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城内探検
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「イベリス様もご一緒くださるとは感激です」
〈案内はしてもらったけど隅々まで探検してないなって思ったの〉
今日はファーディナンドの命でウォルフが騎士の宿舎から城内に与えられた部屋に移動してくる日。
宿舎から駆けつけるよりも早いと万が一にでも何かあった際のことを考えて決断したようだったとウォルフから聞いた。
騎士の宿舎は見たことがないし、使用人の部屋にも入ったことがなかったため一緒に行くと決めたイベリスを連れて今日はあちこち歩き回っている。
「侍女は隅々まで案内してくれなかったのですか?」
〈必要ない場所までは案内してくれなかった〉
「皇妃様のご希望は叶えるべきじゃないのか?」
相変わらずサーシャの無視は続いている。
「サーシャはよく笑いますか?」
「余計なこと聞かないで」
〈最初の頃に比べるとよく笑ってくれるようになったわ。彼女の笑顔って大好き。セクシーよね〉
「私もそう思います」
〈私たちって気が合うのね。好きなタイプが一緒みたい〉
「そう見たいですね」
イベリスの後ろに立っているのをいいことにギロッと迫力ある睨みを向けるサーシャに気付きながらもウォルフはあえて気付かないフリをした。
騎士の宿舎に寄ると訓練中の騎士が手を止めて全員が揃って頭を下げる。何故だと思ったが自分が皇妃であることを思い出して納得する。
〈落ち着かない〉
「大勢の人間に頭を下げられる経験ってあまりないですよね」
〈私は伯爵令嬢だったし、家はそれほど強い権力を持ってはいなかったの〉
「それなら尚更だ」
宿舎を出ると安堵する。行く必要がないというサーシャの言葉を身に沁みて実感しながらウォルフの部屋へと向かった。
〈本当にここでいいの?〉
「広いぐらいですよ。宿舎の部屋をご覧になったでしょう?」
〈そうだけど……物置小屋と同じぐらいに見えるから……〉
権力を持っていなかったといえど生まれは貴族。一般家庭に生まれたウォルフにとってダブルベッドがあって机がある部屋を狭いとは言わない。身体の大きい自分のためにわざわざこんなにも大きなベッドを用意してくれたファーディナンドには感謝しかないが、イベリスは声にこそならないものの口だけ動かして何か言っていた。きっと、もう少し大きい部屋にしてあげればいいのにとでも言っているのだろうと想像して苦笑する。
〈ね、サーシャの部屋も見たいわ!〉
ズイッと目の前に出されたメモ帳に書かれた言葉にサーシャがギョッとし、慌ててメモ帳を取り出した。
〈私の部屋はここよりも更に狭いのでイベリス様をお迎えするなどできません〉
〈迎えてくれなくていいの。私が見たいだけだから〉
〈散らかっておりますので〉
〈サーシャは整理整頓が完璧でなければ嫌なんでしょ?〉
今やってることを片付けてから新しいことをやる。片付けてから次の物を出すと何度注意を受けたかわからないぐらいサーシャは片付けにはうるさい。そんな人間が部屋を散らかすだろうかと疑問をぶつけるイベリスにサーシャのペンが止まる。
暫く無言でいたサーシャのペンが走り、溜息と共にメモ帳が差し出された。
〈少しだけですからね?〉
何度も頷くイベリスを連れて部屋へと向かう途中、サーシャが足を止めて振り返った。
「どうしてあなたも一緒に来るのですか?」
「俺はイベリス様の護衛騎士だから朝、部屋を出られる瞬間から夜、寝室に入られるまでの護衛が仕事」
「私が一緒なのでご心配なく」
「心配だから俺が護衛として呼ばれたんだ」
