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振り出し

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 近くの街を通り過ぎ、もう一つ離れた街まで二人で歩いた。
 額縁と貯金箱を抱えた二人は異様に見えただろう。注目を浴びながらも二人は宿には留まらず、貯めていた旅行資金に手をつけて馬車を借りた。
 期待に胸を膨らませていった新天地。心機一転と思っていた二人に訪れた地獄のような展開。二人は馬車に乗ると暫く黙り込んでいた。歩いていた時はあんなにも閉じる事を知らないかのように話していたのに。
 ラビは駆け慣れているため問題はなかったが、長距離を歩いた事がないアーデルにとってこの“散歩”は足が棒になるほど辛いものだった。それでも歩き続けられたのは互いに笑顔を見せて口を閉じなかったから。
 たくさん話した。出会った頃から今までの話。ビバリーの美しさ。ハイデンの凄さ。ヒュドールの自宅の狭さ。でも心地良かった事。結婚式をやり直したいという事まで話した。
 できるだけ楽しい話をと互いに想像を膨らませて話をし続けていたから笑っていられた。だが、足を止めて腰を落ち着けるともうダメだった。心は落ちていくばかり。
 馬車に乗り込んだらあとはジッとしているだけで家に着く。距離を取りたかったはずの家まで。

「家具……」

 運び出していなくてよかったと言おうとしたラビはそのまま口を閉じた。アーデルを見ると苦笑しながら頷くだけで言葉はない。話すのもしんどいのだろうとラビも黙っている事にした。

「人は……」

 暫くしてアーデルが呟くように言葉を漏らすと反射的に顔を向けたラビが姿勢を正して耳を傾ける。

「どこまで残酷になれるのでしょうか……」

 ルスは平和な国だ。他国と戦争はしないし、内紛もない。アーデルは穏やかな世界に生まれ、そこで育ってきた。
 いつだったか、小説を読んでいる時にアーデルが言った。『現実の戦争は言葉では表現できないほど惨たらしいものなんでしょうね』と。
 ラビはそれに対して『そうですね』とだけ返した。
 あの行為は戦争とは呼べない。一方的な暴力だ。アーデルには衝撃だっただろう。非難を受けたのも初めてで、あれだけの敵意を目の当たりにするのも初めてだったはず。
 これはラビにとっても予想外だったが、非難を受けたその日の夜に家を燃やされる。この最悪の行為はアーデルに戦争の片鱗を見せた。あんなものではない。あれの何十倍、何百倍と例える事はできないが、それでも暴力を知らないアーデルにとってあれは戦争をイメージさせるには充分すぎるものだった。

「どこまでも、だと思います……」

 戦争を見てきただけでなく、その身体で経験し続けているラビの言葉にアーデルは目を合わせるだけで何も言えなかった。すぐに自分の膝へと視線を落としたアーデルを励ますためにはどうすればいいか必死に考えてみるが、わからない。
 アーデルはそれっきり口を開かず、ラビもアーデルの整理がつくまで黙っていた。
 
「ただいま、ですね」
「そうですね」

 数日かけて到着した我が家。家を出たのは一週間前。旅行に行った時よりもずっと早く戻ってきてしまった事に二人は苦笑する。だが、内心どこか安堵している部分が二人にはあった。内見した際、二人は素敵だと思う一方で広すぎるとも思っていた。子供ができた時のために、との考えから選んだのだが、子作りもできていない自分達がいつかを考えて買うには大きすぎたと。
 再びこの家に戻って思ったのは、あの家では広すぎるし、この家では狭すぎる。だが、二人で暮らすにはここで充分だという事。
 森が近くにあって、馬車では抜けられないが歩いて抜ける事はできるし、静かで良い場所。市場は近いし、自然の中で暮らしている感じで二人はこの場所が好きだった。

「この家を……」

 建て替えればいいのではないかと思ったが、それではシャンディから離れる事はできない。ヒュドールからも離れたいと思っていたラビの希望を叶える事もできない。

「とりあえず、中に入りましょうか」
「はい」
「僕は郵便受けを見てから──」
「あっ!」

 郵便受けを覗こうとしたラビがアーデルの声で振り返ると森の中から駆け抜けてきたオリヴァーが門の前で止まった。額縁をドアに立てかけて駆け寄るアーデルをラビも追いかける。

