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死神出現

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 馬車に乗ってルスへ向かうアーデルを見送った後、ラビも出発した。
 戦場に向かう時も気は重い。だけど、今はこれまで感じた事がないほど苦しくて辛い。愛馬に乗っていなければ間違いなく身体はアーバンに向かっていないだろう。今はただ人形のように運ばれているも同然。
 これからアーバンに向かうのは戦いではなく殺戮。罪のない人間を、人々に愛された国を、この手で滅ぼしに行くための行動。
 アーバン周辺にはヒュドールの兵が待機しているだろう。先駆けを務めるラビからの指示を待っているのだ。ルーカスの指示により兵は身を隠さない。ヒュドールの兵士である事を見せつけるように堂々と構え、そして城を取り囲んでいる。アーバンを滅ぼせというのは国だけではなく、そこに住まう人間も、という意味であるため戦争だと逃げ出す国民を逃さないため。
 三日以内と言われているため今日到着するしかない。明日到着すれば何を言われるかわからないだけに馬を止めるわけにもいかない。嫌でも縮まっていく距離。自分の心情を嘲笑うかのように晴れた空が憎らしかった。
 だが、それもアーバンに近くなるにつれて空模様が変わっていく。青一色だった空は白い雲が流れ、覆い、曇天へと変わる。
 いつもそうだ。戦争になるといつも空は曇り、雨が降る。
 雨が嫌いだった。濡れるせいではなく、戦場を思い出すから。だけど、アーデルと出会ってからは少しだけ嫌いという意識が和らいだ。『傘一つに二人は狭いですけど、距離が近くていいですね』と笑ったり、それぞれが傘を持って、傘がぶつかったら謝っては笑って。雨が降った日だけに起こる特別なイベント。雨も悪くない。そう思えたから。
 だけど、一人だとやっぱり雨は嫌いだと思う。

「ラビ皇子! お待ちしておりました! 突入の準備は整っております」

 アーバン一つ滅するのに大袈裟なほど兵を派遣したルーカスに嫌悪する。

「行きましょう」

 ラビは馬から降りず、手綱を握り直した。一息つく必要はない。一瞬の思考の隙が心の隙を作らせるから。
 駆けつけてきた兵士に呟くように答えると一気に駆け出した。オーッ!と声を上げて後に続く兵士達の声と地鳴りのような足音がアーバンの民を震え上がらせる。閉じられた門は大量の火薬によって爆破され吹き飛んだ。そこから中へと入ったラビは既に抜いていた剣を振り上げる。

「さすがはラビ皇子! いつ見ても鮮やかだ!」

 何故自分は人を斬ることで褒められるのだろう。人を斬ることでしか褒められないのは何故だろう。なんの罪もない人を、逃げ惑う人を、怯える人を、そこにあるなんの罪もない命を奪っているのに褒められる人生はおかしい。わかっていても馬を進ませるし、剣を振り下ろす。

「うわぁぁああああああ!!」
「ッ!?」

 後ろから聞こえた悲鳴に振り返ると続いていた部下が火を纏っていた。見えているのは矢。弓を操るのはあの三人だけではなかった。兵士の身体に刺さった弓から飛んできた角度を推測して顔を向けると弓を構えている男と目が合った。距離は三百メートルはあるだろうか。

「ロングボウか」

 相当な自信があるのだろう男は身を隠さず、そのまますぐに矢を取ってラビに放った。ラビは動体視力が優れており、大抵の物はスローモーションで見える。だから戦場では負け知らずで生きてこられた。ラビにとって戦争は負けようがない勝負でしかない。
 真っ直ぐ飛んできた矢を剣で払い、刃に当たった矢はそのまま地面に落ちた。
 アーバン周辺は森が多い。そのため狩人が多いのだろう。大勢の国民が逃げ出す中、弓を使える者は建物の中に残って攻撃に転じている。

