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パーティ会場にて
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〈パーティー?〉
唐突すぎる知らせに驚きはしたが、イベリスの機嫌は良かった。パーティーに出席するのは久しぶり。そもそもパーティーに出席した回数は人生で片手で数えられるほどしかなかった。
踊りながら話をすることがイベリスにはできない。リンウッドが一緒に行こうと何度も何度も誘ってくれはしたが、イベリスのほうが乗り気ではなかった。
両親がリンウッドには申し訳ないが、無理強いするつもりはないと断ってくれたことで誘われることはなくなった。
〈あなたってそういうのに出席するタイプなのね?〉
「皇帝をなんだと思っているんだ?」
〈一匹狼タイプなのかと思ってた〉
「それでは皇帝は務まらん。帝国を統べる者が閉鎖的でどうする」
意外だと失礼な言葉を書くイベリスに何を勉強してきたんだと彼女の日々の勉強時間を疑う眼差しを向けるも返ってくるのは笑顔。
〈踊れるの?〉
「皇族は踊らん」
〈でも王族は踊るわよ? 王族と踊るために生きてる子だっているんだから〉
「少なくとも俺は踊らん」
〈踊れないんじゃなくて?〉
「挑発したところで踊らんぞ」
〈私も踊らないからいい〉
ファーディナンドはイベリスに踊れるのか?とは聞かなかったし、踊れないんだろとからかうこともしなかった。当然だ。いくら頭の中でリズムを取ろうと無音の世界で踊らなければならないイベリスをからかうつもりはなかった。
イベリスは明るくて賑やかだからファーディナンドは時折忘れてしまう。耳が聞こえないことがどういうことなのかを。
音のない世界で生きる辛さを自分は知らない。これからも知らないままだろう。
ただ生きている人間は本当の無音を知らない。誰もいない書斎で一人、呼吸を止めて目を閉じたところで使用人が歩く音や話し声が聞こえる。それらを全て命令で止めさせたとしても風の音や木々の揺れる音が聞こえる。ほんの僅かな音ですら拾ってしまうのだ。地下深くまで潜らなければきっと本当の無音は感じられない。だが、それは本当にイベリスの世界か?と疑問も持った。音が聞こえない世界などどうやっても再現できない。それこそ魔法で聴力を奪われない限りは。
「楽しみか?」
馬車の揺れに身体を合わせながら外の景色を眺めるイベリスの表情は明るい。
〈ええ! だって、あなたが連れていってくれるなんて思ってなかったから〉
「再婚して皇妃が存在するのに同行させないのは不自然だろ」
〈でも、今回は俺だけで行く。お前は留守番していろって言うこともできるでしょ?〉
「お前がマシロにしたようにな」
パンッと太ももを少し強めに叩かれる。意地悪にニヤつくファーディナンドに怒った表情を向けてメモ帳を閉じて抵抗を示す。それをあえて開いたファーディナンドが代わりにペンを握った。
何を書くつもりだとイベリスの視線がそちらへ向かう。
「バーカ」
言葉で表示されるのとメモ帳に書かれた文字は同じ。ダブルで見せられた言葉にメモ帳で顔を叩こうとするも腕を掴まれる。
〈足踏んでやる!〉
「短い足だな」
〈狭い馬車の中では関係ないでしょ!〉
必要以上に揺れる車内に御者が何をしているんだと思わず覗き込む。皇妃が皇帝を蹴ろうとしている様子に驚き、慌てて姿勢を戻して前を見た。
ロベリアなら絶対にしなかったその粗暴さにも驚くが、それよりもそれらの行動に対して笑っているファーディナンドに驚いた。
あんな風に笑う人だったのかと衝撃さえ覚えた。
「大人しくしていろ。珍しい物があってもハシャぐな」
〈わかってる〉
「黄色い鳥を見ても追いかけるなよ」
〈わかってるってば!〉
メモ帳はサーシャに預け、イベリスはファーディナンドの横を歩く。大きな噴水を横切り、会場へと続く階段を上がっていく。
見られることにはあまり慣れていない。イベリスは耳が聞こえないだけなため見た目には障害があることは他人には伝わらない。だから普通に話しかけられてようやく相手が気付く。
