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諦めるとき
しおりを挟む「リリー、お前には本当に心底愛想が尽きた」
「まだ見捨てられていなかった事に驚いていますわ」
「腐っても娘だ。見捨てるつもりはないが、愛想は尽きた」
「そうですか。ご苦労様でした」
落ち込んだ様子一つ見せない娘の返事に溜息をつく父親からリリーは目を逸らす。
婚約破棄をされて怒り狂い、クロヴィスから追いかけられている事を知っては喜び、そして今、王子から忘れられてしまった事で父親は憔悴しきっていた。もう机を叩いて怒鳴りつける元気もないのだろう。
「お前は惜しくないのか?」
「何がでしょう?」
「王子の妻となれたはずの未来だ」
「王妃の座には興味がありませんので」
「お前は昔からそうだ。貴族に必要な物には一切興味がない。くだらん本や花にばかり目をやって」
想像した事がないわけではない。このままクロヴィスと結婚すれば優しい彼の両親に可愛がられる幸せと毎日表情一つ変えずに黙々と仕事をし続ける彼を支えて退屈に生きる事を何度も想像した。
妻は所詮お飾りで引き立て役。縁の下の力持ちにさえなれない置物同然。納得していたのだから受け入れる覚悟はあった。それでも自由が手に入るのならその自由に縋りつきたい思いもあった。
なのに今はその自由が不安でたまらない。
怒鳴り散らした挙句に娘を叩く父親はいない。毎日毎日拒んでも追いかけてくる王子もいない。
後ろを振り返る事もよそ見をする事だって出来るのに……
「ごめんなさい、お父様」
今はその自由を掴める環境を作ってしまった事が申し訳なかった。
「ユリアス王子と結婚するか?」
「……私一人で決められる事ではありませんから」
相手は王子だ。いくらユリアスが気に入ってくれていようともその後ろには当たり前に親がいる。独断で結婚は決められない。
「相手が許可したらするのか?」
「……お父様がお望みなのであれば」
この時リリーは自分が悪役令嬢にはなれそうもない事をようやく理解し始めていた。向いていない事に躍起になって突っ走っても良い事はなかった。だからもう大人しく決められた人生を歩もうと思っていた。
「手紙を送ろう」
「はい」
疲れきった父親の弱弱しい声に返事をすれば頭を下げて部屋を出ていった。
「お前正気か?」
「ヤケになってるように見える?」
「見えねぇから心配してんだろ」
ドアの外で待機していたフレデリックの問いかけにリリーは静かに答えた。
フレデリックに指摘されてからリリーなりに自分の気持ちを整理し、考え、答えを出した。その結果がコレだ。
「悪役令嬢には向いてないってわかったの」
「でもなりたいんだろ?」
「なりたいものになれるなら誰も夢を諦めたりはしないわ」
フレデリックが黙り込む。あれだけ意欲を見せていた行為をまるで「無駄だった」とでも言うようにリリーの表情に輝きはなかった。
「諦めの人生は楽しいか?」
カチンときた。
「毎日膝をつくほど厳しい稽古に時間を取られる人生って楽しい?」
嫌味を口にするリリーにフレデリックはかぶりを振る。
「狙われている原因が何なのかわからない以上は夢とかそんな事を言ってる場合じゃないの」
リリーはずっと理由を考え続けている。
悪役令嬢を始めた事で恨みを買ってのことなのか、それともリリーをクロヴィスの婚約者として認めていなかったファンによるものなのか。それとも身内の犯行か。
どれもこれも怪しいと思い始めるとキリがない。
「それに」
「それに?」
続く言葉にフレデリックが小首を傾げて待つのを横目で見ては一度大きな溜息をつき足を止めた。
「私の周りには悪役令嬢が多すぎる」
ボソッと呟いたリリーにフレデリックの顔がニヤついた。
「はー、なるほどな」
「なによ」
ニヤニヤとからかうように笑うフレデリックにリリーが眉を寄せると納得したように一人頷いている。
「悪役令嬢になりたいのに周りには悪役令嬢の素質を持った者が多く、自分はどう足掻いても勝てそうにないから今の状況を言い訳に諦める事にしたってわけか」
言い方はムカつくが言っている事は合っていた。