「狙撃手がいる! 建物の中を探せ!」

 足が速い者は建物の中へと踏み込んで狙撃手を探し、残る者は逃げ惑う国民を背後から斬り倒していく。ギャッ!と尻尾を踏まれた猫のような声、断末魔のような叫び、懇願する泣き声が響き渡り、あっという間に増えていく地面に横たわる身体。女も子供も関係なく、老人であろうと倒れていく。
 振りかざす剣はいつだって鈍色に光っている。血を吸ったように赤には染まらない。まるでこの剣が真新しい物であるかのように見せる。舞い落ちてきた葉が触れるだけで真っ二つに裂けるほどの斬れ味。ラビの剣は人を撫でるだけで斬れてしまう。

「人殺し!」

 怯えた目の中に自分が映っている。怯えた声が恨みを含み、叫ぶ。

「死神め! 必ず報いを受ける事になるぞ! 俺達はお前を許さない! 必ず化けて出てや──」

 横一線に振るだけで男の首が飛び、少し離れた場所に転がる。それを走っている兵士が蹴飛ばし、壁にぶつかって壁に沿って置かれていた樽の上に落ちた。まるで晒し首のようになった顔は恨みながら死んでいったような顔をしている。
 何度見た顔だろう。何百回では足りない。それでもラビは溢れ返る血の匂いを感じている間は何も心に響かなくなる。暴言も恐怖も懇願も全て。誰が怯えようが逃げ惑おうが斬り捨てる。
 二十六歳になったラビの人生は人を斬って生きてきた時間のほうが長く、もう逃げられないのだと覚悟している。ルーカスが死んでもジュベールが命じる。きっとルーカスよりももっと無謀で異常な計画を立てて。
 彼は何がなんでも戦死させたがるだろう。戦死すれば国王としてラビ・ワーナーを語る際に御涙頂戴物語が語れるのだから。そしてその後は部屋で大笑いするのだ。墓の前で罵詈雑言を撒き散らし、墓に向けて唾を吐く。容易に想像できる。だが、ラビも早々に戦死するつもりはない。帰る場所があるから。自分の帰りを祈りながら待つ人がいるから。

「火矢だ! 気をつけろ!」

 声を掛け合いながら兵士達が進んでいく中、ラビは一直線に城を目指した。
 出口へと真っ直ぐ進む者、土地勘で細い抜け道を通る者、家同士の隙間に隠れる者──剣が届く範囲の者は全て斬っていく。飛んでくる火矢の数が増えたのは王に続く道を封じるためか、それとも的を絞ったのか。火矢はただの矢よりも音がするため飛んできた方角が割り出しやすい。弓を扱えないわけではないが、邪魔になるため背負う事はほとんどない。続く弓兵に狙撃手の場所を剣を向けて伝えて処理させる。
 閉ざされている城の門。あまり裕福ではない国の門は脆く破壊も容易い。先に城へと向かっていた兵士が大門と同じように火薬をまいて爆破した。
 無駄にある入り口へと続く長い階段。ここを馬で上がるのは不可能だと走った状態で飛び降り、中へと駆けていく。ビバリーで上った時計塔の階段よりずっと短いと思い出しそうになる良い思い出を敵兵の顔を見ることで消し、続く兵士達にアーバンの王を探すよう指示を出して走っていく。

(既に逃げ出しているかもしれないな)

 王の間にはいないだろう。アーバンの王はそんなにも勇敢ではない。表裏の激しい金に汚い男だとは聞いている。

「やはりそうか……」

 王の間の扉を蹴り開けるも人の気配はない。そのまま部屋を回ると開け放たれた金庫があった。逃げる時に落とした数枚の札。アーバンの王は既に金を持って逃げた。

「アーバンは水脈の地……やりすぎか……?」

 ヒュドールの兵が見えた時か、それとも突入された時か。逃げたタイミングで彼らがどこにいるか変わってくる。逃げられるわけにはいかない。アーバン王はこの手で殺さなければならない。ルーカスの命令だ。彼が所持するダイヤモンドのオーブを持ち帰れと。
 流れてしまっては困る。だが、自国を取り囲んでいるのがヒュドールの兵士である事を知った時点で逃げ出していれば追いつけない可能性がある。