でも今回は違う。誰からも話しかけられていないのに痛いほどの視線を感じている。その理由は疑問に思うこともなく明白。
(ロベリアが生きてるって思ってるんでしょうね)
言語表示の魔法がかけられているのはファーディナンドとウォルフだけ。対象者はイベリス。言葉が表示されるのは二人分だけで周りがどんなことを話していようとイベリスにはわからない。
こちらを見遣り、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと話すゲストたちにイベリスは笑顔を見せた。こればかりはロベリアのようにはいかない。
(いくら歴史を覚えたところで話ができないなら意味ないのよね)
必死に覚えてきたテロスの歴史も話す相手がいなければ意味がない。痛感したイベリスは無意識にファーディナンドの服を強く掴む。
それに気付いたファーディナンドはイベリスのほうに顔は向けないまま、服を握るその手を覆うように手を置いた。
「ファーディナンド皇帝陛下、お久しぶりでございます」
背の低い丸々と太った腰曲がりの男が背の高い美女を連れて現れた。
「息災のようだな」
「おかげさまで。今年もまだ生き延びられそうです」
「そうか。コーディーの民にはまだまだお前が必要だ。長生きするといい」
「精進いたします」
それはそうと、とでも言い出しそうな表情がイベリスに向けられる。
「瓜二つでございますな、陛下」
「そうか? 俺には別人にしか思えん」
「ロベリア皇妃が舞い降りられたのかと目を疑ったほどでございます」
「彼女が亡くなってもうすぐ四年だ。蘇るはずもない」
「月日の流れは残酷なまでに早い。身をもって実感しておるところです」
「そのわりには色欲は健在のように見えるが?」
「いやはやお恥ずかしい。ですが陛下、最後まで残るのは食欲でも睡眠欲でもなく、性欲だと知りました」
既に棺桶に腰まで浸かっているだろう老人は今も現役であるかのように隣の美女の腰を抱いていた手を少し下にズラして尻を鷲掴みにした。
二人の後ろに立っているウォルフがオエッと吐きそうな顔をしてはサーシャに手の甲で足を叩かれる。
「ロベリア皇妃は本当に素晴らしいお方でした」
「そうだな」
「できることならもう一度お会いしたいと願うほどに」
「俺もだ」
「ですが、ロベリア皇妃にこれほどにも似た娘を捕まえられたのであれば寂しさは少し軽減されることでしょう」
それには相槌を打たなかった。まるでそれが合図のように感じた老人はハハッと空笑いして頭を下げて去っていく。
「気持ちの悪いジジイだ」
吐き捨てるように言ったファーディナンドの言葉にイベリスがクスッと笑う。
〈自分の性欲が負けてるからって怒ってる?〉
「何を言っているのかわからん」
〈図星でしょ〉
「わからんと言ってるだろう」
後ろからサーシャが差し出すメモ帳を受け取ろうとせず、相手が理解できないのをいいことに好き勝手言っては笑うイベリスにファーディナンドが眉を寄せる。
会場に入ってからもファーディナンドに挨拶する者は続々と現れ、ファーディナンドの返事だけがイベリスの前に表示される。
興味のない話題。なんの話をしているのかわからない。妻は耳が聞こえないと何度も説明するファーディナンドの言葉にも飽きた。耳が聞こえないとわかると誰も話しかけてすらこない。
久しぶりの高いヒールに足が痛くなってきた。
「お前はウォルフとサーシャと共に待て」
〈どうして?〉
人差し指を立てて左右に振るイベリスに「話が長くなるからだ」と簡単に説明して、そっと手を離させた。そのまま何も言わずに名前も知らない男と会場の奥へと移動したファーディナンドを見て息を吐き出す。
〈あちらで休憩なさいますか?〉
庭に置いてあるベンチを指すサーシャにイベリスは考える顔を向ける。
〈お腹すいた気がする〉
〈入りますか?〉
〈コルセットがキツいっていうのはある……〉
吐きそうなほど締め付けられたコルセットのせいで食べ物が入るかと言われると怪しい。だが、ここに来るまでにそれなりに時間が経っていて、腹の虫は確実に空腹を訴えている。
「確かに腹の虫が鳴ってますね」
ウォルフの言葉にイベリスが心底驚いた顔を向け、どうしたのかと首を傾げる彼に慌ててペンを走らせた。