イベリスの耳が聞こえないのをいいことにウォルフの目を見たまま見事な舌打ちをかました。鬱陶しいと顔にデカデカと書くサーシャに「行かないのか?」と声をかけると黙れと呟くような返事が聞こえ、歩みが再開される。
あからさまな嫌悪にさすがのイベリスも能天気に二人の仲をどうこうしようとお節介を焼くことはできず、ペンを指先で遊ばせながら黙って部屋へとついていった。
〈本当に何もありませんからね?〉
鍵を開けて中に招き入れるとイベリスはさっそく〈嘘つき〉と書いた。床から窓から全てピカピカ。散らかるどころか埃一つ落ちていないのではないかと思うほどキレイに片付いている。
〈ウォルフの部屋のほうが物がたくさんあった気がする〉
「騎士は装備が多いですからね。でも、防具に武器、獣人故にブラシの多さと筋トレの道具と本と調理器具ぐらいですよ?」
使用人に武器も防具も必要なく、ブラシは一つで充分。食事は食堂で出るため調理器具も必要ない。逆に調理器具を所持しているのは何故かとサーシャが怪訝な顔をする。
サーシャの部屋にあるのは本が詰まった本棚と小さな机とシングルのベッドのみのシンプルを極めたような部屋。鏡は壁にかけられている姿見だけで鏡台も手鏡もない。
〈キレイなランタン〉
シンプルな部屋の中で唯一存在感を放つインテリアに気付くと宝石を見つけたように目を輝かせながらイベリスが机に寄っていく。
鳥籠のような形をしているランタンの火はオレンジではなく青。中に蝋燭は見えず、その代わり魔法石のような物が見えた。
グラキエスはランプが有名な国。化学反応で青い炎なのだろうかとランプを持ち上げようとしたイベリスの手が触る寸前で止まる。
〈ッ!?〉
攻撃のような腕を掴む強さに驚いたイベリスが大袈裟なほど飛び跳ねて腕を引っ込めた。突然触れられるのを怖がることを一瞬忘れて腕を掴んでしまったことに慌てて深く頭を下げるサーシャにイベリスが両手を振って頭を上げるよう伝えるもサーシャは下げ続ける。
一分ほど頭を下げ続けたサーシャがようやく顔を上げるとすぐにメモ帳にペンを走らせる。
〈これは一目惚れして買った物ですが、魔法石を使っているので高温になるんです。容器に触れるだけで火傷しますので触ってはいけません〉
〈勝手に触ろうとしてごめんなさい。許可を取るべきだったわ〉
人の部屋に入って勝手に触れようとした自分が悪いんだと謝るイベリスにサーシャは何度もかぶりを振った。腕は大丈夫か、怪我はしていないかと自分が掴んだ部分を何度も撫でる。
〈火事にはならないの?〉
〈そこが魔法石の良いところなんです。魔法石が放つ炎は燃え移ることがなく、その場で燃え続けるだけなんです。なので部屋を暖めるのには最適で、蝋燭のように消耗品でもありません〉
〈どうやって火をつけてるの?〉
〈魔力です〉
〈魔法が使えるの!?〉
〈そんな大したことはできませんよ。ほんの少し、物を凍らせたりする程度の魔法です〉
物を凍らせることができるのは充分に大した魔法なのではないかとイベリスは思った。
魔力もないイベリスにとって完璧なサーシャは魔法まで使えるすごい人間だと改めて実感する。
〈さ、そろそろお茶の時間ですので、お部屋に戻りませんか?〉
〈そうね。素敵なランタン見せてくれてありがとう〉
〈とんでもない。あんな物で良ければいつでも見に来てください〉
〈冬はサーシャの部屋は暖かそうね〉
〈暖炉ほど火力はありませんよ〉
部屋を出て鍵を閉めたサーシャはメモ帳で会話しながらイベリスの部屋へと向かう。その後ろをついて歩きながらウォルフは不可解な表情を浮かべていた。
イベリスには聞こえていなかったが、ウォルフにはハッキリ聞こえた『触らないでください!』と異様なまでに張った焦りを含んだ大声。自分が持っているランタンで皇妃が怪我をしたとなれば大問題になる。だが、サーシャの焦りは別にあるような気がしてならなかった。