「地下道の出口はどこに繋がっている?」
「裏の森の出口付近で、国境の目の前です」
「……貯水タンクを破壊しろ」
「はい」

 雨季になるとアーバンの地下道は使えなくなるとルーカスに聞いた事がある。多くの水を保有するために地下道にも貯水するからだと。攻めるなら雨季がいいとも。だが、アーバンがヒュドールに対して不敬を働く事はなかっただけに攻撃対象にはならなかった。
 地下道に貯水できるという事は水が漏れ出さないようにできる作りということ。
 これは虐殺行為であるため戦争ではなく、国境は関係ない。だが、森に逃げ込まれる厄介であるためラビに迷いはなかった。
 駆け出したのは爆破隊。持っている火薬を使って貯水タンクが爆破された音が聞こえる。
 溜め込んでいた水が一気に流れ、ドドドドッと激しい音を立てながら流れていく振動を感じながらラビは地下道の出口へと駆け出した。
 嫁と子供も一緒かもしれない。これは残虐で最低な行為。それでもラビの手は震えないし、足も進む。

「ラビ皇子、水が溢れてきています」
「見ればわかる」

 貯めていた水は地下道に貯められるよりもずっと多かったらしく、出口から漏れ出ていた。
 ルーカスはいつどこと戦争が起こってもいいようにあらゆる国の地図を独自に作り上げている。戦争に特化した国だからこそ見つけられる点なども詳細に記された地図は全てラビの元へと届き、記憶させられる。無駄な行為だと思っていても皮肉にもこうして役に立ってしまう事がある。
 出口から溢れ出る水は水責めの拷問を受けている人間のようにも見えた。口に入りきらない水を必死に吐き出そうとしている様子。それを静かに見つめるラビを兵士は緊張しながら何度も横目で盗み見る。
 ラビはルーカスやジュベールと違って理不尽に兵士を処する事はない。彼が味方で本当に良かったと心からそう思うほどの猛者だ。だが、それと同時に恐ろしくも思う。死神と呼ばれるほどの人殺し。手にしている剣は一体どれほどの人間を斬り裂き、血を吸ってきたのか。
 ラビがまだ十代の頃から共に戦ってはいるが、何度見ても戦場での彼には慣れない。

「雨だ……」
「強くなりそうですね」

 舌打ちしてしまいそうな気分だった。地下道が水で満たされたのは間違いない。まだ曇天止まりだった空がついに雨を降らせ始めた。いつもそうだ。戦争が終盤になると雨が降る。
 服や手、剣についていた血が洗い流されていく。まるで「これ以上、血に染まる場所はないとは言わせない」とでも言うように。ラビはいつもそう言われているように感じている。
 何度でも血に染まれ。それがお前がこの世に生まれてきた意味だと言われているように。

「テントを張りましょうか」
「敵地にテントを張る人間がどこにいる」
「も、申し訳ございません!」

 雨が降れば降るだけ地下道の水が抜けるのに時間がかかる。早く終わらせて早く帰りたいのに、それが許されない状況となってしまった。
 アーバンの王の死の確認後、ダイヤモンドオーブを奪取し、アーバン崩壊の見届けを終えたらヒュドールに帰ってルーカスにオーブを届ける。そうしてようやくアーデルを迎えに行ける。
 雨が降れば第一段階に至るまでに時間がかかる。後ろの大木にもたれかかって腕を組んだラビの頭には大木の中で二人の似顔絵が入った額を抱きしめながら眠るアーデルの姿が思い起こされていた。こんな場所で思い出すべきではない。汚れてしまうと地下道の出口からコポコポと何度も浮き上がる蓋と水流によって起こる泡を見つめる事に集中した。
 敵となれば途端にその命に重さを見出さなくなる自分は死神と呼ばれて当然だと雷鳴を呼ぶだろう暗さを増した空を見ながら心まで冷えていくのを感じていた。
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