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親心

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 アネットがフィルマンの部屋を訪ねるのは久しぶり。
 人気の踊り子として酒場などで活躍していたアネットを地方に視察に来ていたフィルマンが『今の倍の給料を出すから踊り子をやめてメイドをしないか』と誘った。
 贔屓と言われてもおかしくないほど特別扱いで甘やかされていたのはもう昔の話で、今は滅多にこの部屋に近付く事はなかった。

「旦那様、クロヴィス王子がお見えです」
「通せ」
「その前に膝の上からそのふしだらなメイドを下ろされた方がよろしいかと」
「ああ……外してくれ」

 アネットが乗っていた膝の上には今は別のメイドが乗っていた。

「一緒にいちゃダメぇ?」
「ダメだ」
「えー」

 若く甘え上手な新しいメイド。
 視察に行ってはこうして顔の良い若い女を自分専属のメイドにと連れ帰る。
 アネットもそうだった。

「お疲れですね」
「茶の用意をしてくれ」
「かしこまりました」

 新しいメイドを手に入れると前のメイドには興味をなくす。『心配してくれてるのか?』と微笑みかけられる事さえなくなった。

「フィルマン、突然すまない」
「とんでもございません」

 アネットが開けたドアから入ってきたクロヴィスに頭を下げ、クロヴィスが腰かけた向かいに腰かけた。

「またリリーが何か無礼を?」

 サロンに顔を出せば貴族達が笑いながら話しているのはクロヴィス王子がフィルマンの娘の尻を追いかけ回しているということとフィルマンの娘がクロヴィス王子に無礼を働いているということばかり。
 それは否定しようがない事実であったが、王子が追いかけているという事実についてはフィルマンはいつも天狗になっていた。あのモンフォール家の王子が自分の娘を追いかけているのだと。
 だが今回ばかりは事情が事情なだけに何の期待も持てなかった。

「お前の娘はユリアス王子との婚約を考えているそうだな?」
「はい」

 まだ誰にも話していない情報をどこから手に入れたのかとフィルマンは眉を寄せそうになったが顔には出さず静かに頷いた。
 娘を忘れている男が何故わざわざ家にまで来てそんな事を聞くのか、理由は想像もつかない。
 クロヴィスはもう義理の息子にもならない存在。繋がれるはずだった両家の仲は事故によって断たれた。兄妹がいない両家には長男長女同士がくっつく以外方法はなかった。それもクロヴィスが記憶喪失になり、リリーを忘れた以上はもうどうしようもない事だった。
 フィルマンにとって大きな絶望となった今回の事故。
 クロヴィスが来ても喜ぶ顔一つ見せる事は出来ないでいた。

「中止にしろ」
「……は?」

 唐突な命令にフィルマンは怪訝な顔を見せる。
 娘を忘れた男が何故そんな事を命令しに来たのかわからず固まっていると相変わらずの無表情でもう一度言った。

「中止にしろ」

 意味がわからない。
 混乱するフィルマンはどう対応していいかわからず顔を見るもすぐに俯いた。
 からかいに来たわけではない。クロヴィス・ギー・モンフォールという男は冗談も言わなければ冗談を受け入れる男でもない。もし事故で性格が変わっていたとしても立場的にそんな事を冗談で言うような事はしないはず。

「それは、その……」

 フィルマンの額に汗が滲む。

「王子は私の娘をお忘れですよね? なのに何故娘の婚約を中止にしろなどとおっしゃられるのですか?」

 ポケットからハンカチを取り出して汗を拭うフィルマンに王子はゆっくり口を開いた。

「俺は確かにお前の娘を忘れている。だからこそ思い出そうとしているのだ。俺自身、胸に穴が空いたような、ピースの一つ
が欠けているような感覚に襲われている。それが周りの言うお前の娘の存在なのだとしたら思い出したい」
「……ですが……」
「俺はお前の娘を愛していた。違うか?」
「そう、ですが……」

