静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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背負ってあげられないもの

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 今回のアーバン襲撃は世界中に衝撃を与えた。
 父親が取り寄せてくれた世界中の新聞に目を通すと、どこもそのニュースが一面を飾っている。
 案の定、ヒュドールは糾弾される事となったが、ルーカスは今回の件についてはまだ声明を発表していない。

「首謀者はラビ・ワーナー……?」
「アーデル待ちなさい。私がまだ読んでな──ああ……」

 アーデルの手によってビリビリに破かれた新聞が床に散らばったのを見て、伸ばした手をゆっくり下ろした。

「嘘ばっかり! 彼は首謀者ではありません!」
「ヒュドールの戦では彼が最前線で戦う──というよりは彼しか戦わない。これが戦争だと思っている国はごく僅かだろう。だから皆こうした書き方をするんだ。見出しが酷ければそれだけ人は興味を持つからね。お前にとっては腹立たしい事だろうが」

 真実を知らない人間にとってはこれで間違いではないのだろうが、知っている者からすれば最悪の書き方だ。

「それにしても結構時間がかかっていますね。こんな言い方をしてはいけないのでしょうが、アーバンが粘っているというか」
「そうだな。ここには新聞ぐらいでしか情報が入ってこないからな。何が正しいのか把握できないんだ。お前達に起こった事も手紙をくれたから真相を知る事ができただけでね」
「そうですよね」

 馬車で走って数日かかる距離にある国の事まで地元の記者はいちいち書いたりしない。ラビは新聞を取らなかったから気にする事はなかったが、こうして嘘ばかり書かれている新聞も多くある。まるでその現場を見てきたかのように書かれている新聞まで。情報がこれしか入ってこないのであればこれを信じるのも無理はない。
 記者がどこかで記者魂を発揮させて戦場に乗り込んで現場を見た上で書かれた記事であればいいが、そんな記事はほとんどないだろう。中には死神恨めしいの感情で書いている記者もいるかもしれない。アーバンから離れている国ほど嘘を書いている。何が嘘で本当かわからない状況はあまりにももどかしい。だからアーデルはアーバン近隣の国の新聞だけを手元に残した。

「帰ってきている途中でしょうか?」
「だといいけどね」

 アーバンからルスまでかなりの距離がある。まだこちらに姿を見せないのはそのせいだろうかと少し不安になりながら改めて新聞に目を通す。

「ヒュドールのやり方はあまりにも酷い……」
「骨も残すな。これがルーカス・ワーナーのやり方だ」
「どうしてそこまで……」
「彼は慎重者でね。弱者であろうと気は抜かない。どんな小さな生き物も牙を持っており、そこに毒が隠されているかもしれない。噛まれただけで死ぬ事もある。だから相手がどれほど弱者であろうと徹底的にやると言っていた」
「……そうですか……」

 一瞬、ルスが相手でもか、と問いかけそうになった。
 同盟を組んでいる以上は両国の間で戦争が巻き起こる事はないのだろうが、ルーカスの性格からいって何が引き金となるかわからない。
 ルスはアーバンと同じで軍事力を持たぬ国。潰されるのはあっという間だろう。自分が生まれ育ったこの国が消滅するなど考えるだけでも恐ろしいのに、アーバンの民は国どころか命をも失った。

「彼は……ラビ・ワーナーは世界中の人間から恨みを買ったでしょうね」
「だろうな」

 じわりと浮かぶ涙を瞬きを増やす事で堪える。

「彼も覚悟の上だろうな」
「だと思います」

 彼は息絶えるその瞬間まで自分を許しはしないだろう。帰りを待つ者達の命を数えきれないほど奪ってきた。帰りを待つ者がいない自分が、と言った事がある。人殺しだと両手を見つめて自分を戒める彼にアーデルはいつもどう声をかけるべきか考えていた。最近は『背負っていくしかありません』と答えた。戦争だ。誰かがやらなければならない。公務の代わりに出陣すると自ら言ったのだから赴かないわけにはいかないと言って駆けていく彼の人生はアーバン襲撃によって更に深い後悔の闇へとのまれただろう。
 彼はどんな顔で帰ってくるだろう。あの日のようにいつもどおりを装うだろうか。それとも疲れた顔を見せるか。ヘラッと笑って──……
 考えれば考えるほど頭の中がグチャグチャになる。罪もない人間の命を奪いに行かなければならない彼の状態は嘘でも良好とは言えなかった。そんな状態で向かった先で彼は本当にアーバンの人間に斬りかかったのだろう。心を無にして。耐えられているのだろうか。願うのは無事だけ。
 