〈この音、聞こえてるの!?〉
「聞こえてますよ?」
サーシャにも向けられたメモ帳。一度に食べる量がそれほど多くはないイベリスはサーシャたちよりも空腹になるのが早く、一日に何度も腹の虫が騒ぎ出すのを聞いている。サーシャは一度も指摘したことがなく、それはイベリスの周りの人間も同じだった。
相手に恥をかかせる言動は貴族の品をなくすと言われているためそういった指摘はしないのがルールだったのもあり、イベリスは知らなかった。自分の腹の音が周りにも聞こえているということを。
〈ずっと聞こえてたの……?〉
苦笑しながら頷くサーシャにイベリスの顔が赤くなる。こんな音を一日に何度も聞かれ、空腹だとバレ続けていたことが恥ずかしい。
〈いつもサーシャがタイミング良くお菓子や飲み物を持ってきてくれたのって……この音を聞いてたから……?〉
もう一度サーシャが頷く。羞恥と絶望を足して二で割ったような顔をするイベリスを見てサーシャがウォルフの太ももを抓った。結構な力で抓られた痛みに思わず声が上がりそうになったものの笑顔で堪えるウォルフは失言だったと反省し、何も言わなかった。
〈あそこの料理って食べてもいい?〉
〈毒味役がいるので大丈夫でしょう〉
「もしかして俺のこと?」
「鼻がいいんでしょう?」
「無臭の毒もあるの知ってるか?」
「皇妃の護衛ならそれぐらいしなさい」
「それぐらいって言葉と死が全然釣り合わないって感じてるの俺だけ?」
物騒な話をしているのだろうことはウォルフの言葉から察し、肩を小さく揺らしながら軽食が用意されているテーブルへと向かうとそこに立っていた同じぐらいの年齢だろう少年と目が合った。
皿に大量の食事を取り、まるでリスのように口いっぱいに詰め込んでいる姿はとても貴族や王族には見えない。
睨みつけるようにこちらを見る少年と目は合ったが、イベリスはそれを無視して置いてある皿に手を伸ばした。
「お前が顔だけで選ばれた元皇妃の代わりとして選ばれた哀れな女のくせに僕を無視するのか?」
突然の暴言に驚いたのはサーシャとウォルフであり、言われたことに気付いていないイベリスはそのまま皿の上に好きな物を乗せはじめた。
唐突すぎる知らせに驚きはしたが、イベリスの機嫌は良かった。パーティーに出席するのは久しぶり。そもそもパーティーに出席した回数は人生で片手で数えられるほどしかなかった。
踊りながら話をすることがイベリスにはできない。リンウッドが一緒に行こうと何度も何度も誘ってくれはしたが、イベリスのほうが乗り気ではなかった。
両親がリンウッドには申し訳ないが、無理強いするつもりはないと断ってくれたことで誘われることはなくなった。
〈あなたってそういうのに出席するタイプなのね?〉
「皇帝をなんだと思っているんだ?」
〈一匹狼タイプなのかと思ってた〉
「それでは皇帝は務まらん。帝国を統べる者が閉鎖的でどうする」
意外だと失礼な言葉を書くイベリスに何を勉強してきたんだと彼女の日々の勉強時間を疑う眼差しを向けるも返ってくるのは笑顔。
〈踊れるの?〉
「皇族は踊らん」
〈でも王族は踊るわよ? 王族と踊るために生きてる子だっているんだから〉
「少なくとも俺は踊らん」
〈踊れないんじゃなくて?〉
「挑発したところで踊らんぞ」
〈私も踊らないからいい〉
ファーディナンドはイベリスに踊れるのか?とは聞かなかったし、踊れないんだろとからかうこともしなかった。当然だ。いくら頭の中でリズムを取ろうと無音の世界で踊らなければならないイベリスをからかうつもりはなかった。
イベリスは明るくて賑やかだからファーディナンドは時折忘れてしまう。耳が聞こえないことがどういうことなのかを。
音のない世界で生きる辛さを自分は知らない。これからも知らないままだろう。
ただ生きている人間は本当の無音を知らない。誰もいない書斎で一人、呼吸を止めて目を閉じたところで使用人が歩く音や話し声が聞こえる。それらを全て命令で止めさせたとしても風の音や木々の揺れる音が聞こえる。ほんの僅かな音ですら拾ってしまうのだ。地下深くまで潜らなければきっと本当の無音は感じられない。だが、それは本当にイベリスの世界か?と疑問も持った。音が聞こえない世界などどうやっても再現できない。それこそ魔法で聴力を奪われない限りは。