「……なに?」
その日の夜、ウォルフはどうしても眠れず、サーシャの部屋を訪ねた。支給品のパジャマに安物のショールを巻きながら出てきたサーシャのあからさまな顔と声色。ウォルフも今だけは笑顔を浮かべる気にはならず、真剣な表情でサーシャを見る。
「あのランタン、どこで手に入れた?」
唐突な問いかけにサーシャの表情は更に不機嫌なものへと変わっていく。
「こんな時間にやってきて、わざわざ聞くのがそれ?」
「いいから答えろ」
大きな溜息と共に答えた。
「……テロスに移る前にグラキエスで作ってもらった物よ」
ランプが名産の国であるグラキエスでは様々な形のランプが作られる。市販品からオーダーメイドまで対応しているため、グラキエス出身のサーシャがどんなランタンを持っていようと不思議ではない。
サーシャはオーダーメイドで作ってもらったと言うが、ウォルフは信じていなかった。
「シャルが助かってから変だぞ。どうした?」
「別にどうもしないわよ」
「サーシャ、皆がお前を心配してた。せっかくシャルが治ったってのに出ていくって言い出したり──」
「グラキエスは寒すぎる。私は雪国で死ぬつもりはないってだけ。生まれ育った場所だから寒さが平気ってわけじゃないんだから」
納得のいく説明ではなかった。
サーシャはまだ幼い弟を大事に思っていた。生まれながらにして重病を患っていた弟。医者に診てもらっても原因不明の病の治療は不可能だと匙を投げられた。どこか医療の発達した国で診てもらうにも移動する金も診察してもらう金もない。毎日必死に世話をして励まし、祈り続けていたある日、奇跡のように弟が回復した。
しかし、弟が治ると同時にサーシャは出ていくと言った。寒いから。今更それを理由にして誰が納得できるのか。家族ですら納得しておらず反対する中、サーシャは一人出ていった。
ここで偶然にも再会したと思えば性格は氷のように冷えており、イベリスの前でだけ少し溶ける。
イベリスがランタンを触ろうとした際の焦り方、ランタンから感じる微量の魔力。どれも疑わしいわけではない。サーシャは魔法が使えるため魔力があるのは当然で、イベリスの侍女なのだからイベリスが火傷をしてはいけないと焦るのも当然。
だが、ウォルフはどうにも引っ掛かっている。サーシャの背後の景色は部屋が青い炎に不気味に照らされている。本を読むには向いていない。昼間、部屋に入った際、ベッドの横にサイドテーブルが置かれていなかった。ランプはなく、部屋にある灯りはランタンの火だけ。夜まで仕事をし、部屋に戻るのは日付が変わる前。だとしたら棚の中に隙間なく埋め尽くされている本はいつ読んでいるのか。
「そんなに怒ってるのはもう寝るとこだったからか? それとも寝てるのを起こしたからか?」
「寝ようとしてたところにあなたがやって来て、くだらない質問をしてきたからよ」
ウォルフの疑心を感じながらサーシャは胸を押して入口から追い出そうとする。
「帰って。皇妃の騎士が使用人の部屋に来るなんて、変な噂が立てられたらどうするのよ」
「俺はいいけど」
「私はよくない。むしろ迷惑でしかな──」
突然抱きしめられたことに目を見開くサーシャだが、慌てて身体を離し、頬を打った。そのままおやすみも言わず乱暴にドアを閉め、鍵まで閉めた音に苦笑しながらウォルフはドア越しに「おやすみ」と言ってその場を離れた。
寝ていたところならランタンの火は消すはず。いや、そもそも、昼間、誰もいない部屋でランタンを付けっぱなしにしている必要はないはず。それなのに部屋に入ったときには既に火はついていた。
サーシャの魔力量はそれほど多くはない。それなのに離れた場所からでも魔力で燃やし続けられるのか?