あの日からずっと一緒にいるフレデリックに今更隠し事をしたところですぐにバレてしまう。昔からいつもそうだった。どんなに隠そうとしてもフレデリックは気付く。見栄を張って違うと言ったところで惨めになるだけだと否定は諦めた。
「リリーちゃん」
後ろから聞こえた声に振り向くとセドリックが笑顔で立っていた。
「こんなとこまで来るなんて珍しいな。何かあったか?」
「手紙だよ。クロヴィスからのお誘い」
差し出された手紙の封蝋には確かにモンフォール家の印璽(いんじ)が使われていた。差出人はクロヴィス・ギー・モンフォール。
「内容は?」
「読んでみたら?」
「何を企んでんだ?」
「何も。ただ彼女をサロンに呼びたいだけだよ」
サロンは良くも悪くも思い出の場所。その場所にまた行く機会が来るとは思ってもいなかった。
あの日、クロヴィスに言った「さよなら」は嘘ではなかったし、思い出してくれるかもしれないという期待を持つのもやめた。
「ごめんなさい。それは持って帰って」
だから行くつもりはなかった。
「彼は君を思い出そうとしてるんだ」
セドリックんの言葉にリリーは驚きもせず首を振った。。
「思い出さなくていいと言っておいて」
「リリーちゃんはそれでいいのかい?」
それが本心ではない事はセドリックにはすぐにわかった。
「私、ユリアス王子と婚約するかもしれないから」
「……え? ごめっ、ちょっと待って。え? 嘘だよね?」
リリーからの衝撃発言に驚きを隠せず目を見開いて慌てるセドリックがフレデリックに視線を向けるも嘘ではないと首を振る様に口を開けて絶句した。
「申し出を受けるってこと?」
「クロヴィスが私を忘れた事で父は憔悴しきってるの。このまま悪役令嬢を貫き通すなんて親不孝でしょ? だからもういいかなって思って。ユリアス王子が私を気に入ってくださってる事はお父様も知っているし、一度アポを取ってみるって話になったの」
後ろでフレデリックが首を振っているのはわかっていたがあえて振り向かなかった。セドリックは何も知らないのだからキレイに言えば押し通せると考えていたから。
「彼は今、君を思い出そうと頑張ってるんだよ?」
「だからもういいって言っておいて。無理に思い出す必要なんてない」
「でも君はこの間、彼に言おうとしたことがあったはずだ。あれを伝えないままでいいのかい?」
リリーの顔が苦笑で歪む。
ギリギリまで言って結局言わなかった言葉は今も頭の中をぐるぐると回り続けていて、実際に伝える夢まで見ている。
「思い出せば伝えられるんだよ?」
リリーはゆっくりと首を振る。
「今更だけど、自分を見つめ直してわかったの。私みたいなワガママな女は彼には合わないって」
離れている間、ずっと考えていた。自分のこれまでの態度や行いについて。
クロヴィスは確かに傲慢な男だが努力をし続けられる男だ。学校に通いながら王子としての仕事もこなす。朝早くから夜遅くまでかかる仕事にも文句一つ言った事はない。呆れるほど真面目で、人はそれをつまらないと言うが、つまらない男だろうと仕事を放り出して遊びに熱中する人間より真面目に仕事をする人間の方が良いに決まっている。
それによく知れば不器用なだけで愛情深く優しいという事もわかった。
それに比べて自分は何だと考えた。
大したこともしないで一般的な、当たり前の対応をしてきただけの女が「自分は立派によくやっている。品行方正を貫き、婚約者として立派に演じきっている。あんな不愛想で退屈な男のために」と思い続けていた。
傲慢なのはどちらか———
その時に思った。
〝そんな女は彼に相応しくない〟と。
「そんなことないよ。クロヴィスの隣にいられるのはリリーちゃんだけだよ」
「ありがとう。でももういいの。ごめんね、せっかく持ってきてくれたのに」
だからこそ思い出さなくてもいいと思った。あんな態度を取る女のことを思い出す必要などない。
「リリーちゃん、もう少しだけ時間をあげない?」
リリーはまた首を振った。
「ごめんなさい」
頭を下げるリリーにセドリックはそれ以上何も言わなかった。
「ユリアス王子との話が進んだら教えて。お祝いするから」
「ええ」
笑顔で手を振って去っていくセドリックは角を曲がると一気に走り始めた。
「急がないと———!」
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