亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
上 下
29 / 190

アイススケート

しおりを挟む
「大したもんだな」
「恐縮です」

 庭の広い池がパキパキと音を立てながら凍っていくのを見てファーディナンドが呟いた。
 テロスはリンドルやグラキエスとは違い、さまざまな季節が過ぎていく。暑過ぎず寒過ぎない。それがテロス。そこで生まれ育ったファーディナンドにとって凍った池を見るのは初めてのこと。
 本当にしっかり凍っているのだろうかと怪しんでいる部分もある。

「ウォルフ、乗れ」
「試そうとしてます?」
「いいから行け」

 ウォルフはグラキエス出身であるため魔法の中で氷属性を一番信頼しているため疑いなく氷の上に乗った。

「陛下、見てください! 大丈夫ですよ!」

 二メートルを超える巨体が乗ってもミシッと圧がかかる音すらしないことに疑いは消えるが、どうにも乗る気にならない。隣に立つイベリスは目を輝かせており、乗ってこいと声をかけようものなら手を引かれて強制的に氷の上を滑ることになるのは目に見えている。
 声をかけずとも今にも走り出しそうなイベリスと極力目を合わせないようにウォルフを見ていると距離が変わっていく。

「あーこれヤバいやつだ。ヤバいわ」

 割れないことを証明したウォルフが両手を広げたまま笑顔で遠ざかっていく。本人はその場から一歩も動いてはいない。特別な靴を使用しているわけではなく、滑り止めもついていない靴のせいで氷の上で立ち止まることはなく、立っているだけで勝手に滑っていく。
 笑顔で遠ざかっていくウォルフを心配したイベリスがサーシャに連れ戻さないと、と訴えるもサーシャは無理だと言った。

〈池の向こうに着くだけですので大丈夫でしょう〉
〈遠いよ?〉
〈氷を解除して濡れるよりはマシかと〉

 相変わらずウォルフに対して冷たい態度を取るサーシャにイベリスは眉を下げる。ウォルフは気さくに話しかけているのだが、サーシャは無視することが多い。十回話しかけて十回無視されることもあると笑っていたウォルフに気にしている様子は見受けられなかったが、昔馴染みの相手と偶然にも再会したのに無視されて悲しくないはずがない。
 イベリスはテロスでリンウッドと再会して無視されたらと考えると無性に悲しくなった。ウォルフもきっとそんな感じだと想像するがサーシャの対応を強制はできない。できれば仲良くしてほしいと願うだけ。
 
「あれでも滑ると言うのか?」
〈でも滑るだけでも楽しいのよ?〉
「俺には流されているだけのように見えたが?」
〈ほら、時には流れに身を任せるのもいいと思わない?〉
「任せすぎじゃないか?」

 どんどんと遠くへ行ってしまうウォルフを見ていると出てくるのは「楽しそう」や「面白そう」といった前向きなものではなく「想像と違った」だった。
 リンベルでは上手く滑れていた。なぜここではそうじゃないのかと答えを求めてサーシャを見ると城を出る前から持っていたブラシをイベリスに見せる。

〈これで氷に少し傷をつけます〉
〈滑らなくなるんじゃない?〉
〈しっかりと傷をつけると引っかかって転んでしまいますが、表面を少しだけ傷つけることによって滑りすぎるのを防ぎます〉
〈楽しめる?〉
〈やってみないことにはなんとも言えませんが〉

 あくまでも可能性の話だと言ってブラシを手に氷の上に乗ったサーシャをハラハラしながら見ていると立っていたサーシャが氷の上に寝転んだ。
 寝転んだまま起き上がらず、晴れた空を見上げて黙っているサーシャに慌てて池の際まで駆け寄って顔を覗き込む。その際。イベリスの手はファーディナンドの手を握ったままだ。何かあれば引っ張ってもらおうと考えてのこと。