どこか納得がいかないウォルフは階段へと続く角を曲がる前に立ち止まって振り返り、サーシャの部屋を見た。真っ暗な廊下にうっすらと伸びるドアの隙間からこぼれる青い炎。
眠っているのかいないのか、サーシャへの疑心を抱えたまま角を曲がった。
〈案内はしてもらったけど隅々まで探検してないなって思ったの〉
今日はファーディナンドの命でウォルフが騎士の宿舎から城内に与えられた部屋に移動してくる日。
宿舎から駆けつけるよりも早いと万が一にでも何かあった際のことを考えて決断したようだったとウォルフから聞いた。
騎士の宿舎は見たことがないし、使用人の部屋にも入ったことがなかったため一緒に行くと決めたイベリスを連れて今日はあちこち歩き回っている。
「侍女は隅々まで案内してくれなかったのですか?」
〈必要ない場所までは案内してくれなかった〉
「皇妃様のご希望は叶えるべきじゃないのか?」
相変わらずサーシャの無視は続いている。
「サーシャはよく笑いますか?」
「余計なこと聞かないで」
〈最初の頃に比べるとよく笑ってくれるようになったわ。彼女の笑顔って大好き。セクシーよね〉
「私もそう思います」
〈私たちって気が合うのね。好きなタイプが一緒みたい〉
「そう見たいですね」
イベリスの後ろに立っているのをいいことにギロッと迫力ある睨みを向けるサーシャに気付きながらもウォルフはあえて気付かないフリをした。
騎士の宿舎に寄ると訓練中の騎士が手を止めて全員が揃って頭を下げる。何故だと思ったが自分が皇妃であることを思い出して納得する。
〈落ち着かない〉
「大勢の人間に頭を下げられる経験ってあまりないですよね」
〈私は伯爵令嬢だったし、家はそれほど強い権力を持ってはいなかったの〉
「それなら尚更だ」
宿舎を出ると安堵する。行く必要がないというサーシャの言葉を身に沁みて実感しながらウォルフの部屋へと向かった。
〈本当にここでいいの?〉
「広いぐらいですよ。宿舎の部屋をご覧になったでしょう?」
〈そうだけど……物置小屋と同じぐらいに見えるから……〉
権力を持っていなかったといえど生まれは貴族。一般家庭に生まれたウォルフにとってダブルベッドがあって机がある部屋を狭いとは言わない。身体の大きい自分のためにわざわざこんなにも大きなベッドを用意してくれたファーディナンドには感謝しかないが、イベリスは声にこそならないものの口だけ動かして何か言っていた。きっと、もう少し大きい部屋にしてあげればいいのにとでも言っているのだろうと想像して苦笑する。
〈ね、サーシャの部屋も見たいわ!〉
ズイッと目の前に出されたメモ帳に書かれた言葉にサーシャがギョッとし、慌ててメモ帳を取り出した。
〈私の部屋はここよりも更に狭いのでイベリス様をお迎えするなどできません〉
〈迎えてくれなくていいの。私が見たいだけだから〉
〈散らかっておりますので〉
〈サーシャは整理整頓が完璧でなければ嫌なんでしょ?〉
今やってることを片付けてから新しいことをやる。片付けてから次の物を出すと何度注意を受けたかわからないぐらいサーシャは片付けにはうるさい。そんな人間が部屋を散らかすだろうかと疑問をぶつけるイベリスにサーシャのペンが止まる。
暫く無言でいたサーシャのペンが走り、溜息と共にメモ帳が差し出された。
〈少しだけですからね?〉
何度も頷くイベリスを連れて部屋へと向かう途中、サーシャが足を止めて振り返った。
「どうしてあなたも一緒に来るのですか?」
「俺はイベリス様の護衛騎士だから朝、部屋を出られる瞬間から夜、寝室に入られるまでの護衛が仕事」
「私が一緒なのでご心配なく」
「心配だから俺が護衛として呼ばれたんだ」
イベリスの耳が聞こえないのをいいことにウォルフの目を見たまま見事な舌打ちをかました。鬱陶しいと顔にデカデカと書くサーシャに「行かないのか?」と声をかけると黙れと呟くような返事が聞こえ、歩みが再開される。