 王子が思い出したいと言っても喜ばない歯切れの悪いフィルマン。何度も汗を拭いながらけして目を合わせようとはしなかった。

「俺がもしお前の娘を思い出せば結婚すると言うだろう」
「はい……」

 それでもフィルマンは喜ばなかった。

「なら今すぐ他の男との婚約などやめさせろ」

 あの〝媚び公爵〟と呼ばれるフィルマンが王子からの言葉に喜ばず、両手を擦り合わせながら媚びる姿一つ見せないなど違和感しかなかった。

「フィルマン、聞いているのか?」

 いつもなら「かしこまりました!」と使用人顔負けの返事をしながら尻尾を振るフィルマンに強めの口調で問いかけるとようやく顔を上げてクロヴィスを見た顔は何かを決意したような表情を浮かべていた。

「申し訳ありません、王子」

 受け入れるどころか断る言葉にクロヴィスの身体がピクッと反応する。

「それはできません」

 続く言葉の真意を聞くためクロヴィスは口を閉じていた。

「……あの子は……」

 クロヴィスの様子を窺うように視線を向けるも無表情では感情が読み取れず、フィルマンは膝の上で拳を作った。

「あの子は気丈に振る舞ってはいますが、実際はとても傷付いています。記憶をなくされた王子にこのような事を言ってもしょうがないとわかっているのですが、これ以上あの子の傷付く姿を見たくないのです」

 初めて見せるフィルマンの親心にクロヴィスの目が驚いたように開かれる。

「王子があの子だけ忘れてしまった事について何か言うつもりはありません。あの子がしてきた無礼の数々を考えれば当然の事でしょうから」

 いくら幼馴染といえ、いくら婚約者だからといえ、相手は王子で敬意を払うべき相手。それをリリーはまるでただの幼馴染であるかのように無礼な言動をし続けた。
 たとえ家同士が決めた結婚であろうと決められたことであるなら王子はそれを拒まない。〝可愛らしい〟からはかけ離れている娘を好きになるどころかその無礼さに呆れさえ感じていたのであれば記憶の奥底に封印して思い出さないようにしているのも無理はないと理解さえしていた。

「ですが……」

 苦笑へと変わっていくフィルマンの表情に良い予感はしなかった。

「女は愛されるために生まれてきた」

 クロヴィスの表情が固まる。
 祖父の言葉だ。

「あの子も女です。王子、どうぞご理解ください」

 立ち上がり深く頭を下げるフィルマンにクロヴィスは何も言わなかった。

「お茶をお持ちしまし……お帰りですか?」
「ああ、無駄にしてすまない」

 ノックの音が三回鳴り、アネットがドアを開けるとクロヴィスが出てきた。
去り際にアネットの顔を見ることなく謝罪を残したクロヴィスにアネットは目を瞬かせた。
 頭を下げたままのフィルマンを見る限り、良い結果に終わったのではない事は想像に難くない。

「旦那様、紅茶はいかがいたしますか?」

 声をかけるとようやくフィルマンは頭を上げた。

「アネット」
「はい」
「近くに」

 息を吐き出してから近くに寄るとそっと抱きしめられた。

「旦那様、こういう事はマリーに……」
「今だけでいい……」

 なんとなく予想はしていたが、久しぶりに感じるフィルマンの温もりに動揺して押し離そうとするも却って強くなる腕と弱弱しい声にアネットはそれ以上の抵抗をやめて腕を下ろした。

「何故こんな事になった……」

 婚約破棄をされた時もそう思ったが、すぐに改善した。改善どころか事態はフィルマンが思うよりずっと良くなっていた。
 ジェラルドとオレリアからの反応も良く、二人が落ち着くのを待とうと笑っていたのに今は笑い話にさえ出来ない状況にまで堕ちてしまった。
 皆を忘れてしまうのならいい。だが何故自分の娘だけ忘れてしまったのか。
 あまりにも残酷に思える神の悪戯にフィルマンは絶望していた。

「お嬢様を思う旦那様のお気持ち、王子はきっと理解くださいます」

 アネットの言葉に返事はなかったものの息が詰まりそうなほど強く抱きしめる腕が返事に感じた。

 温もり、匂い、鼓動。

 フィルマンが離れるまでアネットは拳を握り目を閉じていた。


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