「楽しみか?」
馬車の揺れに身体を合わせながら外の景色を眺めるイベリスの表情は明るい。
〈ええ! だって、あなたが連れていってくれるなんて思ってなかったから〉
「再婚して皇妃が存在するのに同行させないのは不自然だろ」
〈でも、今回は俺だけで行く。お前は留守番していろって言うこともできるでしょ?〉
「お前がマシロにしたようにな」
パンッと太ももを少し強めに叩かれる。意地悪にニヤつくファーディナンドに怒った表情を向けてメモ帳を閉じて抵抗を示す。それをあえて開いたファーディナンドが代わりにペンを握った。
何を書くつもりだとイベリスの視線がそちらへ向かう。
「バーカ」
言葉で表示されるのとメモ帳に書かれた文字は同じ。ダブルで見せられた言葉にメモ帳で顔を叩こうとするも腕を掴まれる。
〈足踏んでやる!〉
「短い足だな」
〈狭い馬車の中では関係ないでしょ!〉
必要以上に揺れる車内に御者が何をしているんだと思わず覗き込む。皇妃が皇帝を蹴ろうとしている様子に驚き、慌てて姿勢を戻して前を見た。
ロベリアなら絶対にしなかったその粗暴さにも驚くが、それよりもそれらの行動に対して笑っているファーディナンドに驚いた。
あんな風に笑う人だったのかと衝撃さえ覚えた。
「大人しくしていろ。珍しい物があってもハシャぐな」
〈わかってる〉
「黄色い鳥を見ても追いかけるなよ」
〈わかってるってば!〉
メモ帳はサーシャに預け、イベリスはファーディナンドの横を歩く。大きな噴水を横切り、会場へと続く階段を上がっていく。
見られることにはあまり慣れていない。イベリスは耳が聞こえないだけなため見た目には障害があることは他人には伝わらない。だから普通に話しかけられてようやく相手が気付く。
でも今回は違う。誰からも話しかけられていないのに痛いほどの視線を感じている。その理由は疑問に思うこともなく明白。
(ロベリアが生きてるって思ってるんでしょうね)
言語表示の魔法がかけられているのはファーディナンドとウォルフだけ。対象者はイベリス。言葉が表示されるのは二人分だけで周りがどんなことを話していようとイベリスにはわからない。
こちらを見遣り、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと話すゲストたちにイベリスは笑顔を見せた。こればかりはロベリアのようにはいかない。
(いくら歴史を覚えたところで話ができないなら意味ないのよね)
必死に覚えてきたテロスの歴史も話す相手がいなければ意味がない。痛感したイベリスは無意識にファーディナンドの服を強く掴む。
それに気付いたファーディナンドはイベリスのほうに顔は向けないまま、服を握るその手を覆うように手を置いた。
「ファーディナンド皇帝陛下、お久しぶりでございます」
背の低い丸々と太った腰曲がりの男が背の高い美女を連れて現れた。
「息災のようだな」
「おかげさまで。今年もまだ生き延びられそうです」
「そうか。コーディーの民にはまだまだお前が必要だ。長生きするといい」
「精進いたします」
それはそうと、とでも言い出しそうな表情がイベリスに向けられる。
「瓜二つでございますな、陛下」
「そうか? 俺には別人にしか思えん」
「ロベリア皇妃が舞い降りられたのかと目を疑ったほどでございます」
「彼女が亡くなってもうすぐ四年だ。蘇るはずもない」
「月日の流れは残酷なまでに早い。身をもって実感しておるところです」
「そのわりには色欲は健在のように見えるが?」
「いやはやお恥ずかしい。ですが陛下、最後まで残るのは食欲でも睡眠欲でもなく、性欲だと知りました」
既に棺桶に腰まで浸かっているだろう老人は今も現役であるかのように隣の美女の腰を抱いていた手を少し下にズラして尻を鷲掴みにした。
二人の後ろに立っているウォルフがオエッと吐きそうな顔をしてはサーシャに手の甲で足を叩かれる。
「ロベリア皇妃は本当に素晴らしいお方でした」
「そうだな」
「できることならもう一度お会いしたいと願うほどに」
「俺もだ」