〈大丈夫!?〉

 手を伸ばしてサーシャのエプロンを掴むとそのまま引っ張った。スーッと流れてくる姿は誰の目にも滑稽に映るが、サーシャの表情に変化はない。

「これでは死者が出るのではないか?」

 ファーディナンドの問いにようやく起き上がったサーシャが難しい顔をする。

「グラキエスでは子供だけですが、転んでも楽しそうに何度でも挑戦していました。子供は吸収が早く、すぐに滑れるようになるんです」
「だといいがな」
「死者が出るようなことはありませんでしたが……いかがいたしましょう?」
「イベリスが既にイベント告知をした以上は今更取りやめというわけにもいかんだろう。死者が出たら中止と触れ回っておけ」
「かしこまりました」

 テロスの街を流れる川は池よりも凍らせるのに時間がかかるためそろそろ向かわねばとイベリスに伝えるとパッと手を離してサーシャと腕を組む。

〈行ってくるから、戻ってきたときには滑れるようになっててね〉
「俺は忙しいんだ」
〈でも時間作ってくれるでしょ? 月をスポットライト代わりに夜のアイスリンクで踊るのも素敵だと思わない?〉
「また風邪をひくことになるぞ」
〈バカも風邪ひくものね〉
「お前のことだ」

 ベーッと舌を出して門前に停めてある馬車へと向かう二人を見送ると隣を猛スピードで駆け抜ける獣が視界に入った。追いついた瞬間にボンッと音を立てて人型へと変わったウォルフをイベリスが笑う。
 馬車の前では既にマシロが待機しており、一緒に馬車に乗り込んだ。

 街は告知のおかげか、まるで建国記念パレードでも行われるのではないかと勘違いしそうになるほど大勢の国民が集まっていた。
 彼らも凍った川を見たことがない。凍る瞬間を一目見るべく側道に陣取り、全員が似たような厚着をしながら待っている。
 側道から階段を下りて川に近付いたサーシャがその場でしゃがみ、手をかざす。サーシャの手が小さなダイヤモンドダストを作り出しているかのようにキラキラと輝き、それが川に触れた瞬間、池を凍らせたとき同様に一気に凍っていく。
 響く歓声と拍手。

「イベリス様、周りをご覧ください」

 表示された言葉に側道を見上げると集まっていた国民のほとんどが拍手をしていた。音は聞こえないが指笛を吹いている者もいた。
 しばらくして子供たちが「まだー?」と声を上げ、それにウォルフが対応する。

「えー、この氷が簡単に割れることはありませんが、さすがにこれだけの数が一斉に乗るとどうなるかわかりませんので告知どおり人数制とさせていただきます。時間制限ありでの交代。これには我々騎士団が係となって対応しますので順番を守ってお待ちください。とてもよく滑るので小さいお子さんは必ず保護者の方と手をお繋ぎになってお楽しみください。死者が出た時点で中止となります。どうかあまり無茶なことはせず、まずは慎重に慎重に、生まれたての仔馬のような感じでお願いします」

 用意していた拡声器で告げると子供たちが一斉に「はーい!」と返事をした。それにまた笑顔になるウォルフに令嬢たちが色めき立つ。
 暫くして端まで凍ったのを感じたサーシャが手を離し、凍り具合を確認して頷いたことでウォルフが係の騎士に合図を出した。既に階段前には長蛇の列。
 途中で作った氷の柵がスペースを分ける。大人とぶつかって怪我をしないようにと作られた子供向けのスペース。そこへ続く列も多かった。

「本当にロベリア様にそっくりだ」
「まるでロベリア様が生き返ったようだ」
「嬉しいねぇ。陛下もさぞお喜びのことだろう」
「あの結婚式のときの陛下はとても嬉しそうだったからな」