「無事だったのね。よかった」
「賢い馬ですから」
「本当に賢い。ちゃんと帰ってくるなんて」

 何度も顔を撫で、抱きしめながら安堵を伝える。帰り道を覚えていたオリヴァーをラビも一緒に褒めてから裏へと向かい、小さな馬小屋へ入れる。

「僕、水を汲んできます」

 水瓶の中に溜めていた水は当然捨ててしまったため中は空っぽ。水汲み場まで行ってくると貯金箱をアーデルに渡し、バケツを二つ手に持って駆けていく。彼も疲れているはずなのにと背中を見送りながらアーデルは一度目を閉じる。
 ここから離れようとした決意を砕くように新たな家を失った。大勢に死神と呼ばれ、疎まれ、身に覚えのない暴言まで吐かれる。またここに戻ってくる事になった彼のほうが辛いはずなのに自分はその気持ちに寄り添おうともせず落ち込んでいた。気を使わなけれならないのは自分のほうなのにと。

「ダメだね、自分ばっかりで」

 オリヴァーの顔を撫でると甘えるように擦り寄ってくる。生きて帰ってきてくれたと心から安堵するが涙が流れる。袖で目を押さえて涙を全て吸い取らせ、大きく吸った息を何度もゆっくり吐き出す。彼が帰ってくるまでには止めなければと今の状況を出来るだけ前向きに考える事にした。
 十五分ほどすると両手に持ったバケツにたっぷり水を汲んで帰ってきた。途中で飲んできたのか、急いで飲もうとしないオリヴァーに「後でもよかったかな」と苦笑するラビを笑いながら二人は玄関へと向かう。

「僕は郵便受けを見てから入りますね」

 入る前に郵便受けを覗く。封筒が一枚入っていた。恐る恐る手を伸ばして確認するとフォスからだった。

「フォスさんから手紙が届いていますよ」
「フォスから?」

 まさかと嫌な予感に襲われながら受け取って玄関前で開ける。ラビも何が書いてあるのか心配になるも覗きはせず、アーデルが読み終わるまで待っていた。

「惚気と愚痴ですね」

 安堵の表情を見せるアーデルにラビも似た表情を浮かべる。

「覚えなきゃいけない事が多くて大変だけど毎日充実してる。自由に甘えられる相手がいないっていうのは大変な事なんだって初めて知った。結婚したばかりでもう子供子供って言われる事に今の時点でうんざりしてるし蹴飛ばしてやりたいけど裏で舌出して堪えてるって書いてあります」
「フォスさんらしいですね」
「でもよかった。帰りたいって書いてなくて」
「フォスさんならきっと大丈夫ですよ。上手くやれると思います」
「だといいんですけどね。ダメな時は迎えに行くと言ってしまったので甘い考えがどこかにあるかもしれません」
「逆じゃないですか? そう言ってもらえたからダメだって思えるまでは頑張ろうって思ってる」

 ラビの考え方に目を瞬かせたアーデルが頷く。彼はあんな世界で育ったせいで卑屈にはなったが、人に優しくできる心を持っている。自分さえ良ければそれでいいというわけではなく、相手の心を思い、優しくできる。その喜びにアーデルのほうから抱きついた。

「ア、アーデル!?」

 どこにそんな行為に及ぶ感情が生まれたのかと慌てるが、突き放しはしない。片手に持っていた貯金箱を手すりの上に置いてそっと抱きしめ返した。

「あなたと結婚してよかった」

 自分はそう言ってもらえるだけの価値がある人間ではない。最低な人間だ。死神の名に相応しい行為を容易に出来てしまうのだから。
 汚れきった魂が宿る肉体で彼女に触れていいのか迷いはあるが、いつか無慈悲にも離れる時が来るかもしれない。その時まではと自分を甘やかし、抱きしめる腕に力を込める。

「ココとフォス、それから父に手紙を書きます」
「そうですね」
「驚くでしょうね」
「申し訳ないです」
「その言葉は禁止ですよ」

 家の中に入るだけで懐かしいと感じると同時に帰ってきたとも思う。結局はここが自分達の家なのだ。もう少し気持ちが落ち着いたら改めて話をしよう。
 フォスには手紙の返事を。ココと父親には真実を。手紙を書きながらまた落ち込んでしまいそうだと想像してしまうアーデルは手紙の用意をした後、パンッと頬を叩いてからペンを持った。
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