「ですが、ロベリア皇妃にこれほどにも似た娘を捕まえられたのであれば寂しさは少し軽減されることでしょう」
それには相槌を打たなかった。まるでそれが合図のように感じた老人はハハッと空笑いして頭を下げて去っていく。
「気持ちの悪いジジイだ」
吐き捨てるように言ったファーディナンドの言葉にイベリスがクスッと笑う。
〈自分の性欲が負けてるからって怒ってる?〉
「何を言っているのかわからん」
〈図星でしょ〉
「わからんと言ってるだろう」
後ろからサーシャが差し出すメモ帳を受け取ろうとせず、相手が理解できないのをいいことに好き勝手言っては笑うイベリスにファーディナンドが眉を寄せる。
会場に入ってからもファーディナンドに挨拶する者は続々と現れ、ファーディナンドの返事だけがイベリスの前に表示される。
興味のない話題。なんの話をしているのかわからない。妻は耳が聞こえないと何度も説明するファーディナンドの言葉にも飽きた。耳が聞こえないとわかると誰も話しかけてすらこない。
久しぶりの高いヒールに足が痛くなってきた。
「お前はウォルフとサーシャと共に待て」
〈どうして?〉
人差し指を立てて左右に振るイベリスに「話が長くなるからだ」と簡単に説明して、そっと手を離させた。そのまま何も言わずに名前も知らない男と会場の奥へと移動したファーディナンドを見て息を吐き出す。
〈あちらで休憩なさいますか?〉
庭に置いてあるベンチを指すサーシャにイベリスは考える顔を向ける。
〈お腹すいた気がする〉
〈入りますか?〉
〈コルセットがキツいっていうのはある……〉
吐きそうなほど締め付けられたコルセットのせいで食べ物が入るかと言われると怪しい。だが、ここに来るまでにそれなりに時間が経っていて、腹の虫は確実に空腹を訴えている。
「確かに腹の虫が鳴ってますね」
ウォルフの言葉にイベリスが心底驚いた顔を向け、どうしたのかと首を傾げる彼に慌ててペンを走らせた。
〈この音、聞こえてるの!?〉
「聞こえてますよ?」
サーシャにも向けられたメモ帳。一度に食べる量がそれほど多くはないイベリスはサーシャたちよりも空腹になるのが早く、一日に何度も腹の虫が騒ぎ出すのを聞いている。サーシャは一度も指摘したことがなく、それはイベリスの周りの人間も同じだった。
相手に恥をかかせる言動は貴族の品をなくすと言われているためそういった指摘はしないのがルールだったのもあり、イベリスは知らなかった。自分の腹の音が周りにも聞こえているということを。
〈ずっと聞こえてたの……?〉
苦笑しながら頷くサーシャにイベリスの顔が赤くなる。こんな音を一日に何度も聞かれ、空腹だとバレ続けていたことが恥ずかしい。
〈いつもサーシャがタイミング良くお菓子や飲み物を持ってきてくれたのって……この音を聞いてたから……?〉
もう一度サーシャが頷く。羞恥と絶望を足して二で割ったような顔をするイベリスを見てサーシャがウォルフの太ももを抓った。結構な力で抓られた痛みに思わず声が上がりそうになったものの笑顔で堪えるウォルフは失言だったと反省し、何も言わなかった。
〈あそこの料理って食べてもいい?〉
〈毒味役がいるので大丈夫でしょう〉
「もしかして俺のこと?」
「鼻がいいんでしょう?」
「無臭の毒もあるの知ってるか?」
「皇妃の護衛ならそれぐらいしなさい」
「それぐらいって言葉と死が全然釣り合わないって感じてるの俺だけ?」
物騒な話をしているのだろうことはウォルフの言葉から察し、肩を小さく揺らしながら軽食が用意されているテーブルへと向かうとそこに立っていた同じぐらいの年齢だろう少年と目が合った。
皿に大量の食事を取り、まるでリスのように口いっぱいに詰め込んでいる姿はとても貴族や王族には見えない。
睨みつけるようにこちらを見る少年と目は合ったが、イベリスはそれを無視して置いてある皿に手を伸ばした。
「お前が顔だけで選ばれた元皇妃の代わりとして選ばれた哀れな女のくせに僕を無視するのか?」
突然の暴言に驚いたのはサーシャとウォルフであり、言われたことに気付いていないイベリスはそのまま皿の上に好きな物を乗せはじめた。
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