上 下
47 / 72
連載

諦めるとき

しおりを挟む


「リリー、お前には本当に心底愛想が尽きた」
「まだ見捨てられていなかった事に驚いていますわ」
「腐っても娘だ。見捨てるつもりはないが、愛想は尽きた」
「そうですか。ご苦労様でした」

 落ち込んだ様子一つ見せない娘の返事に溜息をつく父親からリリーは目を逸らす。
 婚約破棄をされて怒り狂い、クロヴィスから追いかけられている事を知っては喜び、そして今、王子から忘れられてしまった事で父親は憔悴しきっていた。もう机を叩いて怒鳴りつける元気もないのだろう。

「お前は惜しくないのか?」
「何がでしょう?」
「王子の妻となれたはずの未来だ」
「王妃の座には興味がありませんので」
「お前は昔からそうだ。貴族に必要な物には一切興味がない。くだらん本や花にばかり目をやって」

 想像した事がないわけではない。このままクロヴィスと結婚すれば優しい彼の両親に可愛がられる幸せと毎日表情一つ変えずに黙々と仕事をし続ける彼を支えて退屈に生きる事を何度も想像した。
 妻は所詮お飾りで引き立て役。縁の下の力持ちにさえなれない置物同然。納得していたのだから受け入れる覚悟はあった。それでも自由が手に入るのならその自由に縋りつきたい思いもあった。

 なのに今はその自由が不安でたまらない。

 怒鳴り散らした挙句に娘を叩く父親はいない。毎日毎日拒んでも追いかけてくる王子もいない。
 後ろを振り返る事もよそ見をする事だって出来るのに……

「ごめんなさい、お父様」

 今はその自由を掴める環境を作ってしまった事が申し訳なかった。

「ユリアス王子と結婚するか?」
「……私一人で決められる事ではありませんから」

 相手は王子だ。いくらユリアスが気に入ってくれていようともその後ろには当たり前に親がいる。独断で結婚は決められない。

「相手が許可したらするのか?」
「……お父様がお望みなのであれば」

 この時リリーは自分が悪役令嬢にはなれそうもない事をようやく理解し始めていた。向いていない事に躍起になって突っ走っても良い事はなかった。だからもう大人しく決められた人生を歩もうと思っていた。

「手紙を送ろう」
「はい」

 疲れきった父親の弱弱しい声に返事をすれば頭を下げて部屋を出ていった。

「お前正気か?」
「ヤケになってるように見える?」
「見えねぇから心配してんだろ」

 ドアの外で待機していたフレデリックの問いかけにリリーは静かに答えた。
 フレデリックに指摘されてからリリーなりに自分の気持ちを整理し、考え、答えを出した。その結果がコレだ。

「悪役令嬢には向いてないってわかったの」
「でもなりたいんだろ?」
「なりたいものになれるなら誰も夢を諦めたりはしないわ」

 フレデリックが黙り込む。あれだけ意欲を見せていた行為をまるで「無駄だった」とでも言うようにリリーの表情に輝きはなかった。

「諦めの人生は楽しいか?」

 カチンときた。

「毎日膝をつくほど厳しい稽古に時間を取られる人生って楽しい?」

 嫌味を口にするリリーにフレデリックはかぶりを振る。

「狙われている原因が何なのかわからない以上は夢とかそんな事を言ってる場合じゃないの」

 リリーはずっと理由を考え続けている。
 悪役令嬢を始めた事で恨みを買ってのことなのか、それともリリーをクロヴィスの婚約者として認めていなかったファンによるものなのか。それとも身内の犯行か。
 どれもこれも怪しいと思い始めるとキリがない。

「それに」
「それに?」

 続く言葉にフレデリックが小首を傾げて待つのを横目で見ては一度大きな溜息をつき足を止めた。

「私の周りには悪役令嬢が多すぎる」

 ボソッと呟いたリリーにフレデリックの顔がニヤついた。

「はー、なるほどな」
「なによ」

 ニヤニヤとからかうように笑うフレデリックにリリーが眉を寄せると納得したように一人頷いている。

「悪役令嬢になりたいのに周りには悪役令嬢の素質を持った者が多く、自分はどう足掻いても勝てそうにないから今の状況を言い訳に諦める事にしたってわけか」

 言い方はムカつくが言っている事は合っていた。
 あの日からずっと一緒にいるフレデリックに今更隠し事をしたところですぐにバレてしまう。昔からいつもそうだった。どんなに隠そうとしてもフレデリックは気付く。見栄を張って違うと言ったところで惨めになるだけだと否定は諦めた。