 イベリスの近くに立つ国民が口にする言葉がイベリスに聞こえていないのが幸いだと二人は思った。彼らの言葉が文字として見えていたらイベリスは傷ついていたに違いない。

「ロベリアさま」

 列から抜けて近付いてきた幼子がイベリスの足に腰に抱きついた。

〈ふふっ、なあに? どうしたの?〉

 嬉しそうに笑うイベリスが抱き上げると幼子は嬉しそうに笑って今度は首に抱きついた。
 十六歳で既に母親になっている者もいるため、皇妃となったイベリスが母でもおかしくはない。柔らかな匂いがする子供と頬を合わせる姿は微笑ましいが、二人は複雑な心境でそれを見ていた。

「すみません! 本当にすみません!」

 母親だろう女性が慌てて駆け寄ってくる。奪うことはできないため両手を伸ばすと幼子が自分から母親に両手を伸ばして戻っていく。

「本当にロベリア様と瓜二つなんですね。姉妹ではないんですよね?」
「違います」
「じゃあ陛下がロベリア様と瓜二つの女性を探し出して再婚されたということですか?」
「イベリス様に惚れて再婚なされただけです」
「でもここまでそっくりだと──」

 井戸端会議でもするようにそこに留まる女性の詮索に対してウォルフは苦笑しながらの対応だったが、サーシャは違った。

「列にお戻りください」

 場が凍るほどピシャリと言い放った。女性は気まずそうに夫がいる列へと戻っていくが、何か言いたげに振り向いてはイベリスを見ていた。

〈彼女はなんて言ってたの?〉
「近くで見ると遠くで見たときよりもずっと愛らしくて驚いたと」
〈ホント~?〉
「騎士は嘘はつきません」
〈そうなの?〉
「はい。そう誓いを立てるんです」
「天性の嘘つきのくせに」

 イベリスに聞こえないのをいいことにサーシャがその場で嘘だとバラしては近くにいた国民がクスクスと笑う。

〈戻りましょうか〉
〈もう少しこの景色を見ていたいわ〉

 ゆっくりと、慎重に、本当に生まれたての仔馬のように足を震わせながら必死にバランスを取っては転ぶ大人たち。それを笑うあっという間に滑るコツを掴んだ子供たち。ここに怒りや悲しみといった感情は存在しない。イベリスはその光景がとても美しいものに見えた。

〈陛下がお待ちですよ〉
〈どうせ仕事してる〉
〈わかりませんよ? イベリスとのスケートデートのために練習されているかもしれません〉
〈絶対ない〉
〈じゃあ帰って確かめてみましょう〉

 そこへ繋がるかとサーシャの誘導に笑うともう一度だけ目の前に溢れる笑顔を焼き付けて馬車へと向かう。乗り込んだ馬車から外を見ると手を振ってくれる国民に笑顔で手を振り返す。

「イベリス様は人気者ですね」
〈すごく嬉しい〉

 胸の正面で開いた両手を交互に上下させるイベリスをウォルフも真似する。説明してもらわずともそれが「嬉しい」の手話であることはわかった。
 サーシャだけがそこに笑顔を浮かべない。ここに到着してからこの瞬間まで、国民の誰もがイベリスの名を口にしなかった。手を振って見送るこの瞬間でさえ、彼らは「ロベリア様」と呼んでいたから。
しおりを挟む
感想 328

あなたにおすすめの小説

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

居場所を奪われ続けた私はどこに行けばいいのでしょうか?

gacchi
恋愛
桃色の髪と赤い目を持って生まれたリゼットは、なぜか母親から嫌われている。 みっともない色だと叱られないように、五歳からは黒いカツラと目の色を隠す眼鏡をして、なるべく会わないようにして過ごしていた。 黒髪黒目は闇属性だと誤解され、そのせいで妹たちにも見下されていたが、母親に怒鳴られるよりはましだと思っていた。 十歳になった頃、三姉妹しかいない伯爵家を継ぐのは長女のリゼットだと父親から言われ、王都で勉強することになる。 家族から必要だと認められたいリゼットは領地を継ぐための仕事を覚え、伯爵令息のダミアンと婚約もしたのだが…。 奪われ続けても負けないリゼットを認めてくれる人が現れた一方で、奪うことしかしてこなかった者にはそれ相当の未来が待っていた。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...