指輪そのもの。それをそっと外そうとするとサーシャが上からスッと手を押さえて止めた。

〈どうなさいました?〉
〈サイズが少し大きくて、落としたら怖いから外しておこうと思って〉
〈サイズ直しが必要ですね〉
〈あとで彼に話すわ〉

 イベリスために作ったのではないのだからサイズが違って当然。サーシャもこれがロベリアの指輪だと知っているのだろう。驚きはしなかった。
 この結婚の真実を知らないのはリングデール家だけ。招待客も使用人も知らなかったのかもしれないが、彼がなぜイベリスを選んだのかはすぐに察しただろう。だから皆一様に同じ顔をしていたのだ。
 この真実を両親が知れば悲しむだろう。彼を非難するかもしれない。

(悲しませたくないなぁ……)

 娘の耳が聞こえないと知ったとき、母親は二人目を諦めた。もう一人産んで、その子も聞こえなかったらどうすればいいと怯えていたから夫も説得もせず受け入れた。
 世継ぎが生まれて、聞こえなかったら大変だ。領民とまともに話もできない。通訳を雇えばいいという話ではないらしく、耳の聞こえない人間を不審に思い不安を抱く者もいるとか。
 イベリスはその話を聞いて申し訳なくなったが、両親は『あなたの明るさに救われた』と言ってくれた。大事に育ててくれた。娘がしたいと言ったことは何でもチャレンジさせてくれたし、どんな夢でも持てばいいと言ってくれた。なれるなれない、やれるやれないは別として、経験する価値はあると考えてくれたおかげでイベリスは明るくいられた。
 耳が聞こえなくとも人生は楽しめると教えてくれた両親に心配はかけたくないから、イベリスは亡き皇妃と自分が瓜二つである真実は隠しておくことにした。
 
「指輪はどうした?」

 日付が変わる頃、寝室に入ってきたファーディナンドが問いかけたのは指輪のこと。労いでもなければ感謝でも謝罪でもない。

〈少しだけ緩くて落とさないか心配で……指輪はあそこに置いてる〉

 サーシャが用意してくれたメモ帳に字を書いてファーディナンドに見せて、部屋に置いてあった宝石箱を指した。あの中にはロベリアが使っていたのだろうアクセサリーがそのまま残っており、今日つけていたアクセサリーは全てロベリアの物だとサーシャが教えてくれた。
 サーシャは淡々としているが、嫌な人間ではない。キッチリと仕事をするタイプというだけ。皇妃と侍女。決して友人として交わることのない境界線を守って接しているのだと悟った。
 聞けば何でも答えてくれた。この部屋に置いてある小物のほとんどがロベリアの物であり、ドレスもそのままにしてあること。明日からロベリアの服を着させるよう命じられていること。新しい物は買い与えず、ロベリアの物を身につけさせること。明日からは公務ではなく皇妃としての授業が組まれていること。
 この部屋にも肖像画が飾ってある。ロベリアだけでなくファーディナンドも一緒。新しい妻を迎えたというのにそれを外そうともしない、堂々としたやり口にイベリスは感心すらしていた。

「もう少しだけ太れ」

 サイズ直しではなく指輪に身体のサイズを合わせろと言うファーディナンドにイベリスはメモ帳に大きな字で返事を書いた。

〈やだ〉

 あんなに優しく微笑んでくれていた男はどこへ行ってしまったのか、苛立ちを表情に出す。

「もう一度言う。もう少しだけ太れ」

 もう一度同じ言葉を突きつけるように顔の前にメモ帳を持っていくと払われる。

「細すぎて心配なんだ」

 立てた四本指を左胸から右胸へと移動させるイベリスにファーディナンドがかぶりを振り、イベリスも同じように振る。
 その言葉が嘘であることを知っているから従いたくなかった。
 ベッドの中にいると嫌でも目に入る真正面にある二人の肖像画。見た目は同じだが、ロベリアのほうが少し胸が大きい。見下ろしたくない自分の胸に視線はやらず、言葉を綴る。

〈あなたの思いどおりにはならない〉

 その言葉を最後にメモ帳を閉じたイベリスは驚くファーディナンドに拗ねた子供のようにベーッと舌を出して布団にもぐった。
 自分の考えがバレていないとは思っていないだろう。この計画がバレたくないなら肖像画も写真立ても隠すはずだし、使用人にペラペラと話すなと緘口令を敷くはず。
 ファーディナンドの目的は自分を使ってロベリアを再現することだと悟ったイベリスが小さな反撃を見せたが、それでもあえて何も言ってこないファーディナンドにイベリスは少し腹を立てていた。
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