「リリーちゃん」

 後ろから聞こえた声に振り向くとセドリックが笑顔で立っていた。

「こんなとこまで来るなんて珍しいな。何かあったか?」
「手紙だよ。クロヴィスからのお誘い」

 差し出された手紙の封蝋には確かにモンフォール家の印璽(いんじ)が使われていた。差出人はクロヴィス・ギー・モンフォール。

「内容は?」
「読んでみたら?」
「何を企んでんだ?」
「何も。ただ彼女をサロンに呼びたいだけだよ」

 サロンは良くも悪くも思い出の場所。その場所にまた行く機会が来るとは思ってもいなかった。
 あの日、クロヴィスに言った「さよなら」は嘘ではなかったし、思い出してくれるかもしれないという期待を持つのもやめた。

「ごめんなさい。それは持って帰って」

 だから行くつもりはなかった。

「彼は君を思い出そうとしてるんだ」

 セドリックんの言葉にリリーは驚きもせず首を振った。。

「思い出さなくていいと言っておいて」
「リリーちゃんはそれでいいのかい?」

 それが本心ではない事はセドリックにはすぐにわかった。

「私、ユリアス王子と婚約するかもしれないから」
「……え? ごめっ、ちょっと待って。え? 嘘だよね?」

 リリーからの衝撃発言に驚きを隠せず目を見開いて慌てるセドリックがフレデリックに視線を向けるも嘘ではないと首を振る様に口を開けて絶句した。

「申し出を受けるってこと?」
「クロヴィスが私を忘れた事で父は憔悴しきってるの。このまま悪役令嬢を貫き通すなんて親不孝でしょ? だからもういいかなって思って。ユリアス王子が私を気に入ってくださってる事はお父様も知っているし、一度アポを取ってみるって話になったの」

 後ろでフレデリックが首を振っているのはわかっていたがあえて振り向かなかった。セドリックは何も知らないのだからキレイに言えば押し通せると考えていたから。

「彼は今、君を思い出そうと頑張ってるんだよ?」
「だからもういいって言っておいて。無理に思い出す必要なんてない」
「でも君はこの間、彼に言おうとしたことがあったはずだ。あれを伝えないままでいいのかい?」

 リリーの顔が苦笑で歪む。
 ギリギリまで言って結局言わなかった言葉は今も頭の中をぐるぐると回り続けていて、実際に伝える夢まで見ている。

「思い出せば伝えられるんだよ?」

 リリーはゆっくりと首を振る。

「今更だけど、自分を見つめ直してわかったの。私みたいなワガママな女は彼には合わないって」

 離れている間、ずっと考えていた。自分のこれまでの態度や行いについて。
 クロヴィスは確かに傲慢な男だが努力をし続けられる男だ。学校に通いながら王子としての仕事もこなす。朝早くから夜遅くまでかかる仕事にも文句一つ言った事はない。呆れるほど真面目で、人はそれをつまらないと言うが、つまらない男だろうと仕事を放り出して遊びに熱中する人間より真面目に仕事をする人間の方が良いに決まっている。
それによく知れば不器用なだけで愛情深く優しいという事もわかった。
 それに比べて自分は何だと考えた。
 大したこともしないで一般的な、当たり前の対応をしてきただけの女が「自分は立派によくやっている。品行方正を貫き、婚約者として立派に演じきっている。あんな不愛想で退屈な男のために」と思い続けていた。

 傲慢なのはどちらか———

 その時に思った。

〝そんな女は彼に相応しくない〟と。

「そんなことないよ。クロヴィスの隣にいられるのはリリーちゃんだけだよ」
「ありがとう。でももういいの。ごめんね、せっかく持ってきてくれたのに」

 だからこそ思い出さなくてもいいと思った。あんな態度を取る女のことを思い出す必要などない。

「リリーちゃん、もう少しだけ時間をあげない?」

 リリーはまた首を振った。

「ごめんなさい」

 頭を下げるリリーにセドリックはそれ以上何も言わなかった。

「ユリアス王子との話が進んだら教えて。お祝いするから」
「ええ」

 笑顔で手を振って去っていくセドリックは角を曲がると一気に走り始めた。

「急がないと———!」


しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。

彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。 目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

【完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。