あからさまな嫌悪にさすがのイベリスも能天気に二人の仲をどうこうしようとお節介を焼くことはできず、ペンを指先で遊ばせながら黙って部屋へとついていった。
〈本当に何もありませんからね?〉
鍵を開けて中に招き入れるとイベリスはさっそく〈嘘つき〉と書いた。床から窓から全てピカピカ。散らかるどころか埃一つ落ちていないのではないかと思うほどキレイに片付いている。
〈ウォルフの部屋のほうが物がたくさんあった気がする〉
「騎士は装備が多いですからね。でも、防具に武器、獣人故にブラシの多さと筋トレの道具と本と調理器具ぐらいですよ?」
使用人に武器も防具も必要なく、ブラシは一つで充分。食事は食堂で出るため調理器具も必要ない。逆に調理器具を所持しているのは何故かとサーシャが怪訝な顔をする。
サーシャの部屋にあるのは本が詰まった本棚と小さな机とシングルのベッドのみのシンプルを極めたような部屋。鏡は壁にかけられている姿見だけで鏡台も手鏡もない。
〈キレイなランタン〉
シンプルな部屋の中で唯一存在感を放つインテリアに気付くと宝石を見つけたように目を輝かせながらイベリスが机に寄っていく。
鳥籠のような形をしているランタンの火はオレンジではなく青。中に蝋燭は見えず、その代わり魔法石のような物が見えた。
グラキエスはランプが有名な国。化学反応で青い炎なのだろうかとランプを持ち上げようとしたイベリスの手が触る寸前で止まる。
〈ッ!?〉
攻撃のような腕を掴む強さに驚いたイベリスが大袈裟なほど飛び跳ねて腕を引っ込めた。突然触れられるのを怖がることを一瞬忘れて腕を掴んでしまったことに慌てて深く頭を下げるサーシャにイベリスが両手を振って頭を上げるよう伝えるもサーシャは下げ続ける。
一分ほど頭を下げ続けたサーシャがようやく顔を上げるとすぐにメモ帳にペンを走らせる。
〈これは一目惚れして買った物ですが、魔法石を使っているので高温になるんです。容器に触れるだけで火傷しますので触ってはいけません〉
〈勝手に触ろうとしてごめんなさい。許可を取るべきだったわ〉
人の部屋に入って勝手に触れようとした自分が悪いんだと謝るイベリスにサーシャは何度もかぶりを振った。腕は大丈夫か、怪我はしていないかと自分が掴んだ部分を何度も撫でる。
〈火事にはならないの?〉
〈そこが魔法石の良いところなんです。魔法石が放つ炎は燃え移ることがなく、その場で燃え続けるだけなんです。なので部屋を暖めるのには最適で、蝋燭のように消耗品でもありません〉
〈どうやって火をつけてるの?〉
〈魔力です〉
〈魔法が使えるの!?〉
〈そんな大したことはできませんよ。ほんの少し、物を凍らせたりする程度の魔法です〉
物を凍らせることができるのは充分に大した魔法なのではないかとイベリスは思った。
魔力もないイベリスにとって完璧なサーシャは魔法まで使えるすごい人間だと改めて実感する。
〈さ、そろそろお茶の時間ですので、お部屋に戻りませんか?〉
〈そうね。素敵なランタン見せてくれてありがとう〉
〈とんでもない。あんな物で良ければいつでも見に来てください〉
〈冬はサーシャの部屋は暖かそうね〉
〈暖炉ほど火力はありませんよ〉
部屋を出て鍵を閉めたサーシャはメモ帳で会話しながらイベリスの部屋へと向かう。その後ろをついて歩きながらウォルフは不可解な表情を浮かべていた。
イベリスには聞こえていなかったが、ウォルフにはハッキリ聞こえた『触らないでください!』と異様なまでに張った焦りを含んだ大声。自分が持っているランタンで皇妃が怪我をしたとなれば大問題になる。だが、サーシャの焦りは別にあるような気がしてならなかった。
「……なに?」
その日の夜、ウォルフはどうしても眠れず、サーシャの部屋を訪ねた。支給品のパジャマに安物のショールを巻きながら出てきたサーシャのあからさまな顔と声色。ウォルフも今だけは笑顔を浮かべる気にはならず、真剣な表情でサーシャを見る。