「アーデル」

 突然、神妙な声を出す父親に嫌な予感がしたアーデルは先に答えた。

「彼が死んでも再婚はしません」
「まだ何も言ってないだろう」
「そうじゃないと?」

 苦笑しているのがその証拠だと横目で見た父親に向かってかぶりを振る。

「再婚はすべきなのかもしれません。でも私は……今の私には彼以外との未来は想像できないのです。私の現在も未来も彼と共にあるんです」
「ココが相手でもか?」
「はい」

 迷いはなかった。娘は彼を愛している。顔も知らなかった相手との政略結婚。人見知り同士仲良くやるだろうとは思っていたが、未来をも確定する相手になるとまでは思っていなかった。形だけの夫婦として生きていく想像をしていたヒースにとってこれは予想外だった。
 だが同時に微笑ましく、ありがたいとすら思った。

「お父様はアーバンで彼が死ぬ可能性があると思っているのですか?」
「いや、彼にそういった心配は無用だろう。死神と呼ばれるだけの実力がある。だが、いくら死神と呼ばれていようと彼は人間だ。アーバンに一人で彼と互角か、それ以上かの人間がいたとすれば……勝敗はわからなくなる」
「アーバンはここ百年は戦争不参加のはずです。現在も表明を続けていましたし、凄腕の傭兵を雇う理由はないと思うのですが」
「雇っていなくとも、傭兵だった者がアーバンに滞在していたらわからないだろう?」
「それはそうですが……嫌な想像しますね」
「言っただろう、常に最悪を想定しておく必要があると」

 アーデルは良い事だけ考えて生きていたい。だからラビは無傷で帰ってくるし、それはこれから何十回戦場を駆けようと変わらない。一瞬の隙を突かれて倒れるなんて事は絶対にないと信じている。
 ラビに出会うまで前向きになるなんて事は知らなかった。誰かの言葉を全て悪いほうに受け取っては一人落ち込む。あからさまな嫌味だとわかっていながらも笑って流してしまう自分が嫌いで、夜になると悔しくなって枕でベッドを叩き続けたりもした。でも結局は言われる自分が悪いのだと考えに至って自己嫌悪する。それもラビと会ってから変わった。
 ラビがあまりにも自己肯定感が低すぎるから自分だけは前向きでいよう。そうすれば彼も不安にはならないはずだと必死でネガティブを抑えてきた。彼の前では、彼については前向きでいようと思えた自分の変化に気付いた時、アーデルはとても嬉しかった。

「最悪の想定はしたくありません……」
「お前はそれでいいさ。お前は何かを決める立場にない。あるとすれば夫婦としての方向性だけだ。だから彼が無事に帰ってくる事だけを考えて待っていなさい」
「はい……」

 そうはいえど、家を離れてからもう十日が経とうとしている。家からルスまで馬車で三日。飛ばせる単体であればもっと早く着くはず。
 そんな考えに支配されて落ちてしまいそうな気分を変えようと立ち上がった時、使用人が駆け込んできた。

「ラビ皇子がお着きになられました!」

 使用人の顔色はあまり良くない。かといって最悪を想定させるほどの表情でもない。アーデルは問いかけている時間が惜しいと言わんばかりに使用人の横を通り過ぎて廊下を走った。こういう時はいつも思う。なぜこんなにも長くて感覚の細い階段を作るのか、と。ヒールが邪魔だ。裸足であれば裾を持って階段を飛んで降りられるのにと苛立ちながらも走る。

「ラビッ!!」
「アーデル……ただいま戻り──ッ!」

 馬から降りたラビは地面に足をついた瞬間、足に力が入らないのかガクッと膝をついた。

「触らないでください!」

 慌てて支えようとしたアーデルに向けられた大声に待機していた使用人達も驚きに固まった。
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