「あのランタン、どこで手に入れた?」
唐突な問いかけにサーシャの表情は更に不機嫌なものへと変わっていく。
「こんな時間にやってきて、わざわざ聞くのがそれ?」
「いいから答えろ」
大きな溜息と共に答えた。
「……テロスに移る前にグラキエスで作ってもらった物よ」
ランプが名産の国であるグラキエスでは様々な形のランプが作られる。市販品からオーダーメイドまで対応しているため、グラキエス出身のサーシャがどんなランタンを持っていようと不思議ではない。
サーシャはオーダーメイドで作ってもらったと言うが、ウォルフは信じていなかった。
「シャルが助かってから変だぞ。どうした?」
「別にどうもしないわよ」
「サーシャ、皆がお前を心配してた。せっかくシャルが治ったってのに出ていくって言い出したり──」
「グラキエスは寒すぎる。私は雪国で死ぬつもりはないってだけ。生まれ育った場所だから寒さが平気ってわけじゃないんだから」
納得のいく説明ではなかった。
サーシャはまだ幼い弟を大事に思っていた。生まれながらにして重病を患っていた弟。医者に診てもらっても原因不明の病の治療は不可能だと匙を投げられた。どこか医療の発達した国で診てもらうにも移動する金も診察してもらう金もない。毎日必死に世話をして励まし、祈り続けていたある日、奇跡のように弟が回復した。
しかし、弟が治ると同時にサーシャは出ていくと言った。寒いから。今更それを理由にして誰が納得できるのか。家族ですら納得しておらず反対する中、サーシャは一人出ていった。
ここで偶然にも再会したと思えば性格は氷のように冷えており、イベリスの前でだけ少し溶ける。
イベリスがランタンを触ろうとした際の焦り方、ランタンから感じる微量の魔力。どれも疑わしいわけではない。サーシャは魔法が使えるため魔力があるのは当然で、イベリスの侍女なのだからイベリスが火傷をしてはいけないと焦るのも当然。
だが、ウォルフはどうにも引っ掛かっている。サーシャの背後の景色は部屋が青い炎に不気味に照らされている。本を読むには向いていない。昼間、部屋に入った際、ベッドの横にサイドテーブルが置かれていなかった。ランプはなく、部屋にある灯りはランタンの火だけ。夜まで仕事をし、部屋に戻るのは日付が変わる前。だとしたら棚の中に隙間なく埋め尽くされている本はいつ読んでいるのか。
「そんなに怒ってるのはもう寝るとこだったからか? それとも寝てるのを起こしたからか?」
「寝ようとしてたところにあなたがやって来て、くだらない質問をしてきたからよ」
ウォルフの疑心を感じながらサーシャは胸を押して入口から追い出そうとする。
「帰って。皇妃の騎士が使用人の部屋に来るなんて、変な噂が立てられたらどうするのよ」
「俺はいいけど」
「私はよくない。むしろ迷惑でしかな──」
突然抱きしめられたことに目を見開くサーシャだが、慌てて身体を離し、頬を打った。そのままおやすみも言わず乱暴にドアを閉め、鍵まで閉めた音に苦笑しながらウォルフはドア越しに「おやすみ」と言ってその場を離れた。
寝ていたところならランタンの火は消すはず。いや、そもそも、昼間、誰もいない部屋でランタンを付けっぱなしにしている必要はないはず。それなのに部屋に入ったときには既に火はついていた。
サーシャの魔力量はそれほど多くはない。それなのに離れた場所からでも魔力で燃やし続けられるのか?
どこか納得がいかないウォルフは階段へと続く角を曲がる前に立ち止まって振り返り、サーシャの部屋を見た。真っ暗な廊下にうっすらと伸びるドアの隙間からこぼれる青い炎。
眠っているのかいないのか、サーシャへの疑心を抱えたまま角を曲